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第九章 山湫哀華
207.平和な世を望む気持ち
しおりを挟む「イエリナ様……、キレイ……」
と、エルが呆けたような顔付きで言った。
即位式のためにドレスアップしたアイカ。
緋色に染め抜かれたドレスは、ナーシャがアイカの髪色にあわせて仕立ててくれた。
カリュは腕によりをかけてメイクをほどこしてくれ、うすく香油でとかした桃色の髪はつややかに伸び、確認のためにその場でクルンと回ると、桜の花びらが舞うように美しく広がった。
《聖山の民》であるカリュとナーシャは、美しさをそのままに褒めてはくれないが、《山々の民》であるエルは、すなおに見惚れていた。
「へへっ。……照れちゃいますね」
と、あたまをかいたアイカだったが、鏡で自分の姿を確認しても、我ながらたしかに美しい。
満足顔のナーシャに、すこし照れ気味に話しかけた。
「このドレス、肩がでてますけど……、私には派手じゃないですかね?」
「女王陛下になられるんですもの、このくらい当然ですわ」
「へっ……いか……」
『殿下』になったときと、まったく同じ反応を返してしまった。
それを知るカリュが、クスッと笑う。
「大丈夫です。陛下はリティア殿下の義妹君なんですもの。リティア殿下も、このくらいのドレスは、いつも着てらしたでしょう?」
「そうですけど……、そうですね」
「そうですよ」
と、カリュは、ニコリと微笑んだ。
「さあ。みなさんのところに行きましょう。陛下にとっても、みなさんにとっても、二度とない大切な日です。凛々しく、おごそかに。みなさんにお姿をあらわしてあげてください」
「リティア義姉様のようにですね?」
「ええ、そうですね。……アイカ殿下と義姉妹の契りを結ばれたときのリティア殿下ように、おごそかな立ち居振る舞いをみせてあげてください」
「はいっ! よく分かりました! ありがとうございます!」
再建された大広間に、アイカが姿をみせると、居並ぶ太守たちに「おおっ……」と、どよめきが広がった。
――なんと、美しい……。
という、つぶやきがアイカの耳にもとどく。
しかし、凛とした表情をうかべ、静かに歩みを進める。
その立ち姿に、太守たちも自然と姿勢をただす。
そして、桃色の頭に黄金のティアラが乗り――、
真名イエリナ=アイカ、通称イエリナは、ザノクリフ王国の新女王として即位した。
4階ぶちぬきの高く広い大広間が、大きな祝福の声で満ちあふれた。
アイカは表情をかえず、その歓声に応える。
テノリア王国よりもずっと長くつづくザノクリフ王国の歴史と伝統を背負い、太守と国民に君臨する新女王に相応しい振る舞いを、最後までつづけた。
ところで、アイカが真名と通称を分けたのは、当面の間、リティアと義姉妹の契りを結んだ義妹であることを伏せるという意味がある。
まずは国民や周辺国に余計な動揺をあたえないため。
そして、リティアのもとに戻るにあたって、ザノクリフ王国に迷惑にならないようにという、アイカの配慮でもあった。
――私は、ただリティア義姉様の義妹であればいい。
という、王太后カタリナに語った思いも、変わらずに持っている。
即位式につづいて、クリストフとの結婚式が挙行された。
――うっ……、これがあった。我ながらうかつ……。
と、はげしく動揺しながらも、凛とした表情を揺るがせることなく、誓いのキスを済ませた。転生前から通算25年彼氏なしだったアイカのファーストキスだった。
心の支えとなったのは、至近距離で微笑むクリストフに加えて、
――リティア義姉様の義妹として相応しくありたい。
という思いであった。
女王の即位と結婚、ふたつの慶事に、互いに争い合ってきた太守たちも肩を抱きあい涙をながして喜んだ。
クリストフとならび、その光景を眺めているだけで、
――私が来た意味があった。
と、アイカの胸が熱くなった。
そして、クリストフに顔を向け、大広間に姿をみせてから初めて、アイカは微笑んだ。
「ずっと、一緒にいてくださいね。……旦那様」
「ああ……、大切にする。だから、はやく帰ってこいよな」
「はい……。私を待ってくれている人がいる。こんなにも嬉しいものなんですね」
幸せそうに頬を赤く染めたアイカの手を、クリストフがそっと握った。
*
女王に即位したからといって、アイカは、すぐにテノリア王国に戻るつもりはなかった。
内戦の戦後処理、そして、荒廃した国土の復興がある。
要らないと言われれば、即座に旅立つつもりではあったが、無責任に投げ出すつもりもない。
主要太守5公に加えて、中規模の領地を治める22公もあわせた、27人の太守を一堂にあつめて話し合いの場をもつ。
みんなと心を合せたいアイカであったが、さすがに小規模の太守まで加えると100名ちかくとなるため、カリュ、ナーシャ、それにクリストフと相談のうえ、人数をしぼった。
最初に決めるべき議題は、ついに姿をみせなかった西候セルジュの扱いであった。
ヴィツェ太守のミハイが、申し訳なさそうにアイカに言った。
「女王陛下の願いに反することは分かっておりますが……、攻め滅ぼすよりほかありません」
「うーん……」
「《精霊の審判》にも姿をみせず、即位式も無視した。陛下への反逆とみなすのが、当然の非礼……」
最初の会見では本来の皮肉屋ぶりをいかんなく発揮していたミハイだが、即位したアイカに対しては君臣の礼をわきまえた振る舞いをとった。
アイカは、みなを見渡す。全員が「追討やむなし」という表情でいた。
「……で、できるだけ血が流れない方向で。降参してくれるなら、受け入れる方向で、なんとか……」
「……承知いたしました」
戦争を止めたい一心で、ザノクリフに戻ってきてくれたアイカの優しさは、すでに知れ渡っていた。
生ぬるい――と、思う者は、ほとんどいない。
《精霊の審判》で目にした奇跡が、新女王の権威をたかめている。その意向は最大限に尊重された。
すべての太守がそろっている今の王都には、護衛の兵たちだけでも数万の兵員を数える。
ただちに兵を発し、西候セルジュが籠るバルドル城を包囲した。
投降を拒んだセルジュは、城門をかたく閉ざして立て籠もる。
しかし、荒廃した国土には限られた食糧しかない。包囲するにも長引かせる訳にはいかなかった。
カリュが、そっとアイカに耳打ちした。
「セルジュ殿はともかく、ほかの者たちを投降させることはできます」
「えっ!? ほんとですか!?」
「はい。アイカ殿下が幽閉された折、すでに多数の者を、私の間者に仕立てております」
「……すっげぇ」
「お褒めにあずかり光栄です。……アイカ殿下の命があれば、すぐにでも手配いたします」
「すぐで! すぐお願いします! ……できたら、セルジュさんの説得も、間者のみなさんにお願いできませんでしょうか?」
「分かりました。アイカ殿下のご期待に沿えるかどうかは分かりませんが、やるだけのことはやってみます」
「お願いしますっ!」
と、アイカは深くあたまを下げた。
女王となっても偉そぶることのないアイカに、カリュも忠誠を誓う気持ちを新たにしている。
翌日、城門がひらき、多数の者たちが投降してきた。その中には、カリトンに斬られて深手を負った家老パイドルの姿もあった。
しかし、セルジュの姿はない。
最後までつき従うと決めた僅かな兵たちと、本殿に立て籠もっているとのことであった。
アイカのもとに、クリストフが姿をみせた。
その面持ちから、アイカの説得役として赴いたことは明らかであった。つまり、最後の決戦を女王にうながす役目を、王配として果たそうとしている。
「……セルジュは、俺たちの縁をむすんでくれた、仲人みたいなもんだな」
「えっと……」
「あれ? 俺に抱きついて尖塔から降りて、ドキドキしてたんじゃなかった?」
「……もう。……意地悪ですね。……してましたよ」
「だから……、セルジュの願いも叶えてやらねぇとな」
クリストフは、口調をフレンドリーにすれば、口が悪いという印象を与えないことを、ナーシャからレクチャーされていた。ヤンチャが多いテノリア王家の者ならではの技術であった。
なので、クリストフの言葉づかいは、もとのぞんざいなものに戻っていたが、アイカに悪い印象は与えない。
「セルジュの息子たちは投降してきてる」
「そうですか……」
「……死なせてやれ」
「…………」
「この乱世で、一方の雄であった男だ。すでに、ここが死に場所と定めている」
アイカとクリストフの、黄金色の瞳が、たがいを見つめ合った。
目に涙をいっぱいに溜めたアイカ。
――これで、長かった戦争を終わらせることができます。
あのとき、セルジュが吐いた言葉に、偽りはなかったように感じている。平和な世を望む気持ちだけは信じられた。信じたかった。
しかし、首をちいさく縦にふった。
「……身内同士で殺し合うのは、……これで、最後にしましょうね」
「そうだな……、そうしよう……」
その日のうちに最後通告がなされ、翌日、バルドル城は落ちた。
西候セルジュは、最後まで奮戦し、何本もの剣につらぬかれて果てた――。
*
王都ザノヴァルに戻ったアイカを待ち受けていたのは、密命を受けてテノリアの王都ヴィアナに行っていたアイラとジョルジュだった。
ふたりの笑顔のうしろには、延々とつづく荷馬車の隊列があった――。
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