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そのいち。

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私は箒にまたがり、空を飛んでいた。額に滲んだ汗を拭いながら、木の合間をヒュンヒュンと通過していく。背後からは、何かが地面に倒れた轟音が響いていた。

 自分が同じ目にあうのではと、私は身震いする。目前は岩場で、逃げ道がない。私は箒を止め、すたりと地面に降り立った。真っ黒な髪がふわりとなびく。

 ざっ、ざっ、と背後から迫ってくる足音に、私はごくりと唾を飲んだ。
「どうして逃げる? リーゼロッテ」

 背後から響いた声に振り向く。視界に映ったのは、鎌を背負った禍々しい姿。片目を覆うのは眼帯。身を包む黒衣もあいまって、まるで死神のようだ。

「あ、あんたが追うからよ、ダミアン」
 私は箒を構えてダミアンを睨みつけた。心なしか声が震えたけど、別にびびってるわけじゃない。彼は小首を傾げて、
「契約を忘れたのか? 俺はおまえとキスしないと魔法が使えない。おまえは代わりに俺の片目を得た。抉るように奪われ、まだ子供だった俺はひどく恐怖を感じ」
「話を作らないで! あんたが無理やり契約をさせたんでしょうが!」

 契約をしないと死んでやる──そう脅されて他にどうできただろうか。


 ☆☆☆


 私とダミアンが出会ったのは6年前、彼が12歳で、私が14歳のときだ。彼は母親に虐げられ、森の奥に棄てられた。
 私は衰弱しているダミアンを拾い、森にある家へと連れて行った。私が魔女だとわかると、ダミアンは警戒した目を向けてきた。

「なぜ俺を助けた」
「助けない方が良かった?」
 私はリンゴを剥きながら尋ねた。
「魔女の助けなど借りない」
「ふうん、どうして」 

 彼はまだ幼さの残る顔立ちをしていた。しかし、瞳だけは妙に鋭い。
「俺の母も魔女だからだ」
「へえ」
 私の返事に、ダミアンは苛立ったように声を尖らせた。
「へえ、だと? 恥を知れ、神の言葉を忘れた異教徒め」
「そんなこと言われてもね。ほら、食べて」

 差し出したリンゴを跳ね除けて、ダミアンは私が手にしていたナイフを奪った。
「!」
 私は目を見開いてダミアンを見る。彼は自身の首筋にナイフを突きつけていた。

「ちょ、なにしてるの」
「俺に協力しろ」
「意味がわからない。なんで自殺しようとしてるの」
「断ったら死ぬ」
「魔女が嫌いなんじゃないの」
「嫌いなものだろうが、利用できるものはする。そうやって今まで生きてきた」

 ダミアンの瞳はぎらぎら輝いていた。どこかでこの目を見たことがある。手負いの狼だ。この歳で、なんて目をするんたろう。おそらく、拒否したら本当に自身を刺す気だ。
「話を聞かずに協力はできない」
 私がそう言うと、彼は黙ってシャツをめくり上げた。
「!」
 私は彼の背中を見て息を飲んだ。大きな痣がある。

「母に命を狙われた際についた傷だ」
「お母さんが……どうして」
「母は弟に王位を継がせたいんだ。だから長子の俺を殺そうとする」

 そして私はダミアンが王子だということ、母親に虐げられていることを知った。当時はまだ私より小さくて、彼の境遇には同情するべき点もあった。だから──つい、契約を結んでしまったのだ。
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