虫愛る姫君の結婚

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秘密

キメラビーの討伐

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エルランドの命によってサイレージ村に派遣されたのは、副官であるラルガ率いる部隊ではなく、別の錬金術師たちだった。彼らと合流したエントは、その中にいるアレックスに声をかけた。
「ラルガはどうしたんだ?」
「なんかよくわからないんですが、副官は外されました。あなたの指示に従うようにと」
なぜ現在ヒラであるエントに指揮が任されたのだろう。とにかく、早く現地に行かないと日が暮れてしまう。巣穴の周りにはキメラアントがうろついていて、ひどく殺気だっていた。おそらく、近づけるのはここまでだろう。エントは部隊をとどめ、望遠鏡を借りて、巣穴の様子を観察した。巣穴の中で何かが動いている──幼虫かと思って目をこらしたが、人の手のように見える。エントはさっと青ざめた。

「人がいる──しかもあの服装は、錬金術師だ」
どういうことかとアレックスを見ると、彼は気まずそうに目をそらした。
「ライアンです。任務の際に取り残されて……」
ならなぜもっと早く来なかったのだ。他の錬金術師が、アレックスを擁護するようにこう言った。
「多分もう、亡くなってます。副官の爆破錬金術ならばあの巣穴を吹き飛ばせます。残った蜂は我々が殲滅します」
「人がいるかもしれないのに、爆破はできない」
彼を助けるためには、蜂を刺激せず、あの巣穴にいかなければならない。そうなると、フリーズか。いや、凍らせるにはあまりにも広範囲だし、接近する必要がある。エントは考えた末にこう言った。

「セイレーンの眠りを使う」
「セイレーンの眠り……」
「でもあの詠唱、めちゃくちゃ長くないですか?」
セイレーンの眠りは2メートル圏内にあるものを全て眠らせることができる術式だ。本来、戦闘錬金術の詠唱は縮小されているが、この術式だけは五分以上ある。しかも詠唱時は戦闘不能になるため、敵に気づかれたら終わりだ。周りからのサポートが何よりの鍵になる。幸い、2メートル圏内に隠れられそうな岩場を見つけた。
「五分間蜂を引きつけられるか。あとは俺がなんとかする」
「やりますよ。もともとは俺たちがあいつら始末できなかったわけですし」
「そのかわり、失敗しないでくださいね」
「おまえ、副官に向かってなんて口聞いてんだ」
「今は副官じゃないよ」

蜂は黒を嫌い、攻撃してくるので、全員コートを脱いで腹ばいで進んだ。岩場に辿り着いたころには、土埃ですっかり服が汚れていた。エントは術式を書いて、詠唱の準備をした。指にはめた賢者の石をかざして唱える。
「神の名を持つ賢者の石よ……」
三分の一ほど唱えたところで、羽音が聞こえてきた。感づかれたか。意外と早かったな。エントはアレックスに目配せした。アレックスはモリを錬成して蜂がくるのを待ち構えた。まるで地響きのような音が接近し、蜂の複眼と視線が合った。蜂が牙を剥いて威嚇する。アレックスがモリを蜂の腹部に突き刺すと、賢者の石がこぼれ落ちた。他の術師が石を砕く。気がつくと、岩場の周りを包囲されていた。早く唱え終えなければ。そう思いつつも、焦って詠唱を間違えればそこで終わりだ。武器で攻撃するもの、火で追い払うものなどさまざまだった。もう少しというところで、部下の一人が蜂に刺された。その蜂がエントに襲いかかってくる。詠唱を止めるな。刺されても終わらせないと意味がない。その時──。今までとは全く違う音がした。人の声でも、風の音でもない。澄み切った、優しい音だった。その場にいた全員が、一瞬動きを止める。それは蜂もおなじだった。しかし、エントは違った。
「荒ぶる魂よ、セイレーンの歌で安らかに眠れ」

詠唱を終えると、凶暴性を失った蜂が次々に地面に落下した。耳を塞ぎたくなるほどうるさかった羽音が止み、その場が静かになる。蜂たちは眠りについたのだ。しかし、まだやるべきことはある。エントは蜂に刺された部下の治療を指示し、アレックスと共に巣穴へ向かった。ぐったりしているライアンに駆け寄り、声をかける。
「大丈夫か」
肩をゆさぶっても、手を握っても反応がないので、ダメだったかと諦めかけたとき、ライアンがみじろぎした。彼はのろのろと顔をあげて、かすれた声で言った。
「エント副官……」
「生きてる……生きてます、エント副官!」
アレックスは目を潤ませてこちらを見た。エントは微笑んでうなずいた。
「ああ、よかった」
エントは部下たちを避難させ、爆破術を仕掛けた。眠りについているキメラビーは、まるで彫刻のようだった。彼らはなんのために生まれて、なんのために死んでいくのだろう。せめて、苦しまずに死んでいくことだけが救いかもしれない。エントが巣穴をあとにして数十秒後、爆風が上がった。何度キメラインセクトを駆除しても、達成感よりも悲しさのようなものが優った。──シルフィーによろしく。その声に顔をあげると、視界の端を、何か銀色のものが去っていくのが見えた。エントは微笑んで、部下たちの元へ歩いて行った。

怪我人が二人いるので、サイレージ村の医院で受け入れてもらうことになった。医師の診断の結果、命に別状はないだろうとのことだった。村娘たちは若い錬金術師たちを見てきゃあきゃあ騒ぎ、村長は快く錬金術師たちをもてなしてくれた。アレックスはメインディッシュのローストチキンにがっつきながら首をひねる。
「にしてもさっきの音、なんなんですかね?」
「精霊の加護ってやつさ。なんせエント副官は最高の錬金術師だからな!」
「気に入られてるのは、俺じゃないよ」
「え、じゃあ俺?」
「んなわけねえだろバカ!」

酒が入っているのもあって、皆手加減なしで叩き合っている。任務が成功したからなのか、みんな陽気だった。危険と隣り合わせの仕事なので、こういう時間も大事だと思う。シルフィーはどうしているだろう。ぼんやりしていると、アレックスが「副官?」と呼びかけてきた。エントは咳払いをして話題を変える。
「それで、なんで俺が指揮を取ることになったんだ? ラルガはどうした」
「なんか、錬金術師法を破ったらしいんですよ」
「そうそう、何の罪もない一般人にメデューサの鎖を使ったらしいです。いま、取り調べされている最中で」
ラルガがミレイに術をかけていたということか。術者が判明したということは術は解除できたのだろうが、シルフィーは平気だろうか。エリンの術中にはまって苦しんでいるのではないか。考えていたら、いてもたってもいられなくなった。エントが席を立つと、アレックスが肉を持ったまま見上げてきた。
「どうかしました?」
「私は先に帰る。あとは頼む」
「はい!? 祝いの席なのに、ちょっと、副官!」
背後から変わったなあ、あの人も、という声が聞こえてきた。
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