29 / 30
凶行
しおりを挟む
俺は闘技場の喧騒を離れ、庭に来ていた。秋薔薇は夏に比べると小ぶりだが、品があって可愛らしい。俺は薔薇の手入れをする老人に声をかけた。
「よお、じいさん。精が出るな」
老人はこちらを振り向いて、眉を上げる。
「なんだ。あんた、武道大会、見なくていいのか」
「ニールは強いらしいから、勝つだろ」
「番いだってのに、冷めてるな」
老人はそう言って、薔薇の水やりを続ける。
シワだらけの手には切り傷も多くついていた。この男はどんな人生を送ってきたのだろう。偏屈で、園芸一筋50年という風体の老人。そういえば、俺は彼の名前すら知らない。俺は懐から出したタバコを老人に差し出す。
「どうだ、一服」
「なんだそりゃ。得体のしれないものは口に入れない」
「そうだな。燃料が服に染み込んでたら、引火するかもしれないからな」
その言葉に、老人がこちらを見た。
「気になっていたんだよ。馬車が爆発したときに、あんたから燃料の匂いがした」
「――燃料ぐらい、枯草を焼く時に使うよ。わしはただのベータなんでね」
「ただの燃料じゃないぜ。この世界にはない「ガソリン」ってやつだ」
匂いからしても、ガソリンが使われたのは間違いなかった。だが周囲の誰に聞いても、ガソリンという言葉を知らなかった。移動は馬車、灯りはろうそく。魔法を使えるものには燃料自体が必要がない。ここはそういう世界なのだ。どうやって手に入れたかは不明だが……。老人は振り向きざまに、何かを突きつけてきた。突きつけられた銃は、スミス・アンド・ウエッソン。俺は両手を上げ、老人を見下ろした。老人は俺を見上げ、低い声で尋ねてきた。
「なぜすぐに捕縛しなかった」
「まだ確信がなかったからな。今確定したよ。あんたが悪いやつだって」
ただの偏屈な園丁。この男にそれ以外の印象を抱くことは、普通無い。俺もそう思っていた。だが、どこかで違和感を覚えてもいた。その目つきの鋭さは、以前よく相手にした犯罪者に似ていたのだ。対峙する俺たちの頭上を、巨大な目玉が移動していった。おそらく、すぐに誰かが来るだろう。老人は舌打ちし、目玉を狙って一発撃った。しかし、目玉には当たらない。
「忌々しい目玉だ。夜でもうろついているから、苦労した」
「だがあんたは見事にやってのけた。鶏の腹を裂いて、馬車を爆破した」
「あの目玉はなぜか、あんたと陛下がまぐわっているときは消えるんだよ。作業する時間を確保できたのはあんたのおかげだ」
老人はそう言って喉を鳴らして笑った。俺は老人をじっと見た。
「あんたのこと、結構好きだったんだがな」
「それはどうも」
「どうやって銃やガソリンを手に入れた」
「我々は独自のルートを持っている。お前たちの世界とこの世界をつなげるのを、ヨグ博士だけだとは思わないほうが良い」
つまりこいつには、まだ仲間がいるってことだ。老人は言葉を続ける。
「しかし、よくわかったな。園丁として勤めて二年間、誰かに注目されたことはなかったよ」
「注目されたくて、馬車を爆破したのか」
「シエルという男が我々の名を騙ったからだ」
老人は淡々と言った。あれは制裁であり見せしめなんだよ。そんなことで殺そうとしたのか。信じられない。老人は俺を見て、口元を緩めた。
「しかし、愚かな男だ。命拾いしたというのに、この世界にやってくるとは」
「どういう意味だよ」
「計画では──君が死ぬはずだった。ルカが我々を裏切ったのだ」
「誰だよ、ルカって」
「ルカ──おまえには七瀬遙といえばわかるか?」
なぜ七瀬の名前が出てくるのだ。そう思っていたら、老人はとんでもないことを言った。
「彼は元々、こちらの世界の人間だ。赤の教団の一員であり、君を殺すために送り込まれた」
「な……」
「10年前、日本に陛下のつがいがいるというお告げがあった。それが、君だ。八束誠司」
お告げとはなんなのだ。そう尋ねたら、「神のお告げだよ」と返ってきた。そんなものを信じて、行動に移す人間がいるという事実が恐ろしかった。
「我々は、七瀬遥を警察に送り込んだ。しかし、彼は土壇場になって、君を殺すことを拒んだ。だから我々で始末したというわけだ」
俺はカッとなって、老人の襟首を掴んで背負い投げした。彼が地面に倒れた際に、銃が地面に落ちる。
「ふざけるなよ。俺を殺せば済むのに、なんで七瀬を……」
「彼が我々を裏切ったからだ。揃って同じ人間に惚れるとは、やはり、血は争えないな」
「どういう意味だ」
「まだ気づかないのか。ニール様は七瀬遙と双子なのだ。でなければ、あんなに似ているはずがないだろう」
一体どういうことなのだ。七瀬が、ニールと双子?
「ニール様と七瀬遙は29年前、一卵性双生児としてこの世に生を受けた。瓜二つの二人の運命を違ったのはたった一つの、しかし大きな差。アルファか、オメガかという違いだ」
オメガ? 七瀬が――。混乱のあまり、俺は喉を震わせる。
「ルカリア――七瀬遙の存在は恥とされ、幼い頃に里子に出された。真実を知った七瀬はひどく傷つき、里親の元から逃げ出した。そうして、我々に拾われたのだ」
七瀬はテロリストに育てられ、利用され、そいつらに殺された。俺を守るために──。
「一人は王で、一人はそれに反旗を翻す存在だ。同じ顔をしたきょうだいが争うとは、実に悲劇的だな」
何を言っているのだ。七瀬にそうさせたのはおまえだろう。あいつは優しいやつなのだ。人殺しなんてできるはずがない。こいつは七瀬を利用した。そして情け容赦なく殺した。
こいつを殺してやる。七瀬の敵をとるにはそれしかない。俺は落ちていた銃を拾い上げ、引き鉄を起こした。老人は焦る様子もなく俺を見ている。額に銃口を突きつけても、彼はやはり冷静だった。
「撃てばいい」
人を撃ったことはない。それでも、俺は撃つことを迷わなかった。引き金にかけた指をぐっと動かす。
「八束!」
その声に、俺はハッとした。ヤハウェと御子柴がこちらに駆けてくるのが見える。もう、遅い――。空に乾いた銃声が響く。引き金を引いた反動で手がしびれた。薬莢が足元に転がる。老人はじっと俺を見つめている。俺は上に向けていた銃をおろしてつぶやいた。
「――俺は刑事だ。人殺しはしない」
「お優しいことだ」
この老人を撃ち殺せたらどんなに楽だろう。だが、そうしたら俺はこいつと同じになる。どんな理由があっても、人を殺すことに正当性なんてあってはならないのだ。御子柴がこちらに駆けてきて、老人の腕に手錠をかけた。老人はのろのろとした動作で立ち上がり、笑みを浮かべた。なぜこんなに余裕なのだろう。すべてが終わったはずなのに。俺たちは、老人を連れて尋問部屋へ向かった。老人は拷問道具を見ても、眉一つ動かさない。園丁を見たヤハウェが不可解そうな表情を浮かべる。
「この男が爆破事故を起こしたというのですか?」
俺は頷いて、老人に尋ねた。
「赤の教団っていうのは、なんの目的で活動してるんだ」
「この世からアルファをなくすためだ」
「そんなことしたら、人間がいなくなるんじゃないのか?」
男同士の恋愛に拒否反応を示していたはずの御子柴がそう言った。こいつもすっかりこの世界に染まってしまったようだ。
「いなくなってもいいさ。この世界はあまりに不平等だ。一度リセットする必要がある」
「そういうのなんていうか知ってるか? テロリスト、っていうんだぜ」
俺の言葉に、老人が笑みを浮かべた。
「想像したことがあるか? この世界で、ベータとして生まれるということを。誰にも選ばれない。何も生み出せない。そういう生き物がこの年になるまで、何を考えて生きてきたか、おまえにわかるか?」
「わかるわけないだろ。アドラスの尋問を受けろよ。時間をかけて聞いてくれるぜ」
自分が恵まれなかったからって、全てを壊してやろうという考えは理解できない。だが、老人の話を聞いていた俺の頭に、ふとシエルの顔が浮かんだ。シエルもこいつのようになっていた可能性があるのか。そう思うと、複雑な気分になった。御子柴は身勝手な男の供述に怒りを燃やしていた。
「俺は、あんたみたいな犯罪者と話したことがある。あんたはたとえこの世からアルファがいなくなっても、不満を持ってるだろうよ」
「さあ。それは試してみないことにはわからないな」
怒りをあらわにする御子柴に対し、老人はあくまで冷静に答えた。
「武道大会には、国中のアルファがあつまる……今日、全てを亡き者にできるわけだ」
「おまえ、何をしたんだ」
俺は嫌な予感を覚えて尋ねた。老人は何も答えずに笑みを浮かべている。
「御子柴、その男を頼んだ!」
俺は踵を返し、走り出した。闘技場から歓声が聞こえてきた。ニールが対戦相手と対峙している。おそらく、ニールが勝利したのだろう。白い旗が上がっている。
「ニール! 逃げろ!」
俺が叫んだ次の瞬間、爆発音がして、あたりが真っ白に輝いた。その場にいた全員の身体が吹き飛んだ、ような衝撃があった。たしかに、爆発があったはずだった。しかし、俺の身体はどうにもなっていなかった。しかも、何か温かいものに包まれている。これは、爆風? そう思ったが、違った。俺の身体は、ニールに抱きしめられていた。俺達の周りを、薄い膜みたいなものが覆っている。俺は目を瞬いて、ニールを見上げた。
「こ、れなんだ?」
「防御壁だ」
「あっさり言ってるけど、すげえな」
闘技場にいたすべての人間の身体が、防御壁で覆われていた。こいつ、あの一瞬でこの魔法をかけたのか。爆発があったのは確かなようで、闘技場は無残に破壊されている。二度目の爆発が起きないことを確認したニールが、防御壁を解いた。徐々に状況を把握したのか、周囲がざわめきだす。ニールは兵士を呼び、けが人がいないか確認するよう指示している。こちらにやってきたアドラスが、肩をすくめて闘技場を見回していた。
「こりゃひどいね。赤の教団の目論見通り、大会は中止かね」
「……目的を果たすためなら、アルファ以外の犠牲など、考えていないというわけだ」
ニールは低い声でつぶやく。こいつがこんなに怒っている姿は、久しぶりに見たかもしれない。落ち着け、と声をかけようとしたら、ニールが剣を空に突き上げた。破壊された闘技場に、よく通る声が響く。
「伝統の闘技場は壊れた。今ここにいるすべての者よ、私に挑め。アルファでも、ベータでも、オメガでも構わない。この破壊された闘技場で最後まで立っていたものが、王となる」
「陛下、勝手にルール変えるのはまずいですよ」
アドラスが突っ込んだが、ニールの声に鼓舞されたらしく、男が一人突っ込んできた。ニールが剣を振って男を吹き飛ばす。数十人がまとめてかかってきたが、ニールの氷魔法によって脚が凍りついた。わかってはいたが、こいつ……めちゃくちゃ強い。俺はぽかんとしながらニールを見ていた。そして、20分後。
闘技場に立っているのは、たった二人。ニールとアドラスだ。ニールはアドラスに剣を突きつけた。
「やはりおまえが残ったな」
「こんだけやって、汗一つかいてないじゃねえか。あんたはすごいね。尊敬するよ」
アドラスは呆れた顔で闘技場を見回した。闘技場にはニールに倒された男たちが転がっていた。おそらく100人以上いるだろう。めちゃくちゃやっているように見えて、相手が一人も死んでいないのが奇跡だった。ニールとアドラス、二人が同時に剣を振った。爆風が起きて、魔法がぶつかりあう。砂塵が薄くなっていき、二人の姿があらわになる。次の瞬間、アドラスの剣が折れた。アドラスは悔しそうではなかった。黙って剣を収め、ニールの前に膝をつく。
「優勝おめでとうございます、陛下」
次の瞬間、武道場に拍手と歓声が湧いた。不満を漏らすものは誰もいなかった。俺は眩しい思い出ニールを見た。なあ、七瀬。あいつはすごいな……。あんなすごいやつが俺の番いだなんて、信じられないよ。そうして、アルファ、ベータ、オメガ、すべての種が入り混じった武道大会は、ニールの勝利に終わった。
「よお、じいさん。精が出るな」
老人はこちらを振り向いて、眉を上げる。
「なんだ。あんた、武道大会、見なくていいのか」
「ニールは強いらしいから、勝つだろ」
「番いだってのに、冷めてるな」
老人はそう言って、薔薇の水やりを続ける。
シワだらけの手には切り傷も多くついていた。この男はどんな人生を送ってきたのだろう。偏屈で、園芸一筋50年という風体の老人。そういえば、俺は彼の名前すら知らない。俺は懐から出したタバコを老人に差し出す。
「どうだ、一服」
「なんだそりゃ。得体のしれないものは口に入れない」
「そうだな。燃料が服に染み込んでたら、引火するかもしれないからな」
その言葉に、老人がこちらを見た。
「気になっていたんだよ。馬車が爆発したときに、あんたから燃料の匂いがした」
「――燃料ぐらい、枯草を焼く時に使うよ。わしはただのベータなんでね」
「ただの燃料じゃないぜ。この世界にはない「ガソリン」ってやつだ」
匂いからしても、ガソリンが使われたのは間違いなかった。だが周囲の誰に聞いても、ガソリンという言葉を知らなかった。移動は馬車、灯りはろうそく。魔法を使えるものには燃料自体が必要がない。ここはそういう世界なのだ。どうやって手に入れたかは不明だが……。老人は振り向きざまに、何かを突きつけてきた。突きつけられた銃は、スミス・アンド・ウエッソン。俺は両手を上げ、老人を見下ろした。老人は俺を見上げ、低い声で尋ねてきた。
「なぜすぐに捕縛しなかった」
「まだ確信がなかったからな。今確定したよ。あんたが悪いやつだって」
ただの偏屈な園丁。この男にそれ以外の印象を抱くことは、普通無い。俺もそう思っていた。だが、どこかで違和感を覚えてもいた。その目つきの鋭さは、以前よく相手にした犯罪者に似ていたのだ。対峙する俺たちの頭上を、巨大な目玉が移動していった。おそらく、すぐに誰かが来るだろう。老人は舌打ちし、目玉を狙って一発撃った。しかし、目玉には当たらない。
「忌々しい目玉だ。夜でもうろついているから、苦労した」
「だがあんたは見事にやってのけた。鶏の腹を裂いて、馬車を爆破した」
「あの目玉はなぜか、あんたと陛下がまぐわっているときは消えるんだよ。作業する時間を確保できたのはあんたのおかげだ」
老人はそう言って喉を鳴らして笑った。俺は老人をじっと見た。
「あんたのこと、結構好きだったんだがな」
「それはどうも」
「どうやって銃やガソリンを手に入れた」
「我々は独自のルートを持っている。お前たちの世界とこの世界をつなげるのを、ヨグ博士だけだとは思わないほうが良い」
つまりこいつには、まだ仲間がいるってことだ。老人は言葉を続ける。
「しかし、よくわかったな。園丁として勤めて二年間、誰かに注目されたことはなかったよ」
「注目されたくて、馬車を爆破したのか」
「シエルという男が我々の名を騙ったからだ」
老人は淡々と言った。あれは制裁であり見せしめなんだよ。そんなことで殺そうとしたのか。信じられない。老人は俺を見て、口元を緩めた。
「しかし、愚かな男だ。命拾いしたというのに、この世界にやってくるとは」
「どういう意味だよ」
「計画では──君が死ぬはずだった。ルカが我々を裏切ったのだ」
「誰だよ、ルカって」
「ルカ──おまえには七瀬遙といえばわかるか?」
なぜ七瀬の名前が出てくるのだ。そう思っていたら、老人はとんでもないことを言った。
「彼は元々、こちらの世界の人間だ。赤の教団の一員であり、君を殺すために送り込まれた」
「な……」
「10年前、日本に陛下のつがいがいるというお告げがあった。それが、君だ。八束誠司」
お告げとはなんなのだ。そう尋ねたら、「神のお告げだよ」と返ってきた。そんなものを信じて、行動に移す人間がいるという事実が恐ろしかった。
「我々は、七瀬遥を警察に送り込んだ。しかし、彼は土壇場になって、君を殺すことを拒んだ。だから我々で始末したというわけだ」
俺はカッとなって、老人の襟首を掴んで背負い投げした。彼が地面に倒れた際に、銃が地面に落ちる。
「ふざけるなよ。俺を殺せば済むのに、なんで七瀬を……」
「彼が我々を裏切ったからだ。揃って同じ人間に惚れるとは、やはり、血は争えないな」
「どういう意味だ」
「まだ気づかないのか。ニール様は七瀬遙と双子なのだ。でなければ、あんなに似ているはずがないだろう」
一体どういうことなのだ。七瀬が、ニールと双子?
「ニール様と七瀬遙は29年前、一卵性双生児としてこの世に生を受けた。瓜二つの二人の運命を違ったのはたった一つの、しかし大きな差。アルファか、オメガかという違いだ」
オメガ? 七瀬が――。混乱のあまり、俺は喉を震わせる。
「ルカリア――七瀬遙の存在は恥とされ、幼い頃に里子に出された。真実を知った七瀬はひどく傷つき、里親の元から逃げ出した。そうして、我々に拾われたのだ」
七瀬はテロリストに育てられ、利用され、そいつらに殺された。俺を守るために──。
「一人は王で、一人はそれに反旗を翻す存在だ。同じ顔をしたきょうだいが争うとは、実に悲劇的だな」
何を言っているのだ。七瀬にそうさせたのはおまえだろう。あいつは優しいやつなのだ。人殺しなんてできるはずがない。こいつは七瀬を利用した。そして情け容赦なく殺した。
こいつを殺してやる。七瀬の敵をとるにはそれしかない。俺は落ちていた銃を拾い上げ、引き鉄を起こした。老人は焦る様子もなく俺を見ている。額に銃口を突きつけても、彼はやはり冷静だった。
「撃てばいい」
人を撃ったことはない。それでも、俺は撃つことを迷わなかった。引き金にかけた指をぐっと動かす。
「八束!」
その声に、俺はハッとした。ヤハウェと御子柴がこちらに駆けてくるのが見える。もう、遅い――。空に乾いた銃声が響く。引き金を引いた反動で手がしびれた。薬莢が足元に転がる。老人はじっと俺を見つめている。俺は上に向けていた銃をおろしてつぶやいた。
「――俺は刑事だ。人殺しはしない」
「お優しいことだ」
この老人を撃ち殺せたらどんなに楽だろう。だが、そうしたら俺はこいつと同じになる。どんな理由があっても、人を殺すことに正当性なんてあってはならないのだ。御子柴がこちらに駆けてきて、老人の腕に手錠をかけた。老人はのろのろとした動作で立ち上がり、笑みを浮かべた。なぜこんなに余裕なのだろう。すべてが終わったはずなのに。俺たちは、老人を連れて尋問部屋へ向かった。老人は拷問道具を見ても、眉一つ動かさない。園丁を見たヤハウェが不可解そうな表情を浮かべる。
「この男が爆破事故を起こしたというのですか?」
俺は頷いて、老人に尋ねた。
「赤の教団っていうのは、なんの目的で活動してるんだ」
「この世からアルファをなくすためだ」
「そんなことしたら、人間がいなくなるんじゃないのか?」
男同士の恋愛に拒否反応を示していたはずの御子柴がそう言った。こいつもすっかりこの世界に染まってしまったようだ。
「いなくなってもいいさ。この世界はあまりに不平等だ。一度リセットする必要がある」
「そういうのなんていうか知ってるか? テロリスト、っていうんだぜ」
俺の言葉に、老人が笑みを浮かべた。
「想像したことがあるか? この世界で、ベータとして生まれるということを。誰にも選ばれない。何も生み出せない。そういう生き物がこの年になるまで、何を考えて生きてきたか、おまえにわかるか?」
「わかるわけないだろ。アドラスの尋問を受けろよ。時間をかけて聞いてくれるぜ」
自分が恵まれなかったからって、全てを壊してやろうという考えは理解できない。だが、老人の話を聞いていた俺の頭に、ふとシエルの顔が浮かんだ。シエルもこいつのようになっていた可能性があるのか。そう思うと、複雑な気分になった。御子柴は身勝手な男の供述に怒りを燃やしていた。
「俺は、あんたみたいな犯罪者と話したことがある。あんたはたとえこの世からアルファがいなくなっても、不満を持ってるだろうよ」
「さあ。それは試してみないことにはわからないな」
怒りをあらわにする御子柴に対し、老人はあくまで冷静に答えた。
「武道大会には、国中のアルファがあつまる……今日、全てを亡き者にできるわけだ」
「おまえ、何をしたんだ」
俺は嫌な予感を覚えて尋ねた。老人は何も答えずに笑みを浮かべている。
「御子柴、その男を頼んだ!」
俺は踵を返し、走り出した。闘技場から歓声が聞こえてきた。ニールが対戦相手と対峙している。おそらく、ニールが勝利したのだろう。白い旗が上がっている。
「ニール! 逃げろ!」
俺が叫んだ次の瞬間、爆発音がして、あたりが真っ白に輝いた。その場にいた全員の身体が吹き飛んだ、ような衝撃があった。たしかに、爆発があったはずだった。しかし、俺の身体はどうにもなっていなかった。しかも、何か温かいものに包まれている。これは、爆風? そう思ったが、違った。俺の身体は、ニールに抱きしめられていた。俺達の周りを、薄い膜みたいなものが覆っている。俺は目を瞬いて、ニールを見上げた。
「こ、れなんだ?」
「防御壁だ」
「あっさり言ってるけど、すげえな」
闘技場にいたすべての人間の身体が、防御壁で覆われていた。こいつ、あの一瞬でこの魔法をかけたのか。爆発があったのは確かなようで、闘技場は無残に破壊されている。二度目の爆発が起きないことを確認したニールが、防御壁を解いた。徐々に状況を把握したのか、周囲がざわめきだす。ニールは兵士を呼び、けが人がいないか確認するよう指示している。こちらにやってきたアドラスが、肩をすくめて闘技場を見回していた。
「こりゃひどいね。赤の教団の目論見通り、大会は中止かね」
「……目的を果たすためなら、アルファ以外の犠牲など、考えていないというわけだ」
ニールは低い声でつぶやく。こいつがこんなに怒っている姿は、久しぶりに見たかもしれない。落ち着け、と声をかけようとしたら、ニールが剣を空に突き上げた。破壊された闘技場に、よく通る声が響く。
「伝統の闘技場は壊れた。今ここにいるすべての者よ、私に挑め。アルファでも、ベータでも、オメガでも構わない。この破壊された闘技場で最後まで立っていたものが、王となる」
「陛下、勝手にルール変えるのはまずいですよ」
アドラスが突っ込んだが、ニールの声に鼓舞されたらしく、男が一人突っ込んできた。ニールが剣を振って男を吹き飛ばす。数十人がまとめてかかってきたが、ニールの氷魔法によって脚が凍りついた。わかってはいたが、こいつ……めちゃくちゃ強い。俺はぽかんとしながらニールを見ていた。そして、20分後。
闘技場に立っているのは、たった二人。ニールとアドラスだ。ニールはアドラスに剣を突きつけた。
「やはりおまえが残ったな」
「こんだけやって、汗一つかいてないじゃねえか。あんたはすごいね。尊敬するよ」
アドラスは呆れた顔で闘技場を見回した。闘技場にはニールに倒された男たちが転がっていた。おそらく100人以上いるだろう。めちゃくちゃやっているように見えて、相手が一人も死んでいないのが奇跡だった。ニールとアドラス、二人が同時に剣を振った。爆風が起きて、魔法がぶつかりあう。砂塵が薄くなっていき、二人の姿があらわになる。次の瞬間、アドラスの剣が折れた。アドラスは悔しそうではなかった。黙って剣を収め、ニールの前に膝をつく。
「優勝おめでとうございます、陛下」
次の瞬間、武道場に拍手と歓声が湧いた。不満を漏らすものは誰もいなかった。俺は眩しい思い出ニールを見た。なあ、七瀬。あいつはすごいな……。あんなすごいやつが俺の番いだなんて、信じられないよ。そうして、アルファ、ベータ、オメガ、すべての種が入り混じった武道大会は、ニールの勝利に終わった。
0
お気に入りに追加
108
あなたにおすすめの小説
β様のコイビト【β×Ω】
むらくも
BL
α、β、Ωの生徒が同じだけ集められる少し特殊な全寮制の男子校。
その生徒会長を務める通称『β様』こと仁科儀冬弥は、Ωの後輩である行家春真とパートナー関係にある。
けれど少しパートナーの行動が少しおかしい。
そう思っていたある日、αの弟と密かに会っている姿を目撃してしまった。
抱いていたαと弟へのコンプレックスが同時に刺激され、少しずつ暴走を始めてしまい……。
βでなければ。αであれば。
無理矢理にでも繋ぎ止める術があったのに。
学園オメガバース(独自設定あり)
【αになれないβ×βに近いΩ】の盛大で人騒がせな痴話喧嘩の話。
※「芽吹く二人の出会いの話」でくっついた二人のお話です。
たとえ月しか見えなくても
ゆん
BL
留丸と透が付き合い始めて1年が経った。ひとつひとつ季節を重ねていくうちに、透と番になる日を夢見るようになった留丸だったが、透はまるでその気がないようで──
『笑顔の向こう側』のシーズン2。海で結ばれたふたりの恋の行方は?
※こちらは『黒十字』に出て来るサブカプのストーリー『笑顔の向こう側』の続きになります。
初めての方は『黒十字』と『笑顔の向こう側』を読んでからこちらを読まれることをおすすめします……が、『笑顔の向こう側』から読んでもなんとか分かる、はず。
成り行き番の溺愛生活
アオ
BL
タイトルそのままです
成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です
始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください
オメガバースで独自の設定があるかもです
27歳×16歳のカップルです
この小説の世界では法律上大丈夫です オメガバの世界だからね
それでもよければ読んでくださるとうれしいです
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
嘘の日の言葉を信じてはいけない
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
嘘の日--それは一年に一度だけユイさんに会える日。ユイさんは毎年僕を選んでくれるけど、毎回首筋を噛んでもらえずに施設に返される。それでも去り際に彼が「来年も選ぶから」と言ってくれるからその言葉を信じてまた一年待ち続ける。待ったところで選ばれる保証はどこにもない。オメガは相手を選べない。アルファに選んでもらうしかない。今年もモニター越しにユイさんの姿を見つけ、選んで欲しい気持ちでアピールをするけれど……。
欠陥αは運命を追う
豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」
従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。
けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。
※自己解釈・自己設定有り
※R指定はほぼ無し
※アルファ(攻め)視点
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
オメガバース 悲しい運命なら僕はいらない
潮 雨花
BL
魂の番に捨てられたオメガの氷見華月は、魂の番と死別した幼馴染でアルファの如月帝一と共に暮らしている。
いずれはこの人の番になるのだろう……華月はそう思っていた。
そんなある日、帝一の弟であり華月を捨てたアルファ・如月皇司の婚約が知らされる。
一度は想い合っていた皇司の婚約に、華月は――。
たとえ想い合っていても、魂の番であったとしても、それは悲しい運命の始まりかもしれない。
アルファで茶道の家元の次期当主と、オメガで華道の家元で蔑まれてきた青年の、切ないブルジョア・ラブ・ストーリー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる