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番外編

パトリシア秘録① ~リカルド・ネヴィスの懺悔

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ひと目惚れでした。

王立学院の入学式。来賓として招かれた私の視線は、ひとりのご令嬢に釘付けにされてしまったのです。

ふんわりとウェーブのかかったイエローオレンジの髪は、春の朝焼けのような温かな色合い。

くりくりと大きな紫色の瞳は、まるで宝石のように輝いています。

小柄な体躯に、愛くるしい笑顔が何ともいえない可愛らしさを醸し出していました。

つい先日、卒業したばかりの王立学院の、馴染のあるホールだというのに、彼女がいるだけでパッと華やいでいるようにさえ見えたのです。


「……殿下? ……リカルド殿下?」

「あ……、ああ……」

「祝辞を……」


学院長の呼び掛けに我に返って、演壇へと進みましたが、どこかうわの空でした。


   Ψ


すぐに人を使って調べさせました。


――カルドーゾ侯爵家……。あの、マダレナの妹か……。


ひとつ下のマダレナは女の身にありながら学業優秀で目立っていましたので、よく覚えています。


「パトリシア……」


私の心はすでに彼女に奪われていました。

なんとしても彼女を、我がものにするとさえ思っていたのです。


密かに王宮に呼び、交際を申し込みましたが、パトリシアは首を縦には振ってくれませんでした。


「……お許しくださいませ」

「どうして? きみにはまだ、婚約者などはいないと報告を受けているのに」

「……お許しくださいませ」


おなじ言葉を繰り返したパトリシアは、真珠のような涙をひと粒こぼしたのです。

兄である王太子を支えるべく、勉学にだけ打ち込んできた人生でした。

王家に生まれた務めとして社交の場に出ることはあっても、女性と交際したことはありません。

パトリシアの美しい涙に、ただ狼狽してしまいました。


侯爵家の次女であれば、王子妃に迎えるのになんの問題もありません。

正式な手順を踏んで、交際、そして婚約を申し込むこともできました。

ですが、もしなにか理由をつけて断られてしまえば、王家の体面上、それ以上に交渉することが出来なくなります。

なので私は直接、パトリシアの気持ちを尋ねたかったのです。

そして、私は間違いなく、


――第2王子から交際を申し込まれて、喜ばない令嬢はいない。


と、無邪気に信じ込んでいたのです。

たとえ父親であるカルドーゾ侯爵に別の意向があったとしても、パトリシアとふたりで説得する――、

とさえ、夢想していたのです。


ですが、パトリシアの実際の反応は、そのときの私には思いがけないものでした。


「……だ、第2王子からの申し出を断るとは……」


口が勝手にしゃべっていました。

自分にこんなところがあるかと、自分の醜さに吐き気がしそうでした。

けれど、それでも私は、どうしてもパトリシアがほしかったのです。


「……カルドーゾ侯爵家に、どういう結果を招くか、分かっているのか?」

「……お許しください」


こんなことなら、正式な手順を踏んで、正式に断られた方がマシでした。

3つも歳下の、まだ学院に入学したばかりの令嬢を相手に、さんざんに王家の権威をふりかざし、権力をチラつかせ、居丈高な物言いをつづけてしまいました。

けれど、パトリシアの返事は変わりません。

強引に次に会う約束をさせ、その日はパトリシアを帰しました。

自分で自分のことが嫌いでたまらなくなりましたが、

はじめて至近の距離で会話を交わしたパトリシアは、この世のものとは思えぬほどに可愛らしく、

私のパトリシアへの想いは、より強固になっていました――。


   Ψ


パトリシアと密かな逢瀬を重ねました。

身勝手に想いを寄せ、それを拒絶されたのに追いすがる――。

王家に生まれた者として、あるまじき振る舞いであることは自覚していました。

誰にも打ち明けることはできません。

パトリシアが私と会ってくれているのも、無碍に断ってカルドーゾ侯爵家に悪い影響がないようにしているだけであることは、

私にも分かっていました。

けれど、どうしてもパトリシアにふり向いてもらいたかった。

どうしても、自分を抑えられなかった。

それほどまでにパトリシアは可愛らしく、私の目には輝いて見えていました。


1年が過ぎました。


私のふる舞いがパトリシアの負担になっていることも、よく分かっていました。

ですが、そのときの私は、


――私の愛を受け入れてくれたら、その負担はなくなるというのに……。


と、ひとりよがりに考えていました。

そしてついに、パトリシアが大粒の真珠のような涙をこぼしたのです。


「……好きな人がいます」


予想はしていましたが、私には重たい言葉です。

睨むようにパトリシアの可愛らしい顔を見つめ、続く言葉を待っていました。


「……好きになっては、いけない人なのです。……でも、どうしても諦められないのです」


ほんとうに恥ずかしいことなのですが、このときの私は、


――ついにパトリシアの弱みを見付けた!


と、喜んでいたのです。

慎重に、慎重に、親身になって寄り添うフリをしました。


「……それは、つらいね」

「はい……」

「よかったら話を聞かせておくれ。誰にも言いはしないよ」

「いえ……、それは……」

「パトリシアは私のわがままに1年も付き合ってくれた。私に出来ることであれば、パトリシアの力になりたいんだ」


ポツリポツリと、パトリシアが語るほかの男への恋心。

あたまがおかしくなってしまいそうでしたが、私は微笑を絶やさず、うんうんと頷きながら話を聞いていました。


「姉は……、立派な人ですから……」


ついに、パトリシアの口から、相手が姉マダレナの婚約者であることを聞きだしました。


「ながい間、つらい想いを抱えて生きてきたんだね。パトリシアは」

「私が先に生まれていたら……」

「そうだね。私も次男だ。ふだんは考えないようにしているけれど、兄より先に生まれていたらって、思うこともあるよ」

「殿下……」

「……愛する人が誰かのものになる。それが、自分の姉だなんて、ほんとうにつらいね」

「……いえ。……私には侯爵家の継承権がありません。ジョアンの選択は……、至極まっとうなものだと思います」

「継承権を……、パトリシアにあげようか?」

「い、いや……、そんなこと」

「うん。いくら王家といっても、無理矢理取り上げることはできないよ」

「え、ええ……」

「でも、パトリシアの愛する男を、姉マダレナのものでなくすることはできる」

「……え?」


顔をあげ、まっすぐに私を見たパトリシアの紫色の瞳は、美しく輝いていました。


「パトリシアが、私と結婚すればいい。私がカルドーゾ侯爵家の継承を希望すれば、侯爵は断れないよ?」

「ですが……」

「継承権を喪失したマダレナに、それでも婿入りするような男がいるかな?」

「それは……」

「大丈夫。パトリシアのことは、私がちゃんと守ってあげるから」


顔色を真っ青にしたパトリシアは、しばらく逡巡していましたが、

やがて、ちいさく頷きました。


学院を卒業したマダレナの結婚は、1か月後に迫っています。

すぐに私は、父である国王陛下から、パトリシアと結婚する許可を得ました。

物言いをつけそうな祖母、エレオノラ王太后陛下がちょうど王都を離れていたのも幸いしました。

そして、パトリシアと一緒にカルドーゾ侯爵家を訪れたのです。


「もちろん、存じ上げております。学院では私のひとつ下でしたから。久しいな、マダレナ殿」


貴賓室に、青いドレス姿で入ってきたマダレナに微笑みかけます。

このときの私は、私の身勝手のためにマダレナを絶望のどん底に落とすことなど、気が付いてさえいません。

ついにパトリシアを我がものに出来る喜びを、ただ噛みしめていたのです。


「マダレナ姉様。結婚式の準備でお忙しいのに、お騒がせしてしまってごめんなさい」


パトリシアが、上目遣いにマダレナを見ました。

マダレナは妹の幸福を、心から喜んでいるようでした。


「そんなこと気にしないで。おめでたい話はいくら重なっても嬉しいものだわ」

「姉様なら、そう仰ってくださると思ってたわ! ね、殿下!? 私の言った通りでしたでしょう!?」


パトリシアの紫色の瞳には、喜びがあふれています。


――姉は、立派な人ですから。


マダレナのふる舞いは、パトリシアの言葉の通りでした。


「リカルド殿下。パトリシアをよろしくお願いいたしますね」


自分の継承権を一瞬で喪失してしまったというのに、なんの異議も言わず、

ただ妹の幸福を祝福してみせるマダレナは、ほんとうに立派な人でした。


カルドーゾ侯爵夫妻とマダレナの見送りは玄関ホールまでで、

屋敷の前に待たせてあった馬車には、パトリシアだけが見送りに来てくれました。


「パトリシア……、大事にするからね」

「んふっ……」


うつむいていたパトリシアが、心から楽しそうに笑い声を漏らしました。

私との結婚を喜んでくれているのかと早合点した私は、おもわずパトリシアを抱き締めようと手を伸ばしたのですが、

パシッと、その手は払いのけられました。


「うふふふふふふふふふ――……」

「……パ、パトリシア?」

「あ~、おかしい。マダレナ姉様の上に立つことが、こんなに気持ちいいものだなんて、私ちっとも知りませんでしたわ」


愉快そうに笑うパトリシア。まるで、この世のすべてを統べたような微笑み。

背筋に冷たいものが走りました。

私はとんでもないバケモノを目覚めさせたのだと、ようやく気が付いたのです。

それでも、私の心はパトリシアのものでした。


「……殿下?」


と、パトリシアは愛らしく上目遣いに私の顔をのぞきこみます。

その視線に私はもう、抗うことができませんでした。


「……な、なんだい?」

「パトリシアを、大事にしてくださいませね?」

「あ、ああ……、大事にするとも」

「私の願いはなんでも叶えてくださるリカルド殿下。特別に、いちばん近くで私を愛することを許してさし上げますわ」


こうまで言われても、私には感謝の念しか湧いてこなかったのです。

パトリシアの近くにいることを許されたのだ、と――。


   Ψ


私が権力をふりかざし、1年かけて追い詰め、我がものとしたはずのパトリシア。

ですが実際は、私の心が1年かけて、パトリシアにがんじがらめに囚われてしまっていたのです。

おそらく、パトリシアは自分の異能に、無自覚だったのでしょう。

ですが、姉マダレナからカルドーゾ侯爵家の継承権を奪ったことで、自分に備わった能力を自覚した――、

それはすぐさま発揮され、王太后陛下が帝都から戻られる前にはすでに、

私の近侍の者たちは、すべてパトリシアに掌握されてしまっていたのです。


「かしこまりました。パトリシア様のご意向を確認してから、進めるようにいたします」


と、生まれたときから従う老侍女でさえ、私よりパトリシアの意向を尊重するありさまでした。

もちろん、パトリシアの能力は、誰に対しても発揮されるわけではありません。

ですが、パトリシアの思うようにならない者も、周囲を自分の味方で固めてしまい、結局は取り込んでしまいます。

私がふりかざした権力で目覚めたパトリシアの異能は、

権力への執着となって、現われていきます――。
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