レンタル彼氏-恋策-

蒼崎 恵生

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10 リアル彼氏

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 そっと私の体を離し、凜翔(りひと)は言った。

「ひなたに会わせる顔ないから避けてたのに、本当は偶然にでも会いたいと思ってた。部室で思い出の曲弾いてたらひなたが現れてホントビックリしたけど、嬉しかった」
「私も。まさか軽音楽部の部室に凜翔がいるなんて思わなかったよ」

 まるで運命みたいだね。そう言うように、私達は互いを見つめ合う。

 『木枯らしのエチュード』が引き合わせてくれた。私も今後、この曲が大好きになりそう。

「ひなたのこと、好きだよ」
「私も…!」
「こんな俺でよかったら、付き合って下さい」
「ふつつかものですが、こちらこそよろしくお願いします!」
「あはは…!」
「ふふっ」

 想いを伝え合って、互いの顔を見つめ合う。照れくささと喜びで笑い声が漏れた。

「なんか、ひなたとこうしてるの照れるね。しかも自分の部屋で」

 照れくさそうに凜翔(りひと)が笑うと、胸の奥がうずくような幸せを感じた。

 そして、次の瞬間、変な緊張感が湧いてきた。凜翔の部屋で二人きりだってことを意識してしまったから。

「レンタル彼氏として出会うなんて運命的だよねっ。でも、それより前から会ってたなら声かけてくれればよかったのにっ」

 緊張を紛らわすためそんな疑問を口にした私を見て、凜翔はぎこちなく答えた。

「……話したかったけど、こっちからグイグイ行けるほど自分に自信なかった」
「えっ、凜翔ほどの人が…?」

 レンタル彼氏として人気の凜翔がそんな消極的な思考だったなんて信じられない。私の顔を見て、凜翔は何か言いたげに視線を泳がせた。

「私、変なこと言った…?」
「そうじゃないけど……。レンタルデートも、実も仕組んだことだったり……」
「それってどういう…?」

 尋ねようとした時、カバンの中のスマホが鳴る。

「心晴(こはる)から電話だ…!」
「いいよ、出て?待ってる」

 凜翔がそう言ってくれたので「ごめんね」と謝り、心晴の電話に出た。

『杏奈(あんな)に聞いたよ!ひなた、大学でひどい目に遭ったんだって!?大丈夫?』

 杏奈から電話が来たらしい。口早に心配する心晴に、私は言いようのないくらいホッとしていた。杏奈や優(ゆう)だけじゃない、心晴にまで心配をかけて申し訳ないという思いと同時に、大切に思ってもらえていることが嬉しくて……。

「もう大丈夫だよ。凜翔が助けてくれたの。今、凜翔の家にいる」
『凜翔君ちに!?』

 心晴は驚きの声を上げた。歓喜も含まれたような声音だ。私が凜翔に助け出されたことまでは、杏奈からも聞かされていないらしい。

『もしかして、凜翔君と付き合うことになった?』
「うん。ついさっき……」
『やっぱりそうなんだ!おめでとう!よかったね!』

 喜びに満ちた心晴の明るい声を聞いて、だんだん実感が湧いていた。凜翔と恋人同士になったんだ、私。

「ありがとう。心晴のおかげだよ。あの日、悩む私にレンタル彼氏を紹介してくれたから」

 ひとりではきっと見つけられなかった出会い。最初は戸惑ったけど、レンタルデートという形からでも凜翔の存在を知ることができて本当によかったと思ってる。

『あのね、ひなた、そのことなんだけど……』

 気まずそうに言葉を探している気配は、いつもの心晴らしくなかった。

「心晴…?」
『あのね、ひなた……』

 そこで突然、声が途切れる。凜翔が私の手からスマホを抜き取ったからだ。

「三枝(さえぐさ)さん、その続きは自分で話します。今までありがとうございました。このお礼はまた改めてさせて下さい」

 心晴にそう言い、凜翔は一方的に電話を切ってしまった。何が何なのか分からず、私はうろたえた。

 取り上げられたスマホを返されると同時に、私は凜翔に訊(き)いた。

「心晴と知り合いだったの?」
「……うん。三枝さんと出会ったのは、今年の春。大学生になってすぐ、レンタル彼氏のバイトを始めた頃だった」
「そんなに前から?知らなかったよ……」

 なんか、少しショック。心晴はそんなこと一言も言ってなかった……。

「心晴、どうして話してくれなかったんだろ……」
「俺がそう頼んだからだよ。三枝さんを通して一大学生としてひなたを紹介してもらうこともできたけど、それだと三枝さんに気を遣ってひなたは俺への評価甘くすると思った。だからあえてバイト中にレンタル彼氏としてひなたに会いたかった。『親友の知り合い』っていう先入観なしのまっさらな目で俺を見てほしかったから」

 ひなたに振り向いてもらえる立派な男になりたくてレンタル彼氏のバイトをすることにした。ーーそう前置きし、凜翔は話した。

 彼がレンタル彼氏の仕事を始めて最初に担当したお客さんが心晴のお母さんだった。仕事で疲れてる母親に日常を忘れて元気になってほしいという願いを込めて、心晴は母親に凜翔とのデートをプレゼントしたそうだ。

 心晴のお母さんとのデートが終わる頃、母親の様子を見に来た心晴と出くわし、凜翔は衝撃を受けた。

「三枝さんって、ひなたと一緒に昭の部屋に来ることあったでしょ?昭からも聞いてた。三枝さんはひなたと一番仲がいい女友達だって」

 そのことを瞬間で思い出した凜翔は、心晴の顔を見るなりある事を頼み込んだ。もちろん、自分の素性を明かして。

「お願いします!ひなたさんとのデートを取り次いで下さい。もちろんレンタル料金は俺が払いますから…!昭の弟だということは伏せて、お願いします!」

 でも、心晴は最初、その頼みをキッパリ断った。

「ひなたは昭君ひとすじだからそんなことできないよ」
「そうですよね……。無理を言ってすみませんでした」

 凜翔も、心晴の返事に納得した。彼氏のいる人と近付きたいなんて、そんなの無茶だと自分でも分かっていた。

 その後、凜翔は心晴と何度か会う機会を得た。心晴のお母さんが月に1、2度、凜翔を指名してデートの予約を入れたからだ。心晴のお母さんはレンタルデートで久しぶりに若々しい気持ちを取り戻し、仕事への活力も湧いたという。正社員の仕事が決まったのも、そういう心境の変化が影響していたのかもしれない。

 お母さんのデートが終わる頃、心晴はたいていお母さんの迎えに来た。それは、母親を心配してというより、凜翔が私に対して何かしでかさないかという懸念からそうしていたようだ。

「三枝さんの顔を見るたび、無言で牽制されてるのが分かった。でも……」

 心晴にお願いを断られてから半年近く経った10月、なんと、心晴の方から私とのデートを予約してきた。凜翔は当然、驚いた。

「ひなたのこと真面目に想ってくれるなら紹介してもいいよって、三枝さんは言った。それが、ひなたとの最初のレンタルデートだったんだよ」
「そうだったんだ……」

 私の知らないところで心晴がそんな風に動いてくれていたなんて……。

 思い返してみたら納得できることがいくつもある。初めてレンタル彼氏を紹介してきた心晴のノリもどこか不自然だったし、凜翔の話をする時の心晴もいつもと違う感じがした。何かをごまかすような様子だった。

 考えを整理していると、凜翔は柔らかく目を細めた。

「三枝さん、ひなたのことが本当に大切なんだね」
「……でも、心晴とはもうすぐ離れ離れになるんだ」

 引っ越しのことを思い出して気持ちが沈む。

 心晴がいてくれる。そのありがたみが、今回のことでより分かった。

 刻一刻と別れの時は迫っている。寂しかった。凜翔と気持ちがつながって他のことで悩めるほど気持ちに余裕ができたのか、それとも恋愛と友情で生まれる感情は別物なのかは、分からないけど……。

「大学祭、いい日にしよ。三枝さんにとっても、ひなたにとっても」
「うん!」

 心晴が予約してくれた学園祭での三人デート。心晴への恩返しの意味も込めて、最高の日にすると決めた。



 大学祭当日。

 朝から心晴と待ち合わせ、彼女の運転する車で大学に向かった。凜翔とのデート予約は午後からなので、それまでは二人で学内を回ろうとあらかじめ約束していた。

 大学に向かう車の中で、私達は先日のことを話していた。

「そっか。あの後、凜翔君から全部聞いたんだね。隠しててごめんね」
「ううん!心晴がしてくれたこと、嬉しかったよ」
「……凜翔君や優君から聞いてるかもしれないけど、昭君のこと色々知ったら見損なって……。だからってコソコソレンタルデート取り付けるのは間違ってたよ。ひなた、優君と付き合ってたのに」
「そのことはホントもう気にしなくていいよ。それより、昭のこと見損なったって?もしかして、色んな子と遊んでたって話?」

 信号待ちになり、心晴はうつむいた。

「うん……。ひなたと昭君が別れた後くらいに、ひなたに会いに大学行ったら駐車場でたまたま優君と会って、昭君はすごい女癖悪いって教えられて……。優君、だいぶ前からそのこと知ってたみたいなんだけど、ひなたには教えられないって胸痛めてた」

 先日の電話で優が言っていたことを思い出した。思い悩む価値、昭にはないって。そういうことだったんだ。優が言葉をにごした理由が分かった。どこまで優しいんだろう……。

「昭にヨリ戻したいって言われた。断ったけど」
「マジで!?ありえない!!」

 それまでしんみりしていた心晴は興奮し、アクセルを踏む足にも力が入っている。

「紗希(さき)ちゃんともうまくいってないんだって。だから寂しくなったのかも」
「そんなの自業自得だよ!ひなた、昭君に戻るなんて絶対ダメだよ!」
「大丈夫、分かってるから」

 それに、私は凜翔だけが大好き。他の人へ行くなんて、もう考えられない。

 凜翔のことを想うだけで自然と頬が緩んでしまう。私の様子を見た心晴は、満足げに言った。

「そうだよね。ひなたには凜翔君がいるもん。昭君なんて目じゃないよね」
「うん。もう、何のこだわりもなく接するよ、昭とは」
「バイトも学校も一緒だし、それがいいよね」

 木枯らしの匂いがしそうな外と違い、車内の空気は春みたいに穏やかな色に変わっていく。

「凜翔君の部屋、どうだった?」
「ドキドキしたよ、やっぱり」
「さっそく進展あったり!?」
「し、進展!?」
「付き合うことになったなら、これから好きな時に会えるね。連絡先も交換したんだし」
「そう!大進展だよ。今まではいつ会えるか分からない、謎のレンタル彼氏だったからね。ドライブも買い物も食事も全部手探り状態だったし」

 自分の恋愛みたいに楽しく話す心晴の調子に合わせつつ、私は内心気後れしていた。付き合うことにはなったけど、凜翔との関係はまだこれといって進展していないから。

 親衛隊に襲われた時に汚れた髪を洗うため、あの後凜翔はシャワーを勧めてくれた。だけど、その後恋人らしい触れ合いは一切なかった。凜翔のピアノ演奏を聴いたり大学の話で盛り上がって、それはそれで楽しくはあったんだけど。

 好きな人の家でシャワーを浴びる。その後に訪れる甘いシチュエーションを過剰なほど期待していた。勝手な妄想で盛り上がった私が悪い。でも、それが実現しないことで凜翔との間に壁があるように感じ、少し寂しくなったのもたしか。

「せっかく付き合えることになったのに、寂しく思うのって変だよね……。凜翔の気持ち知らなかった今までの状態と比べたら断然幸せなはずなのに」

 心の内を口に出すと、心晴はうなずき同調してくれた。

「分かるよ。相手と自分の気持ちの高まり方が違うっていうか、温度差を感じる時ってあるよね」
「そう、そうなの!」

 凜翔は凜翔。元カレの昭や優とは違う。分かってても、強引に触れてくるそぶりのない凜翔を寂しく思った。

「かといって、いきなりがっつかれてもそれはそれでショックだけど。凜翔ってそういうイメージないし……」
「そうだね。恋愛初期は特にだけど、そこらへんの微妙な匙(さじ)加減、大事だよね」

 心晴はとことんうなずいてくれる。呆れることなく面倒な相談に付き合ってくれたおかげで、話す前よりいくらか気持ちが楽になった。

「心晴って、付き合ってどれくらいでキスとかしたの?」
「イサキとは付き合ってその日にしたかなぁー……。あ…!でも、あたし達の場合は別だよ。凜翔君とひなたのペースがあるし、うん!」

 心晴はしまったと言わんばかりにフォローしてきたけど、私は再びモヤモヤした気分になってしまった。

「やっぱり、自信なくなってきたー……」
「ひなた、しっかりして!?」

 うなだれる私を気遣いつつ、心晴は運転を続けた。

「ひなたと凜翔君は、出会い方も普通とは違うし、まだ始まったばかりじゃん?幸せになるに決まってる。じゃなきゃ、最初から凜翔君に会わせたりしなかったよ」
「……そうだよね。ありがとう、心晴」

 そうだ。凜翔とは始まったばかり。こんなの、少し前の私からしたら贅沢すぎる悩みだ。

「大切にするよ。凜翔と、この恋を」
「うん。そうだよ、ひなた。あたしもさ、今回の引っ越しでイサキと離れ離れになることに不安はあるけど、好きな気持ちがあるから頑張るつもり!」

 そうつぶやく心晴の声は、静かな決意に満ちていた。ずっと私と同じ位置にいたと思っていた心晴がすごく大人びて見える。

 私もいつか、心晴のように揺るぎない気持ちで立てる日が来たらいいなと思った。


 大学に着くと思ったよりたくさんの来場者がいて学内は騒然としていた。あえて早めに来た私達は、普段ない賑わいに気分を高まらせた。

「ひなたんとこの大学祭、年々人多くなってない!?すごっ」
「そうだね。有名人呼んでる効果かも。でも、有名人が来るのは明日の野外ライブなのにな~」

 もう少しゆっくり色々見て回ろうかと思っていたけど、来場者のためにセッティングされた講堂のテーブルセットはほぼ全席埋まっていて、私達が座れそうなのは風の当たる外のテラス席だけだった。それでも、テラス席にもまばらに人の姿がある。

「ごめんね、心晴。外の席しかなくて」
「大丈夫大丈夫!コート着てるし全然寒くないから」

 元気に笑う心晴を連れてテラス席に着くと、優が声をかけてきた。彼にしては珍しく、ジャージに腰だけエプロンを巻いたラフな格好をしている。

「ひなた、今来たの?心晴ちゃんも久しぶりだね」
「うん、今一緒に来たの。優は?早いね」
「今朝大学開く前に来て準備してた。今はさっそく店番任されてる。準備期間中けっこう休んじゃったから先輩命令で」

 久しぶりに顔を見る優は、優しい面持ちはそのままに、前よりイキイキして見えた。

「ああ、豚汁出してるんだっけ、売れてる?」
「予想以上の売れ行きだよ。昼前なのにこんなに人来るなんて思わなかったから、もうすぐ材料追加で買い出し行かされそう!」
「ははは、大変だね」
「ここ寒いでしょ?ウチの店来て。今ならサービス出来るよ。先輩どっか行っちゃったし」
「え、でも……」

 忙しそうなので遠慮したものの、直後にクシャミをした私を見て、優はバスケ同好会が設置した飲食席で二人分の豚汁をごちそうしてくれた。ブースの中にテーブル席が作られている簡易な飲食席だが、風よけもされて外よりだいぶ暖かい。

「あたし、トイレ行ってくるよ」

 豚汁を平らげてすぐ、心晴は席を離れた。もしかして気を遣わせただろうか?テーブル席で優と向かい合う形となり、心晴が抜けたことで二人きりになってしまった。

「ごちそうさま。美味しかった。優が作ったの?」
「うん。今日の分は。カット済みの材料を味噌とダシ汁で煮ただけだけど」
「そうなの?でも、すごいよ。お袋の味って感じがする!」

 自分でも少しテンパっているのが分かる。不自然にならないよう明るく会話をつないでいると、優はこちらの気持ちを探るように微笑した。

「凜翔君とうまくいったみたいだね」
「え!?いや、それは、あの……」
「声のトーンで分かるよ。おめでとう」
「……ごめんね」

 優の気持ちに応えられなかったクセに、あっさり他の人を好きになってしまった。

「知ってたんだね、優は。昭が色んな人と遊んでたこと」
「凜翔君に聞いたんだね」
「……うん」
「そんな顔しないで。うらやましくなるくらい幸せなとこ見せてくれなきゃ、俺が手を離した意味ないでしょ?」

 うつむく私の頭を、優はそっと撫でた。付き合っていた時の触れ方とは違う、妹をあやすお兄ちゃんみたいな撫で方だった。

「よかった。ひなたの幸せを見届けられて」
「優……」

 本当にもう、優とは終わったんだなと思った。そのことに後悔はないのに、もの寂しさを感じた。

 まだもう少し何か話していたい気がしたけど、豚汁を買いに来たお客さんと心晴が同時に飲食席へ来たので、優も私も、席を立たなければいけなくなった。

「また来てね。心晴ちゃんも!」
「ありがとう優君。ごちそうさまでした」

 私達が出て行くと同時に、バスケ同好会の出店は混雑し始めた。

 それから中庭に行くと空いたベンチを見つけたので、心晴と私はそこへ座った。人があまり来ず静かだ。

「優君と話せた?」
「やっぱり心晴、気遣ってくれたんだ」

 心晴はうなずいた。

「優君は優しいね」
「うん。別れたことも付き合ったこともなかったかのように、普通に接してくれる」
「そういうの、助かるけど胸も痛むよね」
「そうだね……。元気そうで良かったけど」
「さっきあたしが抜けたの、ひなた達に気を遣っただけじゃないんだ……。優君に対して後ろめたかったから、顔合わせづらくて。もちろん、優君はあたしのしたこと知らないだろうけど……」

 そうだ。心晴は、私の幸せのために凜翔を紹介してくれた。優からしたら、本当の恋敵は凜翔じゃなくて心晴なのかもしれない。

「そうな風に思わないでいいよ。大丈夫。私は自分の意思で凜翔を選んだ。心晴のせいじゃない」

 それに、昭のことはもう責められないなと思う。優がいたのに凜翔を好きになった私には。
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