虫愛る姫君の結婚

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秘密

人の縁

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ツルがからまっている。かんぬきは完全に壊れていて、確かに簡単に開けることができた。しかし、門の先はかなりのいばら道だ。ここを行ったとしたら、相当傷だらけになっただろう。ジャスパーは棘だらけのつるを剣ではらいながら、エルランドに声をかけた。
「よくこんな場所知ってましたね」
「子供のころ、エリンと遊んでいた時に見つけたんだ」
エルランドは懐かしむように、つるのからまった門にそっと手を添えた。エリンは、幼い頃からわがままだったが、言い方を変えれば甘えん坊でかわいい妹だった。だが、シルフィーが来てから段々変わり出した。生来の美しさや立場に驕り、さまざまな人間から求愛されることでますます増長した。シルフィーは目を伏せる。

「私のせいなのね」
「違う。エリンは君を恐れていたんだよ、シルフィー」
「恐れてた?」
「いつか自分の立場を脅かされるんじゃないかという恐れだ。本人は気づいてないが、エリンは君の自由さや飾らない性格を妬んでいた。だから何かと攻撃していた」
ジャスパーが口をはさんだ。
「そんな諍いは、きょうだいならよくあることですよ。俺なんて兄貴のできがよくて、散々に言われた」
「私も妹が美人で愛嬌のある子でした。親からの愛情は明らかに偏っていました」
ミレイがそう続ける。みんな素敵な人なのに、辛い思いをしたこともあるのだ。それでも前を向いて生きてきた。エリンにはそういう劣等感を受け入れることができなかった。
空を厚く覆っていた雲から、ぽつぽつと雨が降り始めた。やがて雨は本降りになり、街や路面を濡らしていく。久しぶりの下町の空気を懐かしむ余裕もなく、シルフィーたちは共同井戸へと急いでいた。その道中、エリンがいないかくまなく視線を走らせる。通りゆく人々は皆、カッパや傘で顔が隠れている。そんな中、雨の中、井戸の前に佇んでいる少女の後ろ姿が見えた。シルフィーは彼女に駆け寄って声をかけた。
「エリン!」
振り向いたエリンは、持っていた小刀を突きつけてきた。

「こないで!」
シルフィーは足を止めた。エリンは口元を歪めて語りかけてくる。
「こうなってさぞいい気分でしょうね。満足?」
「エリン、そんなもの、あなたには似合わないわ」
「そうよ。本来ならあなたがこういう役回りをするのよ。悪女の娘。メロニアの娘! なのにどうして私が王宮を追い出されるのよ。王女なのに。お母様の本当の娘なのに!」
 エリンはそう言って髪を振り乱した。シルフィーは一歩エリンに近づいた。
「エリン、私はあなたが好きよ」
「あんたに好かれたってどうしようもないのよ!」
雷鳴が鳴り響いた。稲光に照らされ、美しいエリンが恐ろしい形相でこちらを睨んでいるのがわかった。
「おかしいじゃない、こんなの。お兄様も、エント様も、あなたがいいって言うの。私のほうが綺麗でかわいいのに」
「ええ、あなたは綺麗よ。だから……」
「エリン、おまえは醜い」
「エルランド!」
「見た目ではなく心根の話をしているんだ」
 エルランドはまっすぐな目でエリンを見つめた。
「シルフィーはあなたと親しくなろうとした。今も手を差し伸べている。それなのに、おまえはちっとも変わろうとしない。それは臆病だからだろう」
「おくびょう?」
「そうだ。おまえは見下しているシルフィーに情けをかけられたくないんだろう」

エリンは当たり前じゃない、と吐き捨てた。彼女は怒りに燃える瞳でこちらを睨みつけた。
「その女に同情されるぐらいなら──死んでやるわ」
エリンは小刀を自分の喉元に突きつけた。シルフィーはとっさに駆け出し、その腕を掴む。エリンの持っていた小刀がシルフィーの胸に深く突き刺さった。自分のしたことに、エリン自身が驚いているようだった。エントがシルフィー、と叫ぶ声が聞こえた。
体勢を崩して井戸に落ちる瞬間──思い出した。
その日はひどい吹雪の夜で、雪で視界が遮られるほどだった。
「あんたさえいなきゃ、うまくいくのよ」
乱れた髪の女が、そう言って、赤ん坊のシルフィーを見下ろしていた。目はぎらついていて、ろくに食べていないのか、やせ細っていた。
「子持ちは後宮には入れないからね。悪く思わないでよ」
シルフィーは手を伸ばし、その女の頬を撫でた。冷えて真っ白になっていた女の頬が、束の間赤くそまった。馬鹿な子供ね。女はそう言って、扉の前にシルフィーを置いた。女が去ってしばらくしたころ、扉が開いて、シルフィーの身体に当たった。出てきたのは、宿屋の女主人だった。彼女はシルフィーを見て、驚いた声をあげた。
あんた、きてみなよ。赤ん坊がいる──。
シルフィーの母親は間違いなくひどい人間だった。だけどシルフィーは、彼女のおかげでこの世に生まれ落ちた。彼女のおかげで生き延びることができた。そして、王妃様やエルランド、エリン、ミレイ、それから、エントに会うことができた──。ふっと瞳を開けると、こちらを見下ろしているエントと視線が合った。

「シルフィー」
「エント……」
エントはよかった、と言って、シルフィーの頬を撫でた。彼のシャツや手は血で汚れていた。エリンに刺されて、井戸に落ちて、それから──どうしたかは覚えていないが、きっとエントが助けてくれたのだろうと思った。
「シルフィー、大丈夫か」
エントを突き飛ばしたエルランドが、手を握り締めてきた。
「大丈夫よ、エルランド」
からん、という音が響いたのでそちらに視線を向ける。呆然とミレイが立っていた。彼女の足元にはたらいが転がっている。
「ミレイ、心配かけてごめんなさい」
ミレイは顔をくしゃくしゃにして、顔を覆った。こんなミレイは初めて見たかもしれない。シルフィーはミレイの背中を撫でながら、部屋を見回した。部屋にはエリンの姿がなかった。どこへ行ったのかと尋ねたら、ジャスパーに王宮まで連れられていき、勾留中だとのことだった。抵抗することもなく、茫然自失だったらしい。シルフィーはエルランドを見上げた。

「なんとか罪が軽くなるようにできない? わざとじゃなかったと思うの」
「シルフィーと母を縁切りさせようとした件は、ラルガにそそのかされたと言い訳ができただろうが……今回はちょっと難しいな」
エルランドはそう言って眉をひそめた。ミレイは涙をぬぐい、王妃様にご報告してきます、と言って部屋を出ていった。そういえば、ここはどこなのだろう。王宮ではないようだが……起きあがろうとしたら、ベッドがぎしりと音を立てた。この粗末なベッドには見覚えがある。
「もしかして、宿屋?」
「ああ、一番近いのがここだった」
エントはそう言って、傷口を見せてくれないか、と言った。それからちらっとエルランドを見る。エルランドが咳払いして部屋を出ていった。シルフィーが服のボタンを外すと、白い肌があらわになった。エントが触れると、くすぐったい感触がして身をよじる。痛いか、と尋ねられたのでかぶりを振った。彼は真剣な顔でこう言った。
「信じられない。さっきまで止血しても追いつかないぐらいだったのに、傷がほとんど塞がってる」
「エントが治療してくれたんでしょう?」
「いや、違う」
「じゃあ、「奇跡」かも」
エントは頷いて、はっと顔を上げた。

「悪い、見すぎた」
「ううん。エントにならいいの。だって旦那様だから」
そう言ったらエントが赤くなった。その時、ドアの向こうから声が聞こえてきた。
「いつまで外にいればいいんだ?」
「失礼しました」
エルランドと一緒に、たらいを抱えた女が入ってきた。シルフィーはその人物を見てあっと声をあげる。彼女はそっけなく挨拶してきた。
「久しぶりだね」
「おかみさん……」
「旦那たちは出てってください」
彼女はエルランドとエントを追い出し、血だらけになったシルフィーの足を洗ってくれた。綺麗になった足をぬぐいながら言う。
「しかし、あんたの人生もすごいね。こんな雨の日に刺されて、井戸に落ちるなんてさ」
「そうですね」
女主人は鼻を鳴らし、たらいを抱えて立ち上がった。さっさと部屋を出て行こうとする彼女の背中に声をかける。
「育ててくれてありがとうございます」
「嫌味かい? 別に何もしちゃいないよ」
「でも、いま生きていられるのはおかみさんたちのおかげです」
「感謝するなら宿賃を弾んでくんな」
去っていた女主人を見送って、エルランドがつぶやく。
「あれがシルフィーの育ての親か」
「ええ。おかみさんたちとは、やっぱり縁があるみたい」
シルフィーはそう言って微笑んだ。
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