上 下
4 / 85

4.王太后陛下の思し召し

しおりを挟む
王都の高台にそびえる王太后宮。

国王陛下が住まわれる王宮と比べても遜色のない、壮大な宮殿に向けて馬車が走る。

宗主国である太陽帝国のグティエレス公爵家から輿入れされた、エレノオラ王太后陛下。

姪であるエレナ・デ・ラ・ソレイユ第2皇后陛下を通じ、大陸に君臨する太陽皇家の縁戚にもあたられる。


――第2皇后。


すでに皇后を迎えていた皇帝陛下に、側妃ではなく、もうひとりの皇后だと認めさせたグティエレス公爵。

エレノオラ王太后陛下の兄君であり、帝政を壟断する実力者。

すべてが物語のなかの出来事だとしか感じられない、はるかな高みの存在。

その王太后陛下がお住まいの、瀟洒にして豪壮な宮殿に近付くにつれ、わたしの掌は緊張の汗でぐっしょり濡れてゆく。


「王太后陛下の召喚状に名前が書かれているのはマダレナだけだ……。ひとりで行ってもらうほかない」


と、深刻な表情をしたお父様に、屋敷を送り出していただいた。

ほんとうに、なんのご用事でわたしを呼ばれたのか見当もつかない。

そして、わたしの緊張にそぐわない、朗らかな笑みを浮かべた執事様が通してくださったのは、

謁見の間ではなく、貴賓室だった。


――はあぁぁぁぁぁ!? なんで、わたしが王太后陛下の賓客待遇なの???


さすがに、呆れてしまった。

あまりにも現実ばなれしているし、慣例からも、常識からも外れている。


「……なにかお間違えなのでは?」


と、わたしがそっと尋ねた執事様は、にこやかに微笑んでくださった。


「いえ。王太后陛下のお指図にございますれば、しばらくお待ちくださいませ」


そして、


――案内する場所を間違えた執事様が、叱られてしまうのでは?


というわたしの心配は、杞憂に終わった。

優しげな微笑みを浮かべた王太后陛下が、貴賓室に入って来られたのだ。


「急に呼び出して、すまなかったな」


と、目のまえのソファに腰を降ろされるエレオノラ王太后陛下。

わたしの白っぽい銀髪と違い、落ち着いた色合いのアッシュシルバーなお髪はナチュラルに巻いている。

お母様より年上の57歳におなりなのに、お肌は艶やかで年齢を感じさせない。

なにより、そのお顔立ちはわたしやベアトリスと同じ系統で〈端正過ぎる〉凛々しい美貌の持ち主。

しかも、早逝された先王陛下に代わり、実質的に王国を統治されていた期間も長い。

王国の男性貴族が可愛らしい令嬢を好むのは、王太后陛下への畏怖がそうさせているのではないかと疑っているほどだ。


「い、いえ……。めっそうもございません……」


と、かろうじて返答できたけど、

おなじ目線の高さで声をかけていただく、返答させていただくなど、通例では考えられない。

居心地の悪いこと、この上ない待遇だ。

カルドーゾ侯爵家の家史に特筆すべき〈慶事〉と言っても、大袈裟ではない。


「まあ、そう緊張するな……、と言っても無理かな?」

「え、ええ……。出来るかぎり努力はさせていただきますけれども……」

「はっは。努力はいいな。女性で初めて王立学院を首席卒業した才媛、マダレナらしい謙虚な言い回しだ」

「お、お褒めにあずかり、光栄にございます……」

「うむ」


と、満足気に微笑まれた王太后陛下が、そっと視線を落とされた。


「……わざわざマダレナに来てもらったのは、詫びるためだ」

「わ、詫び……?」


王太后陛下は、気品ある菖蒲色をした瞳でわたしを真っ直ぐに見詰められた。


「妾が帝都ソリス・エテルナに出かけ不在の間に、リカルドが勝手なことを仕出かしていたようだ」

「い、いえ、そんな……」

「マダレナの運命を気軽に曲げてしまう軽率な行動。国王ともども、妾からキツく叱っておいた」


王太后陛下の孫君にあたられる、第2王子リカルド殿下。

だけど、妹パトリシアとの結婚を〈軽率な行動〉と、忌々しげに吐き捨てられては、姉として少し立場がないような気もした。


「かと言って、すでに国王の勅許まで布告させておっては、取り消させる訳にもいかぬ。バカ孫に言い包められたバカ息子とはいえ、国王は国王だ。妾みずから、その権威に傷を入れれば国の礎を揺るがす」

「ええ……、それは至極当然のことにございましょう……」

「だが、妾の又甥でもあるアルフォンソ第2皇子殿下より、直々にお言葉を賜ったマダレナに対し、このままにしておく訳にもいかぬ」

「……なんと、もったいないお言葉。わたしごときにお心を傾けていただけました一事だけでも、このマダレナ、すでに生涯の誉れを賜りましてごさいます」

「うむ。なかなか愛いことを言ってくれるが、話しは最後まで聞いてくれ」

「これは、失礼を……」

「いや、いいのだが……。せめてもの詫びの印として、妾が保持しておる伯爵位を、マダレナに贈りたい」

「ええっ!? ……そ、そ、それは?」

「もちろん、帝国伯爵位だ」


宗主国たる太陽帝国から賜る爵位と、属国であるネヴィス王国の爵位では価値も身分も、受ける礼遇もまったく異なる。

そもそも国王陛下でさえ帝国に赴けば、準帝国公爵の待遇だ。


――公・候・伯・子・男。


と、爵位の名称はおなじだけど、帝国爵位は王国爵位の〈一枚半〉上の待遇となる。

つまり、帝国の伯爵位とは、王国の侯爵であるお父様より〈半枚上〉と位置付けられるのだ。

わたしがこのまま本当に帝国伯爵に叙爵されたら、お父様は部屋に入るわたしを立って出迎えないといけないし、公式の場では膝を突いてわたしの話を聞かなくてはならない。

そして――、


「リカルドめにも、膝を突かせてやればよいのだ」


と、眉を寄せて笑われる王太后陛下。

帝国からの勅使にもなり得る帝国伯爵ともなれば、属国の王子よりも上の待遇と解される。


――たとえ、王族のワガママに振り回されたのだとしても、その詫びとしては大きすぎるのでは……?


と、戸惑うわたしだけど、

よもや、王太后陛下の思し召しに逆らったり出来るはずもない。

そんなことをすれば、カルドーゾ侯爵家など瞬く間に、お取り潰しの憂き目を見ることにもなりかねない。


「……か、過分なご配慮。身に余る栄誉。……ふかく感謝申し上げるよりほか、言葉が見付かりません……」

「うん、そうか。受けてくれるか?」

「はっ……、謹んで」

「それは良かった。これでアルフォンソ殿下に対して、妾の顔が立つというもの。感謝するのはマダレナではなく、妾の方であるぞ?」

「……も、もったいなきお言葉」


うんうんと、慈愛に満ちた表情でうなずかれる王太后陛下。

急転に急転を重ねた自分の運命に、わたしの頭がついていかない。


――こ、これは膝を突いて謝辞を述べるべきところ? ん? カーテシー?


とか、混乱した頭で考えるのだけど、あるべき儀礼を思い出すことができない。

そもそも、王太后陛下から賓客待遇でもてなされている時点で、わたしの知る常識がすべて塗り替えられているので、我ながら無理もないことではあるのだけど……。

そういえば、王太后陛下は近侍の方もお連れにならず、おひとりで入って来られた――。


――ふたりきりでの拝謁。


いまさらながら、寒気がするほどの緊張が、ドッと押し寄せてくる。

そんなわたしの心中を知ってか知らずか、王太后陛下が優しく語りかけてくださった。


「マダレナの卒業論文は、ほんとうに素晴らしかった。卒業式が終わったあとも、アルフォンソ殿下はずっとマダレナのことをお尋ねであったのだぞ?」

「そ、それは……」

「王都はなにかと騒がしかろう。叙爵式を終えたら、領地に赴くがよい」

「りょ、領地!? ……でございますか?」


思わず声がひっくり返ってしまった。

王太后陛下から賜ろうとしているのは、名目だけの〈宮廷爵位〉ではなくて、領地に紐づいた〈領主爵位〉なのか……。


「ふふっ。……自然豊かで景色の美しいところだ。しばらく羽根を伸ばしてくればいい」


そう言って微笑まれる王太后陛下。

すべてが夢の中の出来事のようで、わたしは身体がふわふわと浮かんでるような、心持ちになってしまっていた――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

【完結】お父様。私、悪役令嬢なんですって。何ですかそれって。

紅月
恋愛
小説家になろうで書いていたものを加筆、訂正したリメイク版です。 「何故、私の娘が処刑されなければならないんだ」 最愛の娘が冤罪で処刑された。 時を巻き戻し、復讐を誓う家族。 娘は前と違う人生を歩み、家族は元凶へ復讐の手を伸ばすが、巻き戻す前と違う展開のため様々な事が見えてきた。

【完結】騙された? 貴方の仰る通りにしただけですが

ユユ
恋愛
10歳の時に婚約した彼は 今 更私に婚約破棄を告げる。 ふ〜ん。 いいわ。破棄ね。 喜んで破棄を受け入れる令嬢は 本来の姿を取り戻す。 * 作り話です。 * 完結済みの作品を一話ずつ掲載します。 * 暇つぶしにどうぞ。

侯爵様にお菓子目当ての求婚をされて困っています ~婚約破棄された元宮廷薬術師は、隣国でお菓子屋さんを営む~

瀬名 翠
ファンタジー
「ポーションが苦い」と苦情が殺到し、ドロテアが勤める宮廷薬術師団は解体された。無職になった彼女を待ち受けていたのは、浮気者の婚約者からの婚約破棄と、氷のように冷たい父からの勘当。 有無を言わさず馬車で運ばれたのは、隣国の王都。ひょんなことから”喫茶セピア”で働くことになった。ある日、薬術レベルが最高になって身についていた”薬術の天女”という特殊スキルが露呈する。そのスキルのおかげで、ドロテアが作ったものにはポーションと同じような効果がつくらしい。 身体つきの良い甘党イケメンに目をつけられ、あれよあれよと家に連れ去られる彼女は、混乱するままお菓子屋さんを営むことになった。  「お菓子につられて求婚するな!」なドロテアと、甘党騎士団長侯爵の、ほんのり甘いおはなし。

3歳児にも劣る淑女(笑)

章槻雅希
恋愛
公爵令嬢は、第一王子から理不尽な言いがかりをつけられていた。 男爵家の庶子と懇ろになった王子はその醜態を学園内に晒し続けている。 その状況を打破したのは、僅か3歳の王女殿下だった。 カテゴリーは悩みましたが、一応5歳児と3歳児のほのぼのカップルがいるので恋愛ということで(;^ω^) ほんの思い付きの1場面的な小噺。 王女以外の固有名詞を無くしました。 元ネタをご存じの方にはご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。 創作SNSでの、ジャンル外での配慮に欠けておりました。

虹ノ像

おくむらなをし
歴史・時代
明治中期、商家の娘トモと、大火で住処を失ったハルは出逢う。 おっちょこちょいなハルと、どこか冷めているトモは、次第に心を通わせていく。 ふたりの大切なひとときのお話。 ◇この物語はフィクションです。全21話、完結済み。 ◇この小説はNOVELDAYSにも掲載しています。

【完結】愛され公爵令嬢は穏やかに微笑む

綾雅(りょうが)電子書籍発売中!
恋愛
「シモーニ公爵令嬢、ジェラルディーナ! 私はお前との婚約を破棄する。この宣言は覆らぬと思え!!」 婚約者である王太子殿下ヴァレンテ様からの突然の拒絶に、立ち尽くすしかありませんでした。王妃になるべく育てられた私の、存在価値を否定するお言葉です。あまりの衝撃に意識を手放した私は、もう生きる意味も分からくなっていました。 婚約破棄されたシモーニ公爵令嬢ジェラルディーナ、彼女のその後の人生は思わぬ方向へ転がり続ける。優しい彼女の功績に助けられた人々による、恩返しが始まった。まるで童話のように、受け身の公爵令嬢は次々と幸運を手にしていく。 ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/10/01  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、二次選考通過 2022/07/29  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、一次選考通過 2022/02/15  小説家になろう 異世界恋愛(日間)71位 2022/02/12  完結 2021/11/30  小説家になろう 異世界恋愛(日間)26位 2021/11/29  アルファポリス HOT2位 2021/12/03  カクヨム 恋愛(週間)6位

大魔法使いは、人生をやり直す~婚約破棄されなかった未来は最悪だったので、今度は婚約破棄を受け入れて生きてみます~

キョウキョウ
恋愛
 歴史に名を残す偉業を数多く成し遂げた、大魔法使いのナディーン王妃。  彼女の活躍のおかげで、アレクグル王国は他国より抜きん出て発展することが出来たと言っても過言ではない。  そんなナディーンは、結婚したリカード王に愛してもらうために魔法の新技術を研究して、アレクグル王国を発展させてきた。役に立って、彼に褒めてほしかった。けれど、リカード王がナディーンを愛することは無かった。  王子だったリカードに言い寄ってくる女達を退け、王になったリカードの愛人になろうと近寄ってくる女達を追い払って、彼に愛してもらおうと必死に頑張ってきた。しかし、ナディーンの努力が実ることはなかったのだ。  彼は、私を愛してくれない。ナディーンは、その事実に気づくまでに随分と時間を無駄にしてしまった。  年老いて死期を悟ったナディーンは、準備に取り掛かった。時間戻しの究極魔法で、一か八か人生をやり直すために。  今度はリカードという男に人生を無駄に捧げない、自由な生き方で生涯を楽しむために。  逆行して、彼と結婚する前の時代に戻ってきたナディーン。前と違ってリカードの恋路を何も邪魔しなかった彼女は、とあるパーティーで婚約破棄を告げられる。  それから紆余曲折あって、他国へ嫁ぐことになったナディーン。  自分が積極的に関わらなくなったことによって変わっていく彼と、アレクグル王国の変化を遠くで眺めて楽しみながら、魔法の研究に夢中になる。良い人と出会って、愛してもらいながら幸せな人生をやり直す。そんな物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

処理中です...