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2話

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3/2(水)
本日、『マイ・フェア・マスター』のPV増加数が5ビュー分
多かったので、こちらを更新させていただきます。

動画を見てくださった方、ありがとうございます!

〈現在レース更新中〉
↓↓以下の作品の1話動画のPV増加数に応じて、
その日更新する作品を決めさせていただいていますm

◆『マイ・フェア・マスター』(本作品:SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc

◆『白い檻』(閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
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短期専用のアパートはスタイリッシュで近代的なデザインだったが、どこをとっても同じ形の棟がずらりと並んでいて、冷たい無個性さを感じた。
植えたばかりの細い街路樹が、灰色の空を背に風で揺れている。

「マキ君、いるんだろう? ここを開けてくれないか?」
二階の、ある一室の前。志倉がチャイムを何度か鳴らすが、中から返事はなかった。ドアに耳をつけても、何の物音も聞こえない。

「もしかして、ここにいないんじゃ……」
不安になった良明は、隣の志倉を見やる。

「いえ、ここにいるはずです。マスターのところにいない時、マキ君はいつも自分の家にいるはずですから。仕事の時以外、出掛けることも滅多にないみたいで……」
「嘘でしょう。若い男子が?」
「知っているでしょう? マキ君は普通とは違うんです」

耐えきれなくなったように、志倉はドアをドンドンと強く叩く。
「お願いだっ、マキ君! ここを開けてくれ!」
もし言われたのが良明だったら、何でも聞いてあげたくなるほど切なげな声だった。

「どけ」
後ろでじっと傍観していた堂島が、すっと間から割って入ってきた。志倉はすぐさま後ろへ一歩下がり、主人に道を譲る。

「マキ」
大きくはない、だがよく通る低い声で、堂島がドア越しに言った。
「俺はお前のマスターではないし、俺にとってのサブは樹、ただ一人だ。だが、お前も調教を受けたサブの一人ならば、他のマスターに対する礼儀は知っているだろう」

一拍間をおき、堂島がすうっと息が吸う。
「──このドアを、開けろ、今すぐ」

まるで地面の奥底から轟いてくる地響きのような、低く、重たい声だった。
──これは命令だ。
良明は直感した。

きっとこの声を出した時のマスターに、サブは逆らってはいけない。いや、逆らえない。なぜってSMとはまったく無縁の良明でさえ、この声を聞いただけで全身が支配されたかのように感じるのに。見ると、堂島の後ろにいた志倉の顔にも、ピリッとした緊張が走っていた。

数秒と経たないうちに、ガチャリと玄関のドアが開く。わずかな隙間から、ふらりとマキが顔を出した。

良明は目の前が、真っ赤に燃えるのを感じた。
マキの片目は、青黒く腫れ上がっていた。頬には何度も強く打ち据えられたような痣。唇は切れ、乾いた血がこびれついている。華奢な首周りにはレザーか何かできつく締められたような擦過傷が広がっていた。

「堂島さん……」
マキは畏れと不安がこもった目で堂島を見上げ、膝を折ろうとした。だが途中でバランスを崩し、さっと伸びてきた堂島の片腕によってすくい上げられる。

「許す。膝はつかなくていい。──樹」
「はい」
志倉は堂島の腕からマキを受け取ると、相手の肩を支えながら部屋の中へと連れていく。良明も慌てて志倉を手伝い、マキのもう片方の肩を支える。

「うっ」
備え付けの簡素なベッドに下ろされ、マキが苦しげに呻いた。目を開けるのも辛いのか、薄い胸を上下させて、痛みの波が引くのを待っているようだった。シーツの上にだらりと投げ出された両の手首と足首には、枷で拘束されたような痕が赤く爛れて残っていた。

良明の胃の中で、再び、火の玉が暴れ回る。
一体、誰がこの子にこんなひどいことを? もしかして、そのマスターとやらの仕業なのか。

嫌悪感が身体を支配する。堂島と志倉たちを見て、サブとマスターというものを少しだけ見直そうという気になりかけていた。
だが、やっぱり無理だった。この子に──いや、誰に対してであっても、人にこんなことをするのを許す関係なんて、やっぱり間違っている。

「堂島さ──」
抗議を込めて後ろを振り返ると、そこに堂島はいなかった。

彼は玄関のドアに背をつけ腕を組んだまま、静かに目を閉じていた。こんな状況でなければ、瞑想でもしているのかと思ったくらい微動だにしない。

「堂島さんは、何をやっているんですか?」
隣で救急セットをかき集めている志倉にこそっと聞く。志倉はああ、と主人の方をちらりと見やった。

「あれは自分を支配コントロールしているんです」
「自分を、コントロール?」
「はい。マスターは自分の感情──特に怒りが高ぶっている時にサブを扱えば、必要以上に相手を傷つけてしまうかもと、ああして自制しているんです。他人をコントロールする人間は、まず自分をコントロールできなきゃいけない。これが彼の口癖だし、全てのマスターがしていることだと思います」
「で、その結果がこれですか?」

満身創痍でベッドに横たわるマキを見て、唸るように呟いた。別に志倉を責めるつもりはなかったのだが、どうしても声が冷ややかになってしまうことを止めることはできなかった。

志倉は唇を噛みしめ、自らの手元に目をやる。
「わかっています……工藤さんが思っていることは……ただどこでも同じように、この世界も一枚岩ではない……中には、ルールを守らない者もいて──」

その時、マキがひきつった呻きを上げながら、そっと目を開けた。
「……堂島さんたちは何も悪くない……俺が望んでしたことだ……」

志倉がシーツに手をつき、相手の声を拾おうとベッドへ身を乗り出す。
「マキ君。一体、何があったんだ? どうしてこんなことに?」
「何もない……ただこうゆう契約だっただけだ」
「こうゆう契約って?」
「……マスターが俺にしたいと思うこと、何でもしていいって契約」

ハッと志倉が息を飲み、嫌悪に顔を歪めた。
「何でも? 君はマスターに何でもしていいって許したの?」
「別にいいだろう。俺も痛くしてもらえば何でもよかったし」
「じゃぁ、セーフワードは? せめて、それくらいは決めたんだろう?」

激しい咳をしたのち、マキはため息のようなか細い声で言った。
「決めていない……あっちも聞いてこなかったし……」
「マキ君……」

信じられないとばかりに、志倉は首を振った。あくまでもいたわるような響きだった声が、だんだんと剣を帯びていく。
「セーフワードはサブとしての権利であり、義務だ。どうしてそれを言わなかった?」
「だって……俺に、限界なんてないし……」
「誰にだって限界はある!」

ぶわりと志倉の声に怒りが広がる。震える指が、マキの首もとの擦過傷を指し示した。
「運が悪ければ君は死ぬところだったんだぞ! それを、わかっているのか!?」
「──樹」

重たい足音がして、堂島が部屋に入ってきた。それだけで部屋が急に狭く、気温が二三度下がったように錯覚する。

志倉はさっと後ろへ下がり、堂島の後ろで膝をついた。ベッドの脇に立った堂島は、冷ややかな目でマキを見下ろした。酷薄で厳しい支配者そのものの目。

「マキ。お前には再調教が必要だ。さっきも言ったように、俺はお前のマスターではないから、その権限はない。しかし、あのクラブの会員を統括する一人として、これ以上お前の無謀で子どもじみた行動には付き合っていられない。もし、お前がまだこの世界にいたいと思うなら、最低限のルールくらいは守ってもらうぞ」

堂島は一度、言葉を切ると、例の地響きのような命令口調で言った。
「三日後の七時。クラブで。遅れたら、容赦はしない」

そのまま他を一瞥することなく、踵を返す。だが膝をついた志倉の横を通り過ぎる時だけわずかに立ち止まった。
「樹。世話をしてやれ。あの子ども、木の葉より軽かったぞ」
「はい、マスター」
志倉は、部屋を去る主人の背中に向かって頭を下げた。

「それと、工藤さん」
アパートの玄関を出る寸前、堂島が振り返らずに言った。
「もしあんたが、まだこの世界のことを知りたいと思っているなら、同じ日の同じ時間にクラブへ来てくれ」

それだけいうと、堂島は部屋の空気を全て持っていくかのように、足早にアパートから出ていってしまった。


その日、良明は眠れなかった。目を閉じる度、今日の出来事が次から次へと瞼の裏に甦る。

堂島の足下に当然のごとく膝をつく志倉。自らを縛るように腕を組み、目を閉じていた堂島。あれほどまで痛めつけられても「自分の望み」だと言うマキ。

理解不能だし、理解もしたくもない。自分はなんて怖い世界に足を踏み込んでしまったのだろうか。もうここらへんで普通もとの世界に戻った方がいいのかもしれない。

(だけど……)
良明は、今晩、何度目かわからない寝返りをうった。

志倉がマスターである堂島を見上げ、堂島がサブである志倉を見下ろす目。そこには、何かしら心惹かれるものがあった。

(いやっ、まさか、そんなはずはないっ……!)
SMなんていう、倒錯的で後ろ暗い世界に、平凡で小市民の自分が惹かれるところなんてあるはずない。

特に、あんな姿のマキを見たあとでは──。

ぎりっと唇を噛みしめる。時間が経てば経つほど、あの時に感じた焼け付くような嫌悪と怒りがぶり返してくる。
そして、それは、自分への嫌悪と怒りでもあった。

あの子にあんなこと──たとえ相手が明らかに感じていたとしても、痛みを与えてしまった自分が恥ずかしくてたまらなかった。良識のある大人として、この責任はとらなくてはいけない。自分は、人を痛めつけて何とも思わないマスターと呼ばれる人種とは違うのだ。

(……だから、せめてあの子が無事だとわかるまでは……)
そう心に決めた瞬間、深い眠りが瞼の奥から襲ってきた。



案内された部屋に入るなり、良明は来てしまったことを早速、後悔した。

クラブのさらに地下──ワインセラーのような天井の低い部屋には、大量の酒のストックが置かれていた。その片隅にあるコの字型のラックに、鞭や拘束具やらといった物々しい道具たちがずらりと並んでいる。

鞭は黒い革の一本鞭からバラ鞭にいたるまで、拘束具は手錠、足枷といった小さいものから、天井からつり下げるタイプの大きいものまで揃っている。一様に黒いレザー仕様で、良明が想像するSM部屋そのもの、という感じだった。

さらに恐ろしいことは、道具たちが並んだラックの中央には見るからにマキと良明用の木製のイスが二つ置かれていることだった。

(調教って、まさか本当に調教なのか……? 僕は一体、ここで何をされるんだろう……!)
ドアから一歩下がると、後ろから来た小柄な身体とぶつかってしまう。

「……あれ? あんた、何でここにいるんだ?」
マキはぶつかった鼻を手で押さえて、まじまじと良明を見返していた。だぼっとしたグレーのパーカーの襟からのぞく首元は赤みもだいぶ引き、傷もかさぶたで覆われていた。ほっと息をつく。

「何でって、工藤さんは君を探し出すのを手伝ってアパートまで来てくれたんだ。君の調教を見届ける権利があるんだよ」

そこへ、事務所へつながった別の扉から志倉がやってきた。小脇にホワイトボードを抱えていて、そのあまりの平凡さに良明の身体の緊張がとけた。

「は……? アパートまで? ……全然、覚えていない」
マキは記憶をたぐるように腕を組んだまま、茶色い剥き出しの天井梁を見ていた。

SMなんていう非日常で劇的な世界に住んでいるこの若者が、日常と平凡そのものの良明のことなど覚えていないのも当然か。やはり自分はここに来るべきじゃなかったかな、と内心、涙を飲んでいると、じっと見つめてくるマキと目があった。が、すぐに逸らされる。

「それで、堂島さんは?」
とマキが聞くと、志倉が腕時計を見た。
「もう来ますよ。──ほら」

壁掛け時計の秒針がカチリと十二時番のところへかかったと同時に、入り口のドアが開いた。
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