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4.悪い笑いを浮かべた

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造船ギルドの建物を出るや、侍女のリアが憤慨している。


「なんですか? あの態度は? こちらは船を買ってやるって言っていますのに」

「声が大きいわよ、リア」

「けれど……」

「わたし、まだ諦めたわけじゃないんだから。聞こえたら、ますます売ってもらえなくなるでしょ?」


と、リアを促して赤いレンガ造りの建物を離れる。

ふとい柱は見たことのない意匠の紋様で飾られていて、モダンな印象だ。

おおきな建物なのに威圧的ではなくて、あかるく開放的な雰囲気がする。

キザな貴族が「トレヴィア~ン」とか言って薔薇を片手に、ウェルカムな感じで出てきそう。

受付のお姉さんもサバサバしてて「はい、はい~」って感じで通してくれた。

それだけに、出て来た親方が寡黙で頑固な筋肉の塊のような身体をした職人さんだったことに面食らった。

丸太のようにふとい腕に、外に向かってピンッとはねたツヤツヤの黒ひげ。眉毛も黒々と太い。

海賊の親分といわれても違和感がない迫力だった。

人気のしない岸壁まで歩いても、リアはまだ憤慨している。


「まったく、あの者は商いをなんだと思っているのでしょう!?」

「……そうねぇ」

「いくらこちらが身分を明かしていないとはいえ、ひと目見れば高貴なお方だと分かっているでしょうに。シュタール公爵家のご令嬢に対して、あのような振る舞い……」

「商いとは違う理屈で生きているのかもね」

「……違う理屈?」

「職人さんには、そういう人もいるのよ」


リアの反応も無理はない。

母国フェルスタイン王国で、貴族が職人と直接交渉するような機会はマレだ。

転生前だけど両親について歩き、工芸品づくりの職人さんに接した経験のあるわたしの方が、

この世界の貴族としては特殊なのだ。

あのムスッとこだわりを語り続けるややこしいお爺ちゃんたち、面白かったな。

すこし離れたところに並ぶ、おおきな帆船を見ながら横髪をかきあげた。


「偉そうにするヤツは嫌われるって、さっき聞いたばかりじゃない?」

「あの軽薄な男爵が申しておったことですね」

「そうそう。だから、もうすこし身分を明かすのは控えておいて、親方に話を聞いてもらえるように通ってみましょう」

「……カロリーナ様」


と、リアが目を丸くした。


「なに?」

「いえ……」

「なによ? どうしたの?」

「すこし、意外でした……。あきらめられてしまうものだとばかり」

「そうねぇ」


わたしは苦笑いしながら、岸壁沿いに街に向かって歩き始める。

8つ年上のリアとは長い付き合いで、わたしが当たり障りなく生きてきたのをよく知っている。

さっき「諦めたわけじゃない」って言ったばかりのわたしの言葉も、全然耳に入ってなかったみたいだ。

学園生活で〈ちょっといい感じ〉になった第2王子や、ほかの男子生徒に対しても一歩踏み出せないわたしを、たくさん見られてきた。

それどころか女子生徒の輪にも積極的に加わることはしなかったし、ひとりでいるのが一番落ち着く。

もちろん社交の場に出れば、ほどほどにチヤホヤしてもらえて、それは楽しんでいたつもり。

だけど、ゾンダーガウ公爵令嬢のセリーナのように取り巻きをつくることもなかった。

あんな見た目の怖い親方に拒絶されて、まだ喰い付こうとしているのを、リアから意外に思われるのは当然のことだ。


「だって、ひと月半も馬車に揺られて、ようやくたどり着いたのよ?」

「……そうですね」

「ふふっ。わたしはまだ、すこしお尻が痛いわ」

「それは、わたしもです」


ふたりで苦笑いをして微笑みあう。

クールな物腰のリアだけど、笑うとえくぼが出来て可愛らしい。

護衛も宿においてふたり旅なのに、どうせなら笑顔で歩きたい。

目の前では、帆船に荷積みしてゆく屈強な男の人たちの列がつづいていた。

ワーワーと騒がしくて、活気に満ちた港。


「わたしたちには、めずらしい風景ね」

「……そうですね」

「もう一生見られないかもしれないんだから、もう少し楽しんでいかないとね」

「……申し訳ありません」

「えっ? なにが?」

「……先程は、カロリーナ様が旅先で浮かれているものだとばかり」

「ビット男爵のこと?」

「……はい。カロリーナ様が、このように腰の据わった覚悟を決めて臨まれていることに気が付かず、余計なことを申しました」

「う~ん、謝られると逆に恥ずかしいわね……」

「いえ! とても感銘を受けております」

「……か、感銘?」

「はい。人との関わりを避け、数々の男性からの誘いを袖にして『鉄壁姫』とも噂されてきたカロリーナ様が、お母様――ソニア様の遺されたミカン畑を守るために、これほどまでの覚悟を固めていられるとは」

「……て、鉄壁姫?」

「はい……」


キョトンと顔をみるわたしに、リアがハッと表情を変えた。


「……ご存知なかったのですか?」

「ええ……、初耳だわ」


噂って学園でだろうか? それとも王都全体で?

ともかく、人とあまり関わらなかったわたしに噂話が届くことはあまりない。

辺境のロッサマーレに移住することだけを夢見て、気配を消して生きてきたわたしが、そんな風に言われていたとは思いもしなかった。


「……カロリーナ様の美貌。お近付きになろうとされるご令息、ご令嬢はたくさんいらっしゃったのですよ?」

「そ、そうなんだ……」

「それを氷の微笑で、やわらかく距離をとられる」

「そんなつもりは……」

「いつしかついたあだ名が『鉄壁姫』……」


そんなどこかの素浪人を紹介するみたいな講釈調で言われても……。

そうか……。いまさらながら美人って大変なんだな。

自分では、ぼっちのつもりでいたけど、なにかしらは言われてしまうものなのね。

こちらはこちらで、頭の片隅にはいつもカロリーナの破滅エンドがあって、誰に対しても一歩踏み出せず、本音を話せる友だちもできない自分をもどかしく思っていたのに。

ままならないものだ。


「ふふっ。こんな遠くまできて、王都の噂を初めて知るなんて、なんだか不思議な感じ」

「……失礼しました」

「それじゃあ浮かれてるって思われても仕方ないわね」


ただ、この賑やかな港町シエナロッソに着いてから、開放的な気分になっているのは本当だ。

なんだろう? まだ、そんなに歩いた訳でもないのに「肌が合う」のだ。

過疎化がすすんでいた日本の故郷よりずっと繁栄していて、都会といってもいい賑わいなのにだ。

わたしをナンパしてきたあの男爵――ビットも、爵位の割に身なりが良かった。

母国フェルスタイン王国に、あんなに上等な服を着ている男爵はいない。

街全体の経済が潤っていることがうかがい知れる。

船を買えるかどうかは分からないけど、うすく緊張してすごした学園生活の卒業旅行としては最高だ。


「まだ時間はあるわ。ゆっくり街のことを知って、親方のことも知れば、ちゃんと話を聞いてもらえるかもしれないじゃない」


と、わたしが笑うと、リアの肩からも、ようやく力が抜けたみたいだった。


   Ψ


街の雰囲気をもっと知ろうと、市街地でいちばん賑わっていた食堂に入って、お茶にする。


「へぇ~、ラヴェンナーノでは草花自体を模様にするのね」


と、出されたティーカップをまじまじと眺めてしまう。

フェルスタインで食器に描かれるのは、花をモチーフにした幾何学模様が一般的だ。


「それに、曲線美って言うのかしら? フォルムにもフェルスタインとは違うこだわりを感じるわ」

「そうですわねぇ。持ち手に余計な装飾がないのも、持ちやすくて飲みやすいですわね」

「1ヶ月半旅しただけで、こんなにも変わるのね」


と、貴族令嬢っぽく異国情緒に感心しているけど、周囲は騒がしい。

酔っぱらって上機嫌な船員さんたちが、どのテーブルでも昼間から酒盛りをしてるのだ。

だけど、わたしたちにちょっかいを出してくることもなく、自分たちの時間を楽しんでいる。

その武骨な男性たちの、軽やかな振る舞いを見て確信した。

わたしは、この街が好きだ。

騒がしくて賑やかなのに、他人に余計な干渉をしてこない。

みんながわたしを知ってる田舎の安心感とも、だれもわたしを知らないけど常に値踏みされてる都会の喧騒とも違う――、


「珍しいガラの服だね」


と、愛想よく声をかけてくれる食堂のおかみさん。

おなじセリフでも、王都の人たちが口にするのとは響きが違う。


「フェルスタイン王国? へぇ~! 珍しいねぇ。フェルスタインといえばミカンが、わたしは好きだよ」

「そうですか!」

「カフィール王国産より味が上品でね。なんて言ったっけ……? ロ、ロッサ……」

「……ロッサマーレ?」

「そう! ロッサマーレ産のミカン。最近は値段が上がったけど、つい手が伸びてしまうんだよ」

「あら、そんなに?」

「今年も楽しみだねぇ」


カラカラ笑うおかみさん。

居心地のよい距離感。

武骨な船員さんたちで騒がしい店内なのに、自分にも居場所があるような妙な感覚がする。

顔を寄せたリアが、声をひそめた。


「もう少しリサーチしたいところですが、ロッサマーレのミカンには需要がありそうです」

「え、ええ……、そうね!」

「さすがはソニア様の遺されたミカン畑です」

「ほんとね……」


――おかみさんの話を、お母様に聞かせてあげたかった。


と、しんみりした気持ちになるわたし。

けど、リアはニマリと悪い笑いを浮かべた。


「やはり、ボロ儲けの匂いしかしません」

「そ、そうね……」

「どうでしょう? この街を治める総督府を通じて、造船ギルドと交渉してみては?」

「いや……、それをすると外交案件になるじゃない?」

「それは、そうですが。シュタール公爵家のご令嬢となれば、その程度の政治力を使われても問題にはならないかと」

「う~ん」


と、店内を見渡した。


「そこまで大げさにするつもりはないのよね」

「……そのあたりは、絶妙にカロリーナ様らしいですね」


ちいさくため息をついて苦笑いするリア。

わたしも苦笑いを返して、お茶を手に取った。


――偉そうにするヤツは嫌われる。


それは店内の様子からも納得できた。

下手に政治力を行使したら、あの親方はますますヘソを曲げてしまいかねない。

そうなれば、話は余計にこじれるし、それこそ外交問題になりかねない。

そしてなにより、わたしは目の前にいる名前も知らない街のひとたちの仲間に加えてほしくなっていた。

わたしが身分を明かしたところで、あのおかみさんの態度が変わるとも思えない。


「へぇ~! あんた、お姫様だったのかい!」


と、カラカラ笑う姿が容易に想像できる。

ロッサマーレのミカンが美味しいっていう話と、おなじテンションで笑ってくれそうだ。

ガチガチの身分社会で育ったリアが、この雰囲気を理解するには少し時間が要るかもしれない。

けど、わたしはもう少し、この港町シエナロッソの雰囲気を楽しみたくなっていた――。
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