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第九章 山湫哀華

198.感謝して忘れぬ

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 暗闇の中、尖塔の根元では戦闘の激しさが増す。

 カリトンのそばで、ともに戦う黒衣の戦士が4人いた。

 皆、手練れで城兵を寄せつけない。

 昼間、バルドル城を見上げていた黒衣の男――公子クリストフは、チーナが射込んだ矢文で深夜の救出決行を知った。おなじく黒衣に身をつつんだ戦士たちは、その配下の者たちである。

 夜陰を活用しながら、カリトンやネビと共闘し、アイカたちが降下してくるロープを守る。

 一方、バルドル城の兵士たちのほとんどは、状況が呑み込めていない。

 家老パイドルのはかりごとは、西候セルジュとだけ進めたものが多い。外様であるパイドルは情報を独占し、譜代の家臣より優位に立ちたがる。

 それが、完全にアダになっていた。


 ――テノリア王国から遣わされた気のいい使者たち。


 といった認識でしかない城兵たちの戸惑いは大きく、士気はあがらない。

 捕縛を命じられた隊長はがなり立てる。

 が、末端の兵士はなんの戦いか理解しないまま斃れてゆく。

 むかいの建物や城壁から矢でねらおうとする兵士は、チーナが残らず射落としてゆく。数に対応するため3本同時につがえる矢は、精度は落ちるが、それも肩をねらった矢が腕にズレる程度。問題なく戦闘不能に追いやる。

 カリトンの舞うような剣技は、確実に兵士の剣や槍をたたき落とし、太ももを斬り裂く。

 立てなくなった兵士は、後続の兵士が向かってくる障害となる。

 カリュから、


 ――アイカ殿下が悲しまれるから。


 と、指示されていた一団は、できるだけ城兵の命を奪わないよう、戦闘不能に追い込んでゆく。

 松明たいまつを手にした兵士が集まりはじめるが、ネビの暗器が松明を持つ手を貫く。落ちた松明は、黒衣の戦士たちが蹴り返し、むしろ集まる城兵を照らす灯りとなってゆく。

 周囲がぐるりと明るく、尖塔の根元はほの暗い。

 その暗さの中心から、狼の唸り声が響きつづけ、城兵たちをさらに尻込みさせる。

 さらに、命までは奪おうとしていないことに気付いた城兵たちは、なおのこと『正義』がどちらにあるのか迷いが生じる。戦闘におよんでいるとはいえ、相手は他国からの使者である。

 まず最初に降下していたアイラが地面に降り立ち、護身の短剣をぬく頃には、集まる城兵は遠巻きに牽制するばかりで、襲いかかることが出来なくなっていた。

 それを上空から見下ろすアイカ。

 刃の衝突音がしなくなった足下を、クリストフの肩越しに眺めた。


「……臣下に恵まれたな」


 耳元でクリストフがささやいた。


「はい……」

「あれだけの強者つわものがそろえば、セルジュの首を刎ね、城を落とすこともできただろうに……」

「……どういうことですか?」

「アイカの意を汲んで、できるだけ殺さないように戦っている」

「私のため……?」


 アイカは改めて、足下に目をやった。

 多くの兵士が呻き声を上げているが、動かなくなっている者は見あたらない。

 自分の軽率な行動がまねいたケガ人――と、思えば眉根に力がはいる。しかし、カリトンやネビを心強くおもう気持ちも、同時に湧き上がる。

 その時、タロウとジロウの遠吠えが響いた。

 ナーシャが地面に降り立ったのだ。カリュから手渡された剣を抜いて、狼二頭の間に立つ姿は、大神殿で目にした戦神ヴィアナの彫像のように凛々しく美しかった。

 身にまとう衣装はメイドのそれでありながら、発する気迫と威厳が他を圧倒している。


 ――ヒメ様に頼まれたからね。


 と、悪戯っぽく笑ってくれたナーシャ。

 厳しくも優しく、王族としての在り方を、自分に説いてくれた。

 尖塔の小部屋に監禁されてすごした時間は、あたかも王妃アナスタシアを家庭教師にした学び舎のようでもあった。

 そして今、強者をしたがえ君臨する立ち姿は、リティアとはまた違った、アイカの理想像として燦然と輝いて見えた。


 ――か、かっこいい……。


「よし、地面が近い。一気に滑り降りる。しっかり、つかまれ」


 クリストフの声で、抱きつく腕と脚に、力を込め直す。

 身体も小さく、歳も幼い自分が、強者に庇護される存在であることは仕方がない。だけども、護られるのに相応しい自分でありたいと考えていた。

 また同時に、クリストフの首筋に顔の下半分を押し付ける形となり、異性の肌の感触にドキドキもしている。

 さまざまな感情が押し寄せる中、地面に降り立った。

 が、クリストフは、自分を抱きかかえたまま降ろしてくれない。それどころか、そのまま裂帛の気合をこめた大音声を響かせた。


「イエリナ姫の御前であるぞ! 精霊を仰ぐ《山々の民》であると認める者は皆、その場に控えよ!」


 動揺が走る兵士たち。

 彼らはなにも聞かされていなかった。自分たちが刃をむけていたのは《精霊のいとし子》たるイエリナ姫なのか――?

 それをかき分けるように、西候セルジュと家老パイドルが姿を見せた。


「にせ者じゃ、にせ者じゃ!」


 わめき立てるセルジュの顔が、アイカの視界に入った。

 つり上がった目。眉から下の皮膚が強張り、醜くゆがむ。松明の炎に照らされて揺らめく陰影が、表情の醜悪さを際立たせる。

 あの人の良さそうな小太りおじさんの面影は、完全に消えていた。


「討ち取れ! ザノクリフ王国を乗っ取らんとする、テノリアの間者ぞ! にせのイエリナ姫を擁して、我らをたばかろうとしておるのだ! テノリアの奸計にはまる、我らではないわ!」


 ギョロリと血走ったセルジュの目が、アイカを睨みつける。

 むきだしの憎悪――、それが向けられるのは、アイカにとって生まれて初めてのことであった。

 存在を無視されたり、過剰すぎる愛に束縛されたことはあっても、悪意そのものを浴びせられたことはない。


 ――この人は、……私を……嫌っている。


 自分を操るか、さもなくば抹殺する。明確な意思が、アイカの精神に覆いかぶさる。


「本物のイエリナ姫は、すでに儂が保護しておる! いいから斬り捨てよ!」


 悪意は、兵士たちに乗り移り、剣刃となって襲いかかる。

 組織の頂点に立つものの感情が、他の人間を染めていく。アイカの目には異様に映る。しかし、自分もその立場にあるのだ。

 カリトン、ネビ、チーナ、それにクリストフ配下の戦士たちが、応戦し斬り伏せる。

 実力の差は歴然としており、兵士たちが次々に斃れる。

 剣をにぎり屹立するナーシャが、背をむけたままクリストフに声をかけた。


「ザノクリフの公子殿。一度、アイカを降ろしてはもらえぬか?」

「ん……? 俺はこのまま、退路をひらくが?」


 首だけで後ろに顔をむけたナーシャが、目をほそめた。


「まこと、大儀である。……が、アイカは自らの意をあらわさねばならぬ。身命を賭して我が身を護ろうとする者たちに対して、それが王族の務めである」


 クリストフは、これがナーシャと初対面であった。

 無論、その正体が王妃アナスタシアであるとは教えられていない。

 しかし、メイド服に身を包んだナーシャの、妖艶で匂い立つような気迫に、無意識に半歩しりぞいてしまった。

 アイカが、腕をつっぱり、クリストフの胸から顔を離す。そして、クリストフの黄金色の瞳を見つめ、小さく頷いた。

 地面に降りたアイカの左右を、ナーシャとクリストフが固める。


 ――リティア義姉ねえ様。


 アイカの胸に蘇るのは、リティアの初陣――ミトクリア制圧戦であった。

 ふかく息を吸い込んだアイカは、笑顔をうかべ、皆によく通る声を発した。


「我らは強い!」


 ミトクリア近郊の森で、戦闘におびえるアイカに、リティアがかけてくれた言葉。数倍の敵に囲まれながら、ケガ人すら出なかった王国の騎士団。それを信頼しきったリティアの笑顔。


 ――私が、みんなに渡したい、……感情。


 アイカは満面の笑みで、西候セルジュを見据えた。


「西候セルジュ殿! もてなしご苦労であった! 存分に堪能し、我は王族としてひと回りもふた回りも成長させてもらった、礼を言う!」

「なっ……」


 アイカの振る舞いはテノリア王家において称揚されるものであっても、ザノクリフ王家のそれとは気風が異なる。

 なんと返せばよいか逡巡するセルジュに、アイカが続けた。


「この上、我が初陣に勝利を賜るとは、最高の贈り物である! 生涯、感謝して忘れぬぞ!」

「た、たわごとを……」
 
「退出する!! 我らの命が無事ならば、我らの勝利である!」


 アイカは、自分の口から出る言葉が、自分の本心から出ているのか、それとも心の奥深くに住まうリティアの言葉をなぞっているのか判然としない。

 しかし、大軍にかこまれていながら、気持ちの妙な落ち着きも感じていた。

 怒りに震えるセルジュが、わめき立てた。


「ええい! テノリアの間者が放つ世迷言などに耳を貸すな! 斬れ! 斬れ!」


 主君の声に押された城兵が、一斉に斬りかかってくる。

 そのとき、豪快な笑い声が鳴り響いた。


「がっはっはっはっは! 西候セルジュの狡猾な陰謀、破れたり!」


 芝居がかった口上を吐いたのは、建屋の屋根にのぼったジョルジュであった。

 その肩には、くすんだ緑色の髪をした少女が、担ぎ上げられている――。
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