31 / 33
31.あくまでも商談
しおりを挟む
カーニャ号がロッサマーレを出港して2日は、ひどい船酔いになったアマリアを介抱して過ごした。
「す、すみません……、お姉様……」
「いいのよ、気にしないで。わたしも初航海のときは、ダウンしちゃったのよ?」
「む、無念です……」
いつも可愛らしいピンク髪ふわふわアマリアがみせるボロボロの表情に、意地悪な意味ではなく、
――ヒロインも、船酔いには勝てないのね。
と、すこしホッとしてしまう自分もいた。
そして、結婚したばかりの愛しい夫に、いまのひどい顔を見せたくないというアマリアの乙女心も分かる。
船酔いは病気ではない。心細さは一切なく、むしろひとりにしてほしいものだ。
コンラートには部屋に近寄らないように言って、わたしとリアで介抱した。
「ふふっ。私たちの初航海を思い出してしまいますわね」
「そうね。わたしもリアも、ひどい船酔いだったわ」
「ルチア船長に介抱していただいて」
「そうそう」
ようやく眠ったアマリアの寝顔を見ながら、リアとヒソヒソ話す。
ロッサマーレの領有権問題にはじまり、王国東方への旅、総督就任、任命式、晩餐会、侯爵叙爵、総督就任式と、慌ただしい日々が続いて、
こうしてリアとふたりで、ゆっくり無駄話できるのも久しぶりかも知れない。
ふだんは顔を合わせると、ソニア商会の運営やあたらしい商談の話など、仕事の話ばかりだし。
そして、カーニャ号の船室でリアと語り合う思い出話は、自然と想いを、ビットに出会ったばかりの頃に向かわせる。
――プレゼン会場選びは、満点ね。
クスッとわたしが笑うと、リアも微笑んでくれた。
だけど、いつの間にかスッと部屋から出ていってしまう。
――リアはスパイね。
きっとリアは、ビットのところに行っているのだ。
そして、ふたりでわたしの攻略方法を練っている。
「わたしって……、攻略対象なのね」
ふと、気がついて、なんだか妙に楽しい気分になってしまった。
おもわず口ずさんでしまったのは、乙女ゲームのテーマ曲のメロディだった。
――意外と覚えてるものね。
悪役令嬢がヒロインを介抱している、世界観台無しの場面もなんだかおかしくて、
せっかくなのでアマリアの隣で横になって、ますます台無しにするのを楽しんでいるうちに、
わたしも眠りに落ちてしまった。
ならんでスヤスヤ眠る、攻略待ちの悪役令嬢と新婚のヒロイン。
わたしも、見たかったなぁ――。
Ψ
航海に出て4日目。
ついに、わたしはビットから貴賓室に呼び出された。
「……わ、私もですか?」
という、リアの袖を引っ張り、
「……わ、私もですか?」
という、アマリアの袖も引っ張る。
「ふ、ふたりきりなんて……、やっぱり無理だし……」
「クスッ。お姉様って可愛らしいんですのね」
「ええ、そうなのよ。わたし可愛らしいのよ。だからお願い」
「分かりました。……でも、おふたりの邪魔はしませんよ?」
そりゃ、そうだろう。
と、ツッこむ余裕もない。
そして、3人で貴賓室に入ったけど、ビットに動揺の色は見られず、穏やかに微笑んで席に座るように勧めてくれた。
「あ、ありがと……」
「それでは、資料を配布いたします」
と、人数分の資料が用意されていた。
――よ、読まれてる。わたしの行動が……。
妙に心が落ち着いた。
ビットはわたしの言葉を真剣に受け止めて、真剣に〈プレゼン〉しようとしてくれている。
――これは商談だ。
スッと背筋が伸びた。
「本日、僕がカロリーナ様にご提案させていただきたいのは……」
と、ビットのプレゼン……、商談が始まった。
「ミカン畑を中心とした皇后生活です」
ほほう。
「なかなか惹かれるテーマ設定ね」
「恐れ入ります」
恭しく頭をさげてみせるビット。
ふだんの軽薄さとも、ときおり見せてくれる凛々しさとも違う表情だ。
「まずは最終的に行き着く、皇后としての生活をより具体的にイメージしていただきたく、こちらのプレゼンから始めさせていただきます」
「ええ、どうぞ」
「ミカンの花が咲く初夏から、ミカンを収穫する秋までの間、皇后カロリーナ陛下には、ロッサマーレで暮らしていただくことができます」
「……質問がはやいかもしれないけど」
「どうぞ、お気遣いなく」
「それって、大丈夫なの? 帝国的に」
「はい。僕の高祖母である皇后ヴィオラ陛下は、帝国の東に国境を接するルツェルン王国の女王でもありました」
「ええ……」
「ヴィオラ皇后は、年の半分をルツェルン王国の王都で、のこり半分を帝都で過ごしたという先例があるのです」
「へぇ~」
「ちなみに夫である皇帝ロレンツォ陛下も、ヴィオラ皇后とともに、生涯に渡って、帝都と王都を行き来しながら帝国を統治いたしました」
「……それは、すごいわね」
「それだけ、ラヴェンナーノ帝国にとって、帝国東方の安定は重要なのです」
「なるほど……」
「そのルツェルン王国も、30年前にヴィンケンブルク王国に攻め滅ぼされてしまいましたが……」
「ええ……」
「話を先に進めます」
「ええ、どうぞ」
「ミカンを収穫したら、シエナロッソに出荷する船に乗り、さらに航海を西に進めていくつかの港に立ち寄りながら、帝都に向かいます」
「ふむ……」
「そして、新年の祝賀を帝都で受け、ミカンの花が咲くまでにロッサマーレに戻る……。というのが、僕の提案する〈皇后生活〉の基本プランです」
なるほど……。悪くない。
「もちろん、ロッサマーレ滞在中にシエナロッソに遊びに来たり、フェルスタイン王国の王都に行ったり、そのあたりは自由にしてもらって問題ありません」
「……ええ」
プレゼンは質疑応答に移り、こまかなところまで聞いても、ビットは淀みなく答えてくれた。
「……ビットは、帝国東方の安定のために、わたしに目を付けたのね?」
「その問いに対しては、半分は正解です」
「半分?」
「最初にシエナロッソで見かけたとき、僕はカロリーナ様のことを、ヴィンケンブルク王国から来た貴族令嬢だと誤解していました」
「……ああ」
「フェルスタイン王国とヴィンケンブルク王国の祖先はおなじです。着ている服のガラが、よく似ていたのです」
「ええ、そうね」
「……ですが、僕が声をかけ、ふり向かれた瞬間に……、恋に落ちました」
「カ、カロリーナ様……、カロリーナ様?」
と、リアがわたしの名前を呼んだ。
「え?」
「……お気持ちは分かりますが、すこし痛いです」
わたしは恋という単語に反応して、無意識でリアの肩をバシバシ叩いていたらしい。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ……」
苦笑いするリアに、かるく頭をさげてから、キュッと表情を引き締め、ビットを見詰めた。
「最初はカロリーナ様のことを、ヴィンケンブルク王国から来た間諜……、スパイではないかと疑っていた僕ですが……」
「ええ……」
「逆に仲良くなれば、両国の和平につながるのではないかと考え、接触を重ねるうちに、お人柄にも惹かれていきました……」
「そ、そうなんだぁ~」
接触を重ねる――、わたしが造船ギルドの親方のところに通っていた頃のことだろう。
造船ギルドから出ると必ず、
「わあ! カーニャ! 奇遇だねぇ~」
と、ビットが現われ、一緒にお茶をしてはくだらない話をして帰っていった。
――なにしに来てるんでしょう? グイグイ口説いてくる割に、それ以上どこかに誘うわけでもなし……。
と、リアが呆れていたものだ。
「なので、カロリーナ様がフェルスタイン王国から来られていることが分かったとき……」
「ええ……」
「僕はとても喜んでいました。……国交はありませんが、すくなくとも敵対国の令嬢ではなかったからです」
なるほど。
と、ビットに聞くまでもなく、ひとつ腑に落ちたことがある。
帆船カーニャ号の支払いを初航海の後にしてくれたのは、最後までビットが所有権を握っておくためだったのだ。
困っていたわたしに手をさし伸べてくれたのは事実だし、フェルスタインへの新航路開拓に惹かれたのもほんとうだろう。
それでも万が一、わたしが船をヴンケンブルクに向かわせようとしたら、引き返させられる〈保険〉をかけていたのだ。
絶妙に喰えないし、なによりそこが頼もしい。恋に溺れてしまうような人では、わたしの気持ちが別の意味で冷める。
――わたしも、保険をかけておくのは大好きだしね。
ビットはわたしの要望どおり、あくまでも〈商談〉の体裁を崩さないように話しかけてくれる。
それが逆に、ビットの心を、わたしの心の奥深くまで届けてくれた。
「……皇太子妃の期間はどうなるのかしら?」
「それは、資料の12ページ目をご覧ください」
恋や愛や心情ではなく、
もしも、本当にビットと結婚したら、どんな生活が待っているのか、ふたりの間にどんな時間がながれ、どんな気持ちを通わせられるのか、
わたしの気持ちがどうなるのか、
とても具体的にイメージすることができた。
「ご質問がなければ、僕からのプレゼン〈ミカン畑を中心にした皇后生活〉は、以上になります」
「分かりました。とても素晴らしいプレゼンを聞くことができ、有意義な時間を過ごすことができました」
「ありがとうございます」
「持ち帰って検討し、あらためてご返答させていただきます」
「はい。カロリーナ様からプレゼンの機会を与えていただき、光栄に存じます」
「いえ、こちらこそ、皇太子殿下がわたしのために、ここまで心を砕いていただいたこと、生涯の誉れをいただいた思いです。本日はありがとうございました」
わたしは最後まで〈商談〉の体裁を崩さず、貴賓室を出た。
アマリアが、ヘコんでいた。
「……ん? どうしたの、アマリア?」
「こまかなことまで事前に話し合ってて、カロリーナお姉様も皇太子殿下もすごいなぁって……」
「そ、そう……?」
「……私、勢いだけで結婚しちゃったところありますし……。『好きだ!』『私もです!』『結婚しよう!』『はい、喜んで!』……みたいな」
「い、いや……、それはそれで、乙女の夢じゃない? 情熱的な恋っていうか……」
「アマリアさん。恋も結婚もいろいろあっていいのです」
と、結婚願望皆無のリアが、胸を張った。
「……そうでしょうか?」
「ええ。恋愛に熱が必要なタイプと、そうでないタイプ。むしろ熱が邪魔してしまい、いちばん好きな人とは交際できずに、2番目に好きな人としか結ばれないタイプもいます」
「へ、へぇ~」
「相手から好きになられるのが苦手で、自分から好きにならないとお付き合いできないタイプ。自分から好きになった人はまぶし過ぎて近寄れず、相手から好きになってくれた人としかお付き合いできないタイプ。ほんとうに、いろいろです」
「な、なるほどぉ……」
「ですが、結婚にいたるために大切なことは常にひとつ」
「……そ、それは?」
「これが自分の最後の恋だと決めることです」
「お、おおぉ~~~」
と、わたしとアマリアが感嘆の声をあげた。
「自分の恋愛にも結婚にも興味がなく、他人の恋愛や結婚ばかり堪能してきた私が言うのですから間違いありません」
説得力があるのかないのか、微妙なラインで胸を張っているリアだけど、アマリアの心には響いたようだ。
「……リ、リアお姉様ってお呼びしてもいいですか?」
「いえ。カロリーナ様と同列とは参りません」
「けど……」
「では、リア姉ちゃんくらいなら……」
「リ、リア姉ちゃん!!」
「はい、アマリア」
不思議な姉妹が誕生していた。
ま……、アマリアのすぐにお姉様と呼びたがる〈趣味〉を通じて、リアと義姉妹になれたような気もするし、深くツッこむのはやめておこう……。
Ψ
翌日、甲板で会ったビットは、いつもの軽薄なビットに戻っていた。
「どうだった~? 僕のプレゼン~?」
「それ、わたしに聞くの?」
「どう? 惚れ直した?」
「惚れ直した、惚れ直した。あ~、惚れ直しちゃったなぁ~」
「ふふっ。なら、よかったよ~」
潮風に赤い髪をたなびかせながら、ビットはその端正な顔立ちに、満足気な微笑みを浮かべた。
それから木箱にならんで座って、一緒に水平線を見詰めた。
「……ビットってさ」
「なに~?」
「……なんで、いつもはそんな風に、軽いフリをしてるの?」
「ん~~~っ?」
「……言いたくないなら、別にいいんだけど」
わたしの問いに、微笑んだままのビットは、視線を甲板にさげて鼻のあたまをかいた。
「弟がいてね……」
「……うん」
「お母さんがおなじの、実の弟」
「……うん」
「僕……、暗殺されかかったんだよね~、弟から」
ビットはいつもと同じ軽薄な笑みを浮かべたまま、だけど口調は淡々と、
弟に対する想いを、わたしに語りはじめてくれた――。
「す、すみません……、お姉様……」
「いいのよ、気にしないで。わたしも初航海のときは、ダウンしちゃったのよ?」
「む、無念です……」
いつも可愛らしいピンク髪ふわふわアマリアがみせるボロボロの表情に、意地悪な意味ではなく、
――ヒロインも、船酔いには勝てないのね。
と、すこしホッとしてしまう自分もいた。
そして、結婚したばかりの愛しい夫に、いまのひどい顔を見せたくないというアマリアの乙女心も分かる。
船酔いは病気ではない。心細さは一切なく、むしろひとりにしてほしいものだ。
コンラートには部屋に近寄らないように言って、わたしとリアで介抱した。
「ふふっ。私たちの初航海を思い出してしまいますわね」
「そうね。わたしもリアも、ひどい船酔いだったわ」
「ルチア船長に介抱していただいて」
「そうそう」
ようやく眠ったアマリアの寝顔を見ながら、リアとヒソヒソ話す。
ロッサマーレの領有権問題にはじまり、王国東方への旅、総督就任、任命式、晩餐会、侯爵叙爵、総督就任式と、慌ただしい日々が続いて、
こうしてリアとふたりで、ゆっくり無駄話できるのも久しぶりかも知れない。
ふだんは顔を合わせると、ソニア商会の運営やあたらしい商談の話など、仕事の話ばかりだし。
そして、カーニャ号の船室でリアと語り合う思い出話は、自然と想いを、ビットに出会ったばかりの頃に向かわせる。
――プレゼン会場選びは、満点ね。
クスッとわたしが笑うと、リアも微笑んでくれた。
だけど、いつの間にかスッと部屋から出ていってしまう。
――リアはスパイね。
きっとリアは、ビットのところに行っているのだ。
そして、ふたりでわたしの攻略方法を練っている。
「わたしって……、攻略対象なのね」
ふと、気がついて、なんだか妙に楽しい気分になってしまった。
おもわず口ずさんでしまったのは、乙女ゲームのテーマ曲のメロディだった。
――意外と覚えてるものね。
悪役令嬢がヒロインを介抱している、世界観台無しの場面もなんだかおかしくて、
せっかくなのでアマリアの隣で横になって、ますます台無しにするのを楽しんでいるうちに、
わたしも眠りに落ちてしまった。
ならんでスヤスヤ眠る、攻略待ちの悪役令嬢と新婚のヒロイン。
わたしも、見たかったなぁ――。
Ψ
航海に出て4日目。
ついに、わたしはビットから貴賓室に呼び出された。
「……わ、私もですか?」
という、リアの袖を引っ張り、
「……わ、私もですか?」
という、アマリアの袖も引っ張る。
「ふ、ふたりきりなんて……、やっぱり無理だし……」
「クスッ。お姉様って可愛らしいんですのね」
「ええ、そうなのよ。わたし可愛らしいのよ。だからお願い」
「分かりました。……でも、おふたりの邪魔はしませんよ?」
そりゃ、そうだろう。
と、ツッこむ余裕もない。
そして、3人で貴賓室に入ったけど、ビットに動揺の色は見られず、穏やかに微笑んで席に座るように勧めてくれた。
「あ、ありがと……」
「それでは、資料を配布いたします」
と、人数分の資料が用意されていた。
――よ、読まれてる。わたしの行動が……。
妙に心が落ち着いた。
ビットはわたしの言葉を真剣に受け止めて、真剣に〈プレゼン〉しようとしてくれている。
――これは商談だ。
スッと背筋が伸びた。
「本日、僕がカロリーナ様にご提案させていただきたいのは……」
と、ビットのプレゼン……、商談が始まった。
「ミカン畑を中心とした皇后生活です」
ほほう。
「なかなか惹かれるテーマ設定ね」
「恐れ入ります」
恭しく頭をさげてみせるビット。
ふだんの軽薄さとも、ときおり見せてくれる凛々しさとも違う表情だ。
「まずは最終的に行き着く、皇后としての生活をより具体的にイメージしていただきたく、こちらのプレゼンから始めさせていただきます」
「ええ、どうぞ」
「ミカンの花が咲く初夏から、ミカンを収穫する秋までの間、皇后カロリーナ陛下には、ロッサマーレで暮らしていただくことができます」
「……質問がはやいかもしれないけど」
「どうぞ、お気遣いなく」
「それって、大丈夫なの? 帝国的に」
「はい。僕の高祖母である皇后ヴィオラ陛下は、帝国の東に国境を接するルツェルン王国の女王でもありました」
「ええ……」
「ヴィオラ皇后は、年の半分をルツェルン王国の王都で、のこり半分を帝都で過ごしたという先例があるのです」
「へぇ~」
「ちなみに夫である皇帝ロレンツォ陛下も、ヴィオラ皇后とともに、生涯に渡って、帝都と王都を行き来しながら帝国を統治いたしました」
「……それは、すごいわね」
「それだけ、ラヴェンナーノ帝国にとって、帝国東方の安定は重要なのです」
「なるほど……」
「そのルツェルン王国も、30年前にヴィンケンブルク王国に攻め滅ぼされてしまいましたが……」
「ええ……」
「話を先に進めます」
「ええ、どうぞ」
「ミカンを収穫したら、シエナロッソに出荷する船に乗り、さらに航海を西に進めていくつかの港に立ち寄りながら、帝都に向かいます」
「ふむ……」
「そして、新年の祝賀を帝都で受け、ミカンの花が咲くまでにロッサマーレに戻る……。というのが、僕の提案する〈皇后生活〉の基本プランです」
なるほど……。悪くない。
「もちろん、ロッサマーレ滞在中にシエナロッソに遊びに来たり、フェルスタイン王国の王都に行ったり、そのあたりは自由にしてもらって問題ありません」
「……ええ」
プレゼンは質疑応答に移り、こまかなところまで聞いても、ビットは淀みなく答えてくれた。
「……ビットは、帝国東方の安定のために、わたしに目を付けたのね?」
「その問いに対しては、半分は正解です」
「半分?」
「最初にシエナロッソで見かけたとき、僕はカロリーナ様のことを、ヴィンケンブルク王国から来た貴族令嬢だと誤解していました」
「……ああ」
「フェルスタイン王国とヴィンケンブルク王国の祖先はおなじです。着ている服のガラが、よく似ていたのです」
「ええ、そうね」
「……ですが、僕が声をかけ、ふり向かれた瞬間に……、恋に落ちました」
「カ、カロリーナ様……、カロリーナ様?」
と、リアがわたしの名前を呼んだ。
「え?」
「……お気持ちは分かりますが、すこし痛いです」
わたしは恋という単語に反応して、無意識でリアの肩をバシバシ叩いていたらしい。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ……」
苦笑いするリアに、かるく頭をさげてから、キュッと表情を引き締め、ビットを見詰めた。
「最初はカロリーナ様のことを、ヴィンケンブルク王国から来た間諜……、スパイではないかと疑っていた僕ですが……」
「ええ……」
「逆に仲良くなれば、両国の和平につながるのではないかと考え、接触を重ねるうちに、お人柄にも惹かれていきました……」
「そ、そうなんだぁ~」
接触を重ねる――、わたしが造船ギルドの親方のところに通っていた頃のことだろう。
造船ギルドから出ると必ず、
「わあ! カーニャ! 奇遇だねぇ~」
と、ビットが現われ、一緒にお茶をしてはくだらない話をして帰っていった。
――なにしに来てるんでしょう? グイグイ口説いてくる割に、それ以上どこかに誘うわけでもなし……。
と、リアが呆れていたものだ。
「なので、カロリーナ様がフェルスタイン王国から来られていることが分かったとき……」
「ええ……」
「僕はとても喜んでいました。……国交はありませんが、すくなくとも敵対国の令嬢ではなかったからです」
なるほど。
と、ビットに聞くまでもなく、ひとつ腑に落ちたことがある。
帆船カーニャ号の支払いを初航海の後にしてくれたのは、最後までビットが所有権を握っておくためだったのだ。
困っていたわたしに手をさし伸べてくれたのは事実だし、フェルスタインへの新航路開拓に惹かれたのもほんとうだろう。
それでも万が一、わたしが船をヴンケンブルクに向かわせようとしたら、引き返させられる〈保険〉をかけていたのだ。
絶妙に喰えないし、なによりそこが頼もしい。恋に溺れてしまうような人では、わたしの気持ちが別の意味で冷める。
――わたしも、保険をかけておくのは大好きだしね。
ビットはわたしの要望どおり、あくまでも〈商談〉の体裁を崩さないように話しかけてくれる。
それが逆に、ビットの心を、わたしの心の奥深くまで届けてくれた。
「……皇太子妃の期間はどうなるのかしら?」
「それは、資料の12ページ目をご覧ください」
恋や愛や心情ではなく、
もしも、本当にビットと結婚したら、どんな生活が待っているのか、ふたりの間にどんな時間がながれ、どんな気持ちを通わせられるのか、
わたしの気持ちがどうなるのか、
とても具体的にイメージすることができた。
「ご質問がなければ、僕からのプレゼン〈ミカン畑を中心にした皇后生活〉は、以上になります」
「分かりました。とても素晴らしいプレゼンを聞くことができ、有意義な時間を過ごすことができました」
「ありがとうございます」
「持ち帰って検討し、あらためてご返答させていただきます」
「はい。カロリーナ様からプレゼンの機会を与えていただき、光栄に存じます」
「いえ、こちらこそ、皇太子殿下がわたしのために、ここまで心を砕いていただいたこと、生涯の誉れをいただいた思いです。本日はありがとうございました」
わたしは最後まで〈商談〉の体裁を崩さず、貴賓室を出た。
アマリアが、ヘコんでいた。
「……ん? どうしたの、アマリア?」
「こまかなことまで事前に話し合ってて、カロリーナお姉様も皇太子殿下もすごいなぁって……」
「そ、そう……?」
「……私、勢いだけで結婚しちゃったところありますし……。『好きだ!』『私もです!』『結婚しよう!』『はい、喜んで!』……みたいな」
「い、いや……、それはそれで、乙女の夢じゃない? 情熱的な恋っていうか……」
「アマリアさん。恋も結婚もいろいろあっていいのです」
と、結婚願望皆無のリアが、胸を張った。
「……そうでしょうか?」
「ええ。恋愛に熱が必要なタイプと、そうでないタイプ。むしろ熱が邪魔してしまい、いちばん好きな人とは交際できずに、2番目に好きな人としか結ばれないタイプもいます」
「へ、へぇ~」
「相手から好きになられるのが苦手で、自分から好きにならないとお付き合いできないタイプ。自分から好きになった人はまぶし過ぎて近寄れず、相手から好きになってくれた人としかお付き合いできないタイプ。ほんとうに、いろいろです」
「な、なるほどぉ……」
「ですが、結婚にいたるために大切なことは常にひとつ」
「……そ、それは?」
「これが自分の最後の恋だと決めることです」
「お、おおぉ~~~」
と、わたしとアマリアが感嘆の声をあげた。
「自分の恋愛にも結婚にも興味がなく、他人の恋愛や結婚ばかり堪能してきた私が言うのですから間違いありません」
説得力があるのかないのか、微妙なラインで胸を張っているリアだけど、アマリアの心には響いたようだ。
「……リ、リアお姉様ってお呼びしてもいいですか?」
「いえ。カロリーナ様と同列とは参りません」
「けど……」
「では、リア姉ちゃんくらいなら……」
「リ、リア姉ちゃん!!」
「はい、アマリア」
不思議な姉妹が誕生していた。
ま……、アマリアのすぐにお姉様と呼びたがる〈趣味〉を通じて、リアと義姉妹になれたような気もするし、深くツッこむのはやめておこう……。
Ψ
翌日、甲板で会ったビットは、いつもの軽薄なビットに戻っていた。
「どうだった~? 僕のプレゼン~?」
「それ、わたしに聞くの?」
「どう? 惚れ直した?」
「惚れ直した、惚れ直した。あ~、惚れ直しちゃったなぁ~」
「ふふっ。なら、よかったよ~」
潮風に赤い髪をたなびかせながら、ビットはその端正な顔立ちに、満足気な微笑みを浮かべた。
それから木箱にならんで座って、一緒に水平線を見詰めた。
「……ビットってさ」
「なに~?」
「……なんで、いつもはそんな風に、軽いフリをしてるの?」
「ん~~~っ?」
「……言いたくないなら、別にいいんだけど」
わたしの問いに、微笑んだままのビットは、視線を甲板にさげて鼻のあたまをかいた。
「弟がいてね……」
「……うん」
「お母さんがおなじの、実の弟」
「……うん」
「僕……、暗殺されかかったんだよね~、弟から」
ビットはいつもと同じ軽薄な笑みを浮かべたまま、だけど口調は淡々と、
弟に対する想いを、わたしに語りはじめてくれた――。
689
お気に入りに追加
2,328
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
寵妃にすべてを奪われ下賜された先は毒薔薇の貴公子でしたが、何故か愛されてしまいました!
ユウ
恋愛
エリーゼは、王妃になる予定だった。
故郷を失い後ろ盾を失くし代わりに王妃として選ばれたのは後から妃候補となった侯爵令嬢だった。
聖女の資格を持ち国に貢献した暁に正妃となりエリーゼは側妃となったが夜の渡りもなく周りから冷遇される日々を送っていた。
日陰の日々を送る中、婚約者であり唯一の理解者にも忘れされる中。
長らく魔物の侵略を受けていた東の大陸を取り戻したことでとある騎士に妃を下賜することとなったのだが、選ばれたのはエリーゼだった。
下賜される相手は冷たく人をよせつけず、猛毒を持つ薔薇の貴公子と呼ばれる男だった。
用済みになったエリーゼは殺されるのかと思ったが…
「私は貴女以外に妻を持つ気はない」
愛されることはないと思っていたのに何故か甘い言葉に甘い笑顔を向けられてしまう。
その頃、すべてを手に入れた側妃から正妃となった聖女に不幸が訪れるのだった。
私は何も知らなかった
まるまる⭐️
恋愛
「ディアーナ、お前との婚約を解消する。恨むんならお前の存在を最後まで認めなかったお前の祖父シナールを恨むんだな」 母を失ったばかりの私は、突然王太子殿下から婚約の解消を告げられた。
失意の中屋敷に戻ると其処には、見知らぬ女性と父によく似た男の子…。「今日からお前の母親となるバーバラと弟のエクメットだ」父は女性の肩を抱きながら、嬉しそうに2人を紹介した。え?まだお母様が亡くなったばかりなのに?お父様とお母様は深く愛し合っていたんじゃ無かったの?だからこそお母様は家族も地位も全てを捨ててお父様と駆け落ちまでしたのに…。
弟の存在から、父が母の存命中から不貞を働いていたのは明らかだ。
生まれて初めて父に反抗し、屋敷を追い出された私は街を彷徨い、そこで見知らぬ男達に攫われる。部屋に閉じ込められ絶望した私の前に現れたのは、私に婚約解消を告げたはずの王太子殿下だった…。
秋の風 冬の色
小谷野 天
恋愛
NICUで働いている秋元早和は、小学生の頃に左耳の聴力と、左の腎臓の機能を失った。
ある日、高校時代の同級生だった涼子の赤ちゃんが、NICUにやってきた。
涼子は子宮頸がんの手術を受けるために、妊娠8ヵ月になるのを待って、子供を出産し、出産後数日で亡くなってしまう。
結婚や出産に、希望が見えなくなっている早和は、NICUにいる事が、だんだんと辛くなってくる。
亡くなった涼子は、早和の前に時々現れ、何もかも失ったのは、早和のせいだと責め続ける。
早和の体をくれないのなら、大切な人を奪っていくと、涼子は言った。
新米医師の澤口奏は、相手と距離を置こうとする早和に、少しずつ近づいて、心を開こうとしていた。
少しずつ打ち解けていった2人の前に、涼子が現れる。
NICUを辞め、養護学校へ就職した早和は、そこで出会う子供達と、想像もつかない毎日を送っていた。世間の常識にとらわれず、自分らしく生きる事を教えてる教師達に囲まれながら、自分の気持ちに向き合える様になってきた。
奏と離れてから2ヵ月。生徒の付き添いで病院を訪れた時、小児科医として外来にいた奏と再会する。
奏に対して素直になれない早和は、同僚の凌に、奏が会いに来ると言ったの夕方、一緒にいてほしいと頼む。
玄関で凌を待つ早和を見つけた奏は、体調が悪そうな早和を病院へ行くように説得した。
大学の前にあるイチョウ並木に吹く風が、またひとつの出会いを運んでくる。
白い初夜
NIWA
恋愛
ある日、子爵令嬢のアリシアは婚約者であるファレン・セレ・キルシュタイン伯爵令息から『白い結婚』を告げられてしまう。
しかし話を聞いてみればどうやら話が込み入っているようで──
完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。
音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。
だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。
そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。
そこには匿われていた美少年が棲んでいて……
【完結】私の婚約者は、親友の婚約者に恋してる。
山葵
恋愛
私の婚約者のグリード様には好きな人がいる。
その方は、グリード様の親友、ギルス様の婚約者のナリーシャ様。
2人を見詰め辛そうな顔をするグリード様を私は見ていた。
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる