シスターはヤクザに祈る

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ヤクザと小指

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 俺の小指の半分くらいしかない、小さな小指。あいつの小指が、この世で一番、愛おしいものだと思えた。

 俺はアンジェラを修道院に送り届け、事務所へと向かった。
「あっ、兄貴!」
 金庫の前で金を数えていた虎彦が、慌ててソファから立ち上がった。俺は手を上げてみせる。
「よお」
「お疲れさまっす。スマホに連絡しても連絡つかないから、心配したんすよ」
「悪いな」
「どこ行ってたんすか?」
「ちょっとな」

 俺はタバコをくわえた。虎彦がすかさず火をつける。
「なあ、虎彦」
「はい?」
「おまえ九九言えるか」
「言えるっすよ。俺、算数得意なんで」
「俺はどうしても七の段が覚えらんなくてよ」

 煙を吐いて、目を細める。結局、高校を卒業しても言えなかった気がする。
「生きてくのに必要ねえと思ってたしな」
「大丈夫っす、兄貴は誰より腕っぷしが強いし」
「俺にはそれしかねえからな。足抜けしても、やれることなんかたかが知れてる」
「へ?」

 目を見開いた虎彦に、俺は言った。
「組を抜けることにした。今から叔父貴に会ってくる」
 叔父貴とは、亡き会長の兄弟分のことだ。唯一会長に意見できた人物であり、跡継ぎにはなれないが、組の中で頼られているし、相談役を勤めたりもする。
「な……なんでっすか!?」

 虎彦は、突然の足抜け宣言にテンパっている。そりゃそうだ。俺だって、つい数時間前に決めたんだからな。
「理由は後で話す。なんか聞かれても、知らねえって言っとけよ」
「だめですよ、抜けられるわけねえよ。ただでさえ跡目争いでピリピリしてんだ」

 ヤクザの足抜けは、普通の会社を辞めるのとはわけが違う。なぜならヤクザは万年人手不足な上に、それぞれ上納金が課せられている。一人やめれば他の人間が負うノルマが増えるのだ。だから辞めることは許されない。辞めるとしたら、上納金のかわりに毎月何十万も払わなければならないだろう。しかも一生だ。

 俺が出口に向かったら、虎彦が扉の前に立ちふさがった。泣きそうな顔をしている。
「頼むよ兄貴、考えなおしてください」
「どけ」
「兄貴がいなくなったら、俺どうしたらいいんすか」
「大丈夫だよ、おまえは俺より頭いいんだから」
 俺は虎彦の肩をたたいて、ドアを開けた。


 ☆


 昔ながらの日本家屋を、中が見えない高い塀が囲っている。しかもその塀には鉄条網が張り巡らされているときたら、それは十中八九堅気の家ではない。ここは相談役、平井源蔵の自宅だ。インターホンを押したら、家政婦でも平井の妻でもなく、低い男の声が聞こえてきた。

「どちらさんで」
「龍二です」 
 名乗ったら、声の調子が変わった。
「ああ、おめえか。何の用だ」
「相談役にお話がありまして」
「ちょっと待ってろ」

 しばらくしてから、門が開いた。顔を出した強面の男は、平井と同じく舎弟の三島だ。
「お久しぶりです、兄さん」
 三島は俺に入るよう促し、門を閉める。これまた絵に描いたような日本庭園を通り、屋敷に入る。三島はこちらを振り返り、からかってきた。

「で、どうした。おめえが相談なんざ珍しいじゃねえか。バカのくせに、悩みなんかあるのか」
「ひでえな」
「まあ、バカなとこがおめえのいいとこだ。腕っぷしが強い上に知恵が回るとやっかいだからよ」

 俺は黙って三島についていった。部屋に通され、ちょっと待て、と言われる。床の間には日本刀が飾られていた。こんな家に住んでみてえな。初めてこの家に来た時は、本気でそう思った。七の段すら言えない自分にとったら、ヤクザの世界こそがただ一つの生きる道だったのだ。ふすまが開いて、着物姿の男が現れる。相談役の平井だ。

 俺は頭を下げてその人を迎えた。
「お久しぶりです、叔父貴」
「おう、元気か、龍二」
「はい」
「相談があるんだって? 珍しいじゃねえか」
 俺は頷いて、畳に頭をつけた。

「組を抜けさしてください」
 三島が息を飲んだのがわかった。平井 は何も言わず、じっと俺をみている。
「おめえ、何言ってんだ」
「理由は?」
 声を荒げた三島に対し、平井は冷静な口調で尋ねてくる。
「好きな女ができた。一緒になりてえと思ってる」
「高校生じゃねえんだぞ。はいそうですか、って行くとでも思ってんのか」

 気色ばむ三島に被せるように、平井は淡々と問いかけた。
「やめてどうする気だ」
「まだわかんねえ」
 かぶりを振った俺に、三島が痺れを切らす。
「ふざけてんのか!?」
 平井は三島を制し、俺をじっと見た。
「……初めて会ったとき、おめえ言ってたな。『俺はバカだし喧嘩しか取り柄がねえ。だけど、こんな俺が役に立つなら、組のためになんでもしたい』って」
「はい」
「あれは嘘だったってえのか?」

 鋭い瞳で見据えられ、怖えな、と思った。学生時代に俺と喧嘩してたような連中とは違う。
「嘘じゃねえ。だけど、組より大事なものができたんです」
「よくもまあそんなことが言えたもんだな。親父に顔向けできんのか、あ?」
三島のイラついた声に続き、平井が問いかけてくる。
「そんなにその女に惚れてんのか」
「はい」
「じゃあ、その女のために命賭けな。三島、刀よこせ」

 三島がハッとして平井を見た。
「相談役、それは」
「早くよこしな。おめえも憤ってたじゃねえか」
 平井は、三島に差し出された刀を受け取った。鞘から引き抜いた刃を、俺に向けてくる。
「おめえよ、九九が言えねえ、って言ってたな」
「はい」
「一の段から順番に言ってきな。間違ったら斬る」

 三島が息を飲んだ。この人は本気だ。俺は平井を見上げながら、はい、と答えた。


 ★

 
 五分後、部屋には異常な緊張感が漂っていた。六の段まではスムーズに進んでいたのだが、七の段で詰まった。あと八と九をかけるだけなのだが。
 三島がイライラと言う。
「九九習うの小学二年かなんかだろうが。なんで言えねえんだ」
「……七の段は苦手なんです」
「七足すだけだろうが!」
「三島、落ち着け。龍二、あと5秒で言わねえと斬るぞ」

 平井が刃をちゃきりと鳴らして、カウントを始めた。
「いち」
「にい」
「さん」
「しい」

 刀が空を切る寸前に、インターホンが鳴り響いた。何回も連打されている。
「ちっ、なんだこんな時に。すいません、黙らせて来ます」
 三島が玄関へと向かう。平井は俺に刃を向けたまま動かない。しばらくすると、軽い足音が聞こえて、ふすまがスパン、と開いた。

「龍二さん!」
「!」
 俺はふすまの向こうに立っていた女を見て、目を見開いた。息を切らしている、その小柄な姿はどう見ても。
「あ、杏樹?」
 杏樹はこちらに歩いてきて、俺をかばうように、両手を広げて立ちふさがった。平井は眉をあげて、杏樹を見下ろしている。突然現れた若い女にも、特に動揺している様子はない。

「なんだい? おまえさん」
「坂口杏樹です」
「杏樹……?」
 平井は杏樹を上から下まで見て、はっ、と目を見開いた。
「まさか、親父の」
「会長の、孫娘です」
 俺がそう言ったら、平井が目を剥いた。

「龍二、おめえまさか、遺言書を真に受けたのか」
「……はい」
「なんつうバカだ」
 平井は呆れ気味に言い、刀を投げ捨てた。それから、杏樹に座るよう促す。
「座りな」
 杏樹は行儀よく正座した。平井は目を細めてその様子を見ている。

「べっぴんさんになったな」
「あの……私のことをご存知なんですか」
「ああ、昔親父に頼まれて、写真を撮りに行ったことがあるよ。あんときはまだこんなもんだったのになあ」
 平井はそう言いながら、手をかざしてみせた。
「どうして私の写真を?」
 直接会えばよかったのではないか。杏樹はそう言いたげだった。

「写真だけでもそばに置いときたかったんじゃないかねえ。あんたの母さんは、親父とあんたを会わせようとはしなかったから」
「……」
 平井は黙り込んだ杏樹から、俺へと視線を移す。
「おめえはあの手紙を真に受けて、この子に近づいたんだろう。この世界で成り上がる気だったんじゃねえのか」
「……ああ」

 俺は杏樹を見つめた。大きな瞳がこちらを見上げてくる。
「しかたねえ。本気で好きになっちまったから」
 杏樹がかあっと赤くなった。
「のろけてるとこ悪いが、九九も言えねえで、カタギでやってけると思ってんのか?」
「それは、これから覚えます」
「無理だよ、おめえには」
「無理じゃありません」 

 口を開いた杏樹に、平井が目をやった。杏樹はまっすぐな瞳で平井を見つめる。
「私が龍二さんを支えるから」
「苦労するぞ」
「はい」

 平井はおもむろに立ち上がり、俺に向かって刃を振り下ろした。びゅん、と鳴った刃が、前髪を散らす。ちゃき、と刀を収めた平井は、くるりと背を向けた。
「おめえは死んだことにする。さっさと行きな」
「叔父貴」
「死人に叔父貴なんて呼ばれたくねえな」
「……失礼します」
 俺は平井に頭を下げ、立ち上がった。杏樹が口を開く。
「ありがとうございます」
 平井はふっ、と笑った。
「ヤクザに礼なんて言うもんじゃねえよ、お嬢ちゃん」

 杏樹と共に部屋を出て、玄関に向かうと、虎彦が三島にしがみついていた。殴りつけられたらしく、ほほが真っ赤に腫れている。
「なんなんだおめえは、離せ!」
「いやっす!! あっ、兄貴!」
 近づいていくと、三島と虎彦がこちらを見た。
「今までお世話になりました」
 俺は三島に向かって頭を下げた。

「馬鹿野郎」
 三島はなんとも言えない顔をしたあとそう言って、虎彦の腕を振り払い、さっさと中に入って行った。俺は地面に尻餅をついた虎彦を引っ張りあげながら尋ねる。

「なんでおまえらいるんだよ」
「兄貴が殺されちまうんじゃねえかと思って……」
「だからってこいつを連れてくるこたねえだろ」
 杏樹を指差したら、虎彦はすいません、と言ってションボリと肩を落とす。俺は虎彦の頭をくしゃくしゃ撫でた。
「顔、冷やしとけよ」

 歩き出したら、虎彦の声が追いかけてきた。
「兄貴、また会えますよね?」
「ああ、会えるよ」
「アネキ、兄貴のこと、よろしくお願いします」
 虎彦は涙ぐんでいる。なに泣いてんだばか。杏樹ははい、と言って、笑みを浮かべた。
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