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どれだけ眠っていたのだろう。あいなが目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。辺り一面薄紫色の、何もない空間。
「ここは……?」
自分は今、自室のベッドで眠っていたはず。
「夢の中かな?」
「夢じゃない。ここはあなたの心の世界よ」
疑問に答えたのは女性の声だった。あいなが声の方を向くと、さきほどまで誰も居なかったはずの場所に一人の美しい女性が立っていた。
「あなたは…!?」
女性を見てあいなは目を見開く。彼女の容姿がシャルにそっくりだったからだ。エメラルドグリーンの瞳。ゆるい天然パーマのブロンドヘアは腰まで艶(つや)やかに伸びている。
「驚かせてしまってごめんなさい。私はエトリア。エトリア=ペルヴィンカ=カスティと申します」
「エトリア様!?もしかして、指輪の……?」
「はい。私はロールシャイン王国の初代女王。エトリアの指輪を作ったのは他でもない私です」
「そんな!どうして、エトリア様が……!?」
ここはあいなの心の世界。遠い時代に亡くなったエトリアがなぜそんな場所に姿を現すのか、あいなには分からなかった。
優雅に微笑しながらも、エトリアはどこか焦(あせ)った様子で語った。
「短い間でしたがあなたはエトリアの指輪を身に付けていました。その間に少しずつ、指輪に込めた私の魔力があなたの心に浸透していたのです。指輪には、魔力だけでなく、私の残留思念も込められていたのです」
指輪を通して外の様子を見ていたエトリアは、あいなの身に起きたことを知っていた。
「カロスがあなたに吸わせた催眠剤の効果がギリギリの所で抑えられたのも、指輪を通して私の魔力が催眠剤の薬効をブロックしていたから。でも、それも長くはもたなかったし、あなたの心に眠る過去は大きすぎた……」
「……私の過去」
あいなは思い出した。さきほどまで魘(うな)されていたことや、某(なにがし)に聞かされた自分の生い立ち。
「私の実のお母さんは、私を捨てた……」
あいなの声は震えた。今は不思議と寒気や頭痛は治まっているが、孤独感で胸が冷える。血のつながりはないが自分には家族がいる。それなのに、実の母親に見放された時の感情が昨日の経験のように記憶に甦(よみが)ってくる。
「どうして今まで忘れていられたんだろ……」
防衛本能で忘れていた記憶も、今はもう消せそうにない。エトリアはそっとあいなを抱き寄せた。
「……あなたの弱みにつけ込み、エスペランサは再び悪の心を増幅させようとしています。それを止めるために私はここに来ました」
「エスペランサさん?」
「あなたの過去を語ったのはエスペランサ。エスペランサは、私の双子の姉なのです」
エトリアは語った。
「はるか昔、私達が生を受けた頃、グランツェールは荒れ果て、どこもかしこも戦だらけの土地でした。魔法は人類を救うたったひとつの手段であり希望だとも言われていた当時、私とエスペランサは神より魔法の力を授かったのです。世の中の行く末を憂(うれ)いた両親が自分達の命と引き替えに神頼みの儀式を行い、私達を魔法使いにしたのです。
結果、私達姉妹は世界でたった二人きりの魔法使いとして人々から崇(あがめ)められ、世界を繁栄させる使命に気付くこととなりました」
とはいえ、どのように世界を繁栄させればいいのか、幼い少女二人には分からなかった。日々魔法の訓練を重ねるエトリアとエスペランサに向け、周囲の人々はこんな提案をした。
「私は国作りを、エスペランサは一人でも多くの魔法使いを養成するべく魔女村を作る、そういう話に行き着きました。二十歳になると同時に、私達姉妹はそれぞれの役目を全(まっと)うするため別々の人生を生きました」
初代ロールシャイン王国の女王エトリア。しかし、女性一人で国を大きくしていくのは限界がある。子孫を増やさなければ国は機能しない。そこでエトリアが考え制定したのは、複数の夫と契りを交わす一妻多夫制度だった。
それまで黙って話を聞いていたあいなは、思わず口を開いてしまう。
「ずっと気になっていたんです。エトリア様はどんな人と結婚したのか……」
「私は十人の夫を受け入れ、彼らの子供を産みました」
「十人!?それって、あの……」
「どの人のことも平等に愛していました。皆容姿や性格は違ったけれど、それぞれに短所と長所があり、全てをひっくるめて愛しいと言える相手でした」
「皆を、平等に……」
エトリアの話に驚かされる一方で、あいなは自分のことを考えた。
(シャルとルイスを好きだって感じたのは間違いじゃなかった?でも、シャルはそんな私は嫌いだって言ってた……)
そこでひとつの疑問が湧く。あいなはエトリアの胸から離れ、彼女の顔を真剣な眼差(まなざ)しで見つめた。
「『愛』ってどういう感情ですか?ドキドキしたら愛ですか?そばにいて安心する相手のことですか?私には、そういうのがよく分からなくて……」
うつむくあいなに、エトリアは穏やかに答えた。
「愛は誰の心にもあります。そして、それがあなたの今後の運命を大きく左右するキーとなりましょう」
エトリアの声に深刻さがにじむ。
「もう時間がありません。あなたの愛が誰に向いているのかを見極める時が来ています」
「そんなこと言われても、私は……!」
「あなたは今、エスペランサの魔法によって体から魂(たましい)を抜き取られています」
「魂を!?」
「仮死状態とも言います。今は私の魔力で会話が可能ですが、もうじきエスペランサの力でそれも出来なくなります。彼女はあなたの潜在能力を掠(かす)め取り、私以上に魔力を高めているのです」
魔法使いの魔力を高めるほどの潜在能力とは何なのか、一般的人類として生きてきたあいなには全く理解出来なかったが、今はそんな質問をすることすら許されない雰囲気である。
「24時間以内にエスペランサに打ち勝ち、自身の魂を取り戻して下さい。そうしないと、あなたの命は本当に終わってしまう…!」
「そんな!私は普通の人間です!魔力を持った人なんかに太刀打(たちう)ち出来るわけありません!」
「いいえ、出来ます。あなたなら」
取り乱すあいなを前に、エトリアは毅然(きぜん)としていた。
「本気で愛する人との結び付きを実感出来た時、あなたは元に戻ることが出来ます」
「……!」
「あなたは生まれてすぐに悲しい体験をしました。それは変えられない過去です。ただ、信じてほしい。心の傷を癒すのは人にしか出来ないこと。どんなに発達した科学や魔法も、人の想いには敵わない。エトリアの指輪は元々エスペランサの悪事を静めるために作った魔法道具なのです」
「そんなこと言われても…!」
「あなたは愛を知っている。私があなたに接触出来たのが何よりの証拠です。どうか、愛することを恐れないで」
柔らかくも切ない声音は、あいなの胸に重たく深く響いた。エトリアの姿は、煙を散らしたかのごとく薄紫色の空間に消える。
「…………私は」
今、心にある人物を思い出し、胸が痛んだ。
「そんなこと言われたって……。私は恐いです。愛されることも、愛することも…!」
息苦しくなる。ここから逃げたくて仕方ない。
助かる方法は分かっているのに、あいなはそれを素直に実行する気になれなかった。以前、秋葉(あきは)にアドバイスされても恋愛マニュアルを読む気になれなかった時の心境に近い。
「独りは楽よ」
冷ややかで威圧的な声があいなの耳を貫いた。エトリアと同じ声質なのに、そこににじむ感情が違うせいで全く別の人の声に聞こえる。
「あなたは……!」
「その様子だと、エトリアに会ったみたいね」
「エスペランサさん、なんですね…?」
双子の姉妹というだけあり、エスペランサはエトリアと全く同じ容姿をした女性だった。しかし、その表情はエトリアとはだいぶ違い陰(かげ)がある。何もかもを諦めたような冷えた目でエスペランサはあいなを見ていた。
「神蔵(かみくら)あいな。気分はいかが?」
「……あなたが、エスペランサさん」
「覚えてくれて光栄よ」
後ずさり、あいなは警戒心に満ちた目でエスペランサを見つめた。
「どうして私の魂を抜いたりしたんですか?この通り、私は何の力もないただの高校生です」
「あなたのためよ」
「私のため?」
「魂を抜かれる前よりうんと気分が穏やかなはずよ」
「それはっ……」
「ほとんどの人は死という現象に対して悪い印象を持ってるけど、私はそうは思わない。死は解放。死は再生。終わりの始まりは無。死をもって人は全ての苦しみから解放される。痛みも、愛するつらさも、嫌われる悲しみも、自責の念も、感じずに済むのだから」
「……」
エスペランサの言う通りだった。あいなは今、自分が自分でなくなったかのような心持ちがしていた。シャルとの別れも実の親のことも鮮やかな記憶として意識できるのに、それら全てを都合良く忘れてしまったかのように気持ちは安定している。
「このまま死んで、私の栄養になりなさい。大丈夫。魂はいただくけど、死んだあなたに意識なんてないから苦痛なんて感じやしないわ」
「断ります」
「何ですって?」
気丈なあいなに、エスペランサはわずかに戸惑いを見せる。
「私の命は私だけのものじゃない。お父さんとお母さんが大事に育んでくれた大切なものです。あなたに命令されて好き勝手に弄(もてあそ)んでいいものじゃない」
「ふうん。まだそんなことを言える元気が残っていたの……。さすがね」
口角を吊(つ)り上げ、エスペランサは妖艶(ようえん)な笑みを浮かべた。あいなにはそれが何かを企んでいる表情に見えた。
「エスペランサさんが何を考えてるのか私には分からないけど、何か良くないことをしようとしてるのは分かります。エトリア様はあなたのことを止めたがっていました」
「エトリア、ね……。死んでもなおお節介(せっかい)だこと。彼女には私の気持ちなんて分からないのよ……!」
エトリアの名前を出した瞬間、エスペランサは取り乱した。双子姉妹の間に何か深い事情があることは容易に察することができる。
それだけではない。あいなの心を象徴するこの空間には、エスペランサの心の色までもが漂ってきた。それまでは分からなかった彼女の内心が、口にされなくても伝わってくる。
あいなはそっと、エスペランサに歩み寄った。
「私でいいなら話を聞きます。つらいことや悲しいこと、一緒に乗り越えませんか?」
「何を……!?」
「今、見えるんです。あなたの心が」
「……!」
痛い。切ない。苦しい。愛しい。恋愛がもたらす様々な感情を、エスペランサの想いを、あいなは感じ取っていた。
エスペランサは、かつてある男性に恋をしていた。気立てが良く利口で美しいと才色兼備な妹エトリアに劣等感を抱くエスペランサに唯一理解を示し励ましてくれたのがその男性だったのだが、彼はエトリアに恋をし、彼女の最初の夫になってしまった。
「他の全てのことで負けるのはかまわない、彼のことだけはエトリアに譲りたくなかった!」
「……分かります。好きな人に振り向かれなかった時の苦しみ。寂しさ。私も、好きな人が親友を好きになるってことしょっちゅうだったから」
「……そう。私は見放されたのよ。妹からも、世界からも、好きな人からも」
ロールシャイン王国の第二女王になりたい、エスペランサはそう申し出たのに、エトリアはそれを許さなかった。
「エトリアに比べて魔力が未熟だから……。それだけの理由で、私はロールシャイン王国の統治者として認められなかった!愛する男性との未来を諦めなくてはならなくなった!」
そのような心持ちで魔女村を治めていても、うまくはいかなかった。村は繁栄するどころかエスペランサが治める前より荒れていく。
「そんな時、異世界から来たという魔法使いに出会った。彼は、私に媚薬(びやく)の調合を教えてくれた。惚れ薬とも言われているわね。それを想い人に飲ませれば、永遠にかたい絆で結ばれるという効果がある。エトリアの夫になったあの人を諦められなくて、私はその薬を作ったの。藁(わら)にもすがる思いでね……」
「惚れ薬……」
そんなものが実在するなら自分も使っていたかもしれないとあいなは一瞬考えてしまったが、人の意思を自在に操る薬だなんてよく考えたら覚醒剤並みに恐ろしい物だ。ぶんぶんと首を横に振り、あいなは甘い思考を振り払った。
「それは完成したんですか?」
「したわよ。惚れ薬の件がエトリアに知られて私は永遠に葬(ほうむ)られることになったの。彼女の魔法でね」
「そんな……!」
いくら何でも、その罰は重すぎる。あいなはそう思ったが、当時のエトリアはエスペランサの行動を許さず厳しい見方をした。
「エトリアが怒るのは当然だったの。媚薬の効果は、目的の一人に飲ませるとその相手の体から空気感染して不特定多数の異性に薬効が出てしまう。妻の有無に関わらず大多数の男が私を求めて追いかけてきたわ。必死で逃げたけど、逃げるだけでは問題解決にならないし収拾がつかなくなるほど大事(おおごと)になった。私を殺すことでしか薬の効果は消えないと判断して、エトリアは私を――」
媚薬の効果を実感したエスペランサはみじめになった。目当ての男性に振り向かれて嬉しかったのは、本当に最初だけ。
「容姿はエトリアと何一つ変わらないのに、少しの違いが私達姉妹に大きく差をつけた……!死んだ後も、私はやる瀬なかった。自分の立場が、愛が、何もかも無意味だったと知って……」
魔女村の墓に埋葬された後も、エスペランサは長年、無意識に意識を保ってきた。死んだ時の記憶が、時代の流れと共に風化していく。
「そんな時、幼いシャルがカロスの公務に引っ付いて私の墓を訪れてくれた。それがただただ嬉しかった。私のことを知る人が誰もいない時代だから、存在を気にかけてもらえたことがよけい心にしみた。だから私は、彼にだけ特別な力を授けることにした」
「シャルから聞きました。匂いのことですよね?」
「そうよ。彼には、運命の輪で繋がった相手に自分の香りを強く感じさせる能力がある」
運命の輪で繋がる相手とは、生涯の親友や伴侶のことを指している。
「私はエトリアと同じ血を持っている。エトリアの指輪を通して、あなたとシャルの関係を感じていた。子孫がそういう恋愛に出会えたことが、自分のことのように幸せだった。それなのに……!」
穏やかだった表情は一変、エスペランサは恨み深い声音で言った。
「シャルはあなたを突き放した……!」
「エスペランサさん……」
「それに絶望した私は、愛を信じ指示する者達に復讐(ふくしゅう)すると決めた!」
「うっ……!」
エスペランサがあいなに向かって手のひらを翳(かざ)すと、あいなの意識は一瞬で無くなった。
「神蔵あいな。あなたには秘められた力がある。でもそれは死をもって発揮される特殊な能力なの。私ならそれを有効に利用できる。この世を変えるのよ!私の望んだ世界へとね…!」
もうみじめな思いはしたくない。欠点があっても好きな人に振り向かれ愛される世界を、エスペランサは作りたかった。
生きている時には出来なかったこと。今、あいなが持つ潜在能力を駆使する時が来たのだ。
「ここは……?」
自分は今、自室のベッドで眠っていたはず。
「夢の中かな?」
「夢じゃない。ここはあなたの心の世界よ」
疑問に答えたのは女性の声だった。あいなが声の方を向くと、さきほどまで誰も居なかったはずの場所に一人の美しい女性が立っていた。
「あなたは…!?」
女性を見てあいなは目を見開く。彼女の容姿がシャルにそっくりだったからだ。エメラルドグリーンの瞳。ゆるい天然パーマのブロンドヘアは腰まで艶(つや)やかに伸びている。
「驚かせてしまってごめんなさい。私はエトリア。エトリア=ペルヴィンカ=カスティと申します」
「エトリア様!?もしかして、指輪の……?」
「はい。私はロールシャイン王国の初代女王。エトリアの指輪を作ったのは他でもない私です」
「そんな!どうして、エトリア様が……!?」
ここはあいなの心の世界。遠い時代に亡くなったエトリアがなぜそんな場所に姿を現すのか、あいなには分からなかった。
優雅に微笑しながらも、エトリアはどこか焦(あせ)った様子で語った。
「短い間でしたがあなたはエトリアの指輪を身に付けていました。その間に少しずつ、指輪に込めた私の魔力があなたの心に浸透していたのです。指輪には、魔力だけでなく、私の残留思念も込められていたのです」
指輪を通して外の様子を見ていたエトリアは、あいなの身に起きたことを知っていた。
「カロスがあなたに吸わせた催眠剤の効果がギリギリの所で抑えられたのも、指輪を通して私の魔力が催眠剤の薬効をブロックしていたから。でも、それも長くはもたなかったし、あなたの心に眠る過去は大きすぎた……」
「……私の過去」
あいなは思い出した。さきほどまで魘(うな)されていたことや、某(なにがし)に聞かされた自分の生い立ち。
「私の実のお母さんは、私を捨てた……」
あいなの声は震えた。今は不思議と寒気や頭痛は治まっているが、孤独感で胸が冷える。血のつながりはないが自分には家族がいる。それなのに、実の母親に見放された時の感情が昨日の経験のように記憶に甦(よみが)ってくる。
「どうして今まで忘れていられたんだろ……」
防衛本能で忘れていた記憶も、今はもう消せそうにない。エトリアはそっとあいなを抱き寄せた。
「……あなたの弱みにつけ込み、エスペランサは再び悪の心を増幅させようとしています。それを止めるために私はここに来ました」
「エスペランサさん?」
「あなたの過去を語ったのはエスペランサ。エスペランサは、私の双子の姉なのです」
エトリアは語った。
「はるか昔、私達が生を受けた頃、グランツェールは荒れ果て、どこもかしこも戦だらけの土地でした。魔法は人類を救うたったひとつの手段であり希望だとも言われていた当時、私とエスペランサは神より魔法の力を授かったのです。世の中の行く末を憂(うれ)いた両親が自分達の命と引き替えに神頼みの儀式を行い、私達を魔法使いにしたのです。
結果、私達姉妹は世界でたった二人きりの魔法使いとして人々から崇(あがめ)められ、世界を繁栄させる使命に気付くこととなりました」
とはいえ、どのように世界を繁栄させればいいのか、幼い少女二人には分からなかった。日々魔法の訓練を重ねるエトリアとエスペランサに向け、周囲の人々はこんな提案をした。
「私は国作りを、エスペランサは一人でも多くの魔法使いを養成するべく魔女村を作る、そういう話に行き着きました。二十歳になると同時に、私達姉妹はそれぞれの役目を全(まっと)うするため別々の人生を生きました」
初代ロールシャイン王国の女王エトリア。しかし、女性一人で国を大きくしていくのは限界がある。子孫を増やさなければ国は機能しない。そこでエトリアが考え制定したのは、複数の夫と契りを交わす一妻多夫制度だった。
それまで黙って話を聞いていたあいなは、思わず口を開いてしまう。
「ずっと気になっていたんです。エトリア様はどんな人と結婚したのか……」
「私は十人の夫を受け入れ、彼らの子供を産みました」
「十人!?それって、あの……」
「どの人のことも平等に愛していました。皆容姿や性格は違ったけれど、それぞれに短所と長所があり、全てをひっくるめて愛しいと言える相手でした」
「皆を、平等に……」
エトリアの話に驚かされる一方で、あいなは自分のことを考えた。
(シャルとルイスを好きだって感じたのは間違いじゃなかった?でも、シャルはそんな私は嫌いだって言ってた……)
そこでひとつの疑問が湧く。あいなはエトリアの胸から離れ、彼女の顔を真剣な眼差(まなざ)しで見つめた。
「『愛』ってどういう感情ですか?ドキドキしたら愛ですか?そばにいて安心する相手のことですか?私には、そういうのがよく分からなくて……」
うつむくあいなに、エトリアは穏やかに答えた。
「愛は誰の心にもあります。そして、それがあなたの今後の運命を大きく左右するキーとなりましょう」
エトリアの声に深刻さがにじむ。
「もう時間がありません。あなたの愛が誰に向いているのかを見極める時が来ています」
「そんなこと言われても、私は……!」
「あなたは今、エスペランサの魔法によって体から魂(たましい)を抜き取られています」
「魂を!?」
「仮死状態とも言います。今は私の魔力で会話が可能ですが、もうじきエスペランサの力でそれも出来なくなります。彼女はあなたの潜在能力を掠(かす)め取り、私以上に魔力を高めているのです」
魔法使いの魔力を高めるほどの潜在能力とは何なのか、一般的人類として生きてきたあいなには全く理解出来なかったが、今はそんな質問をすることすら許されない雰囲気である。
「24時間以内にエスペランサに打ち勝ち、自身の魂を取り戻して下さい。そうしないと、あなたの命は本当に終わってしまう…!」
「そんな!私は普通の人間です!魔力を持った人なんかに太刀打(たちう)ち出来るわけありません!」
「いいえ、出来ます。あなたなら」
取り乱すあいなを前に、エトリアは毅然(きぜん)としていた。
「本気で愛する人との結び付きを実感出来た時、あなたは元に戻ることが出来ます」
「……!」
「あなたは生まれてすぐに悲しい体験をしました。それは変えられない過去です。ただ、信じてほしい。心の傷を癒すのは人にしか出来ないこと。どんなに発達した科学や魔法も、人の想いには敵わない。エトリアの指輪は元々エスペランサの悪事を静めるために作った魔法道具なのです」
「そんなこと言われても…!」
「あなたは愛を知っている。私があなたに接触出来たのが何よりの証拠です。どうか、愛することを恐れないで」
柔らかくも切ない声音は、あいなの胸に重たく深く響いた。エトリアの姿は、煙を散らしたかのごとく薄紫色の空間に消える。
「…………私は」
今、心にある人物を思い出し、胸が痛んだ。
「そんなこと言われたって……。私は恐いです。愛されることも、愛することも…!」
息苦しくなる。ここから逃げたくて仕方ない。
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「独りは楽よ」
冷ややかで威圧的な声があいなの耳を貫いた。エトリアと同じ声質なのに、そこににじむ感情が違うせいで全く別の人の声に聞こえる。
「あなたは……!」
「その様子だと、エトリアに会ったみたいね」
「エスペランサさん、なんですね…?」
双子の姉妹というだけあり、エスペランサはエトリアと全く同じ容姿をした女性だった。しかし、その表情はエトリアとはだいぶ違い陰(かげ)がある。何もかもを諦めたような冷えた目でエスペランサはあいなを見ていた。
「神蔵(かみくら)あいな。気分はいかが?」
「……あなたが、エスペランサさん」
「覚えてくれて光栄よ」
後ずさり、あいなは警戒心に満ちた目でエスペランサを見つめた。
「どうして私の魂を抜いたりしたんですか?この通り、私は何の力もないただの高校生です」
「あなたのためよ」
「私のため?」
「魂を抜かれる前よりうんと気分が穏やかなはずよ」
「それはっ……」
「ほとんどの人は死という現象に対して悪い印象を持ってるけど、私はそうは思わない。死は解放。死は再生。終わりの始まりは無。死をもって人は全ての苦しみから解放される。痛みも、愛するつらさも、嫌われる悲しみも、自責の念も、感じずに済むのだから」
「……」
エスペランサの言う通りだった。あいなは今、自分が自分でなくなったかのような心持ちがしていた。シャルとの別れも実の親のことも鮮やかな記憶として意識できるのに、それら全てを都合良く忘れてしまったかのように気持ちは安定している。
「このまま死んで、私の栄養になりなさい。大丈夫。魂はいただくけど、死んだあなたに意識なんてないから苦痛なんて感じやしないわ」
「断ります」
「何ですって?」
気丈なあいなに、エスペランサはわずかに戸惑いを見せる。
「私の命は私だけのものじゃない。お父さんとお母さんが大事に育んでくれた大切なものです。あなたに命令されて好き勝手に弄(もてあそ)んでいいものじゃない」
「ふうん。まだそんなことを言える元気が残っていたの……。さすがね」
口角を吊(つ)り上げ、エスペランサは妖艶(ようえん)な笑みを浮かべた。あいなにはそれが何かを企んでいる表情に見えた。
「エスペランサさんが何を考えてるのか私には分からないけど、何か良くないことをしようとしてるのは分かります。エトリア様はあなたのことを止めたがっていました」
「エトリア、ね……。死んでもなおお節介(せっかい)だこと。彼女には私の気持ちなんて分からないのよ……!」
エトリアの名前を出した瞬間、エスペランサは取り乱した。双子姉妹の間に何か深い事情があることは容易に察することができる。
それだけではない。あいなの心を象徴するこの空間には、エスペランサの心の色までもが漂ってきた。それまでは分からなかった彼女の内心が、口にされなくても伝わってくる。
あいなはそっと、エスペランサに歩み寄った。
「私でいいなら話を聞きます。つらいことや悲しいこと、一緒に乗り越えませんか?」
「何を……!?」
「今、見えるんです。あなたの心が」
「……!」
痛い。切ない。苦しい。愛しい。恋愛がもたらす様々な感情を、エスペランサの想いを、あいなは感じ取っていた。
エスペランサは、かつてある男性に恋をしていた。気立てが良く利口で美しいと才色兼備な妹エトリアに劣等感を抱くエスペランサに唯一理解を示し励ましてくれたのがその男性だったのだが、彼はエトリアに恋をし、彼女の最初の夫になってしまった。
「他の全てのことで負けるのはかまわない、彼のことだけはエトリアに譲りたくなかった!」
「……分かります。好きな人に振り向かれなかった時の苦しみ。寂しさ。私も、好きな人が親友を好きになるってことしょっちゅうだったから」
「……そう。私は見放されたのよ。妹からも、世界からも、好きな人からも」
ロールシャイン王国の第二女王になりたい、エスペランサはそう申し出たのに、エトリアはそれを許さなかった。
「エトリアに比べて魔力が未熟だから……。それだけの理由で、私はロールシャイン王国の統治者として認められなかった!愛する男性との未来を諦めなくてはならなくなった!」
そのような心持ちで魔女村を治めていても、うまくはいかなかった。村は繁栄するどころかエスペランサが治める前より荒れていく。
「そんな時、異世界から来たという魔法使いに出会った。彼は、私に媚薬(びやく)の調合を教えてくれた。惚れ薬とも言われているわね。それを想い人に飲ませれば、永遠にかたい絆で結ばれるという効果がある。エトリアの夫になったあの人を諦められなくて、私はその薬を作ったの。藁(わら)にもすがる思いでね……」
「惚れ薬……」
そんなものが実在するなら自分も使っていたかもしれないとあいなは一瞬考えてしまったが、人の意思を自在に操る薬だなんてよく考えたら覚醒剤並みに恐ろしい物だ。ぶんぶんと首を横に振り、あいなは甘い思考を振り払った。
「それは完成したんですか?」
「したわよ。惚れ薬の件がエトリアに知られて私は永遠に葬(ほうむ)られることになったの。彼女の魔法でね」
「そんな……!」
いくら何でも、その罰は重すぎる。あいなはそう思ったが、当時のエトリアはエスペランサの行動を許さず厳しい見方をした。
「エトリアが怒るのは当然だったの。媚薬の効果は、目的の一人に飲ませるとその相手の体から空気感染して不特定多数の異性に薬効が出てしまう。妻の有無に関わらず大多数の男が私を求めて追いかけてきたわ。必死で逃げたけど、逃げるだけでは問題解決にならないし収拾がつかなくなるほど大事(おおごと)になった。私を殺すことでしか薬の効果は消えないと判断して、エトリアは私を――」
媚薬の効果を実感したエスペランサはみじめになった。目当ての男性に振り向かれて嬉しかったのは、本当に最初だけ。
「容姿はエトリアと何一つ変わらないのに、少しの違いが私達姉妹に大きく差をつけた……!死んだ後も、私はやる瀬なかった。自分の立場が、愛が、何もかも無意味だったと知って……」
魔女村の墓に埋葬された後も、エスペランサは長年、無意識に意識を保ってきた。死んだ時の記憶が、時代の流れと共に風化していく。
「そんな時、幼いシャルがカロスの公務に引っ付いて私の墓を訪れてくれた。それがただただ嬉しかった。私のことを知る人が誰もいない時代だから、存在を気にかけてもらえたことがよけい心にしみた。だから私は、彼にだけ特別な力を授けることにした」
「シャルから聞きました。匂いのことですよね?」
「そうよ。彼には、運命の輪で繋がった相手に自分の香りを強く感じさせる能力がある」
運命の輪で繋がる相手とは、生涯の親友や伴侶のことを指している。
「私はエトリアと同じ血を持っている。エトリアの指輪を通して、あなたとシャルの関係を感じていた。子孫がそういう恋愛に出会えたことが、自分のことのように幸せだった。それなのに……!」
穏やかだった表情は一変、エスペランサは恨み深い声音で言った。
「シャルはあなたを突き放した……!」
「エスペランサさん……」
「それに絶望した私は、愛を信じ指示する者達に復讐(ふくしゅう)すると決めた!」
「うっ……!」
エスペランサがあいなに向かって手のひらを翳(かざ)すと、あいなの意識は一瞬で無くなった。
「神蔵あいな。あなたには秘められた力がある。でもそれは死をもって発揮される特殊な能力なの。私ならそれを有効に利用できる。この世を変えるのよ!私の望んだ世界へとね…!」
もうみじめな思いはしたくない。欠点があっても好きな人に振り向かれ愛される世界を、エスペランサは作りたかった。
生きている時には出来なかったこと。今、あいなが持つ潜在能力を駆使する時が来たのだ。
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