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第二部
53.トーンが真剣になりすぎ
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ふたたび朝から皇宮書庫に籠り、文献をひらく。
東向きの窓からは朝陽が燦々と降り注ぎ、重厚な歴史に包まれた書庫のなかを温かく輝かせている。
その陽光が遮られた。
「なにを熱心にお読みなのかしら?」
「史書にございます。といっても、聖女の時代の記録……、古文書といってよい文献ですが」
「……学問に熱心なのは、良いことね」
と、第2皇女カタリーナ殿下が微笑まれた。
うすい褐色をしたツヤのあるお肌が、逆光にお美しい。
ほそく整えた困り眉が可憐な印象を与える、皇后イシス陛下の次女。
舞踏会のお招きを断ってしまったお詫びを申し上げようと、お住まいになられる皇后宮殿をお訪ねしようとしたら、
――それには及ばぬ。わたしの方が皇宮書庫に足を運ぼう。
と、丁寧なお返事をくださった。
「……しかし、聖女など何人いても戦乱は激しくなるばかりであったというのに……、才媛マダレナの目に触れたなら、学びが見付けられるものなのですか?」
「戦乱期を終わらせた〈太陽帝国〉の偉大さを、再確認するばかりにございます」
「まこと、その通りですわね。……戦乱の世を終わらせたるは、帝国の存在意義そのものでありましょう」
「恐れ入ります……。この度は、せっかくお招きいただきました舞踏会であるにも関わらず、お断りすることになり……」
「詫びなどよいのです。すこし、マダレナを案内したいのですが、よろしくて?」
と、カタリーナ殿下は、外のテラスにつながるガラス扉をひらかれた。
母イシス陛下ゆずりの美しいグレージュの髪が、冬の冷たい風に舞う。
アルフォンソ殿下に贈っていただいた純白のコートを上から羽織り、
カタリーナ殿下に続き、広々としたテラスに出た。
「ここからの景色は美しいのですよ?」
と、カタリーナ殿下は27歳とは思えないキャッキャと楽しげなお振る舞いでテラスの先端にまで進まれて、手すりに片手を置き、もう片方の手で朝陽を指差された。
「皇宮のなかで、いちばん最初に朝陽が見られるこの場所は、夜をいちばん最初に見られる場所でもあるのよ?」
「はっ……。そう……、でありましょうね」
妙にウキウキと話されるカタリーナ殿下に、若干、引いてしまいながら、ならんで一緒に朝陽を眺める。
いつもとおなじ、冬の朝陽。
満面の笑みを浮かべたカタリーナ殿下は、急に顔を近付けられ、両手で口を囲い、わたしの耳元でささやかれた。
「……侍女に見張られておる。女子のくだらないヒソヒソ話をしている体裁を崩さず、私の話を聞け」
「……も、もぉ~~~っ、カタリーナ殿下ったら!? お戯れを……」
「うふふ」
眉を目一杯にさげ、可愛らしく微笑まれるカタリーナ殿下。
ふたたび、わたしの耳元に口を寄せ、両手で覆われる。
「……あまり、長居はできん。名高き才媛マダレナよ。微笑を絶やすな」
「ええ~っ!? そぉ~なんですか~?」
「帝国に皇后が2人いて、国の行方が定まろうか?」
「うふふ。またまた~~ぁ」
「しかし、父皇帝イグナシオ陛下に、エレナ殿を側妃ではなく第2皇后とするよう勧めたのは、誰か?」
「ええ~っ!? ほんとですかぁ~~?」
「誰あらん、わが母、皇后イシス陛下ご自身であられる」
「マジですか?」
「……トーンが真剣になりすぎだ」
「うふふっ。そんなことがあったんですねぇ~~~」
「……母と私は皇后宮殿で孤立しておる」
「あらぁ~~、そんな一面もおありなんですねぇ~~~」
「いまも監視されているため、詳しい話をする時間はない」
「うふふ。やだ、殿下ったらぁ~~」
「もう一度、言う。名高き才媛、マダレナよ。帝都に、そして皇宮にある限り、微笑を絶やすな。そして、その目が真実を見透すならば、しかと見定めよ。なにが真実で、なにが正義か」
「えへへ~~~っ。そうですかぁ~?」
「そして叶うことなら……」
「うふふ、そんなの照れちゃいますよぉ~~~~ぉ」
「母を救い出してくれ」
「へへへ。わかりました~~~ぁ」
「……今日は、豊胸術について相談したことにしておく。話を合わせろ」
「……」
「合わせろ」
「はい~~~~っ。またぜひ、いろいろ聞かせてくださいませねぇ~~~」
「うふふ、ほんとうですわね」
と、わたしから顔を離されたカタリーナ殿下。
この間、ずっと女学生がキャッキャと、ヒソヒソ話に興じるような微笑みを絶やされなかった。
侍女様を従え、皇宮書庫をあとにするカタリーナ殿下に頭をさげ、見送った。
――ど……、どういうこと?
おそらく、この密談の機会をつくるため、
わざわざ第1皇子妃イサベラ妃殿下のひらかれる舞踏会と日時をかぶせた招待状を送ってこられたことは、わたしにも察せられた。
――帝政の闇は、複雑怪奇。
皇后イシス陛下が、わざわざ寒風吹きすさぶバルコニーでのお茶会にされたことも、
――監視されている。
のひと言で、腑に落ちるものがある。
ただ、エレナ陛下を第2皇后に押し上げたのが、皇后イシス陛下ご自身であったという話は、にわかには信じがたい。
それによって、皇帝陛下からの寵愛を失い〈辺境伯派〉が凋落する端緒となったと伝わる出来事だ。
心のどよめきが収まらず、
いつものように、ふらっと姿を見せた第1皇子フェリペ殿下のアプローチもうまくかわせない。
口説き落されかかっていると誤解させたのか、さらに距離を近くに詰めてくる。
母イシス陛下ゆずりなのか、フェリペ殿下の漂わせる色気に、クラッときてしまったような錯覚までおぼえる。
「舞踏会の案内は届いただろう?」
「え、ええ……」
「楽しみだな、マダレナと踊る円舞曲」
と、わたしの銀髪を撫でるフェリペ殿下。
――まあっ! まだアルフォンソ殿下にも、髪を触っていただいたことなんてなかったのに!
と、ムカッとしたら、すこし心が平静を取り戻してきた。
「マダレナに似合うドレスを贈らせてもらいたいんだけど、いいかな?」
「ドレスでしたら、すでに発注済みですわ」
「なんだ、残念」
「わが家には出来る文官と、出来る侍女がそろっておりますの」
「そうか。じゃあ、また次の機会にはぜひ贈らせてよ」
と、ヒラリと身を翻し、皇宮書庫から出ていかれるフェリペ殿下。
――母イシス陛下と、妹カタリーナ殿下に監視をつけるとしたら……、フェリペ殿下?
アルフォンソ殿下とロレーナ殿下の兄妹も〈たいがい〉だったけど、
こちらの兄妹も〈たいがい〉だ。
カタリーナ殿下が囁かれた話自体が、なにかの罠である可能性もある。
――真実と正義を見定めよ。
って、言われてもな~~~~っ。と、頭を抱えながら、邸宅に戻った。
Ψ
わたしはいまだ、第2皇子アルフォンソ殿下の婚約者であり、
舞踏会のドレスを仕立てるため、ナディアが手配してくれたのは、皇宮から派遣された宮廷仕立工だった。
仮縫いを着せられるわたしに、ベアトリスが首をひねった。
「あら、マダレナ。青なんて珍しいわね」
「ふふっ。……パトリシアに敗けてあげるのよ」
パトリシアが第2王子リカルドとの結婚を告げる場で、わたしが着ていたのはペールブルーのドレス。
わたしの銀髪と、フォレストグリーンの瞳にはよく似合うけど、
――凛々し過ぎたかしら?
と、当時のわたしは思ってしまったものだ。
だけど、あのカルドーゾ侯爵家屋敷の貴賓室は、パトリシアが初めてわたしに勝ち誇って見せた場所だ。
わたしの着ていたドレスの色を、パトリシアが忘れているはずがない。
「ボロを出させるつもりね?」
「詰めの甘い妹ですから」
「……そう上手くいくかしら」
「ダメでもともとよ。……それに、アルフォンソ殿下の瞳の色でもあるのよ」
サファイアのように澄んだ、アルフォンソ殿下の碧い瞳。
もう、ながく会えていない。
皇后イシス陛下の血を受け継ぐ、夕陽色の瞳をされた第1皇子フェリペ殿下には屈しないという、わたしの意志の表れでもある。
結局、第2皇女カタリーナ殿下から聞いた話は、ベアトリスにもナディアにも伝えなかった。
「豊胸術?」
「え、ええ、そうなの……」
「……殿下、相談する相手を間違えてない?」
「ほっとけ」
という、ベアトリスとのやり取りはさておき。
カタリーナ殿下がされたお話の真偽のほどは分からないし、
ナディアにしても、帝都の事情に精通しているとはいえ、しょせんは文官の身。
知っているなら、とっくにわたしに教えてくれていたとも思える。
それに、パトリシアの仕掛けだとも思えない。
わたしの知るパトリシアにしては、仕掛けが壮大に過ぎる。
いずれ折をみて、ルイス公爵閣下に探りを入れてみるにしても、状況が大きく動く情報だとも思えない。
わたしの心の内だけにとどめた。
やがて、大勢で押しかけてくれていた宮廷仕立工たちが、荷物をまとめて撤収の準備をはじめた。
「さすがに大袈裟ねぇ」
と、ベアトリスとふたり、苦笑いを浮かべた。
その時、偉そうな仕立工が見習いを呼ぶ声が、わたしの耳にとまった。
「あら、あなた。……ホアキンっていうの?」
「あ……、はい」
白騎士ルシアさんの幼馴染、宮廷仕立工見習いのホアキン・ペレスが、わたしの邸宅に来ていたのだ。
へこへこと媚びた態度の仕立工が、わたしに近寄る。
「これはこれは、申し訳ありません。ホアキンが、公爵閣下になにか失礼でもしましたでしょうか?」
「いいえ、なにも。ただ、すこし話をしたいのだけど、借りてもいいかしら?」
「……ホアキンをですか?」
「歳が近いみたいだし、仕立工見習いの普段の生活に興味があるのよ」
「ああ、公爵閣下はお美しいにも関わらず、学究肌で有名でございますからな! どうぞどうぞ、ご遠慮なく! 見習いならいくらでもいますから。……ホアキン、公爵閣下に失礼のないようにな!」
「はい……」
――美しくて学究肌で、なにが悪いのよ!? あなたみたいなおっさんが、女子の学問への道を閉ざすのね!?
と、内心では憤慨しつつ、
ちいさく背中を丸めたホアキンを、わたしの執務室へと招き入れた。
そして、ホアキンの口から、ルシアさんの近況を聞くことができたのだ――。
東向きの窓からは朝陽が燦々と降り注ぎ、重厚な歴史に包まれた書庫のなかを温かく輝かせている。
その陽光が遮られた。
「なにを熱心にお読みなのかしら?」
「史書にございます。といっても、聖女の時代の記録……、古文書といってよい文献ですが」
「……学問に熱心なのは、良いことね」
と、第2皇女カタリーナ殿下が微笑まれた。
うすい褐色をしたツヤのあるお肌が、逆光にお美しい。
ほそく整えた困り眉が可憐な印象を与える、皇后イシス陛下の次女。
舞踏会のお招きを断ってしまったお詫びを申し上げようと、お住まいになられる皇后宮殿をお訪ねしようとしたら、
――それには及ばぬ。わたしの方が皇宮書庫に足を運ぼう。
と、丁寧なお返事をくださった。
「……しかし、聖女など何人いても戦乱は激しくなるばかりであったというのに……、才媛マダレナの目に触れたなら、学びが見付けられるものなのですか?」
「戦乱期を終わらせた〈太陽帝国〉の偉大さを、再確認するばかりにございます」
「まこと、その通りですわね。……戦乱の世を終わらせたるは、帝国の存在意義そのものでありましょう」
「恐れ入ります……。この度は、せっかくお招きいただきました舞踏会であるにも関わらず、お断りすることになり……」
「詫びなどよいのです。すこし、マダレナを案内したいのですが、よろしくて?」
と、カタリーナ殿下は、外のテラスにつながるガラス扉をひらかれた。
母イシス陛下ゆずりの美しいグレージュの髪が、冬の冷たい風に舞う。
アルフォンソ殿下に贈っていただいた純白のコートを上から羽織り、
カタリーナ殿下に続き、広々としたテラスに出た。
「ここからの景色は美しいのですよ?」
と、カタリーナ殿下は27歳とは思えないキャッキャと楽しげなお振る舞いでテラスの先端にまで進まれて、手すりに片手を置き、もう片方の手で朝陽を指差された。
「皇宮のなかで、いちばん最初に朝陽が見られるこの場所は、夜をいちばん最初に見られる場所でもあるのよ?」
「はっ……。そう……、でありましょうね」
妙にウキウキと話されるカタリーナ殿下に、若干、引いてしまいながら、ならんで一緒に朝陽を眺める。
いつもとおなじ、冬の朝陽。
満面の笑みを浮かべたカタリーナ殿下は、急に顔を近付けられ、両手で口を囲い、わたしの耳元でささやかれた。
「……侍女に見張られておる。女子のくだらないヒソヒソ話をしている体裁を崩さず、私の話を聞け」
「……も、もぉ~~~っ、カタリーナ殿下ったら!? お戯れを……」
「うふふ」
眉を目一杯にさげ、可愛らしく微笑まれるカタリーナ殿下。
ふたたび、わたしの耳元に口を寄せ、両手で覆われる。
「……あまり、長居はできん。名高き才媛マダレナよ。微笑を絶やすな」
「ええ~っ!? そぉ~なんですか~?」
「帝国に皇后が2人いて、国の行方が定まろうか?」
「うふふ。またまた~~ぁ」
「しかし、父皇帝イグナシオ陛下に、エレナ殿を側妃ではなく第2皇后とするよう勧めたのは、誰か?」
「ええ~っ!? ほんとですかぁ~~?」
「誰あらん、わが母、皇后イシス陛下ご自身であられる」
「マジですか?」
「……トーンが真剣になりすぎだ」
「うふふっ。そんなことがあったんですねぇ~~~」
「……母と私は皇后宮殿で孤立しておる」
「あらぁ~~、そんな一面もおありなんですねぇ~~~」
「いまも監視されているため、詳しい話をする時間はない」
「うふふ。やだ、殿下ったらぁ~~」
「もう一度、言う。名高き才媛、マダレナよ。帝都に、そして皇宮にある限り、微笑を絶やすな。そして、その目が真実を見透すならば、しかと見定めよ。なにが真実で、なにが正義か」
「えへへ~~~っ。そうですかぁ~?」
「そして叶うことなら……」
「うふふ、そんなの照れちゃいますよぉ~~~~ぉ」
「母を救い出してくれ」
「へへへ。わかりました~~~ぁ」
「……今日は、豊胸術について相談したことにしておく。話を合わせろ」
「……」
「合わせろ」
「はい~~~~っ。またぜひ、いろいろ聞かせてくださいませねぇ~~~」
「うふふ、ほんとうですわね」
と、わたしから顔を離されたカタリーナ殿下。
この間、ずっと女学生がキャッキャと、ヒソヒソ話に興じるような微笑みを絶やされなかった。
侍女様を従え、皇宮書庫をあとにするカタリーナ殿下に頭をさげ、見送った。
――ど……、どういうこと?
おそらく、この密談の機会をつくるため、
わざわざ第1皇子妃イサベラ妃殿下のひらかれる舞踏会と日時をかぶせた招待状を送ってこられたことは、わたしにも察せられた。
――帝政の闇は、複雑怪奇。
皇后イシス陛下が、わざわざ寒風吹きすさぶバルコニーでのお茶会にされたことも、
――監視されている。
のひと言で、腑に落ちるものがある。
ただ、エレナ陛下を第2皇后に押し上げたのが、皇后イシス陛下ご自身であったという話は、にわかには信じがたい。
それによって、皇帝陛下からの寵愛を失い〈辺境伯派〉が凋落する端緒となったと伝わる出来事だ。
心のどよめきが収まらず、
いつものように、ふらっと姿を見せた第1皇子フェリペ殿下のアプローチもうまくかわせない。
口説き落されかかっていると誤解させたのか、さらに距離を近くに詰めてくる。
母イシス陛下ゆずりなのか、フェリペ殿下の漂わせる色気に、クラッときてしまったような錯覚までおぼえる。
「舞踏会の案内は届いただろう?」
「え、ええ……」
「楽しみだな、マダレナと踊る円舞曲」
と、わたしの銀髪を撫でるフェリペ殿下。
――まあっ! まだアルフォンソ殿下にも、髪を触っていただいたことなんてなかったのに!
と、ムカッとしたら、すこし心が平静を取り戻してきた。
「マダレナに似合うドレスを贈らせてもらいたいんだけど、いいかな?」
「ドレスでしたら、すでに発注済みですわ」
「なんだ、残念」
「わが家には出来る文官と、出来る侍女がそろっておりますの」
「そうか。じゃあ、また次の機会にはぜひ贈らせてよ」
と、ヒラリと身を翻し、皇宮書庫から出ていかれるフェリペ殿下。
――母イシス陛下と、妹カタリーナ殿下に監視をつけるとしたら……、フェリペ殿下?
アルフォンソ殿下とロレーナ殿下の兄妹も〈たいがい〉だったけど、
こちらの兄妹も〈たいがい〉だ。
カタリーナ殿下が囁かれた話自体が、なにかの罠である可能性もある。
――真実と正義を見定めよ。
って、言われてもな~~~~っ。と、頭を抱えながら、邸宅に戻った。
Ψ
わたしはいまだ、第2皇子アルフォンソ殿下の婚約者であり、
舞踏会のドレスを仕立てるため、ナディアが手配してくれたのは、皇宮から派遣された宮廷仕立工だった。
仮縫いを着せられるわたしに、ベアトリスが首をひねった。
「あら、マダレナ。青なんて珍しいわね」
「ふふっ。……パトリシアに敗けてあげるのよ」
パトリシアが第2王子リカルドとの結婚を告げる場で、わたしが着ていたのはペールブルーのドレス。
わたしの銀髪と、フォレストグリーンの瞳にはよく似合うけど、
――凛々し過ぎたかしら?
と、当時のわたしは思ってしまったものだ。
だけど、あのカルドーゾ侯爵家屋敷の貴賓室は、パトリシアが初めてわたしに勝ち誇って見せた場所だ。
わたしの着ていたドレスの色を、パトリシアが忘れているはずがない。
「ボロを出させるつもりね?」
「詰めの甘い妹ですから」
「……そう上手くいくかしら」
「ダメでもともとよ。……それに、アルフォンソ殿下の瞳の色でもあるのよ」
サファイアのように澄んだ、アルフォンソ殿下の碧い瞳。
もう、ながく会えていない。
皇后イシス陛下の血を受け継ぐ、夕陽色の瞳をされた第1皇子フェリペ殿下には屈しないという、わたしの意志の表れでもある。
結局、第2皇女カタリーナ殿下から聞いた話は、ベアトリスにもナディアにも伝えなかった。
「豊胸術?」
「え、ええ、そうなの……」
「……殿下、相談する相手を間違えてない?」
「ほっとけ」
という、ベアトリスとのやり取りはさておき。
カタリーナ殿下がされたお話の真偽のほどは分からないし、
ナディアにしても、帝都の事情に精通しているとはいえ、しょせんは文官の身。
知っているなら、とっくにわたしに教えてくれていたとも思える。
それに、パトリシアの仕掛けだとも思えない。
わたしの知るパトリシアにしては、仕掛けが壮大に過ぎる。
いずれ折をみて、ルイス公爵閣下に探りを入れてみるにしても、状況が大きく動く情報だとも思えない。
わたしの心の内だけにとどめた。
やがて、大勢で押しかけてくれていた宮廷仕立工たちが、荷物をまとめて撤収の準備をはじめた。
「さすがに大袈裟ねぇ」
と、ベアトリスとふたり、苦笑いを浮かべた。
その時、偉そうな仕立工が見習いを呼ぶ声が、わたしの耳にとまった。
「あら、あなた。……ホアキンっていうの?」
「あ……、はい」
白騎士ルシアさんの幼馴染、宮廷仕立工見習いのホアキン・ペレスが、わたしの邸宅に来ていたのだ。
へこへこと媚びた態度の仕立工が、わたしに近寄る。
「これはこれは、申し訳ありません。ホアキンが、公爵閣下になにか失礼でもしましたでしょうか?」
「いいえ、なにも。ただ、すこし話をしたいのだけど、借りてもいいかしら?」
「……ホアキンをですか?」
「歳が近いみたいだし、仕立工見習いの普段の生活に興味があるのよ」
「ああ、公爵閣下はお美しいにも関わらず、学究肌で有名でございますからな! どうぞどうぞ、ご遠慮なく! 見習いならいくらでもいますから。……ホアキン、公爵閣下に失礼のないようにな!」
「はい……」
――美しくて学究肌で、なにが悪いのよ!? あなたみたいなおっさんが、女子の学問への道を閉ざすのね!?
と、内心では憤慨しつつ、
ちいさく背中を丸めたホアキンを、わたしの執務室へと招き入れた。
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