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ハッピーバースデー 2

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 今日は九月二十三日。私の17歳の誕生日だ……セーレ・バーネットとしての、という注釈はつくけれど。
 そして今日は、レイとデートする日でもある。誕生日に、レイからもらったリップ。唇に塗って、鏡を覗きこんだ。少しだけ気恥ずかしい。だけど、今日は特別な日だ。レイが私を、祝ってくれるのだから。

 私とレイは、駅前で待ち合わせした。車から降りて、レイを探す。彼は、時計の前に立っていた。爽やかなブルーのシャツを着ている。
「レイさま」
 私が駆け寄ると、深い海色の瞳がこちらへ向いた。
「お待たせしました」
 レイは私をじっと見ている。視線がいたい。しびれを切らし、尋ねた。
「あの、なにか変でしょうか」
「ううん。かわいい」
 私はかあっと赤くなった。

「いこっか」
 レイが差し出した手を、私は握った。彼は私をロータリーまで連れて行き、水族館行きのバス停前に導いた。
「セーレ、水族館すき?」
「はい」
「よかった」
 レイが微笑む。周りの女の子たちが、ちらちら彼を見ていた。レイは列の先頭へと目をやり、
「混んでるね」
「休みですから」

 バスに乗り込んだ私とレイは、周りからぎゅうぎゅう押された。九月なので、少し暑い。私がため息をついていたら、レイが大丈夫? と尋ねてきた。
「はい、大丈夫です」
「もうちょっとでつくから」

 彼はそう言って、汗で張り付いた私の前髪をそっと撫でた。汗の匂いがしてしまうんじゃないだろうか。そう思って、ハラハラする。しかし、レイは気にしていない様子で私を支えている。


 水族館につくと、ほとんどの客がバスから降りた。私は狭い車内から解放され、思わず伸びをする。
「チケット買ってくるね。セーレ、待ってて」
 そう言って、レイがチケット売り場へ向かう。私は汗をハンカチでぬぐい、入り口近くにあるベンチに腰掛けた。
「はい、チケット」
「ありがとうございます。お金……」
「ううん、いい」
 レイはそう言って、財布を出そうとした私の手を押しとどめた。

「セーレは今日誕生日なんだから、俺が出す」
「じゃあ、お昼は私が出します」
「だめ、セーレは今日、何もしなくていいの」
 彼はそう言って、誕生日だから、と念をおした。 レイがこんなに強く言うのは珍しい。
「は、はあ」
 私が不可解に思いつつ頷くと、満足げな顔になる。
「行こう」
 レイに促され、水槽の方へと歩き出した。


 ☆


「セーレ、見て。イルカだ」
「かわいいですね」
 レイは目を輝かせて、水槽に顔を寄せたイルカを見ている。なんだか子供みたい。私がくすくす笑っていたら、レイが不思議そうにこちらを見た。
「どうしたの?」
「いえ、イルカがお好きなんですね」
「うん。賢くてかわいいから」
 レイはいつになく熱っぽい口調で言った。
「知ってる? イルカはね、弱ってる人のところに寄ってくんだ。イルカが人を助けたって話もあるくらいだから」
「そうなんですか」

 私はじっと、イルカを見つめた。知性をたたえたつぶらな瞳が見返してくる。
「セーレはイルカに似てるね」
「え?」
「賢くて、綺麗で、かわいい。俺がこんなにセーレを好きなのは、セーレの前世がイルカだからかも」
「私の前世は、イルカじゃないですよ」
 ただの冴えない女子高生だ。
「セーレ?」
 レイが顔を覗きこんできたので、私は慌てて返事をした。
「はい」
「どうかしたの?」
「いえ、なんでもありません」

 私が微笑んだら、レイがあっちに行ってみない? と私を促した。エスカレーターの四方を、水槽が囲んでいる。水槽を泳いで行く魚たちは、とても綺麗で可愛かった。視線を感じたので横を向いたら、レイがこちらをじっと見つめていた。

「あ、の?」
 首を傾げたら、レイがはにかんだ。
「セーレがかわいいから、見とれちゃった」
「さ、魚を見てください。魚のほうがかわいいです」
「魚はかわいいけど、魚を見ててもどきどきしないから」

 なんでこうも恥ずかしいことをさらっと言えてしまうのだろう、この人は。恥ずかしくなった私は、エスカレーターを降りて、視界に入った水槽の方へと足早に歩き出した。


 ☆


 一通り館内を見て回っていたら、すでに十二時を過ぎていた。私はレイとともにカフェに入り、サンドイッチを食べた。
 彼はコーヒーを一口飲んで、鞄をゴソゴソ探った。そうして、中から包みを取り出す。
「誕生日プレゼント。気にいるかわかんないけど」
「ありがとうございます。嬉しいです」
 私が受け取ると、そわそわしながらこちらを見た。 
「開けてみていいですか」
「うん」

 私は紙袋を開いて、中のものを取り出す。涙型のペンダントトップをあしらったネックレスが入っていた。
「どう?」
「きれいです」
「つけてあげる」

 レイはネックレスを手に立ち上がり、私の後ろに立った。首元にネックレスをかけたあと、再び席につく。ネックレスをつけた私を見て、相好を崩した。
「すごい、かわいい」
「本当ですか?」
「うん」
「大事にします」

 食事を終えたレイと私は、午後からのイルカショーを見た。イルカが飛沫をはねあげるたびに、観客たちは感嘆の声をあげる。レイも嬉しそうにイルカを見つめていた。

 幸せだ。このまま、ずっとこうしていられたらいいのに。私は、レイの手をそっと握りしめた。深い海色の瞳がこちらを見る。彼はそっと私の手を握り返してきた。
 神さま、ありがとうございます。この人に出会わせてくれて、ありがとう。私は心のなかでそう唱えた。


 ☆


 水族館から出ると、空が暮れなずんでいた。私とレイはバス停に向かい、バスが来るのを待つ。行きと違い、やって来たバスに座ることができた。バスの揺れが心地いいのか、レイはうとうと頭を揺らしている。すると、いきなりバスが急ブレーキをかけた。

「っ!」
 がくん、とバスが揺れた、その瞬間。いきなり、目の前に映像が現れた。

 制服姿の私が、バスに乗っていた。確か、隣にサラリーマンが立っていて、マンガを読んでいた気がする。バスが急に激しく揺れて、私はサラリーマンにぶつかった。
 乗客たちはみんな席から投げ出され、床に倒れた。バスは蛇行した末、横転した──
 そうして視界が、ブラックアウトしたのだ。

「びっくりしたね」
 レイの声で、私はハッと意識を浮上させた。ドクドクと心臓が鳴っている。今のは、私が死んだ時の記憶だ。私は通学途中、バスの事故にあって死んだのだ。今日と同じ日に。
 固まっている私に、レイが心配げな顔を向けて来た。

「セーレ? 大丈夫? 顔色悪いよ」
「……いえ」
 私はふ、と息を吐いた。今更こんなことを思い出すなんて、どうかしている。なんでもないんです。私はそう微笑んでみせた。


 ☆


 バスは駅のロータリーに滑り込んで行き、終点だと告げた。私はレイとともにバスを降りて、歩き出した。銀時計の前で立ち止まり、頭を下げる。
「今日はありがとうございました」
「ううん」

 首を振ったレイが、じっと私を見つめた。唇が近づいてくる。唇が重なって、私は目を閉じた。ヒュー、という声が聞こえて、頰が熱くなる。唇を離したレイが、私の髪を撫でながら囁いた。

「また学校でね」
「は、い」
 全然気にしていないようだ。なぜ恥ずかしくないのだろう。迎えに来た車に乗りこんだ私に、レイが手を振った。
「ばいばい、セーレ」
「はい、さようなら」

 ドアが閉まっても、レイはまだ手を振っていた。私はレイにもらったネックレスを撫でてはにかんだ。今日は、世界で一番幸せな誕生日だった。


 ☆


 翌日、私は学園の図書室へ行こうと階段を降りていた。頭上から嫌味ったらしい声が降って来る。
「お誕生日デートはどうだったあ?」
 見上げなくても誰かわかる。アレックスがにやにや笑いながら階段を降りてきた。私は胡乱な目で彼を見て、
「……どうして知ってるの?」
「カマかけただけー。リア充のやることなんか大体予想つくし。お誕生日にはーカレとデートしてープレゼントもらうのー給料三カ月ぶんー」

 気持ちの悪い声を出しているが、あれはまさか私のマネなのだろうか。しかし、怒ったら負けだ。彼は人の神経を逆なでするのが好きな男なのだから。
「ええ、楽しかったわ」
「よかったねえ」 
 そう言いつつ、アレックスの目は笑っていなかった。

「……なに、その目は」
「夢見が悪くてさ」
 彼は私の首筋に指を這わせた。指先で、レイにもらったネックレスを掬い上げる。
「なあ、セーレさま。たまに不安にならない? 楽しければ楽しいほど、不安になること、ない?」

 私は、昨日バスの中で見た映像を思い出した。あれはフラッシュバックというやつなのだろうか。心のどこかに不安があるのだろうか。だから、あんな幻覚を見るんだろうか。アレックスは、観察するような目でこちらを見ている。

 私は彼の手を払いのけた。ネックレスがしゃらりと音を立てる。
「そんなこと、ないわ」
「ほんと? ならよかった。幸せ絶頂だもんね。末長く爆発してくださいよ」
 アレックスはそんなことを言いながら、懐から封筒を出した。

「はい、誕生日プレゼント」
「なんですか」
「いいもの」
 私に封筒を押しつけ、階段を降りて行く。私は彼の背中に声をかけた。
「アレックス」
 振り向いた彼に、
「お誕生日おめでとう」

 そう言ってやったら、彼は目を瞬いた。皮肉げに笑って、
「ありがとうございます、セーレ様」
 そのまま去って行った。私は、アレックスが手渡してきた封筒を開けて見た。
「あ」

 封筒の中には、写真が入っていた。レイと私が一緒に映っている写真。それを取り出して、じっと見る。それから、胸に抱きしめたら、涙型のペンダントがしゃらりと音を立てた。
 大丈夫。不安があっても、レイがそれを和らげてくれる。
 あの人がいれば、私はこの世界で生きていけるのだ。
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