虫愛る姫君の結婚

あた

文字の大きさ
上 下
31 / 33
秘密

人の縁

しおりを挟む
ツルがからまっている。かんぬきは完全に壊れていて、確かに簡単に開けることができた。しかし、門の先はかなりのいばら道だ。ここを行ったとしたら、相当傷だらけになっただろう。ジャスパーは棘だらけのつるを剣ではらいながら、エルランドに声をかけた。
「よくこんな場所知ってましたね」
「子供のころ、エリンと遊んでいた時に見つけたんだ」
エルランドは懐かしむように、つるのからまった門にそっと手を添えた。エリンは、幼い頃からわがままだったが、言い方を変えれば甘えん坊でかわいい妹だった。だが、シルフィーが来てから段々変わり出した。生来の美しさや立場に驕り、さまざまな人間から求愛されることでますます増長した。シルフィーは目を伏せる。

「私のせいなのね」
「違う。エリンは君を恐れていたんだよ、シルフィー」
「恐れてた?」
「いつか自分の立場を脅かされるんじゃないかという恐れだ。本人は気づいてないが、エリンは君の自由さや飾らない性格を妬んでいた。だから何かと攻撃していた」
ジャスパーが口をはさんだ。
「そんな諍いは、きょうだいならよくあることですよ。俺なんて兄貴のできがよくて、散々に言われた」
「私も妹が美人で愛嬌のある子でした。親からの愛情は明らかに偏っていました」
ミレイがそう続ける。みんな素敵な人なのに、辛い思いをしたこともあるのだ。それでも前を向いて生きてきた。エリンにはそういう劣等感を受け入れることができなかった。
空を厚く覆っていた雲から、ぽつぽつと雨が降り始めた。やがて雨は本降りになり、街や路面を濡らしていく。久しぶりの下町の空気を懐かしむ余裕もなく、シルフィーたちは共同井戸へと急いでいた。その道中、エリンがいないかくまなく視線を走らせる。通りゆく人々は皆、カッパや傘で顔が隠れている。そんな中、雨の中、井戸の前に佇んでいる少女の後ろ姿が見えた。シルフィーは彼女に駆け寄って声をかけた。
「エリン!」
振り向いたエリンは、持っていた小刀を突きつけてきた。

「こないで!」
シルフィーは足を止めた。エリンは口元を歪めて語りかけてくる。
「こうなってさぞいい気分でしょうね。満足?」
「エリン、そんなもの、あなたには似合わないわ」
「そうよ。本来ならあなたがこういう役回りをするのよ。悪女の娘。メロニアの娘! なのにどうして私が王宮を追い出されるのよ。王女なのに。お母様の本当の娘なのに!」
 エリンはそう言って髪を振り乱した。シルフィーは一歩エリンに近づいた。
「エリン、私はあなたが好きよ」
「あんたに好かれたってどうしようもないのよ!」
雷鳴が鳴り響いた。稲光に照らされ、美しいエリンが恐ろしい形相でこちらを睨んでいるのがわかった。
「おかしいじゃない、こんなの。お兄様も、エント様も、あなたがいいって言うの。私のほうが綺麗でかわいいのに」
「ええ、あなたは綺麗よ。だから……」
「エリン、おまえは醜い」
「エルランド!」
「見た目ではなく心根の話をしているんだ」
 エルランドはまっすぐな目でエリンを見つめた。
「シルフィーはあなたと親しくなろうとした。今も手を差し伸べている。それなのに、おまえはちっとも変わろうとしない。それは臆病だからだろう」
「おくびょう?」
「そうだ。おまえは見下しているシルフィーに情けをかけられたくないんだろう」

エリンは当たり前じゃない、と吐き捨てた。彼女は怒りに燃える瞳でこちらを睨みつけた。
「その女に同情されるぐらいなら──死んでやるわ」
エリンは小刀を自分の喉元に突きつけた。シルフィーはとっさに駆け出し、その腕を掴む。エリンの持っていた小刀がシルフィーの胸に深く突き刺さった。自分のしたことに、エリン自身が驚いているようだった。エントがシルフィー、と叫ぶ声が聞こえた。
体勢を崩して井戸に落ちる瞬間──思い出した。
その日はひどい吹雪の夜で、雪で視界が遮られるほどだった。
「あんたさえいなきゃ、うまくいくのよ」
乱れた髪の女が、そう言って、赤ん坊のシルフィーを見下ろしていた。目はぎらついていて、ろくに食べていないのか、やせ細っていた。
「子持ちは後宮には入れないからね。悪く思わないでよ」
シルフィーは手を伸ばし、その女の頬を撫でた。冷えて真っ白になっていた女の頬が、束の間赤くそまった。馬鹿な子供ね。女はそう言って、扉の前にシルフィーを置いた。女が去ってしばらくしたころ、扉が開いて、シルフィーの身体に当たった。出てきたのは、宿屋の女主人だった。彼女はシルフィーを見て、驚いた声をあげた。
あんた、きてみなよ。赤ん坊がいる──。
シルフィーの母親は間違いなくひどい人間だった。だけどシルフィーは、彼女のおかげでこの世に生まれ落ちた。彼女のおかげで生き延びることができた。そして、王妃様やエルランド、エリン、ミレイ、それから、エントに会うことができた──。ふっと瞳を開けると、こちらを見下ろしているエントと視線が合った。

「シルフィー」
「エント……」
エントはよかった、と言って、シルフィーの頬を撫でた。彼のシャツや手は血で汚れていた。エリンに刺されて、井戸に落ちて、それから──どうしたかは覚えていないが、きっとエントが助けてくれたのだろうと思った。
「シルフィー、大丈夫か」
エントを突き飛ばしたエルランドが、手を握り締めてきた。
「大丈夫よ、エルランド」
からん、という音が響いたのでそちらに視線を向ける。呆然とミレイが立っていた。彼女の足元にはたらいが転がっている。
「ミレイ、心配かけてごめんなさい」
ミレイは顔をくしゃくしゃにして、顔を覆った。こんなミレイは初めて見たかもしれない。シルフィーはミレイの背中を撫でながら、部屋を見回した。部屋にはエリンの姿がなかった。どこへ行ったのかと尋ねたら、ジャスパーに王宮まで連れられていき、勾留中だとのことだった。抵抗することもなく、茫然自失だったらしい。シルフィーはエルランドを見上げた。

「なんとか罪が軽くなるようにできない? わざとじゃなかったと思うの」
「シルフィーと母を縁切りさせようとした件は、ラルガにそそのかされたと言い訳ができただろうが……今回はちょっと難しいな」
エルランドはそう言って眉をひそめた。ミレイは涙をぬぐい、王妃様にご報告してきます、と言って部屋を出ていった。そういえば、ここはどこなのだろう。王宮ではないようだが……起きあがろうとしたら、ベッドがぎしりと音を立てた。この粗末なベッドには見覚えがある。
「もしかして、宿屋?」
「ああ、一番近いのがここだった」
エントはそう言って、傷口を見せてくれないか、と言った。それからちらっとエルランドを見る。エルランドが咳払いして部屋を出ていった。シルフィーが服のボタンを外すと、白い肌があらわになった。エントが触れると、くすぐったい感触がして身をよじる。痛いか、と尋ねられたのでかぶりを振った。彼は真剣な顔でこう言った。
「信じられない。さっきまで止血しても追いつかないぐらいだったのに、傷がほとんど塞がってる」
「エントが治療してくれたんでしょう?」
「いや、違う」
「じゃあ、「奇跡」かも」
エントは頷いて、はっと顔を上げた。

「悪い、見すぎた」
「ううん。エントにならいいの。だって旦那様だから」
そう言ったらエントが赤くなった。その時、ドアの向こうから声が聞こえてきた。
「いつまで外にいればいいんだ?」
「失礼しました」
エルランドと一緒に、たらいを抱えた女が入ってきた。シルフィーはその人物を見てあっと声をあげる。彼女はそっけなく挨拶してきた。
「久しぶりだね」
「おかみさん……」
「旦那たちは出てってください」
彼女はエルランドとエントを追い出し、血だらけになったシルフィーの足を洗ってくれた。綺麗になった足をぬぐいながら言う。
「しかし、あんたの人生もすごいね。こんな雨の日に刺されて、井戸に落ちるなんてさ」
「そうですね」
女主人は鼻を鳴らし、たらいを抱えて立ち上がった。さっさと部屋を出て行こうとする彼女の背中に声をかける。
「育ててくれてありがとうございます」
「嫌味かい? 別に何もしちゃいないよ」
「でも、いま生きていられるのはおかみさんたちのおかげです」
「感謝するなら宿賃を弾んでくんな」
去っていた女主人を見送って、エルランドがつぶやく。
「あれがシルフィーの育ての親か」
「ええ。おかみさんたちとは、やっぱり縁があるみたい」
シルフィーはそう言って微笑んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

イケメンの婚約者が浮気相手と家出しました。

ほったげな
恋愛
ヴェロニカは名家の令息・二コラと婚約した。しかし、二コラはヴェロニカに冷たく、罵倒する。その後、二コラが家出して・・・。

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

かわいそうな旦那様‥

みるみる
恋愛
侯爵令嬢リリアのもとに、公爵家の長男テオから婚約の申し込みがありました。ですが、テオはある未亡人に惚れ込んでいて、まだ若くて性的魅力のかけらもないリリアには、本当は全く異性として興味を持っていなかったのです。 そんなテオに、リリアはある提案をしました。 「‥白い結婚のまま、三年後に私と離縁して下さい。」 テオはその提案を承諾しました。 そんな二人の結婚生活は‥‥。 ※題名の「かわいそうな旦那様」については、客観的に見ていると、この旦那のどこが?となると思いますが、主人公の旦那に対する皮肉的な意味も込めて、あえてこの題名にしました。 ※小説家になろうにも投稿中 ※本編完結しましたが、補足したい話がある為番外編を少しだけ投稿しますm(_ _)m

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

処理中です...