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第五章 王国動乱
119.交錯(8)
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だが、少しだけアイカを安心させる出来事もあった。
軍議のために行軍が小休止を取っているときのことだ。アイカは、クレイアとアイラと、しばしの雑談に興じていた。
そこに、侍女長のアイシェが、そっと姿を見せた。
「クレイア。……負担をかけてすまない」
「いえ……」
「私とゼルフィアは、やはり……砂漠の民なの。エメーウ様に求められたら、お側から離れることができない……」
「解っております……」
唇を噛むアイシェを労わるように、クレイアは湿った声で応えた。
アイカは、リティアに従って、先輩侍女3人と一緒に、王都の大路を闊歩した日のことが忘れられない。おそろいの玉虫色をした拝礼服に身を包み、スーパーアイドルグループの一員に加えてもらったような高揚感――。
その先輩侍女たちの立場が、分断されている。
眉に力が入り、グッとアイシェのことを見詰めてしまう。
「私とゼルフィアを、リティア殿下から……奪うことが、エメーウ様のお慰めになっている……」
と、顔を顰める、元気印の『部長』に、クレイアは小さく頭を下げた。
「リティア殿下にも、ご理解いただいているものと存じます」
「……すまない。リティア殿下のことを……、よろしく頼む」
「ルーファに着きましたら、状況も変わりましょう」
「だと……いいな……」
眉をハの字にして自嘲気味に笑ったアイシェは、リティアが軍議から戻る前に、エメーウの馬車へと立ち去った。
チラッと自分を見て微笑んでくれたアイシェに、アイカは何も言うことが出来なかった。
だが、ただ分断されているのではなく、敬愛する母娘の、決定的な亀裂を防ごうと、皆が心を砕いている。皆がリティアの心を守ろうとしているのだということが、ストンと身体に落ちた。
――私も、私の出来ることをやらせてもらおう。
そう心に決めたアイカは、深い森の中、リティアに求められるまま、隣を駆けて行く――。
◇
「在位55年――。ファウロスめ、ついに斃れたか」
偉大な王の死を伝える急報が、砂漠を渡ってルーファの大首長セミールの手にも届いた。同世代を生きた英雄、ファウロスの死に献じる酒をグラスに注がせる。
孫娘を呼び、ささやかな惜別の宴の相手をさせた。
「ヨルダナ。ファウロスめの、本当の凄まじさが分かるか?」
「さあ……?」
いつもどおりの無表情で、感心なさげに見える孫娘ヨルダナだが、様々に思慮を巡らせ始めていることがセミールには見て取れた。
「聖山三六〇列候の、誰一人、どの一領、滅ぼすことがなかったことよ。すべてを屈服させ、ぬかずかせた。ファウロスの武威であれば、従わぬ列候領は滅ぼし、旧都テノリクアの民を植民させた方が、統一はより早く成し遂げられたであろう」
「なぜ、そうしなかったのでしょう?」
「理由は様々あろうが、聖山の民のすべてを同胞と思っておったのであろうな」
「同胞……」
「恰好を付けたい男だったからな。鮮やかな生き様よ。やりたい放題にやって、やりたい放題に死におった。儂より2つ下の81にして、若い寵妃に溺れて道を誤り、嫡子に殺されるなど、到底マネできんわ」
「お祖父様。羨ましそうに言わないでください。孫娘の前で、はしたないですわ」
「ふふっ。……だが、列候どもも、これで思い出すであろうな。元はテノリクア候であった王家が、自分たちと同格の存在であったことを。今頃は、欲と野心を交錯させ始めておろう」
「戦に……なりますか?」
「なる」
砂漠が隔てるルーファには、ルカスがリーヤボルクの兵を引き入れて、バシリオス討伐の兵を挙げたことも、バシリオスが敗れたこともまだ伝わっていない。
断言したのは、セミールの慧眼の現れであった。
「……メルヴェからの報せには、ほかに何と?」
「エメーウとリティアを、ルーファに脱出させる手筈は整えたとある。今頃、こちらに向かっておるやもしれんな」
「ようやく、お姉さまを帰してあげられるのですね……」
「アレには、不憫なことをした……」
「まだ……、バシリオス様を慕っておいでですからね……」
「ファウロスめには、儂の孫娘の人生まで狂わされたわ」
交易都市ルーファの権益を守るため、王太子バシリオスの側妃となるはずだったエメーウは、国王ファウロスに横取りされた。
エメーウの不幸は、後に顔を合わせたバシリオスに強く惹かれてしまったことであった。今さらどうにもならない恋慕の情が、エメーウの心を蝕み続けた。
「……ルーファで傷を癒していただくよう、私も心を尽くします」
「そうだな……。リティアにも、……償わねばならん」
エメーウがファウロスの側妃とされたとき、セミールは「話が違う」と連れ戻すことも出来なくはなかった。しかし、ルーファの権益を優先し、そうはしなかった。
結果、生まれた子供が、リティアである。
やがて、心に変調をきたしたエメーウは、リティアに歪な愛情を注ぎ始めた。セヒラの報せでそれを察知したセミールは憂慮し、北離宮を贈り、アイシェとゼルフィアを送り込み、母娘に距離をとらせた。
しかし、王国の第3王女であるリティアに、それ以上の手出しは出来なかった。
《天衣無縫の無頼姫》
その異名は、セミールをはじめ、ルーファ首長家の者には痛々しい響きがある。
母親の真っ直ぐな愛情に飢えた幼児が、天真爛漫に振る舞ってみせる。満ち溢れる富と栄誉に監禁されるような孤独に、ひとりぼっちで耐えている。セミールとヨルダナの目に、リティアはそう映っていた。
もしもリティアがルーファに亡命して来たなら、出来る限りのことはするつもりでいた――。
軍議のために行軍が小休止を取っているときのことだ。アイカは、クレイアとアイラと、しばしの雑談に興じていた。
そこに、侍女長のアイシェが、そっと姿を見せた。
「クレイア。……負担をかけてすまない」
「いえ……」
「私とゼルフィアは、やはり……砂漠の民なの。エメーウ様に求められたら、お側から離れることができない……」
「解っております……」
唇を噛むアイシェを労わるように、クレイアは湿った声で応えた。
アイカは、リティアに従って、先輩侍女3人と一緒に、王都の大路を闊歩した日のことが忘れられない。おそろいの玉虫色をした拝礼服に身を包み、スーパーアイドルグループの一員に加えてもらったような高揚感――。
その先輩侍女たちの立場が、分断されている。
眉に力が入り、グッとアイシェのことを見詰めてしまう。
「私とゼルフィアを、リティア殿下から……奪うことが、エメーウ様のお慰めになっている……」
と、顔を顰める、元気印の『部長』に、クレイアは小さく頭を下げた。
「リティア殿下にも、ご理解いただいているものと存じます」
「……すまない。リティア殿下のことを……、よろしく頼む」
「ルーファに着きましたら、状況も変わりましょう」
「だと……いいな……」
眉をハの字にして自嘲気味に笑ったアイシェは、リティアが軍議から戻る前に、エメーウの馬車へと立ち去った。
チラッと自分を見て微笑んでくれたアイシェに、アイカは何も言うことが出来なかった。
だが、ただ分断されているのではなく、敬愛する母娘の、決定的な亀裂を防ごうと、皆が心を砕いている。皆がリティアの心を守ろうとしているのだということが、ストンと身体に落ちた。
――私も、私の出来ることをやらせてもらおう。
そう心に決めたアイカは、深い森の中、リティアに求められるまま、隣を駆けて行く――。
◇
「在位55年――。ファウロスめ、ついに斃れたか」
偉大な王の死を伝える急報が、砂漠を渡ってルーファの大首長セミールの手にも届いた。同世代を生きた英雄、ファウロスの死に献じる酒をグラスに注がせる。
孫娘を呼び、ささやかな惜別の宴の相手をさせた。
「ヨルダナ。ファウロスめの、本当の凄まじさが分かるか?」
「さあ……?」
いつもどおりの無表情で、感心なさげに見える孫娘ヨルダナだが、様々に思慮を巡らせ始めていることがセミールには見て取れた。
「聖山三六〇列候の、誰一人、どの一領、滅ぼすことがなかったことよ。すべてを屈服させ、ぬかずかせた。ファウロスの武威であれば、従わぬ列候領は滅ぼし、旧都テノリクアの民を植民させた方が、統一はより早く成し遂げられたであろう」
「なぜ、そうしなかったのでしょう?」
「理由は様々あろうが、聖山の民のすべてを同胞と思っておったのであろうな」
「同胞……」
「恰好を付けたい男だったからな。鮮やかな生き様よ。やりたい放題にやって、やりたい放題に死におった。儂より2つ下の81にして、若い寵妃に溺れて道を誤り、嫡子に殺されるなど、到底マネできんわ」
「お祖父様。羨ましそうに言わないでください。孫娘の前で、はしたないですわ」
「ふふっ。……だが、列候どもも、これで思い出すであろうな。元はテノリクア候であった王家が、自分たちと同格の存在であったことを。今頃は、欲と野心を交錯させ始めておろう」
「戦に……なりますか?」
「なる」
砂漠が隔てるルーファには、ルカスがリーヤボルクの兵を引き入れて、バシリオス討伐の兵を挙げたことも、バシリオスが敗れたこともまだ伝わっていない。
断言したのは、セミールの慧眼の現れであった。
「……メルヴェからの報せには、ほかに何と?」
「エメーウとリティアを、ルーファに脱出させる手筈は整えたとある。今頃、こちらに向かっておるやもしれんな」
「ようやく、お姉さまを帰してあげられるのですね……」
「アレには、不憫なことをした……」
「まだ……、バシリオス様を慕っておいでですからね……」
「ファウロスめには、儂の孫娘の人生まで狂わされたわ」
交易都市ルーファの権益を守るため、王太子バシリオスの側妃となるはずだったエメーウは、国王ファウロスに横取りされた。
エメーウの不幸は、後に顔を合わせたバシリオスに強く惹かれてしまったことであった。今さらどうにもならない恋慕の情が、エメーウの心を蝕み続けた。
「……ルーファで傷を癒していただくよう、私も心を尽くします」
「そうだな……。リティアにも、……償わねばならん」
エメーウがファウロスの側妃とされたとき、セミールは「話が違う」と連れ戻すことも出来なくはなかった。しかし、ルーファの権益を優先し、そうはしなかった。
結果、生まれた子供が、リティアである。
やがて、心に変調をきたしたエメーウは、リティアに歪な愛情を注ぎ始めた。セヒラの報せでそれを察知したセミールは憂慮し、北離宮を贈り、アイシェとゼルフィアを送り込み、母娘に距離をとらせた。
しかし、王国の第3王女であるリティアに、それ以上の手出しは出来なかった。
《天衣無縫の無頼姫》
その異名は、セミールをはじめ、ルーファ首長家の者には痛々しい響きがある。
母親の真っ直ぐな愛情に飢えた幼児が、天真爛漫に振る舞ってみせる。満ち溢れる富と栄誉に監禁されるような孤独に、ひとりぼっちで耐えている。セミールとヨルダナの目に、リティアはそう映っていた。
もしもリティアがルーファに亡命して来たなら、出来る限りのことはするつもりでいた――。
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