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悪女の娘
青いペンダント
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「ああ、寒い……」
井戸の水を汲んだシルフィーは身体を震わせて、ストールを巻きつけた。その日は10年に一度という寒波が訪れて、凍えるほどの寒さだった。客室は満員で、誰も外に遊びに行こうとはしなかった。食堂は暖かく、酔っ払いの客が賑やかに騒いでいた。シルフィーは夕飯を給仕するため、忙しく働いていた。客の中に、やけにシルフィーに話しかけてくる若い男がいた。端正な顔立ちをしていて、金の髪と青い瞳が優美な印象を与えてくる。貴族か何かなのか、彼の全身には宿屋には不似合いな上品さが漂っていた。
男は小さいのに働かされて可哀想だとか、駄賃をやるとか言って、何かとシルフィーを引き留めた。女主人がいらついているのがわかったので、シルフィーはなんとか男を振り切ろうとしていた。
「あの、そろそろ行かないと」
「まだいいじゃないか。君は妹と同じぐらいなんだ」
「シルフィー! さっさとこれを運びな!」
ついに怒鳴られてしまい、シルフィーは肩をすくめた。
「君のお母さんは怖いんだな」
彼は声を顰めてそういった。
「お母さんじゃないんです」
「へえ、じゃあ、君のお母さんってどこにいるの?」
シルフィーはわからない、と答えて、胸に下げたペンダントを男に見せた。男は、「それはなんだい」と尋ねてくる。
「私を拾った時に、一緒に落ちていたそうです」
「ああ、それで肌身離さず持ってるのか。お母さんを探すためにね」
「いえ。これ、モルフォ蝶の羽根に似ていて綺麗だから」
「モルフォ……?」
「雄だけが真っ青に見える蝶なんです。メスは地味なの」
「小さいのに、虫に詳しいんだね。すごいね」
男はそう言ってシルフィーの頭を撫でた。誰かに褒められるなんて、初めてかもしれない。シルフィーがはにかんでいると、ドアが開いて、冷たい空気が流れ込んできた。ドアの向こうには、ひどく顔色の悪い男が立っていた。一瞬その場の喧騒が止んだが、すぐに男への関心が薄れ、再びうるさくなった。シルフィーは男の顔色の悪さが気にかかった。あの人、病気なのかしら……。女主人は男に近づいていき、じろじろと身なりを見た。彼はかすれた声で「今夜泊まれるか?」と尋ねた。女主人は冷たい声で言った。
「金がないなら泊められないよ」
男はポケットから出したものを、女に差し出した。それはどう見ても鉛だったので、女主人は鼻を鳴らした。
「さっさと帰っとくれ」
「神が与えし賢者の石よ、我が手に金を」
男がそう唱えると、鉛が金に変わった。一瞬の出来事に、周囲がどよめいた。女主人はポカンとして、男が持っている金を見た。男は金を女主人に渡して、赤い石がはまった指輪を見せた。誰かが錬金術師だ、とつぶやく。
女主人の態度が急変し、部屋を開けるために、客の一人を追い出した。追い出された客は文句を言っていたが、女主人は気にせず、錬金術師を部屋に案内した。こっそり二階に上がったシルフィーが部屋を覗くと、錬金術師はベッドに腰掛けてぼんやりしていた。シルフィーに気づくと、こちらに視線を向ける。
「なにか?」
「あの、さっきの、錬金術なんですか?」
「ああ……そうだ。君は錬金術に興味があるのかい」
「はい。錬金術師はすごいって聞きました。正義の味方だって」
目を輝かせるシルフィーを見て、男は軽く笑った。
「すごくなどない。昔は馬鹿馬鹿しいと思われていた。オカルトの類だと」
「おかるとって何ですか?」
「誰も信じないってことさ」
男はそう言って、シルフィーを手招いた。彼が見せてくれた指輪を見たシルフィーは、これはなんだと尋ねた。
男は「賢者の石だ」と言って咳き込んだ。シルフィーは慌てて彼の背中を撫でた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……」
男はしゃがれた声で言って、コップを手にし、中に入っている水を掌に落とした。水は部屋の灯りを反射して、ゆらゆらと揺れている。
「錬成の基本は四元素。準万能物質の賢者の石を媒体とし、火、水、土、木を作り出す」
男が水に指輪をかざすと、四角や丸に形を変えた。よくわからないけど、なんだかかっこいい、と思った。シルフィーは賢者の石を受け取って、しげしげと見た。
「紅虫に似てますね」
「面白いたとえだ」
男が激しく咳き込むと、紅い石が手から転がり落ちた。シルフィーは慌てて水を汲み、彼に差し出した。男は浅く呼吸しながらそれを受け取る。水を飲み干した彼はふと、シルフィーの方を見た。深い黒の瞳と漆黒の髪。やつれてはいるが、ハッとするような端正な顔立ちをしていた。
「君、名前は」
「シルフィーです。シルフィー・ドレーン」
「シルフィー、何か夢はあるのか」
「私、錬金術師になりたいです」
「そうか」
男はしばらく目を閉じていた。それから乾いた唇を開く。
「いいか、シルフィー……私のかわりに、エリクサーを発見してくれ」
「エリクサー?」
「そうだ。君に託す。錬金術師たちの夢を、私の夢を──」
男はそう言って、再び目を閉じた。エリクサーってなんなんだろう。わからなかったが、尋ねようとした時には彼はすでに眠りに落ちていた。翌朝、シルフィーが階下に降りていくと、宿屋の夫婦がひそひそ話していた。彼らの前には、大きな台が置かれている。なんだか嫌な予感がして、何があったのかと尋ねた。
「あの錬金術師が死んだんだよ」
シルフィーは息を呑んで、真っ白な布がかぶせられた男の遺体を見た。まさか、死んでしまうなんて……。涙を流すシルフィーをよそに、女主人はイライラと言う。
「ぼーっとしてるんじゃないよ。うちで死ぬなんて、全く、いい迷惑だ」
シルフィーは涙を拭きながら、男が泊まっていた部屋を掃除しにむかった。シーツにはまだ暖かさが残っていて、気持ちが沈んだ。テーブルには筆跡の乱れた手紙が置かれていた。まるで、死ぬのを予測していたかのようだった。「シルフィーへ。これを読んでいるということは、私は死んだのだろう。せめてもの餞別として、このノートを残していく。きっと君の役に立つと思う。私の夢をかなえてくれ。 オズワルド」
手紙を読み終えたシルフィーは、古びたノートを手に取った。シルフィーがノートをめくろうとしたその時、声が聞こえてきた。
「シルフィー! 何をやってるんだい!」
「はいっ」
シルフィーはノートを服の下に突っ込んで、慌てて階段を降りて行った。
井戸の水を汲んだシルフィーは身体を震わせて、ストールを巻きつけた。その日は10年に一度という寒波が訪れて、凍えるほどの寒さだった。客室は満員で、誰も外に遊びに行こうとはしなかった。食堂は暖かく、酔っ払いの客が賑やかに騒いでいた。シルフィーは夕飯を給仕するため、忙しく働いていた。客の中に、やけにシルフィーに話しかけてくる若い男がいた。端正な顔立ちをしていて、金の髪と青い瞳が優美な印象を与えてくる。貴族か何かなのか、彼の全身には宿屋には不似合いな上品さが漂っていた。
男は小さいのに働かされて可哀想だとか、駄賃をやるとか言って、何かとシルフィーを引き留めた。女主人がいらついているのがわかったので、シルフィーはなんとか男を振り切ろうとしていた。
「あの、そろそろ行かないと」
「まだいいじゃないか。君は妹と同じぐらいなんだ」
「シルフィー! さっさとこれを運びな!」
ついに怒鳴られてしまい、シルフィーは肩をすくめた。
「君のお母さんは怖いんだな」
彼は声を顰めてそういった。
「お母さんじゃないんです」
「へえ、じゃあ、君のお母さんってどこにいるの?」
シルフィーはわからない、と答えて、胸に下げたペンダントを男に見せた。男は、「それはなんだい」と尋ねてくる。
「私を拾った時に、一緒に落ちていたそうです」
「ああ、それで肌身離さず持ってるのか。お母さんを探すためにね」
「いえ。これ、モルフォ蝶の羽根に似ていて綺麗だから」
「モルフォ……?」
「雄だけが真っ青に見える蝶なんです。メスは地味なの」
「小さいのに、虫に詳しいんだね。すごいね」
男はそう言ってシルフィーの頭を撫でた。誰かに褒められるなんて、初めてかもしれない。シルフィーがはにかんでいると、ドアが開いて、冷たい空気が流れ込んできた。ドアの向こうには、ひどく顔色の悪い男が立っていた。一瞬その場の喧騒が止んだが、すぐに男への関心が薄れ、再びうるさくなった。シルフィーは男の顔色の悪さが気にかかった。あの人、病気なのかしら……。女主人は男に近づいていき、じろじろと身なりを見た。彼はかすれた声で「今夜泊まれるか?」と尋ねた。女主人は冷たい声で言った。
「金がないなら泊められないよ」
男はポケットから出したものを、女に差し出した。それはどう見ても鉛だったので、女主人は鼻を鳴らした。
「さっさと帰っとくれ」
「神が与えし賢者の石よ、我が手に金を」
男がそう唱えると、鉛が金に変わった。一瞬の出来事に、周囲がどよめいた。女主人はポカンとして、男が持っている金を見た。男は金を女主人に渡して、赤い石がはまった指輪を見せた。誰かが錬金術師だ、とつぶやく。
女主人の態度が急変し、部屋を開けるために、客の一人を追い出した。追い出された客は文句を言っていたが、女主人は気にせず、錬金術師を部屋に案内した。こっそり二階に上がったシルフィーが部屋を覗くと、錬金術師はベッドに腰掛けてぼんやりしていた。シルフィーに気づくと、こちらに視線を向ける。
「なにか?」
「あの、さっきの、錬金術なんですか?」
「ああ……そうだ。君は錬金術に興味があるのかい」
「はい。錬金術師はすごいって聞きました。正義の味方だって」
目を輝かせるシルフィーを見て、男は軽く笑った。
「すごくなどない。昔は馬鹿馬鹿しいと思われていた。オカルトの類だと」
「おかるとって何ですか?」
「誰も信じないってことさ」
男はそう言って、シルフィーを手招いた。彼が見せてくれた指輪を見たシルフィーは、これはなんだと尋ねた。
男は「賢者の石だ」と言って咳き込んだ。シルフィーは慌てて彼の背中を撫でた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……」
男はしゃがれた声で言って、コップを手にし、中に入っている水を掌に落とした。水は部屋の灯りを反射して、ゆらゆらと揺れている。
「錬成の基本は四元素。準万能物質の賢者の石を媒体とし、火、水、土、木を作り出す」
男が水に指輪をかざすと、四角や丸に形を変えた。よくわからないけど、なんだかかっこいい、と思った。シルフィーは賢者の石を受け取って、しげしげと見た。
「紅虫に似てますね」
「面白いたとえだ」
男が激しく咳き込むと、紅い石が手から転がり落ちた。シルフィーは慌てて水を汲み、彼に差し出した。男は浅く呼吸しながらそれを受け取る。水を飲み干した彼はふと、シルフィーの方を見た。深い黒の瞳と漆黒の髪。やつれてはいるが、ハッとするような端正な顔立ちをしていた。
「君、名前は」
「シルフィーです。シルフィー・ドレーン」
「シルフィー、何か夢はあるのか」
「私、錬金術師になりたいです」
「そうか」
男はしばらく目を閉じていた。それから乾いた唇を開く。
「いいか、シルフィー……私のかわりに、エリクサーを発見してくれ」
「エリクサー?」
「そうだ。君に託す。錬金術師たちの夢を、私の夢を──」
男はそう言って、再び目を閉じた。エリクサーってなんなんだろう。わからなかったが、尋ねようとした時には彼はすでに眠りに落ちていた。翌朝、シルフィーが階下に降りていくと、宿屋の夫婦がひそひそ話していた。彼らの前には、大きな台が置かれている。なんだか嫌な予感がして、何があったのかと尋ねた。
「あの錬金術師が死んだんだよ」
シルフィーは息を呑んで、真っ白な布がかぶせられた男の遺体を見た。まさか、死んでしまうなんて……。涙を流すシルフィーをよそに、女主人はイライラと言う。
「ぼーっとしてるんじゃないよ。うちで死ぬなんて、全く、いい迷惑だ」
シルフィーは涙を拭きながら、男が泊まっていた部屋を掃除しにむかった。シーツにはまだ暖かさが残っていて、気持ちが沈んだ。テーブルには筆跡の乱れた手紙が置かれていた。まるで、死ぬのを予測していたかのようだった。「シルフィーへ。これを読んでいるということは、私は死んだのだろう。せめてもの餞別として、このノートを残していく。きっと君の役に立つと思う。私の夢をかなえてくれ。 オズワルド」
手紙を読み終えたシルフィーは、古びたノートを手に取った。シルフィーがノートをめくろうとしたその時、声が聞こえてきた。
「シルフィー! 何をやってるんだい!」
「はいっ」
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