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不快
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****
ロンドンの中心部、ウエストミンスター宮殿から馬車で二里ほどいったところにあるキーズ家の居間。
ルイス・デュフォーはふてくされた態度で客に対応していた。彼はいらいらとソファの肘掛をたたき、
「だから、レイチェルが消えた理由なんて知りませんよ、警部さん」
客はスコットランドヤードからやってきた刑事だった。
「ですが、彼女は駅前のホテルに宿泊していました。あなたに会うためでは?」
警官は疑わし気にルイスを見ている。ルイスはその視線をうっとおしそうに手で払う。
「確かに、彼女は以前ここに来ましたよ。お金を貸してくれって。断ったら突き飛ばされたんだ!」
ルイスは大げさな仕草で、額を指さす。
「それまで媚びた声を出していたのに、いきなりですよ。まったく、甘い顔をするものじゃないな」
ルイスはそう言って、紅茶を飲み、顔をしかめた。
「まずいな。淹れなおしてくれ、モリ―」
そうメイドに申し付けるルイスを見て、
「しかし、そのあとレイチェルさんはホテルには帰ってこなかったそうじゃないですか。三日分宿泊代を払っていたのに」
警官がなおも言う。
「気が変わって別のホテルに泊まったんじゃないですか」
鼻を鳴らし、ルイスはクッキーをかじる。
メイドが新しい紅茶をテーブルに置く。と、テーブルがカタカタ揺れ始めた。
「ん?」
ルイスは眼下を見た。絨毯の上に、何か、赤いものが浮かんでいる。さっきまで、こんな模様はなかったはずなのに。
「なんだ、これ」
足先でつつくと、足首に蛇がからみついてきた。
「ひいっ!?」
ずずず、と引きずり込まれていくルイスを見て、警官が立ち上がる。
「デュフォーさん!?」
「助けてくれ!」
警官が慌ててルイスの手をつかむが、それもむなしく、彼はそのまま床に吸い込まれていく。
「うわああああ……」
深い穴に落ちて行くように、ルイスの声が遠ざかっていった。姿が見えなくなったルイスに、警官は呆然とする。
「ミッシング……」
そうして、メイドを見た。
「君、今の、見たかね!? 人が消えた!」
メイドはハア、と返事をし、どうでもよさげに、
「まあ、妖精が出る国ですから、人が消えることもあるでしょう」
と言った。
****
身体がどんどん落ちていく。下に向かって、強い力で引っ張られているような感覚だ。ルイスはどんどん落ちていき──
「ぎゃっ」
そう叫んで、床に転がった。そのせいで後頭部を強打する。
「いてて……」
頭を押さえながら起き上がると、靴先が見えた。ずいぶん上等なもののように見える。下手をすると、ルイスのものよりいい品かもしれない。そのまま視線を上げていくと、これもまた、仕立てのいいスーツが見えた。
血のような赤い瞳と、視線がかち合う。
男が一人、足を組んで座っていた。おそらく貴族なのだろう、人を見下すような目をしている。漆黒の髪。ルビーのような瞳は作り物めいていて、少々気味が悪い。容姿がいいので女には騒がれるだろうが、友人にはしたくないタイプだ、とルイスは思う。
「君は誰だ」
ルイスの問いに、彼は眉を上げた。
「人に聞く前に自分から名乗ったらどうだ?」
「僕はルイス・デュフォー。先日爵位を継承したから、男爵だ」
自慢げに言ったルイスに、男は無関心に返す。
「それはそれは。おめでとう」
──なんだ、この声は。カンに触るほどの美声だ。
他人のいいところを見つけると、ルイスは大抵いらだった。
「で、君は誰だ?」
「バアル」
「苗字は?」
「そんなものはない」
苗字すらない? まさか、貧民街の生まれなのだろうか。 偉そうにしているから何者かと思ったが、きっと卑しい身分の人間なのだ。
「バアル、ここはどこだ?」
「バビロン」
バアルはそう言って、窓の外を指さした。ルイスは立ち上がり、窓辺に向かう。そこから外を見て、目を見開く。
「なっ……」
窓の外には、見たこともない巨大な塔が建っていた。少なくともここはロンドンではない。いや、イギリスではない。それどころか──
「おい、ここは一体」
混乱しながら振り向くと、バアルが赤い瞳を冷たく光らせながらこちらを見ていた。耳は妙にとがっているし、こんな異様なところにいる人間など──
ゆっくりとバアルが立ち上がった。ばさり、と漆黒の羽根が広がる。ルイスはひっ、と息をのんで後ずさる。
「来るな、悪魔!」
そう言って十字架を突き出すと、バアルはそれを奪い取って、ルイスの襟首をつかんだ。
「ひいっ」
からん、と十字架が床に落ちる。赤い瞳がそれを見下ろした。
「さすが従兄弟だな。行動パターンが似てる」
「何言ってるんだ! 離せ!」
ルイスがもがいていると、バアルの背後から声が聞こえた。
「バアル、離してあげて」
ルイスは、バアルの背後から現れた人物を見て、目を見開いた。くすみのない金髪に、新緑の瞳。
「レイチェル……」
「久しぶりね、ルイス」
レイチェルの視線を受けて、ルイスが手を離した。床にへたり込んだルイスに近づいていき、しゃがみこんだ。
「なんで君、こんなところにいるんだい? 大体、どうやって庭から消えた?」
その問いには答えず、レイチェルはルイスの腕を引っ張った。
「座って」
ルイスは困惑気味に立ち上がり、レイチェルが指さした椅子に座った。レイチェルは彼の向かいに座る。バアルは腕を組んで窓にもたれた。
「あいつはなんなんだ?」
ルイスはそう言って、バアルをにらむ。
「さっき自分で言ってたじゃないか。悪魔だよ」
バアルはそう答え、
「彼にあなたを召喚してもらったのよ、ルイス」
レイチェルが続く。
「召喚? なんだいそれ、わけがわからない!」
ルイスがわめくと、バアルが「頭が悪いようだな。かわいそうに」と言った。
「なんだと!」
「ルイス」
レイチェルは従兄弟をじっと見た。
「あなた、何か私に隠していることはない?」
「は!?」
ルイスはいらいらと聞き返したが、レイチェルと視線が合うと、作り笑いをする。
「何言ってるんだい、レイチェル。君に隠し事なんかするわけないだろう?」
「そうかしら。あなたって嘘つくとき、貧乏ゆすりするのよね」
そう言って指さすと、ルイスは膝をゆするのをやめた。
「僕が何を隠してるっていうんだ」
「お茶を淹れてくるわ。待っていて」
レイチェルはそう言って、立ち上がった。
◇
台所に向かったレイチェルは、お茶の用意をしているバラムに「手伝うわ」と声をかける。バラムはうなずいて、ポッドをレイチェルに差し出した。レイチェルはそれを受け取って、ポケットにそっと手を入れ、小瓶を取り出した。
それをじっと見つめたあと、レイチェルはポッドの蓋に手をかけた。
ロンドンの中心部、ウエストミンスター宮殿から馬車で二里ほどいったところにあるキーズ家の居間。
ルイス・デュフォーはふてくされた態度で客に対応していた。彼はいらいらとソファの肘掛をたたき、
「だから、レイチェルが消えた理由なんて知りませんよ、警部さん」
客はスコットランドヤードからやってきた刑事だった。
「ですが、彼女は駅前のホテルに宿泊していました。あなたに会うためでは?」
警官は疑わし気にルイスを見ている。ルイスはその視線をうっとおしそうに手で払う。
「確かに、彼女は以前ここに来ましたよ。お金を貸してくれって。断ったら突き飛ばされたんだ!」
ルイスは大げさな仕草で、額を指さす。
「それまで媚びた声を出していたのに、いきなりですよ。まったく、甘い顔をするものじゃないな」
ルイスはそう言って、紅茶を飲み、顔をしかめた。
「まずいな。淹れなおしてくれ、モリ―」
そうメイドに申し付けるルイスを見て、
「しかし、そのあとレイチェルさんはホテルには帰ってこなかったそうじゃないですか。三日分宿泊代を払っていたのに」
警官がなおも言う。
「気が変わって別のホテルに泊まったんじゃないですか」
鼻を鳴らし、ルイスはクッキーをかじる。
メイドが新しい紅茶をテーブルに置く。と、テーブルがカタカタ揺れ始めた。
「ん?」
ルイスは眼下を見た。絨毯の上に、何か、赤いものが浮かんでいる。さっきまで、こんな模様はなかったはずなのに。
「なんだ、これ」
足先でつつくと、足首に蛇がからみついてきた。
「ひいっ!?」
ずずず、と引きずり込まれていくルイスを見て、警官が立ち上がる。
「デュフォーさん!?」
「助けてくれ!」
警官が慌ててルイスの手をつかむが、それもむなしく、彼はそのまま床に吸い込まれていく。
「うわああああ……」
深い穴に落ちて行くように、ルイスの声が遠ざかっていった。姿が見えなくなったルイスに、警官は呆然とする。
「ミッシング……」
そうして、メイドを見た。
「君、今の、見たかね!? 人が消えた!」
メイドはハア、と返事をし、どうでもよさげに、
「まあ、妖精が出る国ですから、人が消えることもあるでしょう」
と言った。
****
身体がどんどん落ちていく。下に向かって、強い力で引っ張られているような感覚だ。ルイスはどんどん落ちていき──
「ぎゃっ」
そう叫んで、床に転がった。そのせいで後頭部を強打する。
「いてて……」
頭を押さえながら起き上がると、靴先が見えた。ずいぶん上等なもののように見える。下手をすると、ルイスのものよりいい品かもしれない。そのまま視線を上げていくと、これもまた、仕立てのいいスーツが見えた。
血のような赤い瞳と、視線がかち合う。
男が一人、足を組んで座っていた。おそらく貴族なのだろう、人を見下すような目をしている。漆黒の髪。ルビーのような瞳は作り物めいていて、少々気味が悪い。容姿がいいので女には騒がれるだろうが、友人にはしたくないタイプだ、とルイスは思う。
「君は誰だ」
ルイスの問いに、彼は眉を上げた。
「人に聞く前に自分から名乗ったらどうだ?」
「僕はルイス・デュフォー。先日爵位を継承したから、男爵だ」
自慢げに言ったルイスに、男は無関心に返す。
「それはそれは。おめでとう」
──なんだ、この声は。カンに触るほどの美声だ。
他人のいいところを見つけると、ルイスは大抵いらだった。
「で、君は誰だ?」
「バアル」
「苗字は?」
「そんなものはない」
苗字すらない? まさか、貧民街の生まれなのだろうか。 偉そうにしているから何者かと思ったが、きっと卑しい身分の人間なのだ。
「バアル、ここはどこだ?」
「バビロン」
バアルはそう言って、窓の外を指さした。ルイスは立ち上がり、窓辺に向かう。そこから外を見て、目を見開く。
「なっ……」
窓の外には、見たこともない巨大な塔が建っていた。少なくともここはロンドンではない。いや、イギリスではない。それどころか──
「おい、ここは一体」
混乱しながら振り向くと、バアルが赤い瞳を冷たく光らせながらこちらを見ていた。耳は妙にとがっているし、こんな異様なところにいる人間など──
ゆっくりとバアルが立ち上がった。ばさり、と漆黒の羽根が広がる。ルイスはひっ、と息をのんで後ずさる。
「来るな、悪魔!」
そう言って十字架を突き出すと、バアルはそれを奪い取って、ルイスの襟首をつかんだ。
「ひいっ」
からん、と十字架が床に落ちる。赤い瞳がそれを見下ろした。
「さすが従兄弟だな。行動パターンが似てる」
「何言ってるんだ! 離せ!」
ルイスがもがいていると、バアルの背後から声が聞こえた。
「バアル、離してあげて」
ルイスは、バアルの背後から現れた人物を見て、目を見開いた。くすみのない金髪に、新緑の瞳。
「レイチェル……」
「久しぶりね、ルイス」
レイチェルの視線を受けて、ルイスが手を離した。床にへたり込んだルイスに近づいていき、しゃがみこんだ。
「なんで君、こんなところにいるんだい? 大体、どうやって庭から消えた?」
その問いには答えず、レイチェルはルイスの腕を引っ張った。
「座って」
ルイスは困惑気味に立ち上がり、レイチェルが指さした椅子に座った。レイチェルは彼の向かいに座る。バアルは腕を組んで窓にもたれた。
「あいつはなんなんだ?」
ルイスはそう言って、バアルをにらむ。
「さっき自分で言ってたじゃないか。悪魔だよ」
バアルはそう答え、
「彼にあなたを召喚してもらったのよ、ルイス」
レイチェルが続く。
「召喚? なんだいそれ、わけがわからない!」
ルイスがわめくと、バアルが「頭が悪いようだな。かわいそうに」と言った。
「なんだと!」
「ルイス」
レイチェルは従兄弟をじっと見た。
「あなた、何か私に隠していることはない?」
「は!?」
ルイスはいらいらと聞き返したが、レイチェルと視線が合うと、作り笑いをする。
「何言ってるんだい、レイチェル。君に隠し事なんかするわけないだろう?」
「そうかしら。あなたって嘘つくとき、貧乏ゆすりするのよね」
そう言って指さすと、ルイスは膝をゆするのをやめた。
「僕が何を隠してるっていうんだ」
「お茶を淹れてくるわ。待っていて」
レイチェルはそう言って、立ち上がった。
◇
台所に向かったレイチェルは、お茶の用意をしているバラムに「手伝うわ」と声をかける。バラムはうなずいて、ポッドをレイチェルに差し出した。レイチェルはそれを受け取って、ポケットにそっと手を入れ、小瓶を取り出した。
それをじっと見つめたあと、レイチェルはポッドの蓋に手をかけた。
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