219 / 307
第九章 山湫哀華
206.しびれる温度差
しおりを挟む――あっつ!
冷たいはずの湖水に沈めた右足が、しびれるように熱い。
かろうじて声に出すことだけはこらえたアイカだが、肌の感覚が混乱している。
まちがえて水を張った風呂に足を入れた瞬間の逆パターンである。
――な、なんじゃこりゃあ!?
と、パニくるアイカ。
顔をあげると、口があんぐりと大きくあいた。
『はよう、こっちに来い』
と、ひかり輝くヒメ様が、沖合から手招きしている。
しかも、それだけではない。
水色、桃色、緑色、橙色と、パステルカラーにかがやく小さな4つの光が、ヒメ様のまわりを飛び回っている。
儀式のシキタリとして、言葉を出せないアイカは指さして口をパクパクさせた。
――な・ん・で・す・か……? そ・れ……?
『ん? ああ……、こちらの世界の精霊じゃ。水の精霊、火の精霊、風の精霊、土の精霊……。みな、アイカ――イエリナ姫の帰還を寿ぎにきてくれておる』
ヒメ様の言葉に反応して、4色の光が、機嫌良さそうにピュンピュン飛び回った。
『なにをしておる。はよう、こっちに来い。そこにおっては、我と話しておるのが、皆にバレてしまおう?』
アイカが、チラッとうしろを見ると、太守たちは皆、地面にひれ伏し、目にした《奇跡》を、ただただ茫然と眺めている。
――そりゃ、そうなりますわな。
と、アイカがヒメ様に向かって歩くと、湯加減がちょうどいい。
冷水のつもりでつっこんだから驚いただけで、完璧に『温泉』であった。
ヒメ様のそばまで行き、一緒に肩まで浸かる。
「ぷふぃ~」
と、思わず声が漏れる。
チラッと湖畔の太守たちを見るが、まだ平伏しており、声には気付かれなかったようだ。
それよりも、ヒメ様温泉の愛好仲間である、カリュとナーシャの、
――マジかよ。
という苦笑いの方が気になった。
『大丈夫じゃ。ここまで離れれば、声はとどかん』
湯治客のような呑気さでヒメ様が話すと、アイカがひそめた声で問いかける。
「な…………、なんで?」
『ん? 女子が身体を冷やすものではないからの。ここは《精霊の泉》とつながっておるから、出張営業じゃ』
「出張営業って……」
『まあ、ゆっくりしてゆけ』
「あ、はい……」
はりつめていた神経が解きほぐされてゆくような、心地のよい入浴感覚がアイカを襲う。
いきおい、だらしない表情になって、湯をたのしむ。
ふと、湖畔をみると、太守たちはまだ平伏しており、なかには奇跡の光景に打ち震え、滂沱の涙を流すものもいる。
――ギャップ!
とりあえず座れよ。と、伝えたいのだけど言葉を発してはいけない。肩まで浸かってないといけない。
そーっと、腕だけのばしてジェスチャーでカリュとナーシャに伝えることを試みる。
ふたりは苦笑いをうかべたまま、手を振り返してくる。
――ちがう、そうじゃない。
と、なんども「座ってもらって」と、手と腕の動きで示すのだが、どうにも伝わらない。ほほえましい光景を眺めるように、ふたりで笑いあっている。
『どうしたのじゃ?』
ヒメ様が、怪訝な顔でアイカに尋ねた。
「……み、みなさんに楽にしてもらいたくて。……長丁場ですし」
『そうじゃのう。日の出までつづくのであろう?』
「みなさん、あんな感じでずっといても……疲れちゃうでしょ?」
『それでは、こういうのはどうじゃ?』
と、ヒメ様がアイカに耳打ちする。
ふんふんと聞いていたアイカは、顔をあげ周囲を飛びまわる精霊たちに視線を送る。
ケタケタと笑って同意をしめす精霊たちに一礼して、アイカはザバッと遠浅の湖面から立ち上がった。
「ザノクリフ王ヴァシルより王家の正統を継ぐ《精霊のいとし子》、われ、イエリナが、精霊の許しを得て、みなに言葉を発する」
その周囲をクルクルと4色の光が飛んだ。
太守たちは「はは――っ!」と、深く頭をさげた。
「はは――っ!」は、いいのかよ? と思ったアイカだったが、話しをつづける。
「審判は日の出までつづく。みな、席にもどり楽にせよ。そして、イエリナが審判の結果を最後まで見分し、あまねく王国民に申し聞かせよ」
太守たちは、まだ躊躇いながら平伏している。
すこしイラッとしたが、落ち着いて言葉をかさねる。
「みなが席にもどり次第、審判を再開する。はやく、座れ」
その言葉で、ようやく腰をうかせ、席に着き始める太守たち。
横ではカリュとナーシャが「ごめん! そういう意味だったのね?」といった雰囲気で、手を合わせて頭をペコペコさげている。
仕方ないです、私のジェスチャーも下手だったし。という気持ちを込めて、ちいさく頷くアイカ。
太守たちが、みな、席についたのを見届けてから、ふたたび湯に浸かった。
『くくっ……。立派な女王ぶりだったぞ、アイカ』
「もう、冷やかして。ヒメ様も笑ってるじゃないですかぁ」
『……見よ。みな、真剣にアイカのことを見守ってくれておる。戦を終わらせる、新女王の誕生を、心から待ち望んでおる』
「……そうですね」
『いいことをしたの、アイカ』
「へへっ……。乙女の入浴シーンをおっさん100人にのぞかれてるだけですけどね」
『ふふっ。得難い経験であろう?』
「……ところで、ヒメ様」
『なんじゃ?』
「凍死するかもしれないような冷水を、気持ちのよい温泉に変えていただいて、大変、感謝しているのですけど」
『もってまわった言い方をするの。なんじゃ? 言いたいことを言ってみよ』
「のぼせますね、これ」
『そうか……』
「日の出まで……、10時間くらい? ずっと浸かってたら、別の死に方をしそうです」
『すまんすまん。これでどうじゃ?』
「あ。ぬるくなりました。温水プールくらい。これなら、いけそうです」
精霊たちが、ケタケタケタっと笑った。
『……あれで、精霊たちも喜んでおるのじゃ。イエリナを助けるためとはいえ、母ミレーナの命を燃やさねばならなんだ』
「そうか……」
『精霊たちにとっても、つらい出来事だったのじゃ……。アイカ。願わくば、ふたり分、人生を楽しんでやってくれ』
「はいっ!」
そうしてアイカは、他愛もない話をしながら、ヒメ様と温水に浸かってすごした。
なかなか美男子な婿をとったなとか、山の幸ではなにが美味しいとか、美容にいい食べ物とか、そういった話だけを、クスクスヒソヒソと楽しんだ。
ただ、アイカはこれまでヒメ様温泉に浸かったときと同様、最後まで日本の家族がいまどうしているのか、尋ねることはなかった。
自分がいなくなって、幸せになっていても、悲しんでいても、どう受け止めたらいいのか分からない。
いま目の前にいるみんなを大切にしよう。
アイカの気持ちを汲むヒメ様も、なにも言うことはなかった。
やがて、山の反対側に昇る朝陽が稜線を照らし、ひかりの線が輪郭を描くころ、ヒメ様が別れを告げた。
『また、遊びに来るのじゃぞ?』
「はい。……必ず」
『うむ……。達者での。人生を楽しめよ』
ケタケタと笑う精霊たちを引き連れ、ヒメ様が姿を消すと同時に、朝陽が昇った。
――つぅめたっ!
冷水にもどった湖水に、悶絶するアイカ。
歯をガチガチならしながら湖畔に向かうと、バシャバシャと水しぶきを上げながらカリュが駆けて来る。
――こんな、冷たい水の中を……?
と、不思議に思ったアイカを、カリュが大きなバスタオルでバサッとくるんだ。
「透けてます! 今度こそ、透けてます!」
「あうっ……」
湖畔に目をやると、両手を広げたナーシャがおっさんたちの前に立ちふさがり、後ろを向くようにうながしている。
「これ……」と、真顔になったアイカが、カリュを見上げた。
「なんでしょうか?」
「立ち上がったとき、丸見えだったんじゃ……?」
「あのときは、ヒメ様で逆光だったんで、なにも見えませんでした」
「……ほんとに?」
「ほんとです」
「ほんとのほんとに?」
「ええ、ほんとです。逆光で神々しかったですよ」
「エロい感じで?」
「ちがいますったら」
「透けても、私では色っぽくないと?」
「もう、それもちがいます」
「カリュさんみたいに、おっぱい大きくないしなぁ……」
「……おっぱいの尊さは、大きさで決まるものではありません」
「うわっ。急にマジになります?」
「大事なところですから」
と、掛け合いながら、冷たい湖水の中をあるくアイカとカリュ。
湖畔にあがると、太守たちがそろって平伏していた。
みなを代表して、東候エドゥアルドが恭しく言上した。
「おめでとうございます、イエリナ様。精霊に認められし貴女様こそ、まこと我らが女王。どうぞ、末永く我らをお導き下さいませ」
まだ歯を鳴らしていたアイカは、とにかく最初から最後まで、
――温度差!!! いろんな意味で!!!
と思っていたが、それは隠して、厳かに「こちらこそ」と、頭をさげた。
ザノクリフ王国の新女王、イエリナ=アイカが誕生する――。
35
お気に入りに追加
404
あなたにおすすめの小説
魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
異世界道中ゆめうつつ! 転生したら虚弱令嬢でした。チート能力なしでたのしい健康スローライフ!
マーニー
ファンタジー
※ほのぼの日常系です
病弱で閉鎖的な生活を送る、伯爵令嬢の美少女ニコル(10歳)。対して、亡くなった両親が残した借金地獄から抜け出すため、忙殺状態の限界社会人サラ(22歳)。
ある日、同日同時刻に、体力の限界で息を引き取った2人だったが、なんとサラはニコルの体に転生していたのだった。
「こういうときって、神様のチート能力とかあるんじゃないのぉ?涙」
異世界転生お約束の神様登場も特別スキルもなく、ただただ、不健康でひ弱な美少女に転生してしまったサラ。
「せっかく忙殺の日々から解放されたんだから…楽しむしかない。ぜっっったいにスローライフを満喫する!」
―――異世界と健康への不安が募りつつ
憧れのスローライフ実現のためまずは健康体になることを決意したが、果たしてどうなるのか?
魔法に魔物、お貴族様。
夢と現実の狭間のような日々の中で、
転生者サラが自身の夢を叶えるために
新ニコルとして我が道をつきすすむ!
『目指せ健康体!美味しいご飯と楽しい仲間たちと夢のスローライフを叶えていくお話』
※はじめは健康生活。そのうちお料理したり、旅に出たりもします。日常ほのぼの系です。
※非現実色強めな内容です。
※溺愛親バカと、あたおか要素があるのでご注意です。
神様、ちょっとチートがすぎませんか?
ななくさ ゆう
ファンタジー
【大きすぎるチートは呪いと紙一重だよっ!】
未熟な神さまの手違いで『常人の“200倍”』の力と魔力を持って産まれてしまった少年パド。
本当は『常人の“2倍”』くらいの力と魔力をもらって転生したはずなのにっ!!
おかげで、産まれたその日に家を壊しかけるわ、謎の『闇』が襲いかかってくるわ、教会に命を狙われるわ、王女様に勇者候補としてスカウトされるわ、もう大変!!
僕は『家族と楽しく平和に暮らせる普通の幸せ』を望んだだけなのに、どうしてこうなるの!?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――前世で大人になれなかった少年は、新たな世界で幸せを求める。
しかし、『幸せになりたい』という夢をかなえるの難しさを、彼はまだ知らない。
自分自身の幸せを追い求める少年は、やがて世界に幸せをもたらす『勇者』となる――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
本文中&表紙のイラストはへるにゃー様よりご提供戴いたものです(掲載許可済)。
へるにゃー様のHP:http://syakewokuwaeta.bake-neko.net/
---------------
※カクヨムとなろうにも投稿しています
子育てスキルで異世界生活 ~かわいい子供たち(人外含む)と楽しく暮らしてます~
九頭七尾
ファンタジー
子供を庇って死んだアラサー女子の私、新川沙織。
女神様が異世界に転生させてくれるというので、ダメもとで願ってみた。
「働かないで毎日毎日ただただ可愛い子供と遊んでのんびり暮らしたい」
「その願い叶えて差し上げましょう!」
「えっ、いいの?」
転生特典として与えられたのは〈子育て〉スキル。それは子供がどんどん集まってきて、どんどん私に懐き、どんどん成長していくというもので――。
「いやいやさすがに育ち過ぎでしょ!?」
思ってたよりちょっと性能がぶっ壊れてるけど、お陰で楽しく暮らしてます。
ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語
Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。
チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。
その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。
さぁ、どん底から這い上がろうか
そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。
少年は英雄への道を歩き始めるのだった。
※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。
土属性を極めて辺境を開拓します~愛する嫁と超速スローライフ~
にゃーにゃ
ファンタジー
「土属性だから追放だ!」理不尽な理由で追放されるも「はいはい。おっけー」主人公は特にパーティーに恨みも、未練もなく、世界が危機的な状況、というわけでもなかったので、ササッと王都を去り、辺境の地にたどり着く。
「助けなきゃ!」そんな感じで、世界樹の少女を襲っていた四天王の一人を瞬殺。 少女にほれられて、即座に結婚する。「ここを開拓してスローライフでもしてみようか」 主人公は土属性パワーで一瞬で辺境を開拓。ついでに魔王を超える存在を土属性で作ったゴーレムの物量で圧殺。
主人公は、世界樹の少女が生成したタネを、育てたり、のんびりしながら辺境で平和にすごす。そんな主人公のもとに、ドワーフ、魚人、雪女、魔王四天王、魔王、といった亜人のなかでも一際キワモノの種族が次から次へと集まり、彼らがもたらす特産品によってドンドン村は発展し豊かに、にぎやかになっていく。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる