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しおりを挟むその日の夕方。
高級レストラン内の王族専用VIPルーム。本日の公務を終えたシャルは、徒歩による肉体疲労を感じつつ清々しい気分で遅めの昼食を取っていた。
「あいなの作ってくれたご飯は最高だったな。この時間まで元気でいられた」
「そうですか。さぞ美味しかったのでしょうね」
あいなと過ごした朝の時間を思い出し、シャルは愛しげに目を細める。そばで書類整理をしていたルイスは静かな笑みを浮かべた。
「お前も昼休憩を取れなかっただろ、一緒に食べたらどうだ?」
「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫なので、どうかおかまいなく」
「そうか……」
気遣わしげな視線を向けるシャルを安心させるかのように、ルイスは書類を手にしたまま頼もしい眼差(まなざ)しをする。
「シャル様の働きかけのおかげでロールシャイン王国から貧しい街が減りつつあります。大変喜ばしいことですね」
「まだまだ、やるべきことはあるけどな」
今日公務で出向いた貧民街の話である。
「飢(う)えや病(やまい)は他人事じゃない。境遇は違っても、全てロールシャイン王国の大切な国民だ。できることは全てしたい」
シャルがそう語る裏にはこんな想いがあった。ルイスのように、生まれながら病で両親を亡くす子供を減らしたい。自分も幼い頃母親を病気で亡くしたから分かる。親が居なくなるということは、子供にとって自分の存在価値を左右する大きな出来事になるのだと。その感情を読んでいるのかいないのか、ルイスは静かにつぶやく。
「シャル様のお心は、国民の皆様に伝わっていると思いますよ」
「なあルイス、お前はなぜ……」
シャルが質問を投げかけようとした時、レストランのオーナーが携帯電話を持ってVIPルームに訪れた。
「シャル様。ハロルド様からお電話がきております」
「私が出ます」
食事中のシャルに代わり、ルイスがオーナーから携帯電話を受け取った。
「お電話代わりました。ルイスです。どうされましたか?」
『なあんだ、君か。シャルに電話したんだけど』
「申し訳ございません。シャル様はただいまお食事中ですので、代わって私がご用件を承(うけたまわ)ります」
『そう。なら仕方ないね。報告が遅くなったけど、昼前にあいなをバロニクス城に連れてきたから、知らせておくよ』
「あいな様を?何があったのか、お話いただけないでしょうか?」
動揺に満ちたルイスの声音に、シャルは食事の手を止め立ち上がった。
『詳しいことは後で話すから、待ってるね~』
「ハロルド様……!?」
『大丈夫。拉致(らち)したワケではないし、あいなはプールで楽しく過ごしているから。じゃあね』
一方的に電話は切れる。思案する間を与えず、シャルはルイスに詰め寄った。
「何があった!?」
「ハロルド様が、あいな様を伴(ともな)ってバロニクス城の遊泳施設にみえるそうです」
「今すぐバロニクス城に行く。手配しろ!」
「かしこまりました…!」
二人の気持ちは同じだった。あいなの元に行きたい!
ものの5分で全ての段取りを整えたルイスは、瞬間移動の魔法を使うべくシャルの前に立った。
「あいな様はプールにいらっしゃるそうなので、直接バロニクス城の中庭に移動します」
「頼んだぞ、ルイス…!」
ロールシャイン王国とバロニクス帝国は隣接している。ハロルドがあいなを連れ出し自国の城に彼女を招待するのは容易(たやす)いことだった。
シャルとルイスは深刻な面持ちで魔法の光に包まれたのだった――。
ティータイムを終え、バロニクス城の中庭に案内されたあいなは目を丸くして驚きの声をあげる。
「広い、広すぎるよ…!」
「気に入ってくれた?」
「すごいね!ここ、本当に無料で使っていいの!?」
「当たり前でしょ。あいなはお客さんなんだから、遠慮しないで」
ハロルドに手を引かれ、あいなは施設の中へと足を踏み入れた。
広い施設だと聞いていたから市民プールのような見た目を想像していたあいなだったが、実際にバロニクス城内の遊泳施設を目(ま)の当たりにすると、自分が庶民であることをこれまでにないくらい実感させられた。
人工プールであるのは間違いないが、プライベートビーチと言っても遜色(そんしょく)ない砂浜と海に見立てたプール。天井が吹き抜けになっているおかげで空の色が反射し水面が明るく見える。
それだけでなく、ウォータースライダーや流れるプールもあった。岩造りの温泉も点在しているので、施設にはほのかに湯気がたっている。
「疲れたら温泉に入ると回復するよ。天然温泉だし、ロールシャイン王国からもらう魔法入浴剤も入っているから、かすり傷程度のケガならすぐ治るんだ」
「すごい!薬みたいだね」
「あと、温水プールは好きな温度に調整できるから、暑くなったら水温を冷たくすればいいよ。説明はこのくらいにして、遊ぼ。あいな」
初恋を彷彿(ほうふつ)とするハロルドの手。不思議なぬくもりを感じながら、あいなは温水プールに入った。
「気持ちいいね!」
水に体を滑り込ませた瞬間、水着姿でいることの照れも吹き飛び、あいなは夢中になった。
「あいな、こっち」
「わっ…!やったな!こら待て~!」
ハロルドに水をかけられ、やり返す。この時あいなは、ハロルドの存在を兄のように感じた。
(顔が似てるだけで、性格はカイお兄ちゃんとは全く違うけど、ハロルドはハロルドで優しい人だし、一緒にいて楽しいな。)
理解の追い付かないことも色々起きたが、こうしてバロニクス城に来られて良かったと思った。
半日かかっても全てのプールを堪能(たんのう)するのは難しいくらい広い施設内で、二人は駆け回り、泳いで騒ぐ。誰もいない開放的な空間が、昔からの友達であるような気分を二人の中で高める。
「自分の家にこんな素敵な遊び場があるなんていいなぁ。毎日楽しそう」
「そう?だったら好きな時に来ていいよ。僕としても一人で遊ぶより断然いいし、あいななら大歓迎」
「そっか。ハロルドはいつも一人で……」
「そんなしんみりしないで?今はあいながいるからとても楽しいよ」
嬉しくて、あいなは頬を緩(ゆる)める。
何時間か遊んだのち、楽しんでいた二人もさすがに疲労を感じた。
「ちょっと、連絡してくるよ」
「うん……?」
「シャルに、あいながここに来てること教えないと」
「連絡は、さっきしてくれたんじゃなかった?」
「ごめんね、まだしてないんだ。シャルのことだから、仕事中にそんな連絡をしたら公務を放り出しかねないからね。彼の立場を考えたら、それは避けさせたくて」
(ハロルド、そこまでシャルのことを考えてたんだ……。)
「そろそろ公務も終わるだろうし、ちょうどいい頃合いだよ。あいなは温泉に入ってゆっくりしててね」
「ありがとう、ハロルド」
あいなの頭をポンポンと軽く叩き、ハロルドはプールを出た。言われた通り、あいなは温泉スペースに移動した。
途中で暑くなり水温を下げたプールとの温度差を感じつつ、岩造りの湯船に足からそっと浸かる。肩まで浸かると、暑すぎない温度の湯が泳ぎ疲れた体を癒やしてくれた。
「気持ちいい……。温泉なんてホント久しぶり」
全身の疲れが抜けていく心地よさに身をあずけていると、頭がぼんやりし、次第に眠気が訪れる。
しばらくすると、そこへ空間転移魔法によりシャルとルイスが現れた。
「あいな…!」
「シャル様、あちらです」
広い敷地内。プールに施された消毒と温泉の匂いに満たされた施設。あいなを見つけた二人は顔面をこわばらせ、背筋を凍らせた。
あいながうつぶせの体勢で水面に浮かんでいたのである。シャルとルイスは同時に靴を脱ぎ、服を着たまま温泉に飛び込んだ。
「…あいな!起きろ!」
「シャル様、プールサイドまであいな様をお運びします」
二人の手があいなの肩に触れた時、あいなは体をビクリと跳ねさせ勢い良く立ち上がった。
「シャル、ルイスさん…!」
「あいな、大丈夫か!?」
正面からあいなの肩を掴(つか)むシャルを見て、ルイスはホッと胸を撫(な)でおろした。
「あいな様は、温泉に浮きながら眠っておられたのですね」
「はい、そうなんです。あまりに気持ち良くて、つい」
「そうでしたか。何事もなくて本当に良かったです。溺(おぼ)れて気を失ってみえるのかと思いました」
「ごめんなさい、心配かけて。それより、二人は仕事だったんじゃ?」
シャルはあいなを抱きよせ、大きく息をつく。
「仕事は終わった。浮いてるお前を見て心臓が止まるかと思った……」
「シャル……」
水着越しに伝わるシャルの鼓動が早くて、あいなはドキドキした。こんなにも心配をしてくれる彼の気持ちが嬉しい。
「思ったより来るのが早かったね、シャル。あいなは本当に溺愛(できあい)されてるんだ」
ハロルドが涼しい顔で戻ってくる。
「ハロルド!」
「二人ともびしょ濡れだね。どうしたの?」
尋ねながらも一部始終を察したハロルドは、笑(え)む。
「それより、何があった?あいなをこんなところまで連れてくるなんて!」
片手であいなを抱いたまま、シャルはハロルドに鋭い視線を向ける。ルイスも静かにハロルドを見た。
「二人とも、そんなに怖い顔しないで?あいなも楽しんでるし、せっかくだからシャルとルイスも温泉に入っていけばいいじゃない。水着あげるから」
どちらかともなく目を合わせ口をつむぐシャルとルイスに、あいなの穏やかな声が飛んだ。
「事情は私から話すから。ハロルドのおかげで私は助かったの。大丈夫。温泉もプールも楽しかったんだ」
安堵(あんど)と気がかり。その二つがない交(ま)ぜになった表情を浮かべるシャルとルイスに、あいなは優しく話しかける。
「シャル、ルイスさん、一日お疲れさま。一緒にあたたまろう?」
皆が喜び、楽しんでくれるなら。そんな思いで、あいなは穏やかな笑顔を見せた。彼女の柔らかい雰囲気にピリピリした神経が穏やかになるのを感じつつ、二人は彼女を直視するのを躊躇(ためら)った。
Tシャツを着ているせいで肌は見えないが、湯に濡れた生地が体のラインを示し、パレオから伸びた白い足は湯の熱で赤い。湯気で上気したあいなの頬は濡れており、妙に艶(なまめ)かしく見える。彼女の髪から滴(したた)る水滴は、王子と執事の胸を甘く締め付けるのに充分過ぎた。
「どうかした?あ、やっぱり私には似合わないかな、この水着……」
恥ずかしそうにうつむくあいなの肩を包むように強く引き寄せ、シャルはため息をついた。
「似合ってる。でも、刺激が強すぎる。俺も入るから、そんな顔で見つめるな」
「刺激?何が?」
ルイスはうつむき、静かに温泉を出た。戸惑うあいなと照れるシャルの間に割り込み、ハロルドは明るく言う。
「妬けるからベタベタ禁止だよー。あいなは水プールに入ってきて?そのままじゃのぼせて本当に倒れちゃいそうだし」
「うん、そうする!」
温泉から出たあいなは、先にプールサイドに立っていたルイスに近付いた。
「大丈夫ですか?風邪を引くといけないので、ルイスさんも温泉に入りませんか?」
「私は……」
右肩の傷痕(きずあと)を意識し断ろうとしたが、あいなの誘いを快く受けたい気持ちの方が勝った。
「はい。せっかくですし、着替えてきます。シャル様、まいりましょうか」
「ああ」
慌てて駆け付けたバロニクス城のメイドに案内され、シャルとルイスは更衣室に向かった。
一人その場に残されたハロルドは久しぶりにシャルと過ごせる時間に満足感を覚えつつ、切なげにつぶやいた。
「シャルはいいとして、ルイスも感情出すぎだよ。らしくない……。あいな、君にとってこの結婚は楽しいながらも大変なものになりそうだよ」
瞼(まぶた)を閉じ、自身の能力で星の動きを読むハロルド。彼のささやきは、この時誰の元にも届いていなかった。
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