イロコイ短編集

あた

文字の大きさ
上 下
2 / 10

(2)

しおりを挟む
 それ以来、おにいちゃんは昔と同じく、私をパシるようになった。私はもはや、朝から購買に行き、焼きそばパンをゲットするようにした。だってお昼ごはんをゆっくり食べたいし。

 とある日、いつものように焼きそばパンを手に席を立つと、
「ねえ、ふみ。昼休みどこ行ってんの?」
 友人のはるかちゃんに問われ、私は目を瞬いた。
「え?」
「まさか、彼氏とか?」
 私は慌ててかぶりを振った。
「違うよ。おに……明石先生に、パンを届けてるだけで」
「なんで?」
 もっともな疑問だ。昔からの習慣でパシリしてる──とは言えない。

「明石先生、忙しいから……はは」
「そうなんだ~私も先生と話したいなー。一緒に行っていい?」
「え? うん、いいよ」

 私は、はるかちゃんを連れて旧美術室へ向かった。
「先生がここで食べてるって聞いて、来ちゃいました」
 そう言ったはるかちゃんを見て、おにいちゃんの目が一瞬怖くなる。ひいっ。おにいちゃんはすぐ笑顔に戻り、
「ああ、そうか。もちろんいいよ」
 はるかちゃんはおにいちゃんの異変には気づかず、やったー、と喜んでいる。私の肩を抱き寄せ、おにいちゃんが囁く。

「おいおまえ。なにコブつけてきてんだ。他の生徒いたら安らげねーだろ」
「だってはるかちゃん、おにいちゃんと話したいって言うから」
「俺は話したくねーよ」
 全然先生らしくない。
「ったく、次からは気をつけろ」

 おにいちゃんは私の肩から腕を離し、席に戻った。はるかちゃんが身を乗り出して尋ねる。
「先生ってどんな子がタイプなんですかー?」
 おにいちゃんは爽やか青年モードで答える。
「そうだな、優しい子かな」
 絶対嘘だ。おにいちゃんは顔面九割、胸一割って昔からよく言っていた。猫かぶるから疲れるんじゃないのだろうか。ありのままでいればいいのに。私は、おにいちゃんとはるかちゃんのやりとりを見ながら、たくわんをかじった。



「あ、雨だ」
 昇降口で靴を履き替えていた私は、外が暗くなっているのに気づいた。コンクリートが濡れて、色が濃くなっている。雨でも大丈夫。ちゃんと置き傘を持ってきているのだ。私が傘を開くと、隣にやってきた人物に、いきなり傘を奪われた。

「!?」
「すげー雨。駅まで入れてけよ」
「お、おにいちゃん」
 私は、傘を取り返そうとした。おにいちゃんは頭上高く傘をあげる。

「やだ。家、駅のほうじゃないもん」
「はあ? 俺が濡れてもいいって言うのか」
 おにいちゃんがほほを引っ張ってくる。
「わかったよ、いたいからやめて」
 私は仕方なく、傘の中におにいちゃんを入れてあげた。おにいちゃんはそれでいいと言わんばかりにうなずく。お金あるんだし、傘くらい、購買で買えばいいのに。

 置き傘なので、傘の中は窮屈だ。というか、さっきからはみ出した肩が濡れている。でも、おにいちゃんを押しのけたりしたら絶対大変なことになる。多分命はない。

「おまえもっと寄れよ。濡れるだろ」
 おにいちゃんが肩を抱き寄せてくる。私は、おにいちゃんを見上げた。黒髪がかすかに雨に濡れている。長いまつげについた水滴が、ぴちゃん、と落ちた。黙ってたらかっこいいのに。私の視線に気づいたのか、こっちを見下ろして、目を細める。

「なに見とれてんの」
「見とれてないもん」
 私はそっぽを向いた。いくらかっこよくても、おにいちゃんは性格が悪いからいやだ。
「見てただろ。正直に言え」
「見てたけど見とれてないもん」
「生意気だぞ、ぷに」
「ぷにじゃない、ふみです!」

 言い合いをしていたら、向かいから男子高生の集団がやってきた。おにいちゃんが私を抱き寄せる。
「な、なに」
「透けてんだよ、ブラ」
「!」
 私はびくりとした。おにいちゃんは鞄からジャージを取り出し、私に着せた。
「う」
「これでも着とけ」
 おにいちゃんのだからぶかぶかだ。
「あ、ありがとう」

 でも暑い……。駅にたどり着くと、おにいちゃんはここでいい、と言って傘から出た。改札前に女の人が立っているのが見える。こっちを見ているような気がした。
「あの人、こっち見てない?」
 私がおにいちゃんに囁くと、
「俺の彼女」
「へ」
 あの人が……すごい美人だ。目があったので会釈する。なぜだか視線をそらされた。

「じゃあな」
 おにいちゃんは私に500円玉を渡した。なんだろう。お駄賃?
「雨ひどくなってきたから、バスで帰れ」
 私の髪をくしゃ、と撫でて、彼女の方へ歩いて行った。
 そうだ、おにいちゃんは昔からモテたんだ……。

 そりゃあ、見た目はいいし、ごくたまに優しいこともある。だけど、やっぱり大抵は意地悪だ。付き合うなら、優しい人が一番。そう、五木先輩みたいな……。私はおにいちゃんに背を向け、バスに乗り込んだ。





 翌日、私が登校すると、昇降口におにいちゃんが立っていた。「挨拶強化月間」というたすきをかけていた。なんというか、死んだ目をしている。目が合うと、無理矢理な笑みを浮かべた。
「おはよう、川内」
「おはようございます……」
 なんだか、笑顔から威圧を感じた。すごく機嫌が悪いような気がする。多分、なんで俺がこんなダサいことをしなけりゃならないんだ、と思っているんだろう。

「なんだ、元気がないな。気持ちのいい朝は挨拶から始まるんだぞ」
「はあ」
 笑ってない目でそんなこと言われても。
「あ、これ昨日のジャージ」
 私がジャージを差し出すと、
「ありがとう(洗って返せよ。あ?)」
 おにいちゃんが言葉の裏で威圧をしてくる。
「だ、だって乾かないと思って」
「確かに最近雨が多いからな(ちっ、仕方ねーな)」
 解放された私は、おにいちゃんの機嫌をとるべく、いそいで購買に向かった。

 おにいちゃんは、それ以降も変だった。お昼休みに焼きそばパンを届けたら、食っていいとか言うし、体育の時間、50メートル走をやれって言った後、ずっとぼーっとしてるし。明らかにおかしい。昨日、何かあったのだろうか。

「あ、あの、先生。タイム計測終わりました」
 タイム表を手に声をかけたら、
「偉いなあ、川内は」
 おにいちゃんが満面の笑みを浮かべ、わしわし頭を撫でてくる。私、犬かなにか? あと目が笑ってないから怖い。
「何かあったの?」
 小声でそう尋ねたら、撫でる手を止めた。
「は?」
「だって、なんか変だよ」
「大人には色々あるんでちゅよ、ぷにちゃん」

 おにいちゃんが、むぎゅむぎゅほほを押しつぶしてくる。こんなことする人が大人だとは思えないけど。
「ぷにじゃなくてふみだもん、うぐう」
 視線を感じて振り向くと、はるかちゃんがこっちを見ていた。目が合うと、さっ、とそらす。
「?」
「あとは適当になんかしとけ」
「適当って」
 おにいちゃんは私のほほを引っ張るのをやめ、黄昏始めた。多分何言ってもだめそうだ。私は仕方なく、みんなに自由時間だと伝えた。

 授業後、はるかちゃんがおにいちゃんに声をかけた。
「先生! 私三角コーン片付けます!」
 おにいちゃんは、いつもより覇気のない声で答えた。
「ああ、大丈夫。川内、頼む」
 はるかちゃんがむっとする。私は体育倉庫にて、三角コーンを片付けながら言った。
「なんで私にやらせるの? はるかちゃん、やりたがってたのに」
 おにいちゃんはマットの上に座り、タバコをくわえた。
「……おまえのさ、友達。はるまきちゃん?」
 どんな間違え方なのだ。

「はるかちゃんだよ」
「それだよ。あのタイプはやばい。教育実習の時いたんだよな。やたらとアピールしてきて、二人きりになると迫る。拒絶されるとキレて泣く」
「はあ……」
「はあ、じゃねーよ。変な疑いかけられたら俺の教師生命終わりだからな」
「大変だね、先生って」
「まあな。だから労われよ」
「いたわる?」
「そうだよ。生徒はもっと教師をいたわるべきだ。教師の離職率の高さ知ってるか?」

 労わるって、どうすればいいんだろう。私は三角コーンを置いて、おにいちゃんの頭を撫でた。
「……何してんだ?」
「労ってるの」
 おにいちゃんは、上目遣いでこっちを見た。その腕が背中にまわる。ぎゅ、と抱きしめられて、私は固まる。
「!?」
「なんか、おまえいい匂いすんな」
「し……しません」
「胸、でかいし」
 おにいちゃんの頭が、私の胸に当たった。
「あ」
「……やわらか」
「お、おにいちゃん、彼女いるんでしょ」
「振られた」
 だから機嫌悪かったんだ。
「性格、悪いからだ、や」
 おにいちゃんが、私の身体を引き寄せた。膝の上に座る形になる。

「おまえ、生意気だな。お仕置き」
 おにいちゃんが私の耳を噛んだ。
「う」
 柔らかく噛んで、なめる。私はびく、と震えた。
「せんせい、なのに、こんなことしたら、だめ、なんだから」
「あっそ」
 おにいちゃんは関心なさげに言い、胸に手をすべらせる。やんわり揉まれて、私は息を詰めた。
「ふ」
「でかいな」
「でかく、ない」
 胸を揉んでいた手が、体操着の下に滑り込んで来た。

「ひゃあ」
 大きな手のひらが、お腹の柔らかい部分を撫でた。
「腹、ぷにぷに」
「や、だ」
 ぞくっとして、私は身を縮める。なんでこんなこと。
「おまえのせいなんだよ」
「え」
「彼女。おまえの話したら、すげー機嫌悪くなったんだ」
 なんで? だとしても、私のせいじゃないし。おにいちゃんは私の頭を引き寄せ、唇を合わせた。

「!?」
 くちびる、やわらかい。ちょっと開いた口の中に、おにいちゃんの舌が入り込んでくる。うそ、なんで? 頭のなか、くらくらする。

 大きな手のひらが、私の頭を撫でた。口の中、なんか、変。ちゅく、と水音がして、私は身体を震わせた。おにいちゃんは唇を離し、囁いた。
「エロい顔」
 身体がふるえる。なんで。
「う、っ……」
 私はぼろぼろ涙をこぼした。おにいちゃんが珍しくギョッとする。
「お、い」
「ば、か、初めて、キス……」
 私がしゃくりあげたら、
「泣くなよ。つーかそっちかよ」
 おにいちゃんはため息をついて、私の目元をぬぐった。それから、唇もぬぐう。

「ん」
「嫌いなやつとのキスはカウントしなくていいんだよ」
「そ、なの?」
「ああ。だから泣くなよ」
 そうか、よかった。私はホッと息を吐き、はっとした。
「よくないよ! いまの、全部セクハラだよ!」
「おせーよ。大丈夫かおまえ」

 おにいちゃんはため息をついて、私を離した。三角コーンを拾い上げる。
「もういいよ。教室帰れ」
 私は入り口で足を止め、おにいちゃんの背中に声をかけた。
「お、おにいちゃんは顔だけならかっこいいから、彼女できるよ」
「はいはい」
 おにいちゃんは振り返らずに、ひらひら手を振った。

 ★ 

 放課後、私は旧美術室へ向かった。五木先輩が絵を描いているかもしれない、と思ったのだ。扉の前に、おにいちゃんがいるのが見える。
「なにし……」
 声をかけようとしたら、羽交い締めにされた。

「ちょ、痛い。なに」
「いいから行くぞ」
 おにいちゃんはそのまま私を連れて行こうとした。
「……でさ」
 あ、五木先輩の声だ。私はおにいちゃんの腕を振り払う。かすかに開いた扉から、五木先輩と、多分三年生の女子がいるのが見えた。五木先輩はイーゼルの前に腰掛け、絵を描いている。女子は、机に座って、ぶらぶら足を揺らしている。

「ねえ、正樹《まさき》って意外とモテるよね」
「いきなり何」
「仲いいじゃない。あの、なんだっけ。川内さん?」
「別に。ただの後輩」
 ただの、後輩。
「怪しいなあ」
「妬いてんの?」

 五木先輩が、持っていた鉛筆を置いた。女子に唇を重ねる。先輩はそのまま、女子の身体を弄り始めた。
「ん、だめだよ……」
「いいじゃん、誰もこないって」

 そこで目を塞がれた。そのまま、ずるずる引きずられる。気がついたら、駐車場に来ていた。私は、ぼんやりと車を見た。これ、おにいちゃんの車かな。なんだか二重に見える。

「車、持ってたの?」
「こないだ買った。さっさと乗れ、ばかぷに」
 私は車に乗らずに、尋ねた。
「先輩に彼女いるって、知ってたの?」
「……知らねーよ。さっき初めて見た」
「なんで、言ってくれなかったの」
「だから、知らないって」
「笑ってたんだ。馬鹿みたいだって」
 私は声を震わせた。
「おにいちゃんなんか、嫌いだ」
「俺に当たったって仕方ねえだろ」
 そんなのわかってる。でも止まらなかった。

「パシリにするし、セクハラするし、大嫌い」
「うるさい」
 おにいちゃんが私の頭を引き寄せた。
「黙って泣け」
 私は、おにいちゃんのシャツにしがみついて泣いた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

マッサージ

えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。 背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。 僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる

春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。 幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……? 幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。 2024.03.06 イラスト:雪緒さま

男性向け(女声)シチュエーションボイス台本

しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。 関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください ご自由にお使いください。 イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました

パンツを拾わされた男の子の災難?

ミクリ21
恋愛
パンツを拾わされた男の子の話。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...