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31.あくまでも商談
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カーニャ号がロッサマーレを出港して2日は、ひどい船酔いになったアマリアを介抱して過ごした。
「す、すみません……、お姉様……」
「いいのよ、気にしないで。わたしも初航海のときは、ダウンしちゃったのよ?」
「む、無念です……」
いつも可愛らしいピンク髪ふわふわアマリアがみせるボロボロの表情に、意地悪な意味ではなく、
――ヒロインも、船酔いには勝てないのね。
と、すこしホッとしてしまう自分もいた。
そして、結婚したばかりの愛しい夫に、いまのひどい顔を見せたくないというアマリアの乙女心も分かる。
船酔いは病気ではない。心細さは一切なく、むしろひとりにしてほしいものだ。
コンラートには部屋に近寄らないように言って、わたしとリアで介抱した。
「ふふっ。私たちの初航海を思い出してしまいますわね」
「そうね。わたしもリアも、ひどい船酔いだったわ」
「ルチア船長に介抱していただいて」
「そうそう」
ようやく眠ったアマリアの寝顔を見ながら、リアとヒソヒソ話す。
ロッサマーレの領有権問題にはじまり、王国東方への旅、総督就任、任命式、晩餐会、侯爵叙爵、総督就任式と、慌ただしい日々が続いて、
こうしてリアとふたりで、ゆっくり無駄話できるのも久しぶりかも知れない。
ふだんは顔を合わせると、ソニア商会の運営やあたらしい商談の話など、仕事の話ばかりだし。
そして、カーニャ号の船室でリアと語り合う思い出話は、自然と想いを、ビットに出会ったばかりの頃に向かわせる。
――プレゼン会場選びは、満点ね。
クスッとわたしが笑うと、リアも微笑んでくれた。
だけど、いつの間にかスッと部屋から出ていってしまう。
――リアはスパイね。
きっとリアは、ビットのところに行っているのだ。
そして、ふたりでわたしの攻略方法を練っている。
「わたしって……、攻略対象なのね」
ふと、気がついて、なんだか妙に楽しい気分になってしまった。
おもわず口ずさんでしまったのは、乙女ゲームのテーマ曲のメロディだった。
――意外と覚えてるものね。
悪役令嬢がヒロインを介抱している、世界観台無しの場面もなんだかおかしくて、
せっかくなのでアマリアの隣で横になって、ますます台無しにするのを楽しんでいるうちに、
わたしも眠りに落ちてしまった。
ならんでスヤスヤ眠る、攻略待ちの悪役令嬢と新婚のヒロイン。
わたしも、見たかったなぁ――。
Ψ
航海に出て4日目。
ついに、わたしはビットから貴賓室に呼び出された。
「……わ、私もですか?」
という、リアの袖を引っ張り、
「……わ、私もですか?」
という、アマリアの袖も引っ張る。
「ふ、ふたりきりなんて……、やっぱり無理だし……」
「クスッ。お姉様って可愛らしいんですのね」
「ええ、そうなのよ。わたし可愛らしいのよ。だからお願い」
「分かりました。……でも、おふたりの邪魔はしませんよ?」
そりゃ、そうだろう。
と、ツッこむ余裕もない。
そして、3人で貴賓室に入ったけど、ビットに動揺の色は見られず、穏やかに微笑んで席に座るように勧めてくれた。
「あ、ありがと……」
「それでは、資料を配布いたします」
と、人数分の資料が用意されていた。
――よ、読まれてる。わたしの行動が……。
妙に心が落ち着いた。
ビットはわたしの言葉を真剣に受け止めて、真剣に〈プレゼン〉しようとしてくれている。
――これは商談だ。
スッと背筋が伸びた。
「本日、僕がカロリーナ様にご提案させていただきたいのは……」
と、ビットのプレゼン……、商談が始まった。
「ミカン畑を中心とした皇后生活です」
ほほう。
「なかなか惹かれるテーマ設定ね」
「恐れ入ります」
恭しく頭をさげてみせるビット。
ふだんの軽薄さとも、ときおり見せてくれる凛々しさとも違う表情だ。
「まずは最終的に行き着く、皇后としての生活をより具体的にイメージしていただきたく、こちらのプレゼンから始めさせていただきます」
「ええ、どうぞ」
「ミカンの花が咲く初夏から、ミカンを収穫する秋までの間、皇后カロリーナ陛下には、ロッサマーレで暮らしていただくことができます」
「……質問がはやいかもしれないけど」
「どうぞ、お気遣いなく」
「それって、大丈夫なの? 帝国的に」
「はい。僕の高祖母である皇后ヴィオラ陛下は、帝国の東に国境を接するルツェルン王国の女王でもありました」
「ええ……」
「ヴィオラ皇后は、年の半分をルツェルン王国の王都で、のこり半分を帝都で過ごしたという先例があるのです」
「へぇ~」
「ちなみに夫である皇帝ロレンツォ陛下も、ヴィオラ皇后とともに、生涯に渡って、帝都と王都を行き来しながら帝国を統治いたしました」
「……それは、すごいわね」
「それだけ、ラヴェンナーノ帝国にとって、帝国東方の安定は重要なのです」
「なるほど……」
「そのルツェルン王国も、30年前にヴィンケンブルク王国に攻め滅ぼされてしまいましたが……」
「ええ……」
「話を先に進めます」
「ええ、どうぞ」
「ミカンを収穫したら、シエナロッソに出荷する船に乗り、さらに航海を西に進めていくつかの港に立ち寄りながら、帝都に向かいます」
「ふむ……」
「そして、新年の祝賀を帝都で受け、ミカンの花が咲くまでにロッサマーレに戻る……。というのが、僕の提案する〈皇后生活〉の基本プランです」
なるほど……。悪くない。
「もちろん、ロッサマーレ滞在中にシエナロッソに遊びに来たり、フェルスタイン王国の王都に行ったり、そのあたりは自由にしてもらって問題ありません」
「……ええ」
プレゼンは質疑応答に移り、こまかなところまで聞いても、ビットは淀みなく答えてくれた。
「……ビットは、帝国東方の安定のために、わたしに目を付けたのね?」
「その問いに対しては、半分は正解です」
「半分?」
「最初にシエナロッソで見かけたとき、僕はカロリーナ様のことを、ヴィンケンブルク王国から来た貴族令嬢だと誤解していました」
「……ああ」
「フェルスタイン王国とヴィンケンブルク王国の祖先はおなじです。着ている服のガラが、よく似ていたのです」
「ええ、そうね」
「……ですが、僕が声をかけ、ふり向かれた瞬間に……、恋に落ちました」
「カ、カロリーナ様……、カロリーナ様?」
と、リアがわたしの名前を呼んだ。
「え?」
「……お気持ちは分かりますが、すこし痛いです」
わたしは恋という単語に反応して、無意識でリアの肩をバシバシ叩いていたらしい。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ……」
苦笑いするリアに、かるく頭をさげてから、キュッと表情を引き締め、ビットを見詰めた。
「最初はカロリーナ様のことを、ヴィンケンブルク王国から来た間諜……、スパイではないかと疑っていた僕ですが……」
「ええ……」
「逆に仲良くなれば、両国の和平につながるのではないかと考え、接触を重ねるうちに、お人柄にも惹かれていきました……」
「そ、そうなんだぁ~」
接触を重ねる――、わたしが造船ギルドの親方のところに通っていた頃のことだろう。
造船ギルドから出ると必ず、
「わあ! カーニャ! 奇遇だねぇ~」
と、ビットが現われ、一緒にお茶をしてはくだらない話をして帰っていった。
――なにしに来てるんでしょう? グイグイ口説いてくる割に、それ以上どこかに誘うわけでもなし……。
と、リアが呆れていたものだ。
「なので、カロリーナ様がフェルスタイン王国から来られていることが分かったとき……」
「ええ……」
「僕はとても喜んでいました。……国交はありませんが、すくなくとも敵対国の令嬢ではなかったからです」
なるほど。
と、ビットに聞くまでもなく、ひとつ腑に落ちたことがある。
帆船カーニャ号の支払いを初航海の後にしてくれたのは、最後までビットが所有権を握っておくためだったのだ。
困っていたわたしに手をさし伸べてくれたのは事実だし、フェルスタインへの新航路開拓に惹かれたのもほんとうだろう。
それでも万が一、わたしが船をヴンケンブルクに向かわせようとしたら、引き返させられる〈保険〉をかけていたのだ。
絶妙に喰えないし、なによりそこが頼もしい。恋に溺れてしまうような人では、わたしの気持ちが別の意味で冷める。
――わたしも、保険をかけておくのは大好きだしね。
ビットはわたしの要望どおり、あくまでも〈商談〉の体裁を崩さないように話しかけてくれる。
それが逆に、ビットの心を、わたしの心の奥深くまで届けてくれた。
「……皇太子妃の期間はどうなるのかしら?」
「それは、資料の12ページ目をご覧ください」
恋や愛や心情ではなく、
もしも、本当にビットと結婚したら、どんな生活が待っているのか、ふたりの間にどんな時間がながれ、どんな気持ちを通わせられるのか、
わたしの気持ちがどうなるのか、
とても具体的にイメージすることができた。
「ご質問がなければ、僕からのプレゼン〈ミカン畑を中心にした皇后生活〉は、以上になります」
「分かりました。とても素晴らしいプレゼンを聞くことができ、有意義な時間を過ごすことができました」
「ありがとうございます」
「持ち帰って検討し、あらためてご返答させていただきます」
「はい。カロリーナ様からプレゼンの機会を与えていただき、光栄に存じます」
「いえ、こちらこそ、皇太子殿下がわたしのために、ここまで心を砕いていただいたこと、生涯の誉れをいただいた思いです。本日はありがとうございました」
わたしは最後まで〈商談〉の体裁を崩さず、貴賓室を出た。
アマリアが、ヘコんでいた。
「……ん? どうしたの、アマリア?」
「こまかなことまで事前に話し合ってて、カロリーナお姉様も皇太子殿下もすごいなぁって……」
「そ、そう……?」
「……私、勢いだけで結婚しちゃったところありますし……。『好きだ!』『私もです!』『結婚しよう!』『はい、喜んで!』……みたいな」
「い、いや……、それはそれで、乙女の夢じゃない? 情熱的な恋っていうか……」
「アマリアさん。恋も結婚もいろいろあっていいのです」
と、結婚願望皆無のリアが、胸を張った。
「……そうでしょうか?」
「ええ。恋愛に熱が必要なタイプと、そうでないタイプ。むしろ熱が邪魔してしまい、いちばん好きな人とは交際できずに、2番目に好きな人としか結ばれないタイプもいます」
「へ、へぇ~」
「相手から好きになられるのが苦手で、自分から好きにならないとお付き合いできないタイプ。自分から好きになった人はまぶし過ぎて近寄れず、相手から好きになってくれた人としかお付き合いできないタイプ。ほんとうに、いろいろです」
「な、なるほどぉ……」
「ですが、結婚にいたるために大切なことは常にひとつ」
「……そ、それは?」
「これが自分の最後の恋だと決めることです」
「お、おおぉ~~~」
と、わたしとアマリアが感嘆の声をあげた。
「自分の恋愛にも結婚にも興味がなく、他人の恋愛や結婚ばかり堪能してきた私が言うのですから間違いありません」
説得力があるのかないのか、微妙なラインで胸を張っているリアだけど、アマリアの心には響いたようだ。
「……リ、リアお姉様ってお呼びしてもいいですか?」
「いえ。カロリーナ様と同列とは参りません」
「けど……」
「では、リア姉ちゃんくらいなら……」
「リ、リア姉ちゃん!!」
「はい、アマリア」
不思議な姉妹が誕生していた。
ま……、アマリアのすぐにお姉様と呼びたがる〈趣味〉を通じて、リアと義姉妹になれたような気もするし、深くツッこむのはやめておこう……。
Ψ
翌日、甲板で会ったビットは、いつもの軽薄なビットに戻っていた。
「どうだった~? 僕のプレゼン~?」
「それ、わたしに聞くの?」
「どう? 惚れ直した?」
「惚れ直した、惚れ直した。あ~、惚れ直しちゃったなぁ~」
「ふふっ。なら、よかったよ~」
潮風に赤い髪をたなびかせながら、ビットはその端正な顔立ちに、満足気な微笑みを浮かべた。
それから木箱にならんで座って、一緒に水平線を見詰めた。
「……ビットってさ」
「なに~?」
「……なんで、いつもはそんな風に、軽いフリをしてるの?」
「ん~~~っ?」
「……言いたくないなら、別にいいんだけど」
わたしの問いに、微笑んだままのビットは、視線を甲板にさげて鼻のあたまをかいた。
「弟がいてね……」
「……うん」
「お母さんがおなじの、実の弟」
「……うん」
「僕……、暗殺されかかったんだよね~、弟から」
ビットはいつもと同じ軽薄な笑みを浮かべたまま、だけど口調は淡々と、
弟に対する想いを、わたしに語りはじめてくれた――。
「す、すみません……、お姉様……」
「いいのよ、気にしないで。わたしも初航海のときは、ダウンしちゃったのよ?」
「む、無念です……」
いつも可愛らしいピンク髪ふわふわアマリアがみせるボロボロの表情に、意地悪な意味ではなく、
――ヒロインも、船酔いには勝てないのね。
と、すこしホッとしてしまう自分もいた。
そして、結婚したばかりの愛しい夫に、いまのひどい顔を見せたくないというアマリアの乙女心も分かる。
船酔いは病気ではない。心細さは一切なく、むしろひとりにしてほしいものだ。
コンラートには部屋に近寄らないように言って、わたしとリアで介抱した。
「ふふっ。私たちの初航海を思い出してしまいますわね」
「そうね。わたしもリアも、ひどい船酔いだったわ」
「ルチア船長に介抱していただいて」
「そうそう」
ようやく眠ったアマリアの寝顔を見ながら、リアとヒソヒソ話す。
ロッサマーレの領有権問題にはじまり、王国東方への旅、総督就任、任命式、晩餐会、侯爵叙爵、総督就任式と、慌ただしい日々が続いて、
こうしてリアとふたりで、ゆっくり無駄話できるのも久しぶりかも知れない。
ふだんは顔を合わせると、ソニア商会の運営やあたらしい商談の話など、仕事の話ばかりだし。
そして、カーニャ号の船室でリアと語り合う思い出話は、自然と想いを、ビットに出会ったばかりの頃に向かわせる。
――プレゼン会場選びは、満点ね。
クスッとわたしが笑うと、リアも微笑んでくれた。
だけど、いつの間にかスッと部屋から出ていってしまう。
――リアはスパイね。
きっとリアは、ビットのところに行っているのだ。
そして、ふたりでわたしの攻略方法を練っている。
「わたしって……、攻略対象なのね」
ふと、気がついて、なんだか妙に楽しい気分になってしまった。
おもわず口ずさんでしまったのは、乙女ゲームのテーマ曲のメロディだった。
――意外と覚えてるものね。
悪役令嬢がヒロインを介抱している、世界観台無しの場面もなんだかおかしくて、
せっかくなのでアマリアの隣で横になって、ますます台無しにするのを楽しんでいるうちに、
わたしも眠りに落ちてしまった。
ならんでスヤスヤ眠る、攻略待ちの悪役令嬢と新婚のヒロイン。
わたしも、見たかったなぁ――。
Ψ
航海に出て4日目。
ついに、わたしはビットから貴賓室に呼び出された。
「……わ、私もですか?」
という、リアの袖を引っ張り、
「……わ、私もですか?」
という、アマリアの袖も引っ張る。
「ふ、ふたりきりなんて……、やっぱり無理だし……」
「クスッ。お姉様って可愛らしいんですのね」
「ええ、そうなのよ。わたし可愛らしいのよ。だからお願い」
「分かりました。……でも、おふたりの邪魔はしませんよ?」
そりゃ、そうだろう。
と、ツッこむ余裕もない。
そして、3人で貴賓室に入ったけど、ビットに動揺の色は見られず、穏やかに微笑んで席に座るように勧めてくれた。
「あ、ありがと……」
「それでは、資料を配布いたします」
と、人数分の資料が用意されていた。
――よ、読まれてる。わたしの行動が……。
妙に心が落ち着いた。
ビットはわたしの言葉を真剣に受け止めて、真剣に〈プレゼン〉しようとしてくれている。
――これは商談だ。
スッと背筋が伸びた。
「本日、僕がカロリーナ様にご提案させていただきたいのは……」
と、ビットのプレゼン……、商談が始まった。
「ミカン畑を中心とした皇后生活です」
ほほう。
「なかなか惹かれるテーマ設定ね」
「恐れ入ります」
恭しく頭をさげてみせるビット。
ふだんの軽薄さとも、ときおり見せてくれる凛々しさとも違う表情だ。
「まずは最終的に行き着く、皇后としての生活をより具体的にイメージしていただきたく、こちらのプレゼンから始めさせていただきます」
「ええ、どうぞ」
「ミカンの花が咲く初夏から、ミカンを収穫する秋までの間、皇后カロリーナ陛下には、ロッサマーレで暮らしていただくことができます」
「……質問がはやいかもしれないけど」
「どうぞ、お気遣いなく」
「それって、大丈夫なの? 帝国的に」
「はい。僕の高祖母である皇后ヴィオラ陛下は、帝国の東に国境を接するルツェルン王国の女王でもありました」
「ええ……」
「ヴィオラ皇后は、年の半分をルツェルン王国の王都で、のこり半分を帝都で過ごしたという先例があるのです」
「へぇ~」
「ちなみに夫である皇帝ロレンツォ陛下も、ヴィオラ皇后とともに、生涯に渡って、帝都と王都を行き来しながら帝国を統治いたしました」
「……それは、すごいわね」
「それだけ、ラヴェンナーノ帝国にとって、帝国東方の安定は重要なのです」
「なるほど……」
「そのルツェルン王国も、30年前にヴィンケンブルク王国に攻め滅ぼされてしまいましたが……」
「ええ……」
「話を先に進めます」
「ええ、どうぞ」
「ミカンを収穫したら、シエナロッソに出荷する船に乗り、さらに航海を西に進めていくつかの港に立ち寄りながら、帝都に向かいます」
「ふむ……」
「そして、新年の祝賀を帝都で受け、ミカンの花が咲くまでにロッサマーレに戻る……。というのが、僕の提案する〈皇后生活〉の基本プランです」
なるほど……。悪くない。
「もちろん、ロッサマーレ滞在中にシエナロッソに遊びに来たり、フェルスタイン王国の王都に行ったり、そのあたりは自由にしてもらって問題ありません」
「……ええ」
プレゼンは質疑応答に移り、こまかなところまで聞いても、ビットは淀みなく答えてくれた。
「……ビットは、帝国東方の安定のために、わたしに目を付けたのね?」
「その問いに対しては、半分は正解です」
「半分?」
「最初にシエナロッソで見かけたとき、僕はカロリーナ様のことを、ヴィンケンブルク王国から来た貴族令嬢だと誤解していました」
「……ああ」
「フェルスタイン王国とヴィンケンブルク王国の祖先はおなじです。着ている服のガラが、よく似ていたのです」
「ええ、そうね」
「……ですが、僕が声をかけ、ふり向かれた瞬間に……、恋に落ちました」
「カ、カロリーナ様……、カロリーナ様?」
と、リアがわたしの名前を呼んだ。
「え?」
「……お気持ちは分かりますが、すこし痛いです」
わたしは恋という単語に反応して、無意識でリアの肩をバシバシ叩いていたらしい。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ……」
苦笑いするリアに、かるく頭をさげてから、キュッと表情を引き締め、ビットを見詰めた。
「最初はカロリーナ様のことを、ヴィンケンブルク王国から来た間諜……、スパイではないかと疑っていた僕ですが……」
「ええ……」
「逆に仲良くなれば、両国の和平につながるのではないかと考え、接触を重ねるうちに、お人柄にも惹かれていきました……」
「そ、そうなんだぁ~」
接触を重ねる――、わたしが造船ギルドの親方のところに通っていた頃のことだろう。
造船ギルドから出ると必ず、
「わあ! カーニャ! 奇遇だねぇ~」
と、ビットが現われ、一緒にお茶をしてはくだらない話をして帰っていった。
――なにしに来てるんでしょう? グイグイ口説いてくる割に、それ以上どこかに誘うわけでもなし……。
と、リアが呆れていたものだ。
「なので、カロリーナ様がフェルスタイン王国から来られていることが分かったとき……」
「ええ……」
「僕はとても喜んでいました。……国交はありませんが、すくなくとも敵対国の令嬢ではなかったからです」
なるほど。
と、ビットに聞くまでもなく、ひとつ腑に落ちたことがある。
帆船カーニャ号の支払いを初航海の後にしてくれたのは、最後までビットが所有権を握っておくためだったのだ。
困っていたわたしに手をさし伸べてくれたのは事実だし、フェルスタインへの新航路開拓に惹かれたのもほんとうだろう。
それでも万が一、わたしが船をヴンケンブルクに向かわせようとしたら、引き返させられる〈保険〉をかけていたのだ。
絶妙に喰えないし、なによりそこが頼もしい。恋に溺れてしまうような人では、わたしの気持ちが別の意味で冷める。
――わたしも、保険をかけておくのは大好きだしね。
ビットはわたしの要望どおり、あくまでも〈商談〉の体裁を崩さないように話しかけてくれる。
それが逆に、ビットの心を、わたしの心の奥深くまで届けてくれた。
「……皇太子妃の期間はどうなるのかしら?」
「それは、資料の12ページ目をご覧ください」
恋や愛や心情ではなく、
もしも、本当にビットと結婚したら、どんな生活が待っているのか、ふたりの間にどんな時間がながれ、どんな気持ちを通わせられるのか、
わたしの気持ちがどうなるのか、
とても具体的にイメージすることができた。
「ご質問がなければ、僕からのプレゼン〈ミカン畑を中心にした皇后生活〉は、以上になります」
「分かりました。とても素晴らしいプレゼンを聞くことができ、有意義な時間を過ごすことができました」
「ありがとうございます」
「持ち帰って検討し、あらためてご返答させていただきます」
「はい。カロリーナ様からプレゼンの機会を与えていただき、光栄に存じます」
「いえ、こちらこそ、皇太子殿下がわたしのために、ここまで心を砕いていただいたこと、生涯の誉れをいただいた思いです。本日はありがとうございました」
わたしは最後まで〈商談〉の体裁を崩さず、貴賓室を出た。
アマリアが、ヘコんでいた。
「……ん? どうしたの、アマリア?」
「こまかなことまで事前に話し合ってて、カロリーナお姉様も皇太子殿下もすごいなぁって……」
「そ、そう……?」
「……私、勢いだけで結婚しちゃったところありますし……。『好きだ!』『私もです!』『結婚しよう!』『はい、喜んで!』……みたいな」
「い、いや……、それはそれで、乙女の夢じゃない? 情熱的な恋っていうか……」
「アマリアさん。恋も結婚もいろいろあっていいのです」
と、結婚願望皆無のリアが、胸を張った。
「……そうでしょうか?」
「ええ。恋愛に熱が必要なタイプと、そうでないタイプ。むしろ熱が邪魔してしまい、いちばん好きな人とは交際できずに、2番目に好きな人としか結ばれないタイプもいます」
「へ、へぇ~」
「相手から好きになられるのが苦手で、自分から好きにならないとお付き合いできないタイプ。自分から好きになった人はまぶし過ぎて近寄れず、相手から好きになってくれた人としかお付き合いできないタイプ。ほんとうに、いろいろです」
「な、なるほどぉ……」
「ですが、結婚にいたるために大切なことは常にひとつ」
「……そ、それは?」
「これが自分の最後の恋だと決めることです」
「お、おおぉ~~~」
と、わたしとアマリアが感嘆の声をあげた。
「自分の恋愛にも結婚にも興味がなく、他人の恋愛や結婚ばかり堪能してきた私が言うのですから間違いありません」
説得力があるのかないのか、微妙なラインで胸を張っているリアだけど、アマリアの心には響いたようだ。
「……リ、リアお姉様ってお呼びしてもいいですか?」
「いえ。カロリーナ様と同列とは参りません」
「けど……」
「では、リア姉ちゃんくらいなら……」
「リ、リア姉ちゃん!!」
「はい、アマリア」
不思議な姉妹が誕生していた。
ま……、アマリアのすぐにお姉様と呼びたがる〈趣味〉を通じて、リアと義姉妹になれたような気もするし、深くツッこむのはやめておこう……。
Ψ
翌日、甲板で会ったビットは、いつもの軽薄なビットに戻っていた。
「どうだった~? 僕のプレゼン~?」
「それ、わたしに聞くの?」
「どう? 惚れ直した?」
「惚れ直した、惚れ直した。あ~、惚れ直しちゃったなぁ~」
「ふふっ。なら、よかったよ~」
潮風に赤い髪をたなびかせながら、ビットはその端正な顔立ちに、満足気な微笑みを浮かべた。
それから木箱にならんで座って、一緒に水平線を見詰めた。
「……ビットってさ」
「なに~?」
「……なんで、いつもはそんな風に、軽いフリをしてるの?」
「ん~~~っ?」
「……言いたくないなら、別にいいんだけど」
わたしの問いに、微笑んだままのビットは、視線を甲板にさげて鼻のあたまをかいた。
「弟がいてね……」
「……うん」
「お母さんがおなじの、実の弟」
「……うん」
「僕……、暗殺されかかったんだよね~、弟から」
ビットはいつもと同じ軽薄な笑みを浮かべたまま、だけど口調は淡々と、
弟に対する想いを、わたしに語りはじめてくれた――。
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