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第三章 総候参朝
73.小さなキャンバス
しおりを挟む「やはり、マエルの手の者だったか」
朝陽に輝く執務室で、リティアはクレイアからの報告を受けた。
昨日、アイカと狼たちが取り押さえた中肉中背の男には、リティアも見覚えがあった。
「だが、マエルはリーヤボルクの聘問使代行でもある。今は手出しが出来ん」
と、リティアは苦々しげに呟いた。
クレイアも、その怜悧な顔立ちに憤りの色を乗せている。
リティアは男を獄に繫いでおくよう命じ、クレイアを下がらせた。
窓から見下ろす早朝の王都は、既に猥雑な賑わいを見せ始めている。
『総候参朝』も5日目の朝を迎え、慌ただしいスケジュールにも漸く体が馴染んできた。
ロザリーの組んだ日程には無駄がなく、充分とは言えないが息抜き出来る余白もあることが、理解でき始めた。
そんな、気持ちに余裕が出てきた朝を不快な思いに染めたマエルのことが疎ましい。
その頃、アイカはアイシェに付き添われて、人で溢れ返る北街区にガラを訪ねて、歩いていた。
すっかり名の知れ渡った顔をフードで隠し、アイシェの引く手を強く握って何度も人にぶつかりながら街路を進む。
圧迫されるような人の流れは少し怖いほどであったが、総じて機嫌が良い人たちの群れは気分を高揚もさせる。
「聞いたよぉ! 大活躍だったんだって?」
と、汗を流しながら働くガラに囁かれて、アイカは頬を真っ赤に染めた。
ガラたちはアイカの発案で、拠点の館の前に小さな露店を開いている。
「きゅうりです! 絶対、串刺しのきゅうりです!」
と、アイカが強く主張したとき、そんな単純なものが売れるのかと皆が疑問に思ったが、飛ぶように売れた。
秋の始まりを告げる祝祭中とはいえ、ごった返す人群れは蒸し暑さも感じさせる。涼しげなきゅうりの串刺しは、物珍しさもあって人気になっていた。
アイカの視線の先では、ガラの弟レオンを筆頭に、孤児たちが声を張り上げて売り子に精を出している。
店先には料金の計算に便利な一覧表と、お釣りのマニュアルが張り出されている。お金のやり取りは、計算を習熟させるのに直接身になると、アイカが作ったものだ。
「ありがとうね、アイカちゃん。皆んな、とっても喜んでるんだ」
と、かがんでアイカに視線を合わせたガラが、澄んだ青色の瞳いっぱいに広がる感謝の想いを向けた。
――それです! いいです! その表情が見たかったんです!
顔を真っ赤に染めたアイカは、光源氏気取りだったが、ガラには伝わらない。
孤児たちは皆、はち切れんばかりの笑顔で汗を流している。
売り子たちから商品の補充を求められたガラに、激励の言葉をかけ、アイカは店先を後にした。
リティア宮殿では、そろそろ昼の宴に向かう準備を始めようとしていた。
そこに突然、カリュに伴われた第5王子エディンの訪問があった。
「ねえさま……」
と、はにかむ弟にリティアは目線を合わせて微笑みかける。
「どうした、どうした? なんで来てくれたのかな?」
エディンが1人でリティア宮殿に足を運ぶことは珍しい。恐らくサフィナが不在なのであろう。
「これね……」
と、エディンが、リティアの掌に収まる程度の小さなキャンバスを出して見せた。
「……描いてるの」
キャンバスには赤茶色の髪をした人物が描かれている。
子供の絵ではあるが、リティアを描こうとしていることが分かる。
「なんだ? 姉様を描いてくれてるのか?」
というリティアの言葉に、エディンは小さく頷いてモジモジしている。
リティアはこの9つ年下の可愛い物体を、抱き締めたくてたまらない。
「できあがったら……。ねえさま、もらってくれる……?」
と、エディンが俯き加減の上目遣いに見上げてくると、リティアはたまらず抱き着いて頬を重ねた。
「もらう、もらう! 絶対、もらうよぉ!」
と、頬を頬にこすり付ける姉に、エディンは満面の笑みで「ほんとう?」などど言っている。
「エディンは可愛いなぁ! もう、うちの子になるか?」
「それは、だめぇ……」
「どうして?」
「エディンがいないと、おかあさまが、かなしくなっちゃうでしょ?」
「そうだなぁ。エディンは優しい子だなぁ」
と、リティアは愛しい弟を抱き締める腕に力を込めた。
リティアの目には、サフィナの愛情はサヴィアスだけに注がれているように映る。エディンはエメーウから国王の寵愛を奪い返したことを誇示する、道具としてしか扱われていない。
それでも健気に母を想う、幼い弟のことが、リティアは愛おしくてたまらなかった。
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