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16.なにも恐くない
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熱弁を振るうお母様に、周囲の目が集まっている。
けれど、お母様は気にする様子もなく、思い詰めた視線で私のことをジッと見詰める。
お母様の後ろに立つ形になっていた王妃陛下が、そっと前に一歩近付いてこられた。
「テレーズよ」
「申し訳ございません、陛下。お暇を……」
「テレーズ。アリエラ殿は、もうそなたの腹の中にはおらんのだ」
「……お、仰せの通りにございます。ですから、母である私が守らなくてはいけないのです」
王妃陛下は、私に顔を向けられた。
「アリエラ殿はどう? 母と一緒に帰りたいと思われる?」
「私は……、マルティン様と、結婚したいと思います」
「アリエラ! あなたは、まだそのような。まわりを見てご覧なさい。皆が、あなたをどのような目で見ているか……」
その時、騒ぎを聞き付けたマルティン様が駆け寄ってくれた。
「どうした、アリエラ殿。顔色が悪いようだが……?」
マルティン様の言葉に、お母様が、ハッと目を見開いた。
お母様の目では、ゴリラの私の顔色を見ることは出来ない。
私の前髪をかきあげて心配そうに顔をのぞき込むマルティン様を、お母様は不思議なものでも見るように、茫然と眺めていた。
「テレーズ。あとはマルティン殿にお任せしましょう」
と、微笑まれた王妃陛下は、お母様の肩を抱き、私の側を離れた。
それを一礼して見送ったマルティン様が、私の方に向き直った。
「なにがあったのですか?」
「…………いいえ、なにも」
「なにもという表情には見えませんが……?」
「ふふっ。私のマネなどされて……。王妃陛下が、お茶会にお招きくださったのです」
「そうですか……」
「少し……、ビックリしてしまっただけですわ」
私が笑顔をつくると、マルティン様はようやく安堵の表情を浮かべてくださった。
だけど、私は、
――王妃陛下のお茶会に、お母様もいらっしゃるのだろうか……?
と、そのことばかりを考えていた――。
◆ ◆ ◆
新年の宴を終えてしばらく、私は浮かない顔で過ごしていたらしい。
国王陛下から『祝福』の一言をいただけなかったからではない。
お母様の言葉が、耳から離れなかったのだ。
――嗚呼……、可哀想なアリエラ。
思えば、生まれて初めて城の外に出してもらった馬車の中でも聞いた言葉だ。
お母様が強く抱き締めてくれて、頬ずりされて、窓からは青い空しか見ることができなかった。
可哀想――――と、自分のことを思ったことはなかった。
他人の目に映る姿に合わせて生活するのは、そう難しいことではない。
ちょっとした工夫とユーモアがあれば、これまで乗り切れなかったことはない。
なにせ、"本当の私"の表情は、分厚い擬態に覆われていて、誰にも見られることがない。なんなら、私は他者に対して優越感さえ持って生きてきたような気がする。
誰にも"本当の私"を見てもらえないということは、誰からも隠せるということでもある。
だけど、マルティン様だけは違う。
ルイーゼにさえ見破られない、私の憂鬱顔を見抜かれてしまう。
「……ご気分が晴れないようですね」
と、ティカップをテーブルに置かれた。
毎日、お茶しましょうとは、私が言い出した、マルティン様の『女嫌い克服大作戦』だ。
最近はルイーゼが遠慮して席を外すようになったけど、律儀なことに約束通り両目を開けて過ごしてくださる。
「いえ……、やはり少々……緊張したようですわ。新年の宴に出席させていただいて」
「にしても、もう5日も経ちます」
「へ……陛下のご威光に触れ……。やはり、疲れているのでしょうね」
表情を読まれるという経験が皆無だった私にとって、マルティン様の目は、丸裸にされてしまうような気恥ずかしさを伴うのだということに、ようやく気が付いた。
"本当の私"を見てもらえるということは、見られたくない私も見られてしまうということだ。
「……お母様のテレーズ殿と、なにかあったのですね?」
恐らく最初から気付いていたマルティン様が、静かに仰られた。
お父様であるヴァイス子爵から、マルティン様とお母様の話を聞いてしまった。
長くお母様の存在に苦しまれてきたマルティン様に、母親の話題を持ち出すことが躊躇われていた。
だけど多分、私の"表情"からは隠し切れていない。
「父から聞いたのですね? 私の母のことを」
「あ……いえ…………」
「アリエラ殿にまで気を遣われては……、少し傷付きます」
マルティン様は、すこし悲しげに微笑まれた。
「あの母の息子としか見てもらえなかった頃のことを思い出すのです」
「……申し訳ございません」
マルティン様は片目をつむり、残ったもう片方の目を細めて私を見た。
「なるほど、確かにゴリラだ。母親の気持ちというものを考えるのがイヤで仕方ない私から見ても、それがすぐに分かるほどに、ゴリラだ」
「私は…………」
「はい」
「私は結局、母の優しさを踏みにじらないと、自由を手にすることが出来ないのでしょうか?」
マルティン様に促されて、姿見の前に並んで立った。
儚げな私はやはり美しいし、それを気遣うマルティン様もやはり美しい。
「子供の自立を喜ばない親はおりません」
「……そうでしょうか」
「私に負い目を感じながら生きてきた父でさえ、私が自分の生きる道を聖騎士に見付けたことを、心の底から喜んでくれています」
ヴァイス子爵が、訥々と語られていた姿が思い浮かぶ。
息子のことを思い遣りながらも、一人の人間として敬意を払っていた。人生における深刻な痛手を、自分の力で乗り越えたマルティン様のことを、お認めになっているのだろう。
「喜ばないのであれば、別の問題となりましょう」
「別の問題?」
「アリエラ殿の人生は、アリエラ殿のものであるということです。人に生まれた以上、自分の人生を謳歌する権利を持っている……」
ご自身の母君も……と、言わんばかりであった。
「マルティン様……」
「なんでしょう?」
「アリエラを、抱き締めてくださいませ」
「え? ええっ!?」
絵に描いたように狼狽えるマルティン様。
様々な傷を、理性と信仰で乗り越えてきて、最後に残った身体の拒否反応。あの夜――母の密事を見てしまった夜のことを、思い出すのではないかという恐怖だけが滞留している。
「私と結婚してくださるのですよね?」
「はい……それは…………」
「マルティン様は、大切なことを見落としています」
「……大切なこと?」
「結婚式では神に誓って、私と……チューしないといけませんよね?」
「チュ……」
私だって恋愛経験皆無の超絶ビギナーだ。
キス……だなんて、恥ずかしくて口にできませんわ。
「聖騎士の頂点に立つお方が、神への誓いを怠ることなど出来ませんよねっ!?」
「うっ…………」
「ですから、一歩ずつ練習しておきましょう」
息を呑み込んだマルティン様は、恋とか愛からは程遠いしかめっ面で私に近寄り、ぎこちなく腰に手を回した。
ギュって感じじゃない。ふわっとした感じ。
――私は、恐ろしくありませんよ。
と、そーっと、身を預けた。
厚い胸板から、速い鼓動が伝わってくる。
――私も、マルティン様と一緒なら、なにも恐くありませんわ。
鏡をのぞき見すると、マルティン様の頬も赤く染まっていた。
もうたぶん、惚れてもいいのだ。
だけど、それを口にしたら壊れてしまいそうな関係。
誰も知らない、それが私たちだけの"本当の姿"なのだ――。
けれど、お母様は気にする様子もなく、思い詰めた視線で私のことをジッと見詰める。
お母様の後ろに立つ形になっていた王妃陛下が、そっと前に一歩近付いてこられた。
「テレーズよ」
「申し訳ございません、陛下。お暇を……」
「テレーズ。アリエラ殿は、もうそなたの腹の中にはおらんのだ」
「……お、仰せの通りにございます。ですから、母である私が守らなくてはいけないのです」
王妃陛下は、私に顔を向けられた。
「アリエラ殿はどう? 母と一緒に帰りたいと思われる?」
「私は……、マルティン様と、結婚したいと思います」
「アリエラ! あなたは、まだそのような。まわりを見てご覧なさい。皆が、あなたをどのような目で見ているか……」
その時、騒ぎを聞き付けたマルティン様が駆け寄ってくれた。
「どうした、アリエラ殿。顔色が悪いようだが……?」
マルティン様の言葉に、お母様が、ハッと目を見開いた。
お母様の目では、ゴリラの私の顔色を見ることは出来ない。
私の前髪をかきあげて心配そうに顔をのぞき込むマルティン様を、お母様は不思議なものでも見るように、茫然と眺めていた。
「テレーズ。あとはマルティン殿にお任せしましょう」
と、微笑まれた王妃陛下は、お母様の肩を抱き、私の側を離れた。
それを一礼して見送ったマルティン様が、私の方に向き直った。
「なにがあったのですか?」
「…………いいえ、なにも」
「なにもという表情には見えませんが……?」
「ふふっ。私のマネなどされて……。王妃陛下が、お茶会にお招きくださったのです」
「そうですか……」
「少し……、ビックリしてしまっただけですわ」
私が笑顔をつくると、マルティン様はようやく安堵の表情を浮かべてくださった。
だけど、私は、
――王妃陛下のお茶会に、お母様もいらっしゃるのだろうか……?
と、そのことばかりを考えていた――。
◆ ◆ ◆
新年の宴を終えてしばらく、私は浮かない顔で過ごしていたらしい。
国王陛下から『祝福』の一言をいただけなかったからではない。
お母様の言葉が、耳から離れなかったのだ。
――嗚呼……、可哀想なアリエラ。
思えば、生まれて初めて城の外に出してもらった馬車の中でも聞いた言葉だ。
お母様が強く抱き締めてくれて、頬ずりされて、窓からは青い空しか見ることができなかった。
可哀想――――と、自分のことを思ったことはなかった。
他人の目に映る姿に合わせて生活するのは、そう難しいことではない。
ちょっとした工夫とユーモアがあれば、これまで乗り切れなかったことはない。
なにせ、"本当の私"の表情は、分厚い擬態に覆われていて、誰にも見られることがない。なんなら、私は他者に対して優越感さえ持って生きてきたような気がする。
誰にも"本当の私"を見てもらえないということは、誰からも隠せるということでもある。
だけど、マルティン様だけは違う。
ルイーゼにさえ見破られない、私の憂鬱顔を見抜かれてしまう。
「……ご気分が晴れないようですね」
と、ティカップをテーブルに置かれた。
毎日、お茶しましょうとは、私が言い出した、マルティン様の『女嫌い克服大作戦』だ。
最近はルイーゼが遠慮して席を外すようになったけど、律儀なことに約束通り両目を開けて過ごしてくださる。
「いえ……、やはり少々……緊張したようですわ。新年の宴に出席させていただいて」
「にしても、もう5日も経ちます」
「へ……陛下のご威光に触れ……。やはり、疲れているのでしょうね」
表情を読まれるという経験が皆無だった私にとって、マルティン様の目は、丸裸にされてしまうような気恥ずかしさを伴うのだということに、ようやく気が付いた。
"本当の私"を見てもらえるということは、見られたくない私も見られてしまうということだ。
「……お母様のテレーズ殿と、なにかあったのですね?」
恐らく最初から気付いていたマルティン様が、静かに仰られた。
お父様であるヴァイス子爵から、マルティン様とお母様の話を聞いてしまった。
長くお母様の存在に苦しまれてきたマルティン様に、母親の話題を持ち出すことが躊躇われていた。
だけど多分、私の"表情"からは隠し切れていない。
「父から聞いたのですね? 私の母のことを」
「あ……いえ…………」
「アリエラ殿にまで気を遣われては……、少し傷付きます」
マルティン様は、すこし悲しげに微笑まれた。
「あの母の息子としか見てもらえなかった頃のことを思い出すのです」
「……申し訳ございません」
マルティン様は片目をつむり、残ったもう片方の目を細めて私を見た。
「なるほど、確かにゴリラだ。母親の気持ちというものを考えるのがイヤで仕方ない私から見ても、それがすぐに分かるほどに、ゴリラだ」
「私は…………」
「はい」
「私は結局、母の優しさを踏みにじらないと、自由を手にすることが出来ないのでしょうか?」
マルティン様に促されて、姿見の前に並んで立った。
儚げな私はやはり美しいし、それを気遣うマルティン様もやはり美しい。
「子供の自立を喜ばない親はおりません」
「……そうでしょうか」
「私に負い目を感じながら生きてきた父でさえ、私が自分の生きる道を聖騎士に見付けたことを、心の底から喜んでくれています」
ヴァイス子爵が、訥々と語られていた姿が思い浮かぶ。
息子のことを思い遣りながらも、一人の人間として敬意を払っていた。人生における深刻な痛手を、自分の力で乗り越えたマルティン様のことを、お認めになっているのだろう。
「喜ばないのであれば、別の問題となりましょう」
「別の問題?」
「アリエラ殿の人生は、アリエラ殿のものであるということです。人に生まれた以上、自分の人生を謳歌する権利を持っている……」
ご自身の母君も……と、言わんばかりであった。
「マルティン様……」
「なんでしょう?」
「アリエラを、抱き締めてくださいませ」
「え? ええっ!?」
絵に描いたように狼狽えるマルティン様。
様々な傷を、理性と信仰で乗り越えてきて、最後に残った身体の拒否反応。あの夜――母の密事を見てしまった夜のことを、思い出すのではないかという恐怖だけが滞留している。
「私と結婚してくださるのですよね?」
「はい……それは…………」
「マルティン様は、大切なことを見落としています」
「……大切なこと?」
「結婚式では神に誓って、私と……チューしないといけませんよね?」
「チュ……」
私だって恋愛経験皆無の超絶ビギナーだ。
キス……だなんて、恥ずかしくて口にできませんわ。
「聖騎士の頂点に立つお方が、神への誓いを怠ることなど出来ませんよねっ!?」
「うっ…………」
「ですから、一歩ずつ練習しておきましょう」
息を呑み込んだマルティン様は、恋とか愛からは程遠いしかめっ面で私に近寄り、ぎこちなく腰に手を回した。
ギュって感じじゃない。ふわっとした感じ。
――私は、恐ろしくありませんよ。
と、そーっと、身を預けた。
厚い胸板から、速い鼓動が伝わってくる。
――私も、マルティン様と一緒なら、なにも恐くありませんわ。
鏡をのぞき見すると、マルティン様の頬も赤く染まっていた。
もうたぶん、惚れてもいいのだ。
だけど、それを口にしたら壊れてしまいそうな関係。
誰も知らない、それが私たちだけの"本当の姿"なのだ――。
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