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第九章 山湫哀華

213.王弟殿下の遺産

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 焚火にくべた薪が、ちいさくぜる。

 しばらくクルクルと動いていたカリュの視線が定まり、ナーシャを見つめた。


「……私としたことが、このような情報の齟齬に気付かぬとは」

「う、うん……」


 ――ファウロスに手をかけたのは、バシリオスではない。


 カリュの言葉で、心の動きが止まっているナーシャ。

 その意味するところをはやく教えろと、促すように頷く。


「あの晩、王宮を急襲したのは、たしかにヴィアナ騎士団で間違いございません。……しかし、バシリオス殿下が王宮に戻られたのは翌朝、歩兵たちが王都に戻った際にございます」

「……こ、国王宮殿が陥ちたという報せが来たのは、夜明けまえ……、でした」


 と、アイカが言った。

 その時、アイカはリティア宮殿で眠れぬ夜を過ごしていた。リティアの指示で朝食をつくる女官たちに混じって手を動かし、不安を紛らわせていた頃のことだ。

 ナーシャは旧都におり、その場にはいなかった。「そう……」と、力なくアイカに応える。

 カリュは、時系列を正確にたどろうとするように、言葉を置いていく。


「ともすれば、バシリオス殿下名義の布告が発せられたときでさえ、まだ殿下は王宮に入られていなかったはずです」


 バシリオスの発した布告――、


『毒婦サフィナによる王位簒奪の企みが明らかとなり、これを討った。王は不明を恥じ、王位を私に託され、制止も間に合わずご自害なされた。痛恨の極みである。『聖山の民』は先王の喪に服し、新王の次の指示を待て』


 だれもが、王太子バシリオスの手によってファウロスが討たれたと受け止めていた。

 それは旧都で受け取ったナーシャにしても同じであった。

 しかし、その布告を発したのがバシリオスではない――、

 信じられぬものを見るようなナーシャの目を、カリュが真っ直ぐに見詰め返す。


「……不遜な物言いながら、私ほど優れた間諜はそうはおりません」

「そ、そうね……。カリュちゃんは……、すごいものね……」

「その私をしても、ヴィアナ騎士団の謀叛を察知することができませんでした。……痛恨の極みですが、私の諜報網にもかからなかった黒幕がいます」

「黒幕……」

「謀叛はヴィアナ騎士団の筆頭万騎兵長であったピオン殿が、バシリオス殿下の名を騙って主謀したはずです。あの忠誠心と義侠心に篤い筆頭万騎兵長を動かした、黒幕……」


 ナーシャは、ごくりと唾を呑んだ。


「だ、誰なの……?」

「……これは消去法による、私の推論ですが……」

「う、うん……」

「アリダ内親王殿下ではないかと……」

「アリダ……」


 その名を口にして呆然とするナーシャ。

 アイカはカリュの口元を見つめたまま、必死で記憶をたどる。


 ――あののアリダ殿。


 リティアがそう口にしたのは、エメーウの住まう北離宮でのことだった。

 ペトラとファイナもいた。

 側妃サフィナの排斥を訴える姉妹のことを、エメーウが、


 ――あの娘たち、バシリオス様の娘のアリダ内親王にも茶々入れてるみたい。


 と、リティアに警告していた。

 アイカが、アリダの姿を目にする機会は、数えられるほどしかなかった。

 旧都からの帰参を報告しに王弟宮殿に赴いたとき、総候参朝の前日に王族が勢揃いして列候からの挨拶をうける15時間耐久レースのとき、総候参朝の最終日、王都詩宴のとき……。

 しかし、印象がうすい。

 リティアをして『事なかれ主義』と言わしめたアリダ。

 美人には違いなかったが、ほかの華やかなテノリア王族たちに比べて、アイカの記憶にはほとんど残っていなかった。

 カリュが、すこし目線をさげた。


「……私の推論があたっていたとして、アリダ殿下が、ファウロス陛下の弑逆しいぎゃくまで指図されていたのかは分かりません。……私の元の主君、サフィナ様の排除のみを企図されていたという可能性も充分にあります……」

「アリダが……」


 ナーシャがつぶやいた。

 気性の激しいテノリア王家にあって、万事控え目に振る舞う孫娘。内親王というよりは《令嬢》という表現のほうがピッタリくるような――、ふつうの

 しかし、もう一方の孫娘であるペトラも、危機にあって異能を発揮していると仄聞する。

 アリダが、激烈な想いを内に秘めていたとしても、不思議ではない。

 ナーシャの動揺がおさまるのを待って、カリュが続けた。


「いずれにしましても、ファウロス陛下に手をかけたのは、筆頭万騎兵長ピオン殿。バシリオス殿下ではございません。そして、ピオン殿はひとりで事を起こすような方ではございませんでした」

「そう……」


 パチンっと、はぜる音がした。

 ナーシャは、カリュから視線をはずし、焚火の炎に目をやる。

 謀叛の首謀者がバシリオスでなかったとしても、現状にそう大きな違いはない。

 揺らめく焚火のあかりに孫娘アリダの姿を思い起こしても、あの大それた出来事を主導したとは思えない。

 しかし、横に座るアイカにしても、ザノクリフ王国の玉座に就くや優れた才能を発揮した。

 王族としてのあり方を少しばかり手ほどきしたが、秘めた才能を開花させる、ほんのキッカケでしかなかっただろう。歴史に残るどの王とも異なる方法で人々を心服させ、見事に統治した。

 人を見かけで判断してはいけないと、まざまざと思い知らされたばかりである。


 ――アリダのなかには、なにが住まっていたのか……。


  *


 ナーシャがちいさく身震いしたころ、そのアリダ内親王が夜陰にまぎれ、王弟カリストスの前に姿をみせていた。


「アメルをもらい受けに参りました」


 王都ヴィアナの南、ラヴナラを舞台に展開されていた骨肉の内紛に決着が付こうとしている。

 カリストスと息子アスミルの争いは、アスミルに軍配が上がろうとしていた。

 息子に対して采配の鈍るカリストスのもとを去る兵が多く、もはや従う軍兵はわずかである。


「……ルカスに参朝するか」


 あきらかな敗色にあっても、カリストスの声に張りは失われていない。

 アスミル側についたカリストスの孫ロドスの妃、アリダを見据えた。

 アリダは感情の所在を悟らせない声で応える。


「王弟殿下ともあろうお方が、お戯れを……。リーヤボルクの破落戸ごろつきどもに推された偽王ごときに、アメルを参朝させるなど片腹痛い」

「……左様か」


 言葉の激烈さに比して、アリダの声も表情も揺らぎを感じさせない。


 ――このような強さを秘めた女子であったか。


 カリストスは自嘲気味な笑みをうかべて、傍らで意気消沈して肩をおとす曾孫アメルに目をやった。

 バシリオスの娘アリダを通じて、兄王ファウロスの血統と自らの血統が交わるアメル。

 自分がどれだけ気勢をあげても挽回できない劣勢に、ふかい挫折を味わっていた。


「……アメルは、アリダ殿にお返ししよう」

「恐れ入ります」

「卒爾ながら、我が侍女サラリスをアメルに贈りたいが、お受け取りいただけるであろうか?」

「で、殿下!」


 と、サラリスは唐突な主君の申し出に狼狽した。

 この敗戦に《王国の黄金の支柱》に仕える侍女として、自らの責任を痛感している。

 ロザリーであれば、あるいはカリュであれば、このような事態にいたることを防げたのではないか。そう思い、唇を噛む日々を送っていた。

 カリストスは、おそらくその生涯でもっとも優しい声を発した。


「サラリス。……やはり儂は、兄ファウロスあっての《黄金の支柱》であった。支えるものなく、自ら立とうとしたのが、我が過ち。この後はアメルに仕え、王国に平穏を取り戻す働きをせよ」

「……私は、カリストス殿下に見出していただいた者。最後までお仕えしたく存じます……」

「儂が王国に、最後に遺せるのがそなたである。……よき働きを期待する」


 そう言うと、カリストスは席を立った。

 あとに従うことを許さない、毅然とした背中にサラリスはただただ頭をたれるほかなかった。

 アリダが無表情なままに、その場の沈黙を破った。


「最後の決戦が始まるまえに退去いたします」


 近侍の者たちがアメルを立たせる。


「……サラリス。王弟殿下のたるそなたが従ってくれるならば心強いが、無理強いはせぬ」

「内親王殿下……」

「まいるぞ」


 踵を返したアリダに、意を決したサラリスも立ち上がり前を向く。

 すでに馬上にある主君カリストスの背中を一瞥したのち、アリダのあとを追った。


  *


 ラヴナラの内紛は王弟カリストスの敗北で決着した。

 その報せを受けた王都ヴィアナのペトラは、ただちに妹ファイナを西方会盟への人質としてペノリクウスに送る決断をした。

 カリストスが率いたサーバヌ騎士団は、息子アスミル親王のもとでルカスへの参朝の意思を明らかにしている。対リーヤボルク戦線がまとまるのに、まだ時間を要すると判断し、西方会盟の暴発を防ぐ狙いがあった。

 王都に籠るリーヤボルク兵がテノリア各地に割拠する群雄を各個撃破し始めれば、テノリア王家による王都奪還が遠のく。

 スピロ率いるヴィアナ騎士団4000名に護衛させ、ファイナを送り出した。

 これで、西方会盟をなす列候を、一旦、ルカスに参朝させることができる。リーヤボルク兵との衝突を防げるはずであった。

 しかし、西方会盟も一枚岩ではなかった。

 リーヤボルク兵の支配する新王ルカス体制への参朝をよしとしないシュリエデュグラ候が、チュケシエ候を通じ西南伯領を率いるロマナへの帰順を打診してきた。

 チュケシエ候の妹エカテリニから手渡された密書に目を通したロマナは、ふかいため息を吐いた。


「……お祖父様不在のうちに、西南伯の幕下を増やしてよいものか……」

「いいわよ! やっちゃえ、やっちゃえ!」


 と、明るく応えたのは第1王女ソフィアであった。

 祖母にして第2王女のウラニアも苦笑いしながらうなずいている。


「ベスニク様が帰還なされたのち、いかようにも動ける体制を整えておくのに、なんの障りがありましょう」

「……分かりました。おふたりから、そう仰っていただけるのなら、私も心強い」


 そう言ったロマナは、シュリエデュグラ候との会見の場を設けるよう、侍女のガラに命じた。


  *


 《聖山の大地》の情勢が大きく動き始めたころ、アイカたち一行は《草原の民》の領域に入った。

 そこでアイカを待ち受けていたのは、またしても思いもよらない大きな奇跡であった――。
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