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30.不快な魔物

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 崖と崖に挟まれた隘路に入ったときだった。
 おびただしい数のゴブリンに襲われた。濁った緑色の肌。欲望むきだしの邪悪な顔付き。体躯は小さく俊敏な動き。物語に出てくる小鬼そのままの姿だった。

「聖女候補たちに、結界を張らせろ――」

 と、アンドレアスさんが冷静に指示を飛ばす。
 隊列は長く伸びていて、最後尾の聖女団の護りは手薄だ。護衛隊の皆さんが、聖女候補たちを囲む陣形を素早く組んでいく。

 私も抜剣して備えるけど、下がるように言われる。

 動きは見えているし負ける気はしなかったけど、人型の魔物を斬るのに躊躇してしまうかもしれない。

 素直に指示に従って、怯えた表情の聖女候補たちの側に寄り添う。彼女たちは結界を張る魔法を使っているのだろう、両手を組んで祈りを捧げていた。
 その間、ゴブリンたちが投げ付けてくる石礫を、私も剣で払う。

 やがて結界が張られ投石を弾き始めると、アンドレアスさんが姿を見せた。

「馬車を守れ。狙いは聖女候補たちだろうが、あいつらは宝石にも目がない。《聖女の宝玉》を奪われるな」

 聖女候補たちは《聖女の宝玉》を載せた馬車を中心に、さらにギュッと堅く集まった。
 その外側で円陣を組む聖騎士たちの列に私も加わろうとしたのだけど、奥に押し込まれた。

「ゴブリンどもは、見た目で差別しねぇぞ?」

 アンドレアスさんが二マリとした。

「女と見たら、なんでもござれだ。さらわれた日には、壊れるまで犯されて孕まされる」

 冗談めかしたアンドレアスさんの言葉に、聖女候補たちの顔が引きつる。

「しっかり固まって、外には出ないことです」

 アンナも、先輩のソフィアさんも、数日続く行軍ですでに疲労困憊している。なのに笑顔を絶やさず、慈悲深く負傷兵のために尽くしている。

 《聖女の宝玉》を行軍に持参しているのは、いつ聖女の力が発現するとも限らないからだ。
 不確かな可能性のために、自らを律し、慈悲深くあろうとしている健気な彼女たちの貞操を狙うとは許せない魔物だ。

 結界の外で続く戦闘を眺めながら、アンドレアスさんが口を開いた。

「……欲望のまま女を狙うってことは、まだ魔将の統率下には入ってないってことです。ここで叩いて全滅させておきたい」

 不安と憤りの交じった表情の私に、アンドレアスさんがニタリと笑った。

「そう怖い顔をしなくても、じきに前衛から援軍が来ます。アリエラ殿のために、マルティンも飛んで来るかもしれませんぜ」

 怖い顔はどっちだと、悪人面のアンドレアスさんに毒づきたくなったけど、うまく言葉が出ない。やっぱり、私も恐がっているんだろう。
 結界の外では体の大きなゴブリンも現れていて、あれがホブゴブリンってやつか。

 と、頭上からきしむような音が聞こえた。
 見上げると、膜のように見える結界がキラキラと揺らめいている。

「む。……ゴブリンシャーマンがいるのか」

 アンドレアスさんが眉を寄せた。

「聖女の張る結界なら、ゴブリンシャーマンごとき、どうということはないのだが……」

 その呟きはよくないですよ。
 アンナやソフィアさんたちの気持ちを追い詰めてしまう。自然と口をついて出てしまったのかもしれませんけど。

「アリエラ殿。私も出ます。聖女候補から離れないでくださいね。貴女に何かあったら、マルティンにどやされてしまう」
「……は、はい。ご武運を!」
「マルティンには及びませんが、私の強いところも見てもらいましょう。こんなツラして、なんで副長なのかよく分かるようにね」

 と、結界の外に出たアンドレアスさんは、次々にゴブリンの頭を砕き、腹を裂き、血煙を上げながら斬り進んで行く。
 言葉通りの強さだった。

 戦列越しでも見えるホブゴブリンは、目の前の聖騎士と闘いながらも、チラチラとこちらに邪悪な視線を向けてくる。
 美しい聖女候補たちを、性欲の対象としてしか見ていないことが、いやでも伝わる。

 なんて不快な魔物だろう。

 私とマルティン様が、清らかな気持ちで子づくりを頑張ろうとしていることを汚された気分だ。
 心を通わすことになど、なんの興味もなく、無理矢理いたすことばかり考えているのだろう。一匹くらいがいてもいいのに、どいつもこいつも目を血走らせている。
 ほんとうに邪悪な魔物だ。

 やがて、頭上のきしむような音が止まった。
 アンドレアスさんがゴブリンシャーマンを斬ったのだろう。

 そこに、マルティン様が斬り込んで来られるのが見えた。
 魔力を温存しているのか、剣を振り続けられている。
 優しいマルティン様を知る私の目にも、つい怖気おぞけがするような怜悧で恐ろしい表情を浮かべて……。

「団長様が来られて、心強い限りですわね」

 と、ソフィアさんが話しかけてくれた。
 結婚前の聖女宴会でも、私の見た目ゴリラをまったく気にする素振りを見せなかったソフィアさん。
 柔和な微笑みで、私を気遣ってくれていることが分かった。

「はい! 私の旦那様は王国の希望……、いえ、人類の希望ですから!」
「ほんとうに……。ほら、副長様との息もピッタリ。ありがたいことです」

 ――今、一番聖女に近い。

 と、アンナが紹介してくれたソフィアさん。
 聖女の力が発現していれば、ゴブリンなど自分の力で《浄化》してしまえるだろうに。今は聖騎士に守ってもらう、か弱い立場に甘んじるしかない。
 悔しくても口惜しくてもおかしくないのに、素直に感謝の言葉を口にされる。

 ――もう! 聖女! いるなら、サッサと出て来てよね!

 という妙な憤りを感じてしまう。
 そうしたら、アンナもソフィアさんも、マルティン様だって重圧から解放されるのに。

 しばらくして、ホブゴブリンよりさらに大きな体躯をしたゴブリンロードが現われたけど、マルティン様が苦も無く斬り捨てた。
 そして、算を乱したゴブリンたちを聖騎士が包囲し全滅させた。

 血なまぐさい戦場を、エミリアさんたち魔導師団が《浄化》して回る。
 緊張の解けた聖女候補たちの中には、目に涙を浮かべたもいる。

 魔王が復活したタイミングで、彼女たちが聖女候補だったのは本当に偶然だ。
 予測どおりの3年後であったなら、たとえばアンナは聖女修行を終えていて、戦場に連れ出されることもなかった。

 ゴブリンたちから放たれる、忌まわしい劣情の視線に晒されることもなかった。
 女性に生まれたことが罪であるかのような、嫌な気分にさせられることもなかったのだ。

 けれども、彼女たちはその運命を受け入れて、懸命に慈悲深くあろうとしている。
 その笑顔の奥にある悲痛な想いに、胸が痛んだ――。

 ◇

 隘路を抜けて、野営の天幕が張られた。

 私がリエナベルクから王都に向かったときは4日の旅程だった。けれど、駐屯師団も合流した約10万人が、遭遇した魔物の討伐もしながら移動している。
 ようやくグリュンバウワー領の南端には到達していたけど、魔王のいるリエナベルクまでは、まだまだ遠い。

 天幕の中で、ひとり待っていると、やがてマルティン様が入って来られた。
 腰を降ろしたマルティン様は、私に意外なことを頼んでこられた。

「アリエラ。私を……抱き締めてくれないか……?」

 えっ?……よ、喜んでさせていただきます、けど…………。
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