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ずっと大好き 2
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海のような深い瞳。美しいプラチナブロンド。レイを初めて見たとき、なんて綺麗なひとなんだろう、と思った。
レイ・アースベルと私は、元々恋人同士だったのだという。私は、彼と恋人だったころから十年間ずっと眠り続けていた。
私はそのことをまるで覚えていなくて、レイは私の記憶がまるでないことを知って、泣いてしまった。レイがなぜ泣いているのか、わからなかった。だけど、この人に泣いてほしくない。そう思った。レイのことを覚えていないのに、彼の泣き顔を見たら、ひどく胸が痛んだ。
私はレイと話をした。
レイは、不思議な話をした。乙女ゲーム。悪役令嬢。強制力。私が眠りに落ちたのは、不可思議な力ゆえだと。まるで、遠い国のおとぎ話のようだった。
「セーレは、誤解されてたんだ。怖いって」
レイはそう言いながら、懐かしそうに目を細めた。私には、悪いうわさがたくさんあったらしい。悪いというよりは、事実無根の噂、といったほうがいいだろうか。周りから悪だと決め付けられる存在。リディアという子に意地悪をする悪役。つまり、私は嫌われものだったんだ。
そんな私を、どうして待ち続けたんですか。私はレイに尋ねた。彼ははにかんで、
「俺は、セーレのこと大好きだった」
「なぜ、ですか?」
「かわいいから」
かわいい。そう言われて、顔が熱くなった。
でも、レイが言っているのは、記憶をなくす前の「セーレ」についてだ。私のことじゃない。自分がどんな人間だったかも、私は思い出せないのだから。
「悪いうわさがあったのに、かわいい、ですか?」
「うん。俺はね、セーレが誤解されてて、複雑な気分だった」
レイは、気まずげに指を組み合わせ、すりすりと動かした。
「セーレのかわいいとこを、みんなに知られたくなかったから」
「……なぜ?」
私には、レイの真意がわからなかった。恋人が嫌われていたら、普通は嫌がるはずだ。彼は、秘密を明かす乙女のように、ほほを赤らめる。
「だって、知られたら、みんなセーレのこと好きになっちゃう」
私は絶句した。
何を言ってるんだろう。そんなこと、あるわけないのに。この人は、よほど「セーレ」が好きだったらしい。レイが語る「セーレ」はものすごく魅力的な女の子で、自分のことだとは、なかなか思えなかった。
それから、レイ・アースベルは、毎日病室にやってきた。というよりも、レイは私の主治医らしかった。ぽやんとしているように見えるが、採血も血圧を測る仕草も、聴音機で心臓の音を聞く仕草も、きちんとした医者そのものだった。
医者とはいえ、若い男性の前でシャツをめくり上げるのは、さすがに恥ずかしかった。レイは裸なんか見慣れているだろうけれど、私を慮り、少しあげるだけでいいよ、と言ってくれた。
でも聴音機がシャツの中に入ってくるとやっぱり気まずくて、レイの顔を見られなかった。
彼はいつも、採血が終わると飴をくれた。
色とりどりの包み紙にくるまれた飴玉。綺麗で可愛くて、なんだかもったいなくて、なかなかそれを食べることができずに、薬入れとして使っている缶の中に入れておいた。
「飴は、セーレのお父さんにもらったんだよ。セーレの家はお菓子メーカーなんだ」
レイはそう言っていた。私は父のことを思い返す。十年の眠りから目覚めてすぐに、父だと名乗る人物が現れた。まるで丸太のような体型をした彼は、私を見て絶句し、その瞳に、みるみるうちに涙をためた。父はどすどす音を立てながらこちらにやってきて、私を強く抱きしめた。彼は私の肩に顔をうずめ、しゃくりあげた。
「セーレ……! よかった、本当によかった」
セーレはおずおずと、お父さん、と呼んだ。するとまた、父は泣き声を大きくした。記憶をなくしたことを知ると、父は苦しげな顔になった。レイと同じ反応だった。
「どうして、おまえばかり……」
「ごめんなさい」
「あやまらなくていい。おまえは悪くないんだ」
悪くないんだ。言い聞かせるように、父は言った。悪くないのに、なぜ私は十年も眠り続けたのだろう。レイは強制力のことを教えてくれたけれど、強制力が働いた理由は教えてくれなかった。
なぜ、私は記憶をうしなったのだろう。わからなかった。誰でもいいから、その疑問に答えてくれる人が現れないだろうか。私はそう思っていた。
私が目覚めたことを知り、様々な人がお見舞いにきてくれた。アーカードとリディア。ゲームのヒロインと、メインヒーロー。レイに教えられた情報を頼りに、私は彼らと会話した。リディアは可愛らしく、アーカードはそんな彼女を愛しているのがよくわかった。
メリアという女の子もお見舞いに来てくれた。
彼女は私を見るなり泣き出してしまい、付き添いのリカルドという青年になだめられていた。
「ほら、そんなに泣いたらセーレが気にするぞ」
「ご、ごめんなさい」
メリアは気を落ち着けたあと、見舞いだと言ってフルーツをくれた。リカルドは器用にリンゴを剥いたあと、レイと共に病室を出て行った。あの二人は仲がいいのだろうか。
私はウサギ型のリンゴを眺め、メリアに尋ねた。
「私とあなたは、どういう知り合いなのかしら」
「私は……取り巻き、といえばわかりますか」
「取り巻き?」
メリアは何かを言いよどんでいた。
「もしかして、ゲームのことが関係あるのかしら」
私の言葉に、メリアがハッとした。彼女は意を決したように拳を握りしめ、こう告げる。
「私……セーレさまが悪役令嬢だって知っていました」
メリアは涙をぬぐい、訥々と語った。メリアには前世の記憶があり、乙女ゲーム「真紅のリディア」の愛好者だった。セーレと同じく、ゲームのキャラクター生まれ変わったのだが、メリアの役割は「脇役」だった……。
「あなたはいい人だと、知ってました。でも何もできなくて……私はただの、脇役だから」
メリアはそう言って俯いた。私にも味方がいたのだ。そう思うと嬉しかった。私は、メリアの肩にそっと手を置いた。メリアがおそるおそる顔をあげる。
「前世のことも、悪役令嬢だったことも、まだ何も思い出せないの。でも……私とお友達になってくれる?」
メリアは瞳を潤ませ、はい、と返事をした。
レイ・アースベルと私は、元々恋人同士だったのだという。私は、彼と恋人だったころから十年間ずっと眠り続けていた。
私はそのことをまるで覚えていなくて、レイは私の記憶がまるでないことを知って、泣いてしまった。レイがなぜ泣いているのか、わからなかった。だけど、この人に泣いてほしくない。そう思った。レイのことを覚えていないのに、彼の泣き顔を見たら、ひどく胸が痛んだ。
私はレイと話をした。
レイは、不思議な話をした。乙女ゲーム。悪役令嬢。強制力。私が眠りに落ちたのは、不可思議な力ゆえだと。まるで、遠い国のおとぎ話のようだった。
「セーレは、誤解されてたんだ。怖いって」
レイはそう言いながら、懐かしそうに目を細めた。私には、悪いうわさがたくさんあったらしい。悪いというよりは、事実無根の噂、といったほうがいいだろうか。周りから悪だと決め付けられる存在。リディアという子に意地悪をする悪役。つまり、私は嫌われものだったんだ。
そんな私を、どうして待ち続けたんですか。私はレイに尋ねた。彼ははにかんで、
「俺は、セーレのこと大好きだった」
「なぜ、ですか?」
「かわいいから」
かわいい。そう言われて、顔が熱くなった。
でも、レイが言っているのは、記憶をなくす前の「セーレ」についてだ。私のことじゃない。自分がどんな人間だったかも、私は思い出せないのだから。
「悪いうわさがあったのに、かわいい、ですか?」
「うん。俺はね、セーレが誤解されてて、複雑な気分だった」
レイは、気まずげに指を組み合わせ、すりすりと動かした。
「セーレのかわいいとこを、みんなに知られたくなかったから」
「……なぜ?」
私には、レイの真意がわからなかった。恋人が嫌われていたら、普通は嫌がるはずだ。彼は、秘密を明かす乙女のように、ほほを赤らめる。
「だって、知られたら、みんなセーレのこと好きになっちゃう」
私は絶句した。
何を言ってるんだろう。そんなこと、あるわけないのに。この人は、よほど「セーレ」が好きだったらしい。レイが語る「セーレ」はものすごく魅力的な女の子で、自分のことだとは、なかなか思えなかった。
それから、レイ・アースベルは、毎日病室にやってきた。というよりも、レイは私の主治医らしかった。ぽやんとしているように見えるが、採血も血圧を測る仕草も、聴音機で心臓の音を聞く仕草も、きちんとした医者そのものだった。
医者とはいえ、若い男性の前でシャツをめくり上げるのは、さすがに恥ずかしかった。レイは裸なんか見慣れているだろうけれど、私を慮り、少しあげるだけでいいよ、と言ってくれた。
でも聴音機がシャツの中に入ってくるとやっぱり気まずくて、レイの顔を見られなかった。
彼はいつも、採血が終わると飴をくれた。
色とりどりの包み紙にくるまれた飴玉。綺麗で可愛くて、なんだかもったいなくて、なかなかそれを食べることができずに、薬入れとして使っている缶の中に入れておいた。
「飴は、セーレのお父さんにもらったんだよ。セーレの家はお菓子メーカーなんだ」
レイはそう言っていた。私は父のことを思い返す。十年の眠りから目覚めてすぐに、父だと名乗る人物が現れた。まるで丸太のような体型をした彼は、私を見て絶句し、その瞳に、みるみるうちに涙をためた。父はどすどす音を立てながらこちらにやってきて、私を強く抱きしめた。彼は私の肩に顔をうずめ、しゃくりあげた。
「セーレ……! よかった、本当によかった」
セーレはおずおずと、お父さん、と呼んだ。するとまた、父は泣き声を大きくした。記憶をなくしたことを知ると、父は苦しげな顔になった。レイと同じ反応だった。
「どうして、おまえばかり……」
「ごめんなさい」
「あやまらなくていい。おまえは悪くないんだ」
悪くないんだ。言い聞かせるように、父は言った。悪くないのに、なぜ私は十年も眠り続けたのだろう。レイは強制力のことを教えてくれたけれど、強制力が働いた理由は教えてくれなかった。
なぜ、私は記憶をうしなったのだろう。わからなかった。誰でもいいから、その疑問に答えてくれる人が現れないだろうか。私はそう思っていた。
私が目覚めたことを知り、様々な人がお見舞いにきてくれた。アーカードとリディア。ゲームのヒロインと、メインヒーロー。レイに教えられた情報を頼りに、私は彼らと会話した。リディアは可愛らしく、アーカードはそんな彼女を愛しているのがよくわかった。
メリアという女の子もお見舞いに来てくれた。
彼女は私を見るなり泣き出してしまい、付き添いのリカルドという青年になだめられていた。
「ほら、そんなに泣いたらセーレが気にするぞ」
「ご、ごめんなさい」
メリアは気を落ち着けたあと、見舞いだと言ってフルーツをくれた。リカルドは器用にリンゴを剥いたあと、レイと共に病室を出て行った。あの二人は仲がいいのだろうか。
私はウサギ型のリンゴを眺め、メリアに尋ねた。
「私とあなたは、どういう知り合いなのかしら」
「私は……取り巻き、といえばわかりますか」
「取り巻き?」
メリアは何かを言いよどんでいた。
「もしかして、ゲームのことが関係あるのかしら」
私の言葉に、メリアがハッとした。彼女は意を決したように拳を握りしめ、こう告げる。
「私……セーレさまが悪役令嬢だって知っていました」
メリアは涙をぬぐい、訥々と語った。メリアには前世の記憶があり、乙女ゲーム「真紅のリディア」の愛好者だった。セーレと同じく、ゲームのキャラクター生まれ変わったのだが、メリアの役割は「脇役」だった……。
「あなたはいい人だと、知ってました。でも何もできなくて……私はただの、脇役だから」
メリアはそう言って俯いた。私にも味方がいたのだ。そう思うと嬉しかった。私は、メリアの肩にそっと手を置いた。メリアがおそるおそる顔をあげる。
「前世のことも、悪役令嬢だったことも、まだ何も思い出せないの。でも……私とお友達になってくれる?」
メリアは瞳を潤ませ、はい、と返事をした。
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