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第十章 虜囚燎原

219.もっと分からぬ!

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 部族を逃がしてやったオレグがもどり、ジロウにまたがるアイカに馬を寄せた。


「これより西の部族は、すでに全て敵の手に落ちたようです……」

「そうですか……。じゃあ、南……、南の東、南東に向かって逃げ遅れた人たちがいないか探しに行きましょう」

「……どうやら、テノリア王国の領内まで逃げた者たちもいるようです」

「う~ん……、テノリアまで逃げたら安全かもしれませんけど……、列候さんたちに疑われてもなぁ……」


 交易国家テノリア王国の領内を、少数の踊り巫女が往来するだけなら、なんの問題もない。

 しかし、部族がまとまって移動しては、侵略とまでは思わなくとも敵対行為を疑われるかもしれない。ましてや、いまはテノリア自体が混乱のさなかにある。過剰な反応をしないとも限らない。

 国際関係まで考慮して案じるアイカを、ナーシャが頼もしげに見詰めた。


「不憫ではあるが、コノクリアに向かわせるのがよかろうな」

「やっぱり、そうですよね……」

「《草原の民》はいま、民族の危機にある。力を合わせてもらうより、ほかなかろう」


 ナーシャがオレグに目をやると、かたい表情でうなずいた。

 《草原の民》に国はない。

 どこかと同盟を結ぼうにも、その主体が存在しない状態だ。

 リティアの王都脱出を援けたニーナに恩義を感じるアイカが、助力してくれているだけでも奇跡のようなことだ。この緊急事態にあっては、自分たちの力でどうにかするほかなかった。

 カリトンが、アイカに馬を寄せた。


「……実は、アイカ殿下に申し上げていなかったことがございます」

「はい。なんでしょう?」


 あっけらかんと聞き返すアイカに、自分への信頼を感じたカリトンは、むしろ言いにくそうに重たい口を開いた。


「……南東に向かえばハラエラに達します」

「ハラエラ……?」


 聞き覚えのある地名に記憶をたどるアイカ。

 総候参朝で国王ファウロスが、王太子バシリオスを追放しようとした地だ。

 そして、こうして実際に《草原の民》が住む領域を旅してみると、


 ――《草原の民》に怪しい動きがある。


 というファウロスの言葉が、いかに無体な言いがかりであったかが分かる。

「はい……」と、アイカはむずかしい顔をした。


「……実はハラエラには、ヴィアナ騎士団の残党8,000が、万騎兵長ノルベリ殿に率いられて潜伏しております」

「なんと……」


 と、口をひらいたのはナーシャであった。

 ナーシャのいた旧都から、聖山テノポトリをはさむとはいえ、ハラエラはそう遠くない。

 なのに、ナーシャはおろか、旧都を治める第2王子ステファノスにも、その気配を一切感じさせなかったノルベリの手腕に驚いたのだ。

 ニカッと笑ったアイカは、カリトンに即答した。


「それじゃ、ハラエラは避けて行きましょう!」

「え……? よろしいのですか?」

「ザノクリフを巻き込むこともしなかった私が、テノリアを巻き込むのはおかしいです! ましてや、ヴィアナ騎士団ということは……、えーっと、バシリオスさんの部下ですよね!?」

「……左様です」

「私がノルベリさんに勝手に頼みに行ったら、リティア義姉ねえ様のにもなりかねません!! ……あっ……カリトンさんは、このまま力を貸してくれたら嬉しいんですけど……」

「承知いたしました。私の身分のことは、お気になさらないでください。いまとなっては自分でも、よく分からないのです」


 翳のない苦笑いで応えるカリトンに、アイカはふかく頭をさげた。

 そして、


「私など、もっと分からぬ!」


 と、満面の笑みで胸をはるナーシャに、アイカとカリトンが吹きだした。

 ただし、ナーシャの正体が王妃アナスタシアだとは知らされていないオレグは、笑い合う3人を不思議そうに眺めていた――。


  *


 ハラエラを避け、南下をつづけるアイカたち一行。

 とおくに小ぶりな砦が見えた。

 まだ、テノリア王国の領内には入っていない。

 カリトンが首をかしげる。


「私がハラエラを出たころには、あのような砦はなかったように思いますが……」

「リーヤボルクですかね?」


 アイカも眉をよせて、背のひくい見張り塔のある砦を見つめた。

 おなじく砦を眺めるナーシャは、やがて侮蔑するように吐き捨てた。


「……サグアであろう」

「サグア?」

「ファウロス陛下が、ルカスを向かわせた地よ」


 ナーシャからみれば、側妃サフィナが策謀をもちいて、息子ルカスを追放させた地である。

 あの出来事がなければ、後継に緊張感をはらみつつも王国の平穏は保たれていたはずである。ルカスが王都にリーヤボルク兵を引き入れるようなことにもならなかった。

 息子の軽率さや不甲斐なさより、サフィナへの嫌悪を勝らせる響きのある地名だ。

 しかし、ルカスが招いたとも言える王国の現状に忸怩たる思いもある。


「……おおかた、ファウロス陛下の正統を継ぐ証として、陛下の遺命を果たしておるつもりなのであろう」


 愚かな息子よ――と、続けようとしたが、その言葉は呑み込んだ。

 カリトンがあたりを見回した。


「ちかくに《草原の民》の部族がいる気配もいたしません。サグアの砦も避けて参りましょう」

「そうですね……」


 と、アイカもうなずいた。

 あの砦が、ほんとうにルカスの指示で建てられたものなら、王都のリーヤボルク兵が守っていてもおかしくない。

 奴隷狩りに来ているリーヤボルク本軍でなくとも、テノリアのリーヤボルク兵に見付かっても、問題がありそうである。

 自分が王国でどのくらい重要人物になっているかは分からないが、リティアの義妹いもうとであることに違いはない。西南伯ベスニクのように囚われて、リティアへの人質にでもされたら目もあてられない。

 カリトンが目を南にむけた。


「まもなくテノリア国境にいたります。ひとあたりして、発見できた部族にのみ声をかけ、我らもコノクリアに戻りましょう。そろそろ、ネビ殿とチーナ殿の練兵が、形になり始めている頃でしょう」


 首を縦にふったアイカは、さらに南へと進む。


  *


 テノリア領内に入ったアイカの耳に、かすかに斬撃の音が聞こえた。

 またがるタロウの走りを止め、耳を澄ませる。

 風音のなかに馬のいななきや、男の怒声、金属が激しくぶつかり合う音が混じって聞こえてきた。

 ちかくで戦闘が起きている。


「……行かれますか?」


 と、カリトンが尋ねた。

 すでに馬上で抜剣している。


「行きましょう! リーヤボルクに襲われてる《草原の民》の部族かもしれません!」


 アイカがタロウの腹を蹴る。

 戦闘は小高い丘のむこうで起きているようである。

 先行するジロウの黒い毛並みを追うように、タロウにまたがって駆けるアイカ。


 ――まにあって!


 と、ほほを切る風に目をしかめ、祈るように前をまっすぐ見詰めた。

 しかし、まえを駆ける黒狼の背が、丘の向こうに消えた瞬間、


「ジロウ! ジロウだよね!?」


 と、少年の高くて可愛らしい声が聞こえた。


「え? ……だれ?」


 虚をつかれ、「ん?」と、目を見開いたアイカも丘を飛び越えると――、


「レオンくん!?それに、ロザリーさんも!!」


 旧都テノリクアで一別して以来の、ガラの弟レオンと、隻眼となった国王侍女長ロザリーの姿があった。

 ふたりの向こうには、馬車を襲う賊の一団が見える。

 その時であった。

 遅れて丘を越えたナーシャの叫び声が、悲鳴のように響いた。


「バシリオス――!!」


 驚いたアイカが、ふたたび馬車に目をこらす。

 たしかに襲われているのはライオンを思わせる金髪をした王太子バシリオスであった――。
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