虫愛る姫君の結婚

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悪女の娘

キメラインセクトと世話係

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春は虫の季節である。蝶やてんとう虫、それからハナムグリ。花があれば虫が集まるのは道理で、自然豊かな王宮の庭は、シルフィーにとっては天国だった。シルフィーは朝食を食べながら、透明なコップに入れたバロンを眺めていた。時折パンを与えると、嬉しそうに頭を振る。隣に座っていたエリンが嫌悪感をあらわにして言う。
「食堂に虫を持ち込まないでよ。きたないわ」
「汚くないわ。かわいいのよ」
 コップを差し出すと、エリンが悲鳴をあげて王妃にしがみついた。
「お母様! 私こんな子とお食事したくないわ!」
「そんなこと言っちゃだめよ、エリン」
 王妃はエリンをたしなめ、シルフィーにこう言った。
「シルフィー、お食事中は、虫はお部屋に置いてきてね」
「はい、王妃様」

 どうやら、王宮の人たちは虫が好きではないようだった。小さな蜘蛛ですらすぐ排除しようとする。──こんなにかわいいのに。バロンと一緒に温室に戻ったシルフィーを待っていたのは、無表情な侍女だった。
「本日からお世話をさせていただきます、ミレイです」
 世話係の侍女はぶっきらぼうにそう言った。シルフィーはおはよう、と元気よく挨拶を返す。彼女はシルフィーに、珍獣を見るかのような視線を向け、手にしているコップに目をやった。
「それはなんですか?」
「バロンよ。かわいいでしょう」
「虫を持ちあるくなんて、おかしな目で見られます。早く捨てなさい」
 侍女はシルフィーからダンゴムシを奪おうとした。シルフィーはがんとしてそれを阻んだ。侍女はわずかにひきつった顔でこう言った。
「あなたは王妃様の養女なのですよ。しかるべき礼儀作法を身につけ、いずれは良いお方と結婚するのです」
「私、そんなものより錬金術を習いたいの」
「錬金術? あれは男性の学問です。女には無理です」
「そんなことないわ」
 シルフィーはそう反論したが、ミレイはかぶりを振って理解不能です、と言った。
「いいですか。エリクサーは1000年かかっても発見されない万能物質ですよ。見つけたら歴史に名が残ることは間違いありません。しかし、不可能です。結婚し、子孫を残すほうが百億倍現実的です」
 その日から、シルフィーはミレイによって礼儀作法を叩き込まれた。おはよう、ではなくおはようございます。自分より目上の相手は様をつけて呼ぶこと。食事中は音を立てない。虫を追いかけて走り回るなどともってのほか。髪はきちんと結って、いつでも伏し目がちでいること。殿方に話しかけられてもはしゃがず、控えめに返事すること。あまりに多くのことを教えこまれて、シルフィーの頭はパンク寸前だった。何よりも辛いのは、虫捕りを禁じられたことだった。こんなに素敵な季節なのに、外へ行けないなんて! シルフィーはミレイの目を盗んでは王宮を抜け出し、季節の虫を追いかけた。王宮のすぐそばには森があって、いろいろな生き物が住んでいた。その森は生態系が豊かで、何度行っても飽きなかった。

 シルフィーはその日も、いつものように虫を追っていた。ミレイがついてきているのは知っていたが、木に登ってやりすごそうと思っていた。しかし、ミレイはすぐにシルフィーを見つけ、追いかけてきた。なんだか今日は気合いが入ってるわ。
 逃げ続けていたら、いつのまにか、森の奥深くまで入ってしまっていた。ふと、何か酸味を帯びた匂いがした。なんだろう、この匂い──。シルフィーがくんくん鼻を動かしていると、悲鳴が聞こえてきた。シルフィーはハッとして振り向いた。視線の先には、真っ赤な塊があった。ミレイの身体に、見たこともない真っ赤な虫が群がっていたのだ。よく見ると、巨大な蟻のような姿をしている。なんだあれは。シルフィーは蒼白になってそちらに駆け出した。
「ミレイ!」
「シルフィー様……きてはいけませんっ」
 ミレイはそう言ったが、シルフィーは止まらなかった。策などなく、ただミレイを助けたいという一心だった。なんとかしなければ。二人とも死んでしまう。
「バロン、あれをやっつけて!」
 そう叫ぶと、シルフィーの肩に乗っていたバロンが巨大化した。バロンが糸を吐くと、ミレイを噛もうとしていた虫が絡め取られて地面に落ちる。バロンは再び小型化し、シルフィーの肩に戻った。シルフィーは呆然としているミレイに駆け寄った。

「ミレイ、大丈夫?」
「シルフィー様、い、今のは──」
 シルフィーにもわからない。とにかく、なんとかしようと必死だったのだ。
 そんなことより、ミレイの怪我が心配だった。ミレイの全身は真っ赤に腫れ上がっていて、ひどく痛そうだった。シルフィーはミレイを抱き起こしながら尋ねた。
「さっきの虫はなに?」
「キメラアントです。錬金術の実験によって生まれた化け物ですね。このあたりに巣があったなんて」
 実験で生まれた? つまり、あの赤い蟻は人間が作ったのか。シルフィーはミレイに肩を貸して、来た道を歩いて行ったが、子供には重労働だった。汗だくになったシルフィーに、ミレイはかすれた声で言った。
「シルフィー様……もういいです。置いて行ってください」
「そんなのだめよ」
「どのみち、私は助かりません。キメラアントの毒には、特効薬がないのです」
 シルフィーはぎゅっと唇を噛んだ。あたりはだんだん暗くなっていく。どこからか、狼の遠吠えが聞こえて来た。なんとかしないと……。川のせせらぎが聞こえて来たので、水を飲むためにそちらへ向かう。水を汲もうとかがんだ時、何かがポケットで音を立てた。賢者の石だ。これがあればミレイを助けられるかもしれない。シルフィーは石を砕いて、粉末にして混ぜた。虫の粉末は腫れに効くのだ。それを水に溶かして、ミレイに飲ませる。ミレイは喉を鳴らし、乾いた唇を動かした。
「楽に、なりました」
「よかった……」
 シルフィーはほっと息を吐いて、ミレイの背中を撫でた。彼女の背中は汗で濡れて冷えていたが、撫で続けていると、じんわりと温かくなっていった。蹄の音が響いたので顔をあげると、馬で駆けてくるエルランドの姿が見えた。シルフィーは必死に腕を振る。

「エルランド!」
「シルフィー、大丈夫か。ミレイ、どうしたんだ」
エルランドはミレイとシルフィーを馬に乗せ、王宮へ戻った。すぐに医師を呼び、ミレイを診察してもらう。
キメラアントに噛まれてなお助かったことを、医師も驚いていた。
「信じられない…驚異的な回復力ですな」
「シルフィー様のおかげです」
 ミレイはそう言って、眠たげに頭を揺らすシルフィーに視線を向けた。エルランドは苦笑しながら、シルフィーの頭を撫でる。
「まさか、持っていた賢者の石を粉末状にして飲ませるなんてね。この子は子供なのか、大人なのかわからないな」
「シルフィー様は子供です。野原をかけまわり、虫を捕まえることしか考えていない……」
 ミレイは伺うようにエルランドを見た。
「王妃様はなぜ、シルフィー様を引き取ったのでしょう」
「さあ。それは僕も聞きたいところだけど、あの人はなかなか思惑を口に出さないからね」
 エルランドはシルフィーの寝顔を見下ろした。そのあどけない寝顔は、悪女の娘には見えなかった。

翌日、シルフィーはミレイを見舞うために庭園で花をつみ、彼女の部屋へ向かった。ミレイはぼんやりと窓の外を見ていたが、シルフィーに気づいて微笑んだ。彼女は花を受けとって目を細める。
「綺麗な花ですね」
「あとね、かわいいダンゴムシがいたの!」
「……ありがとうございます」
 ダンゴムシが入れられた瓶を差し出すと、ミレイが物言いたげな視線を向けて来たので、シルフィーは慌てて訂正した。
「あ、虫取りだけじゃなくて、ちゃんと礼儀作法のお稽古もしてるのよ」
 ミレイは小さなダンゴムシを眺めてつぶやいた。
「シルフィー様は、変わった方ですね」
「そうかしら」
「私は無愛想で可愛げがないのもあって、夫に恵まれませんでした」
 ミレイはそう言ってそっとダンゴムシを掌に乗せた。
「良縁に恵まれれば、辛い思いをせずに済む。あなたのためを思って、いろいろ言ってきましたが……」
「うん、ミレイがいい人だってわかってる」
「女はか弱く可憐に振る舞うほうが得です。男の方に守ってもらえる。しかし、あなたにはもっと大事なことがあるんですね」
「うん、私、守ってもらわなくていいの」
 ミレイはシルフィーの手をそっと握りしめた。
「シルフィー様。あなたの良さを理解してくださる方と結婚してください」
 シルフィーは笑顔で頷いた。
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