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第二部

50.妹は心を挫かせる

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皇后宮殿は、二重の円環をなす皇宮の内側の円環、本宮ではなく、

外側の円環、外宮に置かれている。

侍女様に案内される回廊には、帝国南方の香りただよう、生命感ゆたかな意匠をほどこされた調度品がならぶ。

わたしの到着を待って、フォギーブラウンの髪を風に揺らされていたバルコニーには、皇后イシス陛下おひとりしかおられなかった。


――お茶会……、と聞いていたけれど。よもや差し向かいでお会いになられるとは……。


と、緊張しながら、冷たい椅子に腰をおろす。


「よく来てくれた、マダレナ」

「いえ、こちらこそお招きに預かり、恐悦至極にございます」

「ふふっ。近くで見ればなおのこと、聞きしにまさる美人だな。アルフォンソ殿下がご執心になるのも納得だ」

「お、お戯れを……」


そう仰られて、わたしの目のまえで、褐色の肌に妖艶な微笑みを浮かべられるイシス陛下。

圧倒的な美貌。

わたしも女の身でありながら、色気にクラクラする思いだ。


――この皇后陛下をしても、後ろ盾を失えば皇帝陛下からの寵愛を失うのか……。


父君セティ・ネフェルタリ辺境伯の急逝により権勢を失った〈辺境伯派〉は、

ルイス・グティエレス公爵による、第2皇后エレナ陛下の輿入れを阻止できなかった。

以来、皇帝陛下からエレナ陛下への寵愛を憚られて、外宮に退かれたという噂は、とおくネヴィス王国にまで届いていた。


「これ、そこな侍女ふたり」


と、イシス陛下は夕陽色の瞳を、側で控えるベアトリスとフリアに向けた。


「名乗りを許す。名を申せ」

「はっ……、あの……」

「せっかく頂戴したイシス陛下の思し召しです。遠慮なくその栄誉に浴しなさい」


戸惑うふたりに、わたしが微笑みを向ける。

過ぎた栄誉はなにかの罠かもしれないけど、辞退させることも罠かもしれない。

ここは受けておく方が無難だ。


「はっ……。ベアトリス・ロシャと申します。先頃、伯爵に叙爵していただきましたロシャ伯爵家の次女にございます」

「うむ。ベアトリスであるか、覚えたぞ」

「……フリア・アロンソと申します。平民の出自にございます……」

「そうであるか。フリア。覚えたぞ」

「わたしごときの侍女にまでご配慮いただき、あつく御礼申し上げます」

「ははっ。美人公爵閣下が従えるは、侍女まで美女に美少女だと評判であった。花嫁修行で学都に赴いた令嬢たちが、自慢気に語って聞かせるものでな。つい、名を聞きとうなっただけのこと」

「……光栄に存じます」


わたしは、イシス陛下のご長男フェリペ殿下と皇太子の座を競う、アルフォンソ殿下の婚約者だ。

美貌の皇后陛下をまえに残念なことだけど、好意を素直には受け取れない。

わたしの侍女にまで声がけする狙いは、なんなのか――、


「しかし、ベアトリスは本当に美女だし、フリアは本当に美少女だな!! 礼則にうるさいわが侍女長殿が部屋から見張っておらねば、同席を許しておったところだ!」


――、ただの気まぐれ?


「ベアトリスにフリア。帝都には乙女の一大事〈恋だの愛だの〉を、権力闘争の練習くらいにか思わぬ、阿呆な男も多い。甘い言葉をささやかれたとて、簡単に口説き落されるではないぞ?」

「はっ。もったいないお言葉……、心いたします」


ふかぶかと頭をさげるベアトリス。

フリアは顔を青白くして、ぎこちない微笑みを浮かべたまま固まっている。


「ふふっ……、もったいなくはないと思うが、まあよい。……妾が陛下に輿入れするため、帝都に初めて足を踏み入れたのはマダレナのひとつ下、17歳のときであった」

「はっ……」

「帝国南方の辺地ネフェルタリからひとり皇宮に放り込まれ、随分と心細い思いをしたものだ」


イシス陛下は懐かしむように目をほそめ、冬の空を見あげた。

寒風吹きすさぶ中、バルコニーでのお茶会を選ばれたのは、とおく故郷を想われてのことなのか……?


「ベアトリス、フリア。マダレナの心を支えてやれよ」

「はっ……。あ、ありがたきお言葉……、胸に刻みます」

「はっは。うむ、今度はあっておるぞ。妾の〈ありがたきお言葉〉を忘れるなよ」

「ははっ」

「ところで、マダレナには〈大変な学才〉があるやに聞く」


きのう、ルイス公爵閣下から聞かされた、


――白騎士の〈心を操る術〉を開発したマダレナ・オルキデアの学才を、みなが狙っている。


という話を思い出し、つい身構える。

だけど、わたしの純朴な瞳では、皇后陛下の浮かべる笑みから、濁ったものを読み取ることはできない。

むしろ、この気さくな美貌の皇后陛下を、ルイス公爵閣下とエレオノラ大公閣下の兄妹は結託し、追い落としたのだ。

しかし、イシス陛下の向こうにはフェリペ殿下がいて、その隣では妹パトリシアの暗く濁った紫色の瞳が光っている。


――なにが本当で、なにが罠なのか分からない……。


わたしが、かるくほそめた目の前に、イシス陛下が、黄金の鎖を垂らされた。

鎖の先で揺れるのは、繊細な意匠がほどこされた一本の鍵。黄金色に鈍く輝いている。


「皇宮書庫の鍵だ」

「……皇宮書庫」

「学都創建の折にも遷されなんだ、貴重な文献も収められておる。妾たちでは宝の持ち腐れというものだが、マダレナには宝の山であろう」

「はっ……」

「預けておく、受け取れ」


ふるえる両手をイシス陛下にさし出し、置かれた鍵を握りしめた。


「……あ、ありがたき幸せ」

「うむ。……皇宮書庫の管理権。これだけはエレナ殿にも渡したくなかったのだ」

「はっ……」

「才媛マダレナの目に触れるならば、書庫の書物たちも喜ぶであろう。……学べよ」


わたしの〈学問バカ〉が見抜かれていたのか、それとも白騎士の〈心を操る術〉を完成させよと仰られているのかは、

分からなかった。

ただ、婚約者アルフォンソ殿下の競争相手の母親である、美貌の皇后陛下。

わたしを眺める、その妖艶な微笑みに、心を奪われそうになっていたことだけは確かだった――。


   Ψ


「偉いさんの思惑なんか気にすることはない。マダレナ嬢も、素晴らしい空間だとはおもわないか!?」


と、皇宮書庫に案内してくれたビビアナ教授が、はしゃいでいた。


「ボクも入るのは2度目だよ!? せっかくの機会をいただいたんだ、文献調査に励むといいよ!!」


イシス陛下はビビアナ教授に、わたしを皇宮書庫へと案内するようにお命じになられた。

わたしと一緒に帝都に召喚された、ビビアナ教授。

ご迷惑をかけているのでなければ、よいのだけど――、


「う~ん。マダレナ嬢の研究について根掘り葉掘り聞かれたよ」

「……申し訳ございません」

「いや、ちっとも。マダレナ嬢が気にすることはないよ」

「せっかく、ルシアさんのことも知らぬふりで通してくださっておりましたのに……」

「う~ん。……あのね、マダレナ嬢」

「はい……」

「ボクは、ほんとうに気づいてなかったんだ」

「……、え?」

「あんなにビックリしたことはなかったなぁ……。だって、まさか白騎士が侍女の恰好してるとは思わないよ」

「す、すみません……」

「……白騎士がいちばん強いのは、素手だ」

「……え?」

「魔鉄製の鎧で出力を抑制させていない白騎士と同席するなんて、とてもじゃないけどボクにそんな胆力はない」


――白騎士にドレスという発想はなかった。


というロレーナ殿下の言葉が耳に蘇る。


「ルシアのドレス姿、初めて見たがよく似合ってるじゃないか!」

「ほんとうだ。よく似合ってるね」


と兄妹で微笑み合われ、午餐会で和やかにテーブルを囲んでくださった、ロレーナ殿下とアルフォンソ殿下の胆力が優れているということか……。

いや、おふたりもわたしと同じく、ルシアさんへの友情と愛情に満ち溢れてのことだと信じたい。

ビビアナ教授は、戸惑うように顔をしかめ、額をポリポリとかいた。


「もちろん抑制させるだけじゃなく、膨大な出力を整え、制御しやすくする働きもある。……だけど、ルウはいい娘だったけど、それでも……、鎧を装着していない状態で肩を揉んでもらったことを思い出すと、本当に申し訳ないことだけど……、ボクでも寒気が走る」

「……知らなかったこととはいえ」

「いや。白騎士に関することは帝国の最高機密だ。属国ネヴィス育ちのマダレナ嬢が知らなかったことを、責めはしないよ」

「はい……」

「……通常、知らない者はただ怯えるだけだからね。わざわざ鎧の働きを広めることもしていない」


と、窓辺に立たれていたビビアナ教授が、外を指差された。

側に立ち、見下ろすと10人ほどの女の子が列になって歩いていた。


「……白騎士候補だ」

「え……?」

「歳は10~13歳くらい。心身の適合性の問題もあるけど、……貧しい平民の家の娘ばかりだ。家族に手厚く報いれば、心を帝政に繋ぎとめる、有力な手札になるからね」

「はい……」

「……最低だろ?」

「は、はい……」

「その最低の行いの上に、ボクたちの……」


ビビアナ教授は、それ以上に言葉を重ねられなかった。

そして――、


「……アルフォンソ殿下が救いたいのは、彼女たちなんだよ……」


と、わたしとは目を合わせずに仰られた。

アルフォンソ殿下の推薦でわたしの卒業論文に目を通してくださった、ビビアナ教授がはじめて見せる切ない表情。

おおくの貴重な文献が、背の高い書架に数多くならぶ皇宮書庫。

アルフォンソ殿下がわたしの卒業論文に見出してくださった可能性を、すこしでも広げることが出来るのなら、

皇后イシス陛下の思惑がどこにあれ、それはわたしにとっても大きな利益だ。

この機会を活かさない手はない。

と、ビビアナ教授が、わたしの顔をのぞきこんでいた。


「寂しいねぇ~」

「は?」

「せっかく帝都まで来てるのに、アルフォンソ殿下に会えないなんて、寂しいよねぇ~~~?」

「くっ……」


ご自身は〈恋だの愛だの〉に無縁なのに、興味だけは津々だというビビアナ教授。

いじり方が、雑っ!!!!


「な、慣れてますわ!」

「そうなんだぁ~」

「1年以上、直接お会いすることも出来ずに愛だけ注がれたのです! すこしくらい会えなくても、へっちゃらですわ!」


   Ψ


権謀渦巻く帝都にひとり置かれ、疑心暗鬼に覆われた生活をスタートさせた。


「私もマダレナ閣下の侍女です」


と、わたしに訴えてくれたフリアだけど、最近うまくいかないことが続いて、落ち込みがちだった。

そこにきて、フリアの心を挫いてしまう決定打になったのは、パトリシアの謀略だった――。
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