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第二章 旧都郷愁
49.審神け
しおりを挟む――貴女のことは、リュシアンの詩で聞いていたわ。
王太后カタリナはその顔に刻まれた皺を深くしながら、アイカの頭を撫でた。その目に光は失われており、アイカの顔を探るように触れていく。
ステファノスの開いてくれた小宴の翌日。リティア達と街を散策していた夕刻になって、突然、面会を許す報せが来た。平服のまま駆けつけたリティアとアイカのほかに、第六騎士団の儀典官イリアスの姿も王太后の居室にあった。
アイカは、いつも怖い表情をした無口で取っ付きにくいこの若い儀典官のことを、旅の間も敬遠していた。
が、昨晩の小宴で甘いティラミスだけを黙々と何個も――怖い顔で――食べ続ける姿を見て、少し親しみが湧いていた。
「随分、遠くからいらしたのね」
カタリナがアイカの顔から手を離し、窓の外でお座りしている二頭の狼に、見えない目を向けた。
リティアは好奇心と期待に満ちた夕暮れ色の瞳で、カタリナの次の言葉を待っていた。
偶然、王都で拾った桃色髪で黄金の瞳をした少女に、見たことのない守護聖霊の色を見付けたときの興奮はずっと続いている。
王国の統治を陰から支える『詩人の束ね』の役目を長く務めるカタリナは、王国で最も優れた審神者でもある。リティアの守護聖霊が『開明神メテプスロウ』であることを、最初に審神けてくれたのもカタリナだった。
人間に智慧をもたらしてくれたと聖山神話に詩われる古神メテプスロウは、万物に名前を付けた『女神ネシュムモネ』の兄神とされる。
その『ネシュムモネ』の守護聖霊がある者だけが、守護聖霊を審神けることが出来る。
カタリナはリティアの期待を躱すように、アイカと狼たちだけを連れて『ネシュムモネ』の神殿に向かうことを告げた。まもなく100歳を迎えようとする、王族の最長老でもあるカタリナの言葉に逆らえる者はいない。
リティアとイリアスは、少し落胆した様子で、カタリナとアイカを見送った。
リティアの胸にはエディンに贈られた青いブローチが光り、両耳にはアイカから贈られた青いイヤリングが揺れている。
車椅子に押されて部屋を出るカタリナに付いて、不安そうに自分を見るアイカに、リティアは微笑んで頷きを返した。
◇
「ヤ……、ラ……、タ……? ヤ、パ……、かしら……?」
古びた祠の中にはアイカとカタリナ、それにタロウとジロウだけがいる。
「聞き覚えはあるかしら?」
たくさんの皺が深く刻まれた顔、血管の浮き出た手の甲。アイカは、王太后カタリナほどの老貌を、直接目にしたのは初めてだった。
――八幡さんだ……。
アイカが『日高愛華』だった頃、母が爆発した夜をやり過ごした神社に祀られていた神様――八幡神。父の本棚から、なにかしらの本を抜き出すことも出来ずに駆け込んだ晩は、由緒書きの立て札を何度も読んで気を紛らわせた。
「不思議な聖霊ね。何柱もの神様が重なって見えるわ」
カタリナは盲いた目で、アイカを包み込むように眺めた。
――八幡さんは三柱の神様の習合で、そのうちの一柱は三人の女神様だったはず。
アイカは7年前に目にした、由緒書きの記憶をたどる。
「狼たちには、白い犬と黒い犬を連れた守護聖霊があるわね。道案内をしてくださるようね」
神社の社の脇にある祠には「狩場明神」が祀られていた。
――白と黒の2匹の犬を従えて、空海さんを高野山に導いた神様。
あの時、自分を異世界に運んでくれた古式和装の神様は、約束通り見守ってくれてた。7年ぶりの答え合わせに、ふと、鼻の奥がツンと刺激されるのを感じた。
「お母様のお話を、聞かせてくれる?」
という、カタリナの言葉に、アイカは目を見開いた。
長く伸びた白い眉の奥で、カタリナの光を失った瞳は優しい輝きを湛えていた。
視線を地面に落として彷徨わせ、明らかに動揺したアイカを気遣うようにタロウとジロウが側に身を寄せた。
アイカの急激に冷えた身体に、長く一緒に過ごしてきた狼たちの体温が沁みる。
やがて、胸の動悸と呼吸の荒さが収まってきたアイカは、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた――。
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