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第九章 山湫哀華

208. こりゃ、すげぇな……

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 西侯セルジュの死をもって、ザノクリフ王国の内戦は完全に終結した。

 局面は、荒廃した国土の、復興に移る。

 アイカが女王として最初に命じたのは、太守たちの帰領を禁じることであった。

 つまり、自領に戻らせず、王都ザノヴァルに常駐することを求めたのだ。


「だいたい、ずっと自分チに引っ込んでるからになるんです。とにかく毎日、顔を合わせてください。口喧嘩まではOK! 剣をぬくのはNGです!」


 そして、王都と国土の復興に役割をふり分けた。


「即位式のために主要5公の皆さんが分担してお城を直してくれたでしょ? あの要領で、みんなで取りかかりましょう!」


 そこまで段取りを進めたところに、アイラとジョルジュが帰参した。

 その後ろには、どこまでも荷馬車の隊列がつづいており、太守たちの口がポカンと開いた。


「メルヴェさん! 主人みずから、わざわざ遠いところに来てもらってすみません!」


 と、アイカが駆け寄ったのは、ルーファの大隊商メルヴェであった。

 かつてアイカが「気品が服着て歩いてきた」と評した女主人は、かわらぬ優雅な所作で頭を下げた。


「お久しゅうございます。……いえ、今は『はじめまして』と申し上げるべきでございましょうか? イエリナ陛下」

「へへへっ。もう……、やめてくださいよぉ」


 アイカが、アイラに命じていた密命とは、メルヴェから大量の食糧を買い付けることであった。

 そして、ジョルジュにはアイラの護衛を命じ、ふたりを王都ヴィアナに向かわせていた。

 次々に王城に運び込まれる食糧。あまりの量の多さに、みなが目を白黒させる。

 その食糧を背にして、アイカは太守たちに大号令をかけた。


「とにかく! 領民のみなさんに、お腹いっぱい食べさせてあげてください! 身分にも性別にも関わらず、むしろ弱い立場の人から順番に! 一刻もはやく、太守のみなさんの領地に、とどけてあげてください!」


 理解できない出来事に言葉を失う太守たちであったが、


「はい、はーい! 急いで、いそいで! 人間みんな平等に、お腹は毎日減るものですよーっ!」


 と、手製のメガホンで声を張るアイカに尻を叩かれて、必要な食糧を領地に送りはじめる。


「えらい人は自分で買えるんですから後回しです! 流民、孤児、そういった人たちに、たっぷり食べさせてあげてくださーいっ!」


 途中で下っ端役人がくすねたりすることがないように、重ね重ね申し付ける。


「お腹いっぱいになったら、寝るところ、住むところを急ピッチで! 最初は粗末でもいいので、とにかく安心できるところを! お腹いっぱいになった流民のみなさん自身に建ててもらったのでもいいです! ……そして、復興に必要な労働力を確保していきましょう! 畑に、街に、人を戻すんです!」


 アイカが、ただ優しさだけで命じているわけではないことが解ると、太守たちの動きもはやくなる。

 しかし、ヴィツェ太守のミハイは、そっとアイカの私室に訪れ、訝しげな顔をして尋ねた。


「あれだけの食糧、支払いはどうするんだ? ……まさか、義姉君リティアのおごりって訳じゃないんだろ?」


 公式の場以外ではラフな付き合いを求めたアイカに、くだけた聞き方をするミハイ。

 シュピッと、顔を向けたアイカが、ニヤリと笑う。


「毛皮です」

「……毛皮?」

「毛皮を売って支払います。山のなかで、たくさんの獣を見かけました。狩りに行きましょう!」


 西侯セルジュに幽閉されたバルドル城を脱出して間道を抜けるあいだ、なんども熊を見かけた。

 そして、アイカには、熊の毛皮をメルヴェに買ってもらった経験があった。

 弓矢の腕に覚えがある太守や兵士を率いて、山奥までわけ入るアイカ。

 ミハイも半信半疑でついてゆく。

 同道しているチーナに、皮肉めいた笑みを浮かべて尋ねた。


「おいおい、大丈夫なのかよ? 我らの陛下は?」

「こういうときのアイカ殿下……、いや、イエリナ陛下は……、止まらない」


 と、涼しい顔で応えるチーナに、ミハイは肩をすくめた。

 ところが、そのアイカとチーナで、次々に獲物を狩り出していく。そのスピードに、まったくついていけない。


「マジかよ……」


 と、苦笑いしたミハイの前に、獲物が山のように積まれてゆく。

 結局、太守と兵士の大半は、獲物を王城まで運ぶ係にまわった。


「なかなか、熊、いませんねぇ……」


 と言いながら、狼タロウにまたがる新女王陛下は、どんどん奥地に進む。

 が、日没前には王城に戻った。

 山のような獲物をメルヴェに見てもらい、


「……あと、10倍というところでしょうか?」


 という回答を得て、


「あと10日、がんばりましょう! それで、みんなをお腹いっぱいにすることができます!」


 と、楽しげに笑うアイカが汗をぬぐった。

 ミハイをはじめ太守たちも、面目に関わるとして、急遽、それぞれの領地に狩りを命じる。

 さらにアイカは、獲物を吊るして、さばきはじめた。

 あまりの手際のよさに、みな呆気に取られるばかり。


「お肉は焼いたり干したり食糧にして、毛皮はなめしてメルヴェさんのところに!」


 と、笑顔のアイカには、さばいた獣の血すら付いていない。

 ミハイが、クリストフのそばに寄って、


「こりゃ、すげぇな……」


 とだけ、つぶやいた。


  *


 国家の運営を、太守たちの話し合いで進めていく体制も、徐々に整っていく。

 日常的な実務は中堅22公の合議で動かし、より重要な事柄は主要5公が話し合って決めるという形に落ち着いた。

 領地の境界線といったデリケートな議題も、すべて徹底的な合議によって決裁されていく。

 なかには、


「女王陛下ご自身が決めて命じるべきだ! 陛下の命に逆らう者などおらん!」


 という声もあったが、


「あれ? 私、話し合ってくださいってましたよ?」

「うぐっ……」

「ふふふ。よろしくお願いしますねっ!」


 と、アイカは飽くまでも、太守たち自身での国家運営を求めた。


 ――いずれ代を重ねれば腐敗したり、機能不全に陥るかもしれない。


 そう考えるアイカであったが、悲惨な内戦への反省がある今は有効に機能するはずだと踏んでいた。

 ただ、この体制がうまく回りはじめたのには、エドゥアルドが自ら東侯の称号を返上したことが大きい。

 王国を二分した内戦で、勝利をおさめた側の盟主が、その座を降りた。そして、主要5公のひとりとして、アイカに忠実に働いてくれている。

 アイカは深い感銘を受けていたし、それは他の太守たちにしても同じであった。

 あと、アイカは本音では、


 ――刀狩りしたいなぁ……。


 と思っていたが、さすがに実状に合わない。

 その夢は、次代にゆずるとして、目の前の諸課題に取り組んでゆく。


  *


「それでは、たしかに」


 と、充分な毛皮を引き渡したメルヴェが、優雅にお辞儀した。

 アイカも出来るだけ、優雅さを真似て頭をさげる。

 太守たちの領地からも毛皮が集まりはじめ、予想より早く引き渡すことができた。


「それじゃ、定期便の方も、よろしくお願いしますね」

「かしこまりました。引き続き食糧の供給はお任せください」

「こちらも、すぐに毛皮を渡せるように、しっかり貯めておきます!」

「ふふっ。よろしくお願いいたします」


 ザノクリフ王家の金庫は空っぽである。

 食糧の調達には、毛皮との物々交換に応じてもらうしかない。

 足元をみず、誠実に対応してくれるメルヴェにふかく感謝している。

 メルヴェの隊列がテノリアの王都ヴィアナに戻る。その中に、西侯の家老だったパイドルの姿があった。

 最後の決戦を前に投降してきたものの、処刑すべきだという声も多数あった。

 しかし、アイカが押しとどめ、クリストフとエドゥアルドの奔走の結果『流刑』ということに落ち着いた。

 そこでアイカは、パイドルの身柄を、ルーファのリティアのもとに送ることにした。


 ――きっと、リティア義姉ねえ様なら活かしてくださるはず。


 パイドルも西侯陣営を支える謀臣だった男である。豪剣をふるう武威もある。

 縁に恵まれれば、まだまだ活躍できるはずだと、祈るような気持ちで、リティアに紹介状を書いた。

 隊列の中からアイカの姿を見つけたパイドルが、ちいさく会釈した。

 それに、アイカは大きく手を振って応える。


 ――ひどいだったけど、死んじゃあダメだもの。


 長くつづく隊列が見えなくなるまで、アイカは手を振りつづけた。


  *


 メルヴェがアイカにもたらしたものの中に、リティアからの手紙もあった。

 毎晩、寝床にはいってから、ひとりで何度も読み返す。

 いつ届くか分からない手紙に近況は書かれていない。ただアイカを気遣う優しい言葉だけが書き連ねてある。

 そして、胸いっぱいになって、幸せな眠りに落ちてゆく。

 アイカとクリストフは、まだ寝室を分けている。


「初夜は、義姉ねえさんのところから帰ってからな」

「しょ……や…………」


 と、顔を真っ赤にしたアイカであったが、このイエリナの身体はまだ未熟である。

 クリストフの配慮に感謝した。

 そんな充実した日々を送るアイカに、奇妙な報告が入った。


「私……、というか、アイカに……、ですか?」

「はっ。薄汚れた流民の女なのですが、アイカに会わせろ、アイカに会わせろと城門の前から動かず……」

「……アイでなくて?」

「はっ。たしかに『アイ』と申しております」


 ザノクリフの国民でアイカの名前を知る者は少ない。

 ほとんどはイエリナの名前しか知らない。


 ――はて?


 と思いつつ、アイカは侍女のアイラを伴い、城門に足をはこんだ。


「おでましくださったぞ」


 と、衛兵に促されて顔を上げたのは――、


「ラ、ラウラさん! それに、イエヴァさんも!」


 駆け寄ったアイカとアイラが抱き起こしたのは、《草原の民》の踊り巫女、ラウラとイエヴァのふたりであった――。
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