ノア

あた

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祝福

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山中にこだまするように、蝉がやかましく鳴いている。春川直之はバス停を降りた途端目を焼く、まぶしい太陽の光に目を細めた。
「あー、あっつう……」
「ちょっとあんた、なにしてんの、早くせんかい」

 だらだらと歩く春川をにらみつけ、酒井が言う。
「俺、インドア派だから」
「はっ、あほちゃうか」
 ふん、とそっぽを向いた酒井の後をついて歩く、春川の耳には猫耳がない。酒井は背後を振り返って尋ねる。

「っていうか猫耳、なんで消えたんや」
「わかんね。ノア死んじゃったんじゃね」
「なんやったんやろな、ノアって」
 春川は首をかしげて鞄を担ぎなおした。リード音楽学院が倒壊し、理事長や教師たちは姿を消した。「ノア計画」がなんだったのかは報道されず、系列の学院もすべて封鎖。真相は闇に消えた。

「本当のこと、言ったほうがいいんちゃうん」
「消されるって」
 酒井はぴくりと肩を揺らし、目を伏せた。
「卑怯やな、うちら」
「しょーがねーでしょ、ふつー、自分がイチバン大事なの」
「あんたと一緒ってのが嫌やわ」
「ひどいこと言うなよ」

 春川と酒井は、リード学院の跡地に来ていた。手で自分を仰ぎながら、酒井が言う。
「しっかしこの手紙、ほんとに千秋さんからなん?」
「だって、そう書いてあったじゃん」
 二人は同じものを手にしていた。細い筆致で書かれた、一枚のはがき。

「同窓会を開きたいと思います。ぜひご参加ください」
 はがきをぺらりと裏返した酒井が言う。
「同窓会って、なにするんやろ」
「話があるんじゃないのー」
「話って?」
「先に逃げやがってこんちくしょう、みたいな?」
「千秋さんそういうキャラちゃうやん」

 二人は瓦礫と化したリード学院の前で立ち止まった。「立ち入り禁止」の看板が立っている。酒井がきょろきょろとあたりを見回した。
「どこにおるんやろなあ」
「久しぶり」
 瓦礫の開いた部分に、人影が見える。
「おう、久しぶり……」

 手をあげかけた春川は、明日香の様子を見てぎくりと動きを止めた。彼女は猫を抱いて、微笑んでいた。髪が伸びて、雰囲気が変わっている。――目だ。目が、明日香ではない、誰かに似ている。
「元気だった? 二人とも」
 明日香にそう問われ、春川はぎこちなく頷く。

「う、うん」
「千秋さん、なんか美人になったなあ。あ、ノアや。生きてたんやね」

 酒井は明日香の異変に気づかないのか、にこやかに笑っている。春川は真逆だった。こんなに暑いというのに、何か、ぞわぞわしたものを感じていた。

「ねえ、見て」
 明日香は二人をいざなって、瓦礫の中を指さした。そこには、白いピアノがあった。
「うわ、残っとるん? 奇跡やな」
「うん、そうなの」

 春川はますますいぶかしげに思う。すべて倒壊したというのに、そこだけつぶれずに残るなんてこと、あるだろうか。
「せっかくだから、一曲ずつ弾いてみない?」
 明日香の白い指が鍵盤をなぞる。

「うん、弾く弾く。何がええかなあ」
「バッハの、『主よ、人の望みよ、喜びよ』がいいな」
 千秋の言葉にうなずいた酒井が、弾きはじめる。酒井が弾き終わると、明日香の拍手がぱちぱちと響く。

「へへ、お粗末さまでした」
 照れながらピアノを立った酒井に代わり、春川に明日香の視線が注ぐ。

「春川君、弾いて」
 試されている。そう思った。春川はピアノに座り、鍵盤をたたき始めた。明日香はじっとこちらを見ている。ああ、誰に似ているかわかった。滝沢だ──そう考えてぞっとする。そんな馬鹿な、そんなことあるわけがない。

 いきなり、弦がバツン、と切れた。春川ははっとして、鍵盤から手を離す。
「あー、弦、切れちゃったみたいやな」
「残念。春川君の演奏、最後まで聞きたかったな」
 明日香はそう言って、目を細める。
「……バスの時間だ」

 春川は腕時計を見て立ち上がった。
「え、まだやん?」
「いいから、行こう。ごめん、千秋、また今度」
 春川は酒井の腕を引く。明日香が口を開いた。
「春川君」

 春川はびくりと立ち止まった。
「もうあまり、ピアノ弾いてないの?」
「……いや、あんなことがあったから」
「そう、残念だね」

 千秋はのんびりと言ったあと、囁く。
「また来年、同窓会しようね」
 春川は頷かず、酒井の手を引いたままその場を後にした。酒井が後ろから声を上げる。
「春川、どうしたん?」
「あれは……人間じゃない」

 ふと、思い出す。悪魔に魂を売ったというバイオリニストの話。千秋もそうなのだろうか。魂を売ったのだろうか。恐ろしくて、振り向くことができなかった。

 前から誰かが歩いてくる。春川は目を見開いてその人物を見た。歯がカチカチ鳴っていた。彼は春川をちらりと見て、生きていた時と同じように、薄く笑った。

 千秋明日香はがれきの下、ノアの毛並みをなでながら言う。
「春川君、気づいてたのかな」
「気づきよーがねえだろうよ、お前の魂が半分になったなんて」
「そうだね」
「どうして春川と酒井を呼んだんだ?」
「仲間だから」
「仲間、ねえ」
「嘘じゃないよ、春川君も、酒井さんも、夏美さんも、冬芽さんも、みんな、いい人だっ
た」

 明日香はそういって、ノアを抱いてがれきの下から出る。太陽がまぶしくて、目を細めた。



 学院が崩壊した時──がれきの下に埋まりかけた明日香に、ノアが言った。
「起きろ、明日香」
 まだ革命は終わってない。ノアはそう言った。明日香は声を震わせ、床に頭をこすりつけて、ノアに懇願した。

「革命なんて、どうでもいいの。滝沢君を、生き返らせて、お願い、ノア」
「世界が滅んでも?」
 ノアはそう尋ねた。そうか、滅び行く世界を救う、それが革命。何を犠牲にしても、人類を救う。それが、革命。明日香にそんなことはできない。

「助けて、ノア……」
 陰湿な笑い声が響いた。
「くく、その女、死ぬのかい?」
 ノアの背後に、ウトが現れた。ノアが忌々しげに言う。
「お前の薄ら笑いは、飼い主にそっくりだな」
「飼い主? 誰のことだい」
「神様を信じてないガキのことだよ」
「そんなことないね、あいつは誰より神を信じてたさあ」
「そうかい。じゃあ、信じる神を、間違えたんだな」

 ノアは跳躍した。そして、間髪入れず、ウトを食った。悲鳴すら、上がらなかった。
「お前の魂を半分よこせ、明日香」
 そしたら、あの薄ら笑いを生き返らせてやるよ、と、ノアは言った。明日香は、うなずいた。

 太陽神ウトは死んで、人類は滅亡への道を歩んでいる。
 人影がこちらへ近づいてきた。明日香はその人物に向かって、大きく手を振った。
「滝沢くん!」
 そして、三十年後、すべては音もなく、海のそこに沈む。

ノア/end
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