キャロルの猫は紅茶がお好き

あた

文字の大きさ
上 下
5 / 5

紅茶嫌いのアリス 5

しおりを挟む
 私とイオキベさんは、駅から五分ほどのところにある、交番に来ていた。
 最近の交番はオシャレだな。私は、モダンなつくりの交番を見上げてそう思った。それとも、京都だからデザイン性が高いのだろうか。
「ちょうど目の前の公園に放置してありました」

 交番のお巡りさんが爽やかに言う。私はお巡りさんにお礼を言い、自転車を引いて公園に向かった。イオキベさんは、公園のベンチに腰掛けている。彼は木洩れ日に目を細め、
「あと半月もすれば暑くなるんやろなあ」
 そうつぶやいて、先ほど購入した惣菜パンをかじる。
「あの、自転車見つかったので、そのパン代は払わなくていいですか?」
「なんでや。ここまで付き合ったんやから、必要経費や」
「うう……頼まなきゃ良かった」
 私は肩を落とした。

「ま、見つかって良かったやん」
 そうですね、と相槌を打ち、
「でも、鍵がないんです」
「鍵?」
「キーホルダーのついた鍵。誰かが乗り捨てていったのなら、付けっ放しになっていそうなんですが」
 イオキベさんはパンを齧るのをやめた。
「……ブルボン」
「その呼び方、やめてくださいってば」
 私は、クリームパン(90円)を手にした。ちなみに、イオキベさんが食べているのは120円の惣菜パンだ。

「なんやったっけ、あんたの……友達。靴べらみたいなのと、ピカピカしたやつ」
「ゆっしーと、みらんさんです」
「せや。その二人、今度店に連れて来て」
「お店に……? なんでですか?」
「こないだ悪いことしたし」
 イオキベさんはそう呟き、
「あ、倒れんといてよ」
 私を指さし、惣菜パン(120円)をかじった。



 自転車が戻ってきてから2日後のこと。私とゆっしー、みらんさんは、三人揃ってcarolに来ていた。五月の陽気とは離れた路地裏を、とっと、っと野良猫が歩いていく。
「まさか、またこの店に来るとは……」
「私、食べロ◯に悪口書いちゃったんだけど」

 それは……イオキベさんには黙っておいたほうがいいかもしれない。
「えーと、こないだ悪いことしたから、って言ってたよ」
「っていうか! いつの間にイオキベさんと仲良くなったのよ」
「うちの大学の学生だったんだよ」
 私がそう言うと、ゆっしーが反応した。
「学生? 店長じゃないんだ」
「みたい」
「学生か……」
 ゆっしーは何かを噛みしめるように頷いている。立場は同じ、立場は同じ、と聞こえた。みらんさんは腕を組み、
「っていうか、わざわざ呼び出したってことはタダとか?」
「それはどうだろう……」

 こないだ私に2000円近く出させた(財布を忘れたとはいえ)イオキベさんだ。お金はきっちり払わせるような気がする。そこが関西人という感じだけど。みらんさんはコンパクトを取り出し、髪型を直している。私がドアを押し開けると、店内からふわりと紅茶の匂いが漂った。思わずうっ、となる。

「いらっしゃいませ」
 イオキベさんが、カウンターにもたれて分厚い本を開いていた。その姿を見たみらんさんが、ほうっ、と息を漏らした。
「やっぱイケメン~」

 イオキベさんはカウンターを指差し、
「カウンターにどうぞ」
 私たちは、並んでカウンターに座った。みらんさんは上目遣いでイオキベさんをみて、
「あのう、こないだのクッキー美味しかったですぅ」
「そうですか」

 イオキベさんはさして嬉しくなさそうに返事をし、本をカウンターに置いた。そうして、じっとみらんさんを見つめる。みらんさんがかあっ、と赤くなった。
「な、なに?」
「素敵なイヤリングやね」
「えっ、そうですかあ?」
 みらんさんは頰に手を当て、頭を振る。その拍子に、イヤリングがゆらゆら揺れた。

「今日は、新メニューを味見してほしくて」
「新メニュー?」
「ちょっと待って、作るから」
 ケトルからしゅんしゅんと湯気が出る。イオキベさんはケトルのお湯をティーポットに注ぐ──ことはせず、カウンターの下から何かを取り出した。それをみて、私は目を瞬く。ラベルにはTIFIN、と書かれていた。

(あれはなんだろう……)
 イオキベさんは、背後にある冷蔵庫を開け、オレンジジュースのパックを取り出した。スプーンを使って計量し、氷を入れたグラスに注ぐ。そうして、私にグラスを差し出した。
「はい、どうぞ」
 私はグラスを受けとった。見た目はただのオレンジジュースにしか見えない。
 しかし……。

 匂いを嗅げばわかる。これは明らかに……お酒だ。ゆっしーが困惑気味に口を開く。
「イオキベさん、俺たち、一応18なんで……」
 イオキベさんはしれっとした顔で、
「せやった?」
 私は困惑していた。年齢の話はしたはずなのに、なぜイオキベさんはとぼけているのだろう。
 ふと隣を見ると、みらんさんが蒼白になっていた。イオキベさんは、みらんさんに分厚い本を差し出した。例の、「ブルボン王朝の歴史」という本だ。
「これ、読んだことある?」
 みらんさんは硬い表情で首を振る。

「そうなん? 意外やな。あんた、ブルボン好きなんやろ?」
 みらんさんは、イオキベさんを睨みつけた。
「何が言いたいの」
「自分でよくわかってるんちゃうの」
「……すっごく嫌味な人なんですね、イケメンなのにがっかり」
「僕は昔から、あんまり人間が好きやないんや」
 イオキベさんは手をぬぐいながら言う。
 みらんさんは黙って立ち上がった。イヤリングが揺れて光る。

「謝るべきちゃうの?」
「なにを」
 彼女は憮然としながら言う。
「彼女に。友達なんやろ」
「友達? 私に、友達なんかいない」
 みらんさんは、バックから何かを取り出し、私の前に放った。
「あっ、これ……」
 自転車の鍵だ。ちゃんとキーホルダーもついている。

「私は、これが欲しかっただけよ」
 私は呆然とみらんさんを見上げた。
「ど、どういう……」
 イオキベさんが、みらんさんに促す。
「自分で説明したほうがいいんちゃうの」
 みらんさんは冷めた目で彼を見返し、
「私、ブルボン社のキーホルダーを集めてるのよ」
「ブルボン社?」
 イオキベさんは、ポケットからスマホを取り出した。操作して、私に差し出す。画面に映っていたのは、通販サイトだった。

 キーホルダーが表示されていて、画面の下に値段が書かれていた。その値段をみて、私はギョッとする。
「2万円? キーホルダーが?」
「ブルボン社は、元々タダでキーホルダーを配っとるような会社やった。でも、生産しなくなって、プレミアがつくようになったんや」
 みらんさんは鼻を鳴らした。

「なにがブルボン王朝だか」
「この子に近づいたのは、キーホルダーほしさからか」
 みらんさんはちらりとわたしを見た。
「目つけてたのよ。この子、そのキーホルダーの価値もわかんないような感じだったし」
「普通にくれ、って言えばええやん」
「見た目は野暮ったいキーホルダーだからね。怪しまれるじゃない。それに、金銭要求されかねないし」
「酔わせて自転車盗んだ言い訳がそれか?」
 みらんさんはつまらなそうな口調で言う。

「鍵は返すつもりだった。プラモデル研究会に頼んで、そっくりなキーホルダーを作ってもらおうと思ってた」
「なんでこのカクテル選んだんや。この子が紅茶嫌いって、知っとったんやろ」
「だからよ。っていうか、紅茶くらいで気を失うとか、男の気を引きたいだけでしょ」
 私は黙っていた。なぜかひどくこめかみが痛かった。

 急に、昔のことを思い出した。あんたの顔が嫌いだ、と言われた。あんたを好く女なんかいない。自分を蔑まずにはいられないからだ、と。
 そうか。やっぱり、そうなんだな。

 ぽたり、と水滴が落ちる。目の前がぼやけているのがわかった。ゆっしーがおずおず声をかけてくる。
「八嶋さん……」
「……ウザ」
 みらんさんはそう言って、さっ、と席から立ち上がった。ドアを押し開けて去っていく。私は、目の前にあるグラスを掴んだ。そのまま、ぐいっとティフィンオレンジを飲み干した。

 次に目覚めた時には、ソファに寝かされていた。カウンターにもたれたイオキベさんが言う。
「あんたアホやない?」
「……はい、アホです」
「いや、言い返してくれんと、僕が悪者やないか」
 悪者。みらんさんは、果たして悪者だったのだろうか。

「友達、できなさそうです」
「ぼ、僕は……友達だよ」
 ゆっしーが小さな声で言う。イオキベさんは本をめくりながら、
「友達なんか必要ないわ。他人は信用できへん。一人が一番。紅茶さえあれば、人生は潤うんや」
 いったい、そこまで達観するほどの何がこの人にあったのだろう。

「なんで、みらんさんだって」
「もしあんたが自転車を盗んだとしてや、交番の前に捨てるか?」
「盗みませんが」
「例えばや。わざわざ交番の前で乗り捨てたのは、見つけやすいようにやないかな、と思った」 

 仮説やけどな、とイオキベさんは言った。
「ピカピカちゃんはゆっしーにあんたを任せて、自転車を交番前に乗り捨てた。それからキーホルダーを持って、叡山電鉄で三軒茶屋まで行く」
「なぜあなたまでゆっしーって呼ぶんですか」
 ゆっしーは不服げに言う。
「本名知らんし。靴べらの方がええ?」
「誰が靴べらですか」
 ぶつぶつ言うゆっしーをよそに、イオキベさんはカウンターの鍵を手にした。

「ブルボン社のキーホルダーは、身内に集めてる人がいるんや。あの子、耳にイヤリングしとるやろ。あれもそうやで」
「そうなんだ……」
「人を見たら泥棒と思え、やな」
 イオキベさんの手の中、キーホルダーがきらりと光った。

 翌日、駐輪場に自転車をとめていたら、見慣れた後ろ姿が見えた。私は彼女に近づいていき、小さな声で話しかけた。
「お、おはよう」
 彼女はこちらを見ずに、
「なんで話しかけてくるわけ」
「嬉しかったからだと思う」
 みらんさんに話しかけられたとき、本当は少し嬉しかった。

「ばっかじゃない」
 みらんさんはそう言って、さっさと歩き出す。いつもピカピカ光っている、両耳のイヤリングはなかった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

うつろな果実

硯羽未
キャラ文芸
今年大学生になった小野田珠雨は、古民家カフェでバイトしながら居候している。カフェの店主、浅見禅一は現実の色恋は不得手だという草食系の男だ。 ある日母がやってきて、珠雨は忘れていた過去を思い出す。子供の頃に恋心を抱いていた女、あざみは、かつて母の夫であった禅一だったのだ。 女の子でありたくない珠雨と、恋愛に臆病になっている禅一との、複雑な関係のラブストーリー。 主な登場人物 小野田 珠雨(おのだ しゅう)…主人公。19歳の女の子(一人称は俺)大学生 浅見 禅一(あざみ ぜんいち)…31歳バツイチ男性 カフェ経営 ※他の投稿サイト掲載分から若干改稿しています。大きくは変わっていません。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

片翼を染めた華

マカロニチーズ
キャラ文芸
遥か昔、妖怪と人間は戦ってきた。妖怪たちは人間達を害するからだ。妖怪を束ねる王が出てきてからは人間達は苦戦し甚大なる被害が出続けた。人間達を助けたのは‘‘とこしえ‘‘に住む妖達だ。人間と妖は協力し合って妖の王を倒した。だが妖怪王は呪いを残した。呪いが掛かったのはなぜか人間の術者の家系の者の生まれてくる子どもだ。呪いにかかってくる子が生まれたら母親は死して家に災いが降りかかる。という呪いを。呪いにかかった子は皆こう呼ばれた。‘‘忌子‘‘と。 これは特別な家系に忌子として生まれた一人の少女の物語

金の滴

藤島紫
キャラ文芸
ティーミッシェルの新たな店舗では、オープン直後から問題が続いていた。 秘書の華子は、崇拝する上司、ミッシェルのため、奔走する。 SNSでの誹謗中傷、メニューの盗用、ドリンクのクオリティーの低下……など、困難が続く。 しかしそれは、ある人物によって仕組まれた出来事だった。 カフェ×ミステリ おいしい謎をお召し上がりください。 illustrator:クロ子さん ==注意== こちらは、別作品「だがしかし、山田連太郎である」をベースに作り直し、さらに改稿しています。

不倫をしている私ですが、妻を愛しています。

ふまさ
恋愛
「──それをあなたが言うの?」

元虐げられ料理人は、帝都の大学食堂で謎を解く

逢汲彼方
キャラ文芸
 両親がおらず貧乏暮らしを余儀なくされている少女ココ。しかも弟妹はまだ幼く、ココは家計を支えるため、町の料理店で朝から晩まで必死に働いていた。  そんなある日、ココは、偶然町に来ていた医者に能力を見出され、その医者の紹介で帝都にある大学食堂で働くことになる。  大学では、一癖も二癖もある学生たちの悩みを解決し、食堂の収益を上げ、大学の一大イベント、ハロウィーンパーティでは一躍注目を集めることに。  そして気づけば、大学を揺るがす大きな事件に巻き込まれていたのだった。

神様の住まう街

あさの紅茶
キャラ文芸
花屋で働く望月葵《もちづきあおい》。 彼氏との久しぶりのデートでケンカをして、山奥に置き去りにされてしまった。 真っ暗で行き場をなくした葵の前に、神社が現れ…… 葵と神様の、ちょっと不思議で優しい出会いのお話です。ゆっくりと時間をかけて、いろんな神様に出会っていきます。そしてついに、葵の他にも神様が見える人と出会い―― ※日本神話の神様と似たようなお名前が出てきますが、まったく関係ありません。お名前お借りしたりもじったりしております。神様ありがとうございます。

処理中です...