【あらすじ動画あり】ハロー、グッバイ、あいしてる

郁雨いくううう!

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【あらすじ動画あり】12話

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■お忙しい方のためのあらすじ動画はこちら↓
https://youtu.be/7jZpotIPWwE

■作品の中に出てきた映画のテーマソング
+執筆中にきいていた雨の日のポップスを集めたプレイリスト↓
https://youtube.com/playlist?list=PLcGqgSzuhUwkACM5KUhe4_PRGMbsAPEKy&si=zF2w84pdHU_WDt_g
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「崇、こっちこっち!」
タクシーから降りると、駐車場に停めてあった車の前で陸が手を振っていた。以前見た時はぶかぶかだった喪服のスーツが、すっかりとその身に馴染んでいた。あれから六年経ったのだと、改めて思い知らされる。

「久しぶり、陸」
駆け寄ってきた相手に軽く手を上げると、陸は杖を持っていない方の崇の肩をバンバンと叩いた。

「なーにクールに『久しぶり』だ。一体、何年会ってないと思ってるんだよ」
遠慮のない口調に、ほっと息をつく。外見はすっかりと大人だが、どうやら中身は全然変わっていないらしい。

「悪かったって思ってるよ」
と、お返しに相手の肩を叩くと、

「本当に思ってるか?」
ふいに陸の声が真剣なものになった。肩に置かれた手が、ぐっと崇のダークスーツに食い込む。

「あんな風に俺を閉め出して、こっちが見つけだすまで何年も連絡よこさないなんて、友達のすることじゃないぞ。本当に悪いことだ。まさか、お前、俺がお前のことを責めるとでも思っていたのか?」
はっと息を飲む。まさかこんなところでも、自分は誰かを傷つけてしまっていたなんて……。

「思ってない。思ってなかったよ。ただあの時は……一人になりたかったんだ……でも、ごめん。ずっと連絡をとり続けてくれた陸には、本当に感謝してる」
陸は、感極まったようにズズズと鼻をすすった。

「わかればいいんだよ。わかれば。この俺様の寛大な心に膝をおるがいいさ」
「一回折れてる膝でもよければね」

顔を見合わせて、あははと笑い合う。
二月半ばの風はびっくりするほど冷たかったが、空は広く晴れ渡っていた。駐車場の脇にある松林の木陰には、先日降ったばかりの雪がまだ青白く残っていた。

「でもびっくりしたぞ。崇の方から『七回忌に行く』って連絡がきた時は」
「うん、俺も自分でびっくりした。でもそろそろ来る時期なのかなって。最後の最後、本当に過去に〝さよなら〟するために」
「ふうん? 何かよくわからないけど。そうゆうこと、お前から話してくれることなかったから嬉しいよ。でも、その、大丈夫なのか……?」

陸は、あの日のことを知っていた。というよりも、クラス全員がその場にいたから知らないはずはない。
駐車場には、次から次へと車が入ってくる。寺に向かう人たちの中には、崇も知っている顔がちらほらとあった。同級生。後輩。教師。みな、崇の顔を見るなり驚き、中にはあからさまに顔を顰める者もいた。

「気にすんなよ」
陸が肩を叩いてくる。その顔は強ばっていたが、口元は強い決意できゅっと結ばれていた。

「俺もついてるから。昔は俺もガキで、ただ震えて見てるしかできなかったけど、今は違う。誰かが──あのお袋さんが何か言ってきても、今度は俺がガツンと言ってやる。崇は悪くないって」
「ありがとう……」

それしか言えなかった。陸は自分と上総のことを知らないから『悪くない』と断言できるのだ。それでも今は、自分の味方でいてくれる人間が一人でもいてくれるのはありがたかった。

「そういえば、一緒じゃないのか? てっきり一緒に来ると思ってたけど……」
キョロキョロと陸が辺りを見回す。誰を探しているのかは、すぐにわかった。

「探しても無駄だよ。あの人は今、遠いところに──」
言いかけた時、陸は崇の肩ごしに知り合いでも見つけたのか、

「あっ、お久しぶりです……!」
と駆け寄っていってしまった。

「先輩っ、何か雰囲気変わりましたね!」
と、はしゃぐ陸の声を背中で聞きながら、崇は駐車場の入口に立つ山茶花の木をぼんやり見つめた。冬でも色鮮やかなピンクの花が、青白い空によく映えている。

「園村は相変わらずだな」
低い声が聞こえた時、崇は反射的に振り返っていた。陸の隣に立つ人物を見て、一瞬、幻かと思った。視線に気がついた相手も顔を上げた。バチッと目が合う。

上総だった。
黒いコートとスーツに身を包んだその姿は、色の薄い空と景色の中で、くっきり浮き上がって見えた。

身体の深いところで、どくりと鼓動が大きく音を刻む。
上総も崇がいることに驚いているのか、お互い見つめ合ったまま微動だにしなかった。

やがてゆっくりと時間が戻ってきたように、上総は崇にちょいと手を上げてみせ、隣からぺちゃくちゃと話しかける陸に視線を戻した。
高校時代、自分と上総を引き合わせてくれたのが、上総と同じ柔道教室に通っていた陸だということを、崇は今更ながら思い出した。


「久しぶりです。まさか、先輩が来るとは思いませんでした」
寺に向かう砂利道を歩きながら、隣を歩く上総に話しかける。陸は後ろで地方に移ってしまった同級生とプチ同窓会を開いていた。

「俺もだよ。まさか崇が来てるなんて。仕事は大丈夫だったのか?」
「何とか。事情を言ったら、みんなわかってくれました」
「そっか。良かったな」

微笑む上総は、前よりもくたびれているように見えた。目の脇に細かい皺が寄り、濃いクマが涙袋をすっかり覆い隠している。
だが、それは崇も同じだろう。ここに来ると決めてから数週間、何度、悪夢を見たかわからない。今だって、いつ吐いてもおかしくはないほどナーバスになっている。

ちらりと相手の手を盗み見る。上総は黒い手袋をしていて、指輪があるかどうかは確認できなかった。
いや、しなくていい。自分にはもう必要のないことだ。

不思議な気分だった。もう二度と会うことはないと思っていた男と、こうしてまた隣り合って歩いているなんて。
さよならしてから、二ヶ月。自分たちの間には、もうなにもない。上総の方も、あくまでも久しぶりに会った後輩に対する態度で接してくれているし。

ほっとすると同時に、ずきりと胸が痛んだ。でもこの痛みは、いつか時間が解決してくれるはずだ。大輔もそう言っていた。

〝ハロー〟と送ったきり、大輔とは特になんの進展もない。本当に崇の準備ができたのか確かめているのだろう。それでも最近では、すっかりと敬語が外れてきて、時折、自分たちの先をほのめかすこともあった。

崇もこの胸の痛みが治まったら──完全に治まることは永遠にないが──彼と真剣に向き合おうと思っている。上総に感じたほど突き動かされる情熱はないにしろ、一緒にいて気が楽なのは確かだ。

寺の入り口で、二人は同時に立ち止まった。空気を通して、上総がどうゆう気持ちなのか、嫌でも伝わってくる。心がつながりあっているからではない。自分もまったく同じ気持ちだから、よくわかるのだ。

「大丈夫だ」
上総の手が、そっと崇の肩に置かれる。

「何があっても今度こそ、俺は逃げない。お前を一人にはしない。……たとえ今だけでも」
崇は頷き、微笑み返した。上総に続いて、ゆっくりと歩き出す。

顔が緊張で強ばっているのがわかる。心臓が肋骨の中で小鳥のように暴れ回っていた。手と背中にじんわりと汗が滲んできて、呼吸をするのが急に難しくなる。冷たい冬の風にのってくる抹香の匂いがあの日のことを思い出させ、胃の中がぐにゃりと捩れる。

深呼吸を繰り返す。
大丈夫だ。自分はあの頃とは違う。色々乗り越えて強くなったし、支えてくれる友人もいる。
そして上総も。たとえそれが今だけだったとしても、彼がいてくれることは何よりも心強かった。

受付を済ませて、本堂へと入る。上総に手を貸してもらいながら、階段を上ると、鬱金の内陣の前に、着物を着た女性がいた。谷山の母親だ。

母親は崇たちが入ってきたのを見るなり、ハッと顔を上げた。知人に向かってわずかに微笑みを浮かべていた表情が、一石を投じた水面のように一瞬にして歪む。

崇と上総は、背中の後ろでグッと互いの手を握り合った。いつの間に来ていたのか、陸も横から崇の肩に手を置いてくる。
「何で来たのっ……! 今すぐ出て行って!」

飛んでくるであろう罵声に構えて、崇はぎゅっと目を瞑った。
だが、声はいつまでも経っても聞こえてこなかった。その代わりに聞こえきたのは、耳を澄ませなくては聞こえないようなか細いすすり泣きの声だった。

「ごめ、ごめんなさいっ……」
母親はよろよろと崇たちの足下に膝をつくと、着物の袖の中に顔を埋めた。

六年前とまったく同じ光景。かけられた言葉以外は。だが、それすらもすすり泣きしか聞こえない沈黙が長すぎて、幻聴だったのかと思い始めてくる。きっと数秒後にはヒステリックな怒声が聞こえてきて、ここから追い出されるのだ。そう思うと、また身体が震えてきて、さらに上総の手を握りしめた。相手もぐっと握り返してくる。

しかしどんなに待てども、母親は嗚咽に背中を震わせるだけだった。
「ごめんなさいっ……! ごめんなさいっ……! 私は貴方たちにひどいことをしたっ……!」

母親の顔は涙でぐしょぐしょに濡れ、崇たちの袖を掴んだ手はわなわなと震えていた。

「あの事故のあと、みんなが私に優しい慰めの言葉をかけてくれたわ。たとえ内心ではどう思っていても。それは私の息子が死んだからよっ……! でも貴方たちは違う。みんなが私の息子を責められない代わりに、貴方たちを責めた。高校生のくせに酒なんて飲んで無茶な運転をした私の息子にかけられるべきだった言葉が、全部貴方たちに向かった。本当なら、私が止めなくちゃいけなかったのに……なのに、私まで一緒になって貴方たちを責めて………あの時は何でもいいから責められるものが欲しかったのっ……だから、本当に、ごめんなさいっ……! 貴方たちは、まだほんの子供だったのにっ……!」

背中でつないだ上総の手がぶるっと震え、握りつぶされるのではないかと思うほど強く締まる。

「違う。違います。たとえ子供でも、許されることと許されないことがある」
「なら、貴方たちは何もしてないわ。許されることも許されないことも何も。何もしていない。ただ巻き込まれただけよ」

崇はふるふると首を振った。
「止めるべきでした。たとえ何があっても止めるべきだった。絶対に」

「何を言っても、あの子は聞かなかったわ。楽しいことがあると、それにしか目がいかない子だったから。そうゆう子に私が育ててしまった。全部、全部、私のせいなのっ……!」

わああっと母親はうずくまり、腕の中に顔を沈めた。小さな背中は小刻みに震え、衣紋から鶏ガラのように細い首筋が露わになる。細い両手にはびっしりと深い皺が刻まれていた。
人づてに聞いた話によると、彼女はあの事故の賠償金を払いきれず、自己破産したという。四十九日の日、隣に立っていた夫らしき男性も今はいなかった。

この人も辛い時間を過ごしてきたのだ。息子の死という癒えることのない傷を抱えながら。
彼女にすべての咎があるとはどうしても思えなかった。彼女こそただ巻き込まれただけだ。

でも、それなら自分たちはどうだろうか? 自分たちも、ただ巻き込まれただけと言えるのか? 何の咎もないと?
……わからない。今は何も考えられなかった。

「ごめんなさいっ……本当にごめんなさいっ……!」
慟哭が、さらに大きくなる。気がつくと、隣に立っていたはずの上総が母親の側に膝をつき、震える肩にそっと手を置いていた。

「あなたのせいじゃない……あの時は、みんな、ああするしかなかった……」
上総の両の目からは、涙がつたい落ちていた。

崇は、その光景をまるで違う国の出来事のように呆然と見ていた。
ふと視線を感じて顔を上げる。焼香台の上にあった谷山の遺影と目があった。葬式にも四十九日にもいけなかったから、初めて見るものだった。

谷山はいつも浮かべていたような、底抜けのない無邪気な笑顔で笑っていた。当たり前だが、そこには痛みも、苦しみも、憎しみもない。

(お前は俺を──俺たちを恨んでいないのか……?)
答えは、もちろんない。谷山はただ若く、全てを受け入れているような笑顔を返してくるだけだった。


その後のことはよく覚えていない。式は終わったのか、途中で抜け出してきたのかはわからない。気がつけば、上総と二人、連れだって駐車場に向かっていた。
二人とも何も言わない。足下で鳴る砂利の音だけが、乾燥した冬の空気にしんと響く。

「まさか、こうなるとは思っていなかった……」
独り言のようにぽつりと呟くと、上総も頷いた。

「俺もだ。怒鳴られて追い出されるのを覚悟してたから」
崇はぴたりと立ち止まり、前を見た。

「……それでも来たのはなぜ……?」
上総も立ち止まり、ちらりと振り向いた。山茶花の木が、彼の顔に緑の影を落とす。

「何でだろうな」
上総は空を見上げた。

「二ヶ月前、お前と別れて思い知らされた。どんなに背を向けても、過去からは逃れられないって。これから何をするにしろ、俺もお前のようにもう一度、過去を見つめ直して、向き合わなくちゃいけないって。だからここに来たんだ」

上総は駐車場を見回した。気がつけば六年前、自分たちが背を向け合った場所に、二人は立っていた。

「あの日からずっと考えていた。俺にとって何が一番大切で、どうしたら母や藤乃、あの事故から俺を支えてきてくれた人たちを傷つけないでいられるんだろうって。でもわからなかった。何度考えても、お前の言う通り〝さよなら〟をするのが正しかったって何度も、何度も思った」

上総はふいに言葉を切り、疲れの滲んだ長いため息を吐いた。白くなった息が凍てついた空気に溶けて消える。

「でもここに来て、あの母親を見て、やっぱり違うって思った」
上総は一歩一歩近づくと、崇の前で止まった。その目の縁はわずかに赤くなっていたが、瞳は少しも揺らいではいなかった。

「あの日あったことは、俺たちのせいじゃない。あの母親のせいでもない。もちろん、飲酒運転と知っていて、止めなかった俺たちに咎はある。谷山たちにも。でもあれは、小さな不幸が重なって、結果的に起こってしまったことなんだ。運命でもなければ、誰のせいでもない」

長い上総のまつげが、雪の重みに耐えかねた葉のように震え、静かに伏せられる。

「正直言うと、俺もお前のことを憎んでいた。あの時、お前さえいなければ、俺はもっと冷静な判断ができたはずだって。お前に惹かれる俺がいなければ、俺たちが出会っていなければ──」
続く言葉を恐れて、崇はぎゅっと目を閉じた。

だが次に顔を上げた時、上総の顔に思っていたようなものはなかった。六年前とは違う毅然とした目が、真っ直ぐに崇を見下ろしている。
薄い唇が、ゆっくりと動く。

「でも、俺はお前を許す。そして俺を──自分自身を許す」

全てのものが止まったように感じた。息も時間も世界も。ただ自分と世界をつなぎ止めたのは、重なった上総の手の感触と温かさだった。

「崇。藤乃とは婚約を解消した。何もかも話したよ。男が好き──お前が好きっていうことも。もちろん、簡単にはいかなかった。あいつを傷つけてしまった。でもそれはお前のせいじゃない。俺が俺自身を認められなかった、許せなかった弱さからだ。いつか彼女も……わかってくれると思う……」

そう言いながらも、上総の顔は悔いと自責で歪んでいた。
崇はただ悲しかった。こんな顔をさせたくなくて──笑っていて欲しくて〝さよなら〟をしたのに……。

「お母さんは……?」
口元にあてた拳から、弱々しい声がもれる。上総の顔を見ることができなくて、顔を伏せ、目を閉じる。

「わからない。母は今、痴呆が進行していて施設にいるんだ。話したけど、よくわかっていないようだった。今の彼女の中で俺は、あの事故よりもずっと前の、小さな子供なんだ。父さんがいた頃の……幸せな……」

上総の声が大きくぶれ、崇は思わず顔を上げた。額に拳をつけて立つ上総を見て、考えるより先に相手の手を握り返していた。弾かれるように顔を上げた上総が、ふっと泣き笑いの表情を浮かべる。

「でも大丈夫。時間はかかるかもしれないけど、俺はもう理想の息子として生きるんじゃなくて、俺自身のままで誇れるような人間になろうと決めたんだ。たとえ誰に何を言われても。一人になっても。俺自身が俺自身を誇れなきゃ、きっと誰にも誇らしく思ってもらえない」

上総は、両手で崇の手を握りしめた。
「でも、もしそこにお前がいてくれたら、きっとうまくいく気がする。崇はどう思う……?」

顔を覗き込んでくる上総の視線を避けるように、崇は首を振った。

「わからない。今はよく考えられないんだ。色んなことがありすぎて……ただ……」
何と言葉にしていいのかわからなくて、喉が詰まる。だがそっと手を撫でてくる上総の指に促されて、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。

「さっき、ふっと感じたんだ……『許して』って泣く谷山の母親を見て、彼女を許したくなった。許された気になった……そしたら、少しだけ背中が軽くなった気がしたんだ。もちろん全部じゃない。でも、感じた。もしかしたら俺は、あの事故からずっと物事の最悪な部分しか見てなかったのかもって……だって、ずっと最悪なことしか起こってなかったから……」

目の奥がチクチクと痛んできて、くっと顔を伏せる。上総の温かい大きな手が首の裏を撫でてきて、溶けるように崇の目から涙が溢れてくる。

「崇。本心を聞かせて欲しいんだ。将来や過去のことは置いておいて、今のお前の本心を聞きたい。そしたら俺は、もうお前を煩わせることはしない。遠くから、ただお前の幸せだけを願う。だから言ってくれ。お前は、何が欲しい?」
「欲しい……?」

動揺で視線をさまよわせる。あの事故があってから、そんなこと言われたことなどなかった。走ってはダメ。車に乗ってはダメ。人を傷つけてはダメ。幸福になることを望んではダメ。いつだって、してはいけないことを自分自身に課してきた。

「俺は……俺は……」
瞬きする度、涙がこぼれて砂利の上に落ちる。助けを求めるよう、ぎゅっと上総の手を握る。

「俺は……先輩が欲しい。先輩から許されたいし、先輩を許したいっ……」
上総は静かに頷いた。

「俺は、もうお前のことを許しているよ。お前は? 俺のことがまだ憎い?」
ぶんぶんと首を振る。

「俺は本当の意味で、先輩を憎んだことなんてなかった。リハビリの時も、悪夢に魘された夜も、ただあんたにずっと側にいて欲しかった……『大丈夫』だって言って欲しかった……あんたが好きだったから。あの時だけじゃない、今も、ずっとっ……」
嗚咽にむせる崇を宥めるように、上総の手が崇を引き寄せ、その背を撫でる。

「大丈夫。ここにいるよ。……他には、何が欲しい?」
「他に……?」

顔を上げると、すぐ目の前に上総の顔があった。どこまでも深い黒い瞳には、子供のように泣きじゃくる自分自身の顔がうつっていた。

「俺は──……」
一度目を閉じて、ごくりとからまる唾を飲み込む。目を開け、上総の瞳に反射した自分の影をじっと見つめた。

「自分を許したい。あの頃の自分を許して、許されたいっ……あれは俺のせいじゃないって──」
どっと涙が溢れてきて、倒れ込むように上総の胸に顔を埋めた。上総は崇の背中に腕を回すと、そっと抱き締める。

「大丈夫。何もかもうまくいく。お前はいつか自分自身を許せるようになる。だってお前を愛してくれているみんながお前を許しているのに、できない訳がない」

身体を離すと、上総はにかっと涙まじりの満面の笑みを浮かべた。高校生の時と同じ、とろけるように無垢な笑顔。
ふいに、心に明かりが灯った。まるで長い険しい道の果てに、家に帰ってきたような温かい光。

──きっと大丈夫だ。これから先、この光があれば何でも乗り越えていける。

根拠も何もないのに、そう強く思った。
崇は両手で相手の顔を包むと、もう何年も浮かべていなかった大きな笑顔を浮かべた。

「〝ハロー〟?」
プッと上総が吹き出す。

「前から思ってたけど、何だよ、それ」
「いいから。……〝ハロー〟?」
「わかったよ」
と、降参したように上総は手を上げ、唇を重ねた後に言った。
「〝ハロー〟」
山茶花の木が風にあおられて、花びらを落とす。春の香りがふわりと一緒に舞った。空では飛行機雲がぐんぐんと上に向かって伸びていく。

「あと……愛してるよ」
唇が離れた時に言うと、上総はまた吹き出した。

「何だよ、ついでかよ」
と、左足を蹴ってきたので、崇も蹴り返す。しばらくの間、子供のように蹴り合って笑っていたが、やがて上総が腕を引いてきた。

「家に帰ろう。そこに車が停めてあるから。それともバスにするか?」
心配そうに顔を覗き込んできた上総に向かって、首を振る。

「いや、二ヶ月かけて乗れるようにしたんだ。今度は、免許も取りに行くつもり。もっと遠くの色んなところに行けるように」
「いいな。その時は、もちろん俺も一緒だろう?」

いつぞや見た意地の悪い笑顔で返され、崇も負けじとにやりと笑った。

「もちろん。地獄果てまで一緒だよ」

手を引いて、ともに歩き出す。
六年前、互いに背を向けて歩いた道を、今度は二人で。

大輔の言うことは正しい。
人は人生の中で、何度も出会いと別れを繰り返す。
でも、その合間合間に言うんだ。

ハロー。
グッバイ。
あいしてる。
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