虫愛る姫君の結婚

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秘密

ねぎらいよりも大切なもの

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謁見室の椅子に、美しい王妃が座っている。眩い金髪と海のような青い瞳。相変わらず年齢不詳なところが、うちの母親と少し似ている、と思った。不敬だったなと、その考えを打ち消していると、王妃が口を開いた。
「見事、キメラビーの討伐に成功したそうですね。さすがです、エント・ヨークシャー」
「いえ。それよりも、部下2名が負傷し、命を賭して任務にあたりました。彼らを讃えてやってください」
「あなたらしいですね。彼らには特別な手当を用意しましょう」
とにかく、誰も死ななくてよかった。エントが視線を動かしていると、王妃が笑った。

「ねぎらいよりシルフィーですか」
「申し訳ありません。いろいろあって、心配だったので」
「あの子なら、温室にいますよ」
頭を下げ、その場を去ろうとすると、王妃が声をかけてきた。
「誰か副官に推薦する人間はいますか。ラルガ副官が出向になり、穴が開きました」
謁見室を出たエントは、温室へ向かった。温室では、シルフィーがバロンを肩に乗せて本を読んでいた。降り注ぐ柔らかい光が横顔に当たって、輝いて見える。なぜか声をかけることができず、しばらくその姿を眺めていた。エントに気づいた彼女はパッと顔を明るくし、こちらに駆け寄ってきた。勢いが着きすぎてつんのめったシルフィーを抱き止める。

「どうした」
「あのね、聞いて。私すごいことを発見したの」
「すごいこと?」
シルフィーはエントに手を出すように言った。言われた通りにすると、彼女はエントの手を握りしめてきた。その瞬間、全身が温かくなった。まるで暖炉に手をかざしているかのようだった。エントは自分の掌を見下ろした。ほのかに赤く光っている。
「どういうことだ、これは」
「錬成石がなくても、錬金術が使えるの! 錬成石を作るには、たくさん材料がいるんでしょ? 手間が省けるんじゃないかと思って」
「錬成石がなくても、使える……?」
そんなことはありえない。錬成石は物質を変化させるのに不可欠な媒体なのだ。もしも、媒体なしで錬成が可能だとしたらそれは──。こんなところにあったなんて。エントは何も言わずにシルフィーを抱きしめた。シルフィーは彼を抱きしめ返す。バロンは二人をそっと見守るかのように、ささっと観葉植物の影に隠れた。エントはシルフィーを抱きしめたまま考えていた。仮面パーティーの夜、彼女に再会した時に口に出せなかった言葉が、今なら言える気がしていた。
「シルフィー、俺は……」

その時、温室にメイドが飛び込んできた。エントはシルフィーから素早く離れる。メイドは蒼白になってこう言った。
「エリン様がお部屋にいません」
シルフィーは困惑気味にエントを視線を合わせた。
「エリンがいないって、どこに行ったのかしら」
「散歩じゃないのか」
「いえ、窓から抜け出したようです」
「ちゃんと見張っていたのですか?」
いつのまにか温室の中に入ってきていたミレイが、メイドにそう尋ねた。エントはぎょっとして、一体いつからいたんだ、とつぶやいた。ミレイは無表情で返す。

「エント様が「シルフィー、俺は……」と言ってらしたころからです。続きが大変気になるのですが」
「そんなことより、エリンを探そう」
エントは無理やりミレイの言葉を打ち切り、皆をうながして温室を出た。メイドによると、エリンのお気に入りのティールーム、談話室、図書館などは全て見たとのことだった。もしかして王宮を出たのではないかと門兵に尋ねてみたが、エリンらしき人物は通らなかったそうだ。シルフィーはエルランドの執務室へ向かい、エリンがいなくなった旨を話した。エルランドは書類から目を離さずに口を開いた。
「放っておけ」
「でも、エリンの様子は変だったわ。もしかしたら、早まったことをするかも」
「そうやってみんなに心配させるのが目的なんだ。俺たちが甘やかしてきたからこんなことになった」

だからって無視して手遅れになったら、きっとみんな後悔する。エルランドだって、本当はエリンを心配しているはずなのだ。シルフィーがなおも言い募ろうとしたら、ジャスパーが口を挟んだ。
「俺が探しますよ。殿下はお仕事を」
エルランドのところにもいないとなると、あとは王妃の部屋だろうか。メイドによると、まっさきに知らせたが、王妃は知らないようだったと話した。シルフィーはハッとしてエルランドを見た。
「もしかして、ラルガのところに行ったのかも。エリンは彼に夢中だったわ」
「ラルガ? しかし彼は勾留中だ」

エントは半信半疑の様子で取調室へ向かった。そこにエリンはいなかった。エントを見た取り調べ官は、慌てて席を立つ。ラルガは罪人とも思えない様子でゆったりと腰掛けていた。エントはラルガの向かいに腰を下ろした。ラルガは冷たさの滲んだ瞳でこちらを見た。
「顔を見せるのが遅いんじゃないか、エント・ヨークシャー」
「ラルガ、君がこんな馬鹿げたことに手を貸すなんて残念だ」
「メデューサの鎖という術には前々から興味があった。メロニアが抱き込んだ錬金術師が使った術だ」
シルフィーはハッとして身を乗り出した。
「どういう意味?」
「エリン姫はメロニアに関心を持っていた。彼女には悪の素質がある。実の娘である君よりずっと」
ラルガはそう言ってシルフィーを見た。シルフィーはきっとラルガを睨みつけた。
「あなたがそそのかしたんでしょう」
「楽園にいる蛇にそそのかされようと、実際に罪を犯したものが追放される。蛇は罰を受けない」
「ごたくはどうでもいい。エリンがいなくなった。居場所を知らないか」
「猫がいなくなるときは死ぬときだ」
その言葉に、シルフィーは震えた。エリンが死ぬ? まさか──。エントは席を立ち、「メロニアの自伝に手がかりがあるかもしれない」と言った。取調室を出ようとしたとき、背後から声が聞こえてきた。
「人間には二種類いるんだ。わかるか?」
「錬金術を使える人間と、それ以外」
エントは振り向いて微笑んだ。
「なるほど。じゃあおまえはじきに「それ以外」になる。今回の件で、資格を剥奪されるだろうからな」

そこで初めて、ラルガの顔が歪んだ。取調室を出ると、ミレイが「いい気味です」とつぶやいた。エントが急ごう、と言って足を早める。エリンの本に置かれていたメロニアの自伝には、あちこちにしるしがつけられていた。使われた毒、医学の知識、それから男性のたらし込み方など。熱心に読み込んでいるらしく、あちこちに毒の分量などのメモが書かれていた。それを見たジャスパーは、計算が間違ってないか、とつぶやいた。ミレイが無表情で答える。
「エリン様は計算が苦手でらっしゃいます」
「残念だねえ。研究熱心だが、悪女たる頭脳がたりないわけだ」
「それでよかったというべきだな。彼女に知恵があったら第二のメロニアになっていた」
エントがそう相槌を打った。散々な言われようである。みんなもっと真剣に探してくれないかしら。そう思っていたシルフィーは、とあるページで手を止めた。そこには、赤ん坊を捨てた時の記述が書かれていた。その日は嵐の夜で、誰も外に出ていなかった。井戸に捨てられた赤ん坊は間違いなく死んでしまうはずだった。そこでは赤ん坊は亡くなるが、実際にシルフィーは生きている。エリンはどうやらそこにこだわっているようだった。なぜシルフィーが生き残ったかについて、いろいろ書かれている。
「井戸……」
「え?」
「エリンは井戸に興味を持っていたわ。もしかしたら、ここにいるかもしれない」
「しかし、門兵はエリン姫を見かけなかったと言っていたぞ」
どこか抜け道を使ったのかもしれない。そう思っていたら、背後から声が聞こえてきた。
「裏庭のところに、一箇所だけかんぬきの甘い門がある」
振り向くと、エルランドが立っていた。やっぱりエリンのことを放ってはおけなかったのだろう。
「案内して、エルランド」
シルフィーが急かすと、エルランドは頷いて、先に立って歩き出した。
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