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9.必要な予防線
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宴からお屋敷に戻って、マルティン様をお茶にお誘いした。
馬車の中では枢機卿に憤慨されていたマルティン様だけど、怒りも冷めたのか、今は片目をつむってらっしゃる。
――この世のものとは思えぬ美しさ。
とまで、私の“本当の姿”を褒め称えてくださったことに、バツが悪くなってしまったのだろうか。
あまり、私の方を見てくださらない。
「それで、いかがでしたでしょうか? 私が好奇の目に耐えられると、信じられるようになられました?」
「ん……、そうですね。多少は……」
「もっと大きな宴席に連れて行ってくださるのですね?」
「そういうことになります」
マルティン様は、少しそわそわとして落ち着かない様子がする。
部屋の片隅に控えてくれてるルイーゼのせいかとも思うけど、
「アリエラ様の婚約者に邪な気持ちなど抱きません。そもそも身分が違いすぎます」
と言ったルイーゼは、いつもと変わりなく平然と立っている。それともルイーゼみたいなのが、マルティン様のタイプなのかしら?
いや、単純にプライベートな空間で女性と同席するのが苦手なだけなのかしら?
枢機卿の宴での私を、どう見ていらしたかお伺いしたかっただけなのだけど、聞きたいことを聞いて、早めにお開きにした方がいいかもしれない。
「でも、マルティン様は大丈夫ですの?」
「……私ですか?」
「私を連れて行けば、マルティン様にも好奇の目が向きますでしょう?」
「人目に晒されることに、私は慣れている。お気遣いは無用です」
「それは失礼いたしました。聖騎士団10万の頂点に立たれる聖騎士団長でいらっしゃいますものね」
「……そういうことです」
なんだか含みのあるお返事ね。
「人は、自分を飾るためのアクセサリーではありません。もちろん、自分も他人を飾るためのアクセサリーではない」
「すばらしいご見識です」
「アリエラ殿も、私の見え方など、お気になさる必要はございません」
マルティン様にも色々あったのだろう。他人から散々アクセサリー扱いされてきたとしてもおかしくない美形だ。
女嫌いになったのも、その辺からかな……?
まあ、でも、あまり詮索するのもやめておこう。きっと、マルティン様にとって気分のいい話ではない。
でも…………、
「マルティン様……」
「なんでしょう?」
「私、エミリアさんの存在にいたく感銘を受けましたの。女嫌いとおっしゃりながら、実力があれば側に置くことも厭われない」
マルティン様の表情が引き締まった。
「私の都合で、実力を不当に貶めるようなことがあってはいけない。責任ある立場にある者として当然のことです」
「ご立派ですわ。物語に出てくる汚れた権力者とは大違い。エミリアさんの方でも、マルティン様に私情をはさまれる様子もなく……」
「ええ。お陰でこちらも気兼ねなく、実力を発揮してもらえます」
「そこが気になりましたの」
「えっ……?」
「もし、エミリアさんがマルティン様にめちゃくちゃ惚れてても、実力を公平に見られるのかしら? ……って」
「それは……」
差し出がましいことを言ってるのは、重々承知している。
だけど、気になって仕方ないのだ。
「私たちで、お力になれることがあるのではないかと……」
「私たち……?」
ルイーゼが「私ですか?」という顔でこっちを見ている。そう、貴女もだ。
「このお屋敷で女性は、私とルイーゼしかおりませんわ。離れとはいえ、せっかく同居させていだいているのです。この際、少しくらいの恋愛感情には耐えられるようになる、いい機会だとは思われません?」
「それは……」
「ちょっといいな……、くらいは誰でも思うものだと、物語にも書いてありましたわ」
「それはそうかもしれませんが……」
「ただ、無理はなさらず、お辛くなるようでしたらおやめになればいいのです」
「ふふっ。意図が読めました」
したり顔の私に、マルティン様は苦笑いをした。
「アリエラ殿に、好奇の目に耐えよと言う私が、断りにくい言い方をされる」
「このくらいの駆け引きは、山奥でもしておりましたのよ。牧畜を始めさせるときなど大変だったのですから。ねえ、ルイーゼ」
「ええ。あの時は、手を替え品を替え、渋る領民たちを必死で説得されていました」
「分かりました。それで、私はどうすればよろしいかな?」
「簡単なことです。毎日、3人でお茶をして、出来るだけ両目を開けて過ごすのです」
「ははっ……、なかなかの苦行ですね」
「わっ!」と、ルイーゼが大きな声を出して、自分でもびっくりしたのか顔を赤くしている。
「……私は、アリエラ様の旦那様になる方に……惚れたりしませんから……」
おい。めちゃくちゃ可愛いやないか。
マルティン様、固まってしまってるし。
でも、うん。なんか克服しようとし始めてくれてる気配がする。
いい感じ。
顔が美形なだけでなくて、振る舞いも男前のマルティン様に、既に何回かグラっときている。
惚れたら終わりの結婚生活とか、なかなかハードルが高い。
これで、少しくらい心奪われてしまっても、心奪ってしまっても、即破談という事態は避けられるはず。
なにせ、マルティン様だけに見える本当の私は美しい。マルティン様も美しい。
このくらいの予防線は必要だと思う。
◆
マルティン様は本邸に戻り、ひとり床につく。ベッドも寝具も高級でヴァイス家の財力が分かる。
リエナベルクの緑豊かな景色が思い浮かぶ。いや、そろそろ雪に閉ざされ始めた頃だろう。
あのまま、なにもかも捨てて逃げ出すことも出来た。
そこそこ剣も振れてたと思うし、ゴリラの冒険者にでもなれば、今頃、自由を謳歌していたかもしれない。
ゴリラでも愛してくれる男の人に出会って、恋に落ちて……。
でも、私は何も捨てないことを選んだ。お父様もお母様もアンナもルイーゼも。
生まれ持った環境を受け入れていたし、不満を抱いても仕方ないと思っていた。
そして、今は“本当の姿”を見てくれるけど、惚れても惚れられてもいけない人の家に匿われている。
ずっと平穏だったリエナベルクでの暮らしに比べて、この先どうなるか分からないというハラハラ感は、最高に心躍る。
――明日は、どうなるだろう?
大きな宴で好奇の目に晒されて、私はどうなるだろう? 本当にマルティン様と契約結婚なんて日を迎えられるんだろうか?
不安さえも新鮮で楽しい私は、本当に刺激に飢えていたのだ。
いろんな想いがごちゃごちゃになって、布団をかぶって、隣の部屋のルイーゼに聞こえないように「うふふ」と笑みを漏らす。
マルティン様に惚れちゃう日が来るのかしら? それとも惚れられちゃうのかしら。相思相愛になっちゃったりして。
ルイーゼも巻き込んじゃったけど、浮気されたりするのかしら?
女嫌いを克服されたら、マルティン様は私のこと捨てちゃったりしないかしら?
――嗚呼! なんて楽しい!
燃えるような恋もしてみたい。
耳元で愛を囁かれたら、どんな感じがするのかしら?
できれば、お相手は“本当の私”を見てくださる方がいいわね。そうするとマルティン様しかいないわね。
リエナベルクでは夢想することさえ控えていた未来を思い描いて、ベッドの中でいつまでも寝付けない。
明るくても暗くても、明日にはきっと、今日とは違う明日が来るのだ。
嗚呼、早く朝が来ないかしら――。
馬車の中では枢機卿に憤慨されていたマルティン様だけど、怒りも冷めたのか、今は片目をつむってらっしゃる。
――この世のものとは思えぬ美しさ。
とまで、私の“本当の姿”を褒め称えてくださったことに、バツが悪くなってしまったのだろうか。
あまり、私の方を見てくださらない。
「それで、いかがでしたでしょうか? 私が好奇の目に耐えられると、信じられるようになられました?」
「ん……、そうですね。多少は……」
「もっと大きな宴席に連れて行ってくださるのですね?」
「そういうことになります」
マルティン様は、少しそわそわとして落ち着かない様子がする。
部屋の片隅に控えてくれてるルイーゼのせいかとも思うけど、
「アリエラ様の婚約者に邪な気持ちなど抱きません。そもそも身分が違いすぎます」
と言ったルイーゼは、いつもと変わりなく平然と立っている。それともルイーゼみたいなのが、マルティン様のタイプなのかしら?
いや、単純にプライベートな空間で女性と同席するのが苦手なだけなのかしら?
枢機卿の宴での私を、どう見ていらしたかお伺いしたかっただけなのだけど、聞きたいことを聞いて、早めにお開きにした方がいいかもしれない。
「でも、マルティン様は大丈夫ですの?」
「……私ですか?」
「私を連れて行けば、マルティン様にも好奇の目が向きますでしょう?」
「人目に晒されることに、私は慣れている。お気遣いは無用です」
「それは失礼いたしました。聖騎士団10万の頂点に立たれる聖騎士団長でいらっしゃいますものね」
「……そういうことです」
なんだか含みのあるお返事ね。
「人は、自分を飾るためのアクセサリーではありません。もちろん、自分も他人を飾るためのアクセサリーではない」
「すばらしいご見識です」
「アリエラ殿も、私の見え方など、お気になさる必要はございません」
マルティン様にも色々あったのだろう。他人から散々アクセサリー扱いされてきたとしてもおかしくない美形だ。
女嫌いになったのも、その辺からかな……?
まあ、でも、あまり詮索するのもやめておこう。きっと、マルティン様にとって気分のいい話ではない。
でも…………、
「マルティン様……」
「なんでしょう?」
「私、エミリアさんの存在にいたく感銘を受けましたの。女嫌いとおっしゃりながら、実力があれば側に置くことも厭われない」
マルティン様の表情が引き締まった。
「私の都合で、実力を不当に貶めるようなことがあってはいけない。責任ある立場にある者として当然のことです」
「ご立派ですわ。物語に出てくる汚れた権力者とは大違い。エミリアさんの方でも、マルティン様に私情をはさまれる様子もなく……」
「ええ。お陰でこちらも気兼ねなく、実力を発揮してもらえます」
「そこが気になりましたの」
「えっ……?」
「もし、エミリアさんがマルティン様にめちゃくちゃ惚れてても、実力を公平に見られるのかしら? ……って」
「それは……」
差し出がましいことを言ってるのは、重々承知している。
だけど、気になって仕方ないのだ。
「私たちで、お力になれることがあるのではないかと……」
「私たち……?」
ルイーゼが「私ですか?」という顔でこっちを見ている。そう、貴女もだ。
「このお屋敷で女性は、私とルイーゼしかおりませんわ。離れとはいえ、せっかく同居させていだいているのです。この際、少しくらいの恋愛感情には耐えられるようになる、いい機会だとは思われません?」
「それは……」
「ちょっといいな……、くらいは誰でも思うものだと、物語にも書いてありましたわ」
「それはそうかもしれませんが……」
「ただ、無理はなさらず、お辛くなるようでしたらおやめになればいいのです」
「ふふっ。意図が読めました」
したり顔の私に、マルティン様は苦笑いをした。
「アリエラ殿に、好奇の目に耐えよと言う私が、断りにくい言い方をされる」
「このくらいの駆け引きは、山奥でもしておりましたのよ。牧畜を始めさせるときなど大変だったのですから。ねえ、ルイーゼ」
「ええ。あの時は、手を替え品を替え、渋る領民たちを必死で説得されていました」
「分かりました。それで、私はどうすればよろしいかな?」
「簡単なことです。毎日、3人でお茶をして、出来るだけ両目を開けて過ごすのです」
「ははっ……、なかなかの苦行ですね」
「わっ!」と、ルイーゼが大きな声を出して、自分でもびっくりしたのか顔を赤くしている。
「……私は、アリエラ様の旦那様になる方に……惚れたりしませんから……」
おい。めちゃくちゃ可愛いやないか。
マルティン様、固まってしまってるし。
でも、うん。なんか克服しようとし始めてくれてる気配がする。
いい感じ。
顔が美形なだけでなくて、振る舞いも男前のマルティン様に、既に何回かグラっときている。
惚れたら終わりの結婚生活とか、なかなかハードルが高い。
これで、少しくらい心奪われてしまっても、心奪ってしまっても、即破談という事態は避けられるはず。
なにせ、マルティン様だけに見える本当の私は美しい。マルティン様も美しい。
このくらいの予防線は必要だと思う。
◆
マルティン様は本邸に戻り、ひとり床につく。ベッドも寝具も高級でヴァイス家の財力が分かる。
リエナベルクの緑豊かな景色が思い浮かぶ。いや、そろそろ雪に閉ざされ始めた頃だろう。
あのまま、なにもかも捨てて逃げ出すことも出来た。
そこそこ剣も振れてたと思うし、ゴリラの冒険者にでもなれば、今頃、自由を謳歌していたかもしれない。
ゴリラでも愛してくれる男の人に出会って、恋に落ちて……。
でも、私は何も捨てないことを選んだ。お父様もお母様もアンナもルイーゼも。
生まれ持った環境を受け入れていたし、不満を抱いても仕方ないと思っていた。
そして、今は“本当の姿”を見てくれるけど、惚れても惚れられてもいけない人の家に匿われている。
ずっと平穏だったリエナベルクでの暮らしに比べて、この先どうなるか分からないというハラハラ感は、最高に心躍る。
――明日は、どうなるだろう?
大きな宴で好奇の目に晒されて、私はどうなるだろう? 本当にマルティン様と契約結婚なんて日を迎えられるんだろうか?
不安さえも新鮮で楽しい私は、本当に刺激に飢えていたのだ。
いろんな想いがごちゃごちゃになって、布団をかぶって、隣の部屋のルイーゼに聞こえないように「うふふ」と笑みを漏らす。
マルティン様に惚れちゃう日が来るのかしら? それとも惚れられちゃうのかしら。相思相愛になっちゃったりして。
ルイーゼも巻き込んじゃったけど、浮気されたりするのかしら?
女嫌いを克服されたら、マルティン様は私のこと捨てちゃったりしないかしら?
――嗚呼! なんて楽しい!
燃えるような恋もしてみたい。
耳元で愛を囁かれたら、どんな感じがするのかしら?
できれば、お相手は“本当の私”を見てくださる方がいいわね。そうするとマルティン様しかいないわね。
リエナベルクでは夢想することさえ控えていた未来を思い描いて、ベッドの中でいつまでも寝付けない。
明るくても暗くても、明日にはきっと、今日とは違う明日が来るのだ。
嗚呼、早く朝が来ないかしら――。
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