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35.魔王の前で、愛をささやく(2)

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 聖騎士団の最前列から、魔王に向けて幾重もの《光の矢》が放たれ続ける。

 山塊のような魔王が身に纏う、どす黒い瘴気に間断なく《光の矢》が突き刺さる。

 だけど、魔王の目は嗤っている。
 あのワイバーンの大群を一瞬で全滅させた《無限光箭こうせん》なのに、魔王は避ける仕草さえ見せない。

 真っ赤に光る口の端を、どこまでも吊りあげてニタ――ッと嗤っている。

 やがて、

《ゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタ》

 再び魔王の嗤い声が響いたかと思うと、その口を大きく開けた。

 ――マルティン様っ!

 私は、グッと目を見開き、拳を握り締めて歯を喰いしばった。
 私が目を逸らす訳にはいかないと思った。

 刹那、

「馬を降りて、伏せろ――っ!」

 と、声が響いて、誰かが私の身体に飛び乗って、地面に引き摺り降ろされた。

 次の瞬間、頭上を赤い光線が通り過ぎていく。

 地面に倒れ込んだまま、マルティン様の方を見ると、天空に《無限光箭こうせん》を放ち、私の方に向かう魔王の赤い光線を少しだけ上向きに逸らしてくれている。

《ゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタ》

 魔王の不快な笑い声が響いた。

「魔王め……、聖女候補たちに勘付いたな」

 と、私の身体を抱いていたのは、エミリアさんだった。

「アリエラ殿、ケガはないか?」
「は、はい……」
「まもなく、…………後退が始まる」

 それは、マルティン様が死ぬということだ。

 あたりを見渡すと、そこかしこで聖女候補たちが倒れている。血を流して動かないもいた。
 ソフィアさんが仰向けに倒れ、苦しげに呻いているのも目に入る。
 ついに微笑みは絶えた。

「聖女候補を死なせるな!!!」

 救護に駆け出したエミリアさんの怒号が飛ぶ。

「魔王から離すんだ! 聖女候補の張る結界では、魔王の攻撃を防げない! 急げ!!」

 護衛隊が聖女候補たちに駆け寄る。

「アンナ!!」

 私は、少し離れたところで妹のアンナが倒れているのを見付け、駆け寄って、抱き起こした。

「お……、お姉様……」
「アンナ!? 大丈夫? しっかりして!」
「……私は……大丈夫。ちょっと、頭を打っただけ……。それより、馬車を……」
「馬車!? 馬車がどうしたの?」
「馬車の……《聖女の宝玉》を…………」

 顔を振って探すと、天蓋が吹き飛ばされて、今にも倒れそうな馬車が目に入った。

「宝玉がないと……聖女の力が、発現……しない……から……」
「分かった! 回収すればいいのね!?」
「お願い…………」

 アンナの身体をそっと横たえ、馬車に向かって駆け出す。
 けれど、私も狼狽えているのか足が思うように動いてくれない。膝がカクカクする。


 ――聖女が出現できなくなったら、なんのためにマルティン様が……。


 魔王に立ち向かうマルティン様の《無限光箭こうせん》は、絶え間なく放たれ続けている。


 ――マルティン様も頑張ってる! 私だって!


 自分の太ももを、拳でガシガシと殴りつけ、馬車の方へと向かう。
 魔王が放った光線の衝撃で、車輪のひとつが外れかかった馬車はグラグラと揺れている。

 エミリアさんたちに助けを求めようとしたけど、私が一番近い。

「おねえ……さま……、お願い……」

 アンナの必死で振り絞る声が、背後から聞こえた。
 私はもちろん《聖女の宝玉》の実物を見たことはない。
 馬車が倒れたら、割れて壊れてしまうようなものなのかも分からない。
 ただ、アンナの必死の訴えに、今は応えるしかない。

 その瞬間、馬車がグラリと大きくひとつ揺れ、ゆっくりと倒れ始めた。

 とにかく、近付いて支えれば倒れないかもしれない。
 カッと、地面を蹴って、全力で馬車に駆け寄る。

 ――お願い! 間に合って!

 しかし、馬車は無情にも傾き続けている。 

「お、ねえさま! ……上」

 という、アンナの声が聞こえた。

 ――上?

 見上げると、なにが起きたのか、ポーンッと、水晶玉のような丸い玉が馬車から飛び出している。

 ――あれが、宝玉!?

 グッと、足首をひねって地面を蹴り、方向を変えて身を投げ出し、なんとか受け止めようと、片腕を精一杯に伸ばして飛び込んだ。

 ズシャーッ! という音がして、地面を身体が滑り始める。
 脇腹が擦れていく痛みが他人事のようだ。頭の中は真っ白で、ただひたすらに手を伸ばした。

「お姉様――っ!」

 と、アンナの祈るような声が私の耳に届いた、その時のことだった――。

 恐らくアンナの目には、私の擬態ゴリラの分厚い手の中に、宝玉が沈み込んでいったように見えただろう。

 宝玉は"本当の私"の、"本当の手"に、――触れた。

 たちまち《聖女の宝玉》は、まばゆく輝き、私の擬態ゴリラを形成していた膨大な魔力を吸い込み始める。

 それと同時に、封印していた私の記憶が蘇りはじめる。

 聖女は――――、













 私だったのだ。
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