上 下
7 / 41

不思議王子のホワイトデー

しおりを挟む
 バレンタインデー、セーレが俺にチョコレートをくれた。すごく嬉しくて、その日は8時間しか眠れなかった。え? 十分寝てるだろうって? そんなことない。俺はいつも、12時間は寝てるから。そして、バレンタインから一か月たち、季節は三月だ。

「ねえ、もうすぐアーカードさまのお誕生日ね」
「私、ケーキを作って差し上げようかしら」
 リュミエール学園の制服を着た女の子たちが、嬉しそうな声で話しながら、俺の背後を通り過ぎた。

 ああ、そうだ。アーカード、もうすぐ17歳になるのか。めでたいな。──そんなことより。
「ホワイトデーって、なにあげればいいんだろう」

 俺は雑誌をめくりながらつぶやく。ちなみに、今本屋で立ち読みをしていた。最近だいぶ暖かくなってきて、コートなしでも立ち歩ける。学校の帰り、本屋に寄って、「ホワイトデー特集」とかいう雑誌タイトルに目を引かれたのだ。

 ページをパラパラめくっていたら、はたきをかけていた店主が咳払いしたので、購入することにした。

 ふと、女の子が棚に手を伸ばしているのに気づく。さらさらした金の髪、すらりとした後ろ姿。一生懸命背伸びしてるけど、届かないみたい。
 俺は近寄っていき、後ろからひょいと手を伸ばした。

 空色の瞳がこちらを向く。セーレ・バーネット。綺麗で可愛い、俺の婚約者だ。
「レイさま」
「これ買うの?」
「はい、あっ」

 俺はセーレが持っていた本と雑誌を抱え、レジへ向かう。セーレはわたわたと慌てていた。
「レイさま、私自分で買います」
「いいよ、ついでだし」

 俺は二冊買って、そのまま店を出る。セーレは俺の横を歩きながら、
「あの、本の代金を」
「お茶してこうか」
「はい?」
「あそこの喫茶店、美味しいよ」

 俺は喫茶店を指差し、にこ、と笑う。セーレは困ったような顔をしながら頷いた。


 ★


 喫茶店に入って、一番奥の席につく。
「落ち着きますね」
「でしょ? 入学したころは学校をサボって、よくここでお茶してた」
「さ、サボって……?」
 セーレは非難の目でこちらを見てくる。セーレも、アーカードと同じくらい真面目なのだ。昔のことだし、水に流してほしい。

「なんにする?」
「私は、ダージリンを」
「俺はアッサム」
 セーレがそわそわしているので、どうしたの、と尋ねた。セーレは店員さんに声をかける。
「あの、「午後三時のケーキ」って、まだありますか」
「はい、ございますよ」
 セーレはその答えに顔を明るくした。ケーキが食べたかったらしい。嬉しそうに笑うセーレが可愛い。注文を終えたら、セーレが財布を開いた。
「本のお金を」

 やっぱり真面目だ。どうしてアーカードと気が合わなかったんだろう。まあ、合ってしまったらこまるんだけど。俺は本の代金を受け取り、セーレに本を手渡した。

「ありがとうございます」
 セーレは大事そうに本の表紙を撫でている。
「それ、何の本?」
「少女小説なんです。大好きなシリーズで」
 俺はその小説が羨ましくなった。俺もセーレに大好きって言われたい。
「面白いの?」
「はい。ヒロインが可愛いんです」

 セーレははにかんで、楽しそうに小説の説明をする。そのヒロインがどれだけ魅力的かはわかんないけど、絶対セーレのほうが可愛いに決まってる。  
「それで……」

 セーレの話がシリーズの3巻目くらいに達したところで、紅茶が運ばれてきた。セーレはカップを手にし、香りをたのしんで、いい匂い、とつぶやいた。唇につける。ついつい唇に目が行くのは、俺がやらしいからなのか、セーレが可愛すぎるせいなのか、どっちだろう。

「美味しいです」
 俺がなにを考えてるかなんてしらないセーレは、笑みを浮かべる。
「よかった」

 セーレはケーキをみて美味しそう、と目を輝かせた。普段からもっと高級なケーキ、たくさん食べてるはずなのに。フォークで切り分ける。俺はケーキを食べたいわけじゃなかったけど、人が食べてるのを見ると羨ましくなる。

「ひとくちちょうだい」
「へ?」
 俺はセーレの手を掴み、フォークを口に入れた。
「っ!」
「あ、うまい」
「わ、私が使ったフォークなのに」
「気にしないけど」

 セーレは顔を赤らめている。──あれ? いまの、間接キス? なんか恥ずかしくなったかも。俺は口元を覆って、ちら、とセーレを見た。フォークを拭こうか迷っている。迷った末に、ティースプーンでちまちま食べ始めた。可愛いな。

「ねえ、セーレ、ホワイトデーなにがほしい?」
「え」
「お返し。雑誌買ったけど、セーレに会えたし、聞いとこうかなって」
「お返しなんて、いいです」
 セーレは慌てて首を振る。

「それはだめ。なにか言って」
「え、ええと、じゃあ、飴をください」
「うん、わかった。美味しいの探す」

 飴で思い出す。俺の初恋、飴をくれた女の子。あの飴、すごく美味しかったな。よし、あの飴を探そう。

「レイ?」
 その時、少し高めの声がして、俺は顔をあげた。
「やっぱりレイ。久しぶりね」
 こちらを見下ろすのは、美人だけどケバい女の子。
「えーと……だれ?」
「ヤダ、相変わらずねー。私よ私、ミルテ」

 ──あ。思い出した。昔、近所に住んでいた、ミルテ・ブラウンだ。じろじろこちらを見たミルテは、
「ふーん、相変わらずぼんやりしてるけど、すっごいいい男になったわね」
「ミルテはケバいね」
「ヤダ、そういうとこほんと変わんない」

 ミルテは眉をあげ、セーレに目を移した。
「うわ、すっごい美人。あんたぼんやりのくせに面食いね」
「こんにちは……」
 そうだ、ミルテは飴のこと知ってるかもしれない。

「ミルテ、ちょっといい」
 俺はミルテの腕を引いた。なんとなく、初恋の話はセーレには聞かせたくなかった。

「は? 飴?」
 ミルテは怪訝な顔をしている。
「うん。知らない?」
「知るわけないでしょ。大体ね、ホワイトデーに飴もらって喜ぶ女なんかいないわよ」

 え、そうなの? でも、セーレがほしいって言ったのに。
「レイさま、私、先に失礼します。お茶代、置いておきました」
「え?」

 セーレは俺に背を向けた。さっさと行ってしまった。
「セーレ、ちょっ」
 バタン、と喫茶店の扉が閉まる。なんだろ、ちょっと怒ってた気がする。さっきまでいい感じだったのに。

「仕方ないわね、このミルテちゃんが、ぼんやりレイくんに変わってとっておきの品を選んであげるわ。ってことで、今週の日曜駅前10時に集合ね」
「え?」
 なんでそうなるの?

 ★

 日曜日。俺は駅前でミルテを待っていた。時計は10時をさしてるけど、ミルテは一向に現れる気配がない。まさか忘れてないよな。春の日差しはあたたかで、ベンチに座っているだけで、眠くなってしまう。 いっそ、ミルテがこないほうが平和なのに。

 くあ、とあくびをしていたら、ふ、と影が落ちた。あ、来たかな。顔をあげたら、見知らぬ女の子二人組がたっていた。

「あの、ひとりですか?」
「え? うん、一応」
「えっと、お茶とかどうかなって」
 お茶? なんで? 俺がじっと見たら、女の子たちは真っ赤になった。具合でもわるいのかな。

「お待たせ、レイ」
 高い声と、ミュールの鳴る音。ミルテ・ブラウンが現れた。サングラスをバッ、と取り、俺を見下ろす。美人なんだけど、やっぱりケバい。高校生に見えない。

「あら、あなたたち、どなた?」
 ミルテの眼光を受けて、女の子たちが去っていった。
「なにをナンパされてるのかしらね、このぼんやり男は」

 いまのナンパだったのか。街をひとりで歩くとやけに声をかけられるし、俺はやっぱりぼんやりして見えるんだろうな。
「ミルテが遅いからだろ」
「遅くないわよ」
「もう十時過ぎてる」
 俺が時計を指差すと、
「あの時計が壊れているのよ。行政の怠慢ね」
 すごい言い訳だ。

「さあ、行くわよ、レッツ・ショッピング!」
 ミルテはうきうきと歩き出し、俺は気乗りしないまま歩みを進めた。

 ★


 駅前はショッピングモールになっていて、日曜は混み合っている。高級ブティックの店舗も入っていた。
「やっぱり女の子は靴よ。おしゃれは靴から始まるんだから」
 ミルテはそう言って靴屋に入る。
「セーレの靴のサイズ、しらないから」
「はあ? ちゃんとチェックしないとだめじゃない。靴と指輪のサイズと、誕生日はチェックしなきゃ」

 指輪は気が早すぎないかな。誕生日、そういえばしらない。今度聞こう。おれがぼうっとしている間に、ミルテは靴を買った。と思えば違う店に入り、バックや靴を買い、俺にお願い、とか言って荷物をもたせる。あっという間に、両手が塞がってしまった。

 あれ? もしかして、俺、パシリにされてるのかな。

「なあ、ミルテ。次はどこ行くの」
「え? そうね、化粧品売り場に行きましょう」
「じゃあ俺はあのカフェで待ってるから」
 退散しようとしたら、襟首をつかまれた。
「あんたがいなきゃ意味がないのよ」
「わけがわからない」
「美的価値が高い男を連れて歩くことほど快感なことはないのよ。お分かり?」

 やっぱりわけがわからない。もうかえりたい。俺の考えを察したミルテは、さっきからがっちり腕を掴んでくる。いたい。
 ミルテと一緒に化粧品売り場に行ったら、店員が顔を赤らめた。

「彼氏さんですか? 素敵ですね」
「そうかしら? 十人並みよ、おほほほほ!」
 なんかもう好きにすればいいと思う。

 俺はミルテの隣に座って、椅子をくるくる回した。カウンターには、まるでクレヨンみたいなリップがたくさん並んでいる。いろんな色があって、綺麗だな。あ、このリップ。セーレに似合いそう。俺はピンクのリップを手に取った。春らしくていいし、セーレがこれをつけたら可愛いだろうな。

「そのリップ、いいでしょう? 春の新作なんですよ。彼女さんにつけてあげたらどうですか?」
 うわあ、余計なこと言わないでほしい。
「あら、つけてくれる? レイ」

 ミルテはにっこり笑う。嫌だけど、鋭いミュールの先が俺の脛を狙ってるのが見えるから断れない。しぶしぶミルテの顎を掴んで、リップを唇に近づけた。せめて、セーレにつけてあげてると思おう……。

 その時、カウンターのうえに乗った鏡に、見慣れた少女が映り込んでいるのが見えた。俺は振り向いて、その少女に声をかける。
「セーレ?」

 そこには、私服姿のセーレが立っていた。ふわふわしたセーターと、ショートジーンズの組み合わせが、春らしくてすごく可愛い。彼女は固まっていたが、俺と目が合うと、ハッとした。こちらに背を向けて歩き出す。

 俺は椅子から立ち上がり、セーレを追いかける。
「待って、セーレ」
「ついてこないで」
 心なしか、いつもより足が速い。俺は先回りして、セーレの顔を覗き込んだ。

「ねえ、怒ってるの?」
「怒ってなんか……はやくミルテさんのところに行ってあげたらどうですか?」
 セーレは目をそらし、むっと眉をしかめている。珍しいな、セーレがこんな顔するの。小さな手は、ぎゅっとカバンの肩紐を握りしめて、白くなっている。

「じゃあ、セーレも一緒に戻ろうよ」
「デートのじゃまでしょう。婚約者だからって、気にしなくていいですから。どうせ、親が決めた結婚だし」

 俺は鋭いほうじゃない。だけど、セーレが不機嫌な理由が、ちゃんとわかった。
「やきもち、妬いてるの?」
 俺の言葉に、セーレの顔が真っ赤になった。──あ。

 次の瞬間、俺は何も考えずに動いていた。身をかがめて、セーレと唇を合わせる。唇が触れあったときだけ、時間が止まったみたいな気がした。唇を離したら、セーレがぽかんとこちらを見ていた。

「な、な……」
 彼女はみるみるうちに赤くなり、唇をわなわなとふるわせる。
「ひ、人前で、こんな」
「人前じゃなかったらいいんだ?」
「~っ」 

 セーレはきゅっと唇を噛み、踵を返して走り出した。勝手にキスしたから怒ったのかな。
 でも、セーレがわるいんだ。あんな、可愛い顔するから。

「あーあー、見せつけてくれるわね」
 振り向いたら、ミルテが呆れ顔で立っていた。
「ミルテ」
 彼女はこちらに袋を投げる。
「はい、あげる」
「なにこれ」
「さっきのリップ。あの子にあげたかったんでしょ。早く追いかけたら?」
 しっしっ、と追い払われた。

「ケバいけど、ミルテはいいやつだね」
「ケバいは余計だっつの」
 俺は袋を握りしめ、走り出した。


 駅前からすぐのところに、公園がある。セーレの背中は、そこに吸い込まれていった。俺は公園にはいり、辺りを見回す。隠れられそうなところは……あそこかな。近づいていき、身をかがめる。覗き込んだら、ビンゴだった。

 セーレは土管の中で膝を抱えていたのだ。なんだか小さな女の子みたい。俺は土管のなかに手をつき、袋を差し出す。

「ねえ、もらって」
「……だめ、来ないで。今、変な顔してるから」
「変な顔? 見たい」
 俺が土管の中に入ったら、セーレが後ずさった。彼女ににじり寄って、尋ねる。
「もう一回、キスしていい?」
「だ、ダメです」
「じゃあ、ぎゅってしていい?」

 セーレが首を振る。俺は肩をすくめ、彼女の隣に座った。セーレは手にした袋をちらちらと見ている。
「開けてみて」

 セーレは戸惑いがちに袋を開けた。リップを目にして、切れ長の瞳がまたたく。
「これ……」
 その瞳がこちらにむく。
「私、に?」
「うん。似合うかな、って」

 彼女は小さな声でありがとう、と言った。
「飴じゃなくてごめん」
「いえ、あれは……思いつきだから」
「え?」
「3月14日って、アーカードさまの誕生日なんです。誕生パーティで、私、男の子に眠気覚ましに飴をあげて。その子、レイさまに似てたなって」

 俺は目を見開いた。あの女の子の顔が、目の前にいるセーレと重なる。
「灯台もとくらし……」

 初恋の女の子、飴の女の子。こんなところに、いたなんて。俺が距離を詰めたら、セーレがびくりとした。顔を近づけると、真っ赤になる。
「え? ちょ、レイさま!?」

 慌てるセーレに、俺は口づけた。彼女の手から、春色のリップがこぼれ落ちる。

 どうしてセーレから、甘い匂いがするのか、わからなかった。だけど、いまわかったんだ。俺は、セーレに恋をしてた。名前を知る、ずっとまえから。
しおりを挟む

処理中です...