幸せの翼

悠月かな(ゆづきかな)

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歪んだ想い

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私は飛び起きて周りを見渡した。
部屋は明るい…
重苦しさも息苦しさもない…

「夢だったのか…」

私はホッと息をついた。
それにしてもリアルな夢だった。
ソファでうたた寝をしたせいで、あのような夢を見たのだろうか…?
ふと腕に目を落とすと、私は自分の目を疑った。
腕に赤黒いアザがある。
夢の中で掴まれた跡だ…
真っ黒な顔にギラギラと光る目と、耳まで裂けた口を思い出しゾッとした。

「夢だとしても、あれは一体何だ…?」

私が考えていると、クルックの声が聞こえてきた。

「あら?サビィ、起きましたの?思ったより早く起きましたわね。少しは疲れは取れました?」
「いや…かえって疲れたかもしれない…」
「やっぱり!ソファで寝るからですわ!疲れを取るには、規則正しい生活に限ります。最近のサビィは、不摂生ですわ!良いですか、これを機に生活の見直しを致しましょう!」

クルックの熱弁を聞き流していると、ザワザワと小さな音が聞こえてきた。

「なんですの?この音は…」

クルックが、キョロキョロと辺りを見回している。
そして、その音は徐々に大きくなり、波打つ音だと気付く。

「水盤だ…」

私は慌てて水盤に近付いた。

「あ!サビィ、まだ話しがありますわ!」
「クルック、黙ってくれ」

私の言葉にクルックが口をつぐんだが、納得できないようで、何やらモゴモゴ言っている。
私は気にも止めず水盤を見た。

『サビィ、これを見るのだ…』

波は徐々に収まり静かになっていった。
そして一瞬ゆらりと揺れると、水面一面が真っ黒になった。
目を凝らして見ていると、少しずつぼんやりと明るくなっていく。
水面に、部屋の隅に佇む黒い人影を映し出される。

「人影が見える…」

私が呟くと水面が再び揺れ、黒い人影が先程より大きくハッキリと映し出される。
よく見ると、その人影はフードが付いたローブを纏っていた。

「このフード見覚えがある…先程の夢で見た…あれは、夢ではなかったのか…」

その後、水盤は別の場所を映し出す。
私はそれが目に入った瞬間ゾッとした。
壁一面に、私の絵が所狭しと貼ってあったの
だ。

「こんなにたくさん…一体誰が描いたのだ…」

しかも、これほど沢山の絵をいつ描いたのか…どれもこれも私をスケッチしたものだ。
マレンジュリの樹の下で読書する姿。
花畑の中を歩く姿。
ラフィと談笑している絵もある。
壁一面に貼られている絵を確認していると、ある1枚の絵で目が留まった。

「掲示板を立てている私の絵…これは今朝の出来事…」

私は背筋に冷たいものを感じる。

「このたくさんの絵はまさか…」

脳裏に1人の天使の姿がよぎる。
ねっとりとした絡みつく視線。
そして、あの迫りくる姿。

「まさか…」

嫌な予感に胸がざわつく。

「水盤…頼みがある」
『何じゃ…?」
「このフードを被った天使の正体を知りたい」
『分かった。もう少し近寄るぞ』

水盤は水面をユラユラと揺らすと、再び何か映し出す。
至近距離に迫ったフードを被った、黒い人影の後ろ姿だった。
私は食い入るように、それを見つめる。
嫌な汗が額から流れ、胸はドクドクと脈を打っている。
その瞬間、その天使はゆっくりと振り返った。
私の予想した通り、イルファスだった。

「やはり…イルファスか…」

水盤が映し出した彼女の姿は、いつもと様子が違っていた。
落ち窪んだ目の周りは、黒く縁取られているようだ。
その瞳には生気はなく澱んでいる。
イルファスは白いローブを纏っているはずなのに、なぜか薄黒く見える。
そのくせ、唇ばかりが異様に赤い。
間違いなくイルファスだと確認できるのだが、明らかに異形である。
私の胸は、ドクドクと早鐘を打ち続けている。
これ以上、彼女を見続けるのは危険だと強く感じてはいるが、目を逸らす事ができない。
全く身動きが取れないのだ。
その時、イルファスが笑った。
真っ赤な唇を歪ませ、ニタリと笑ったのだ。

(マズい…これ以上は危険だ!)

私は、水盤から離れようとした。
しかし、体が動かない。
声を出そうとしても出ない。
喉からヒューヒューと乾いた息が漏れるだけだ。

「サビィ様…見つけた…」

水盤の中のイルファスが呟く。

「こんなにも私を見つめてくれてるなんて…」

フードの中から目がギラリと光る。

「やっぱり、私の事を想ってくれているのね…嬉しいわ…」

イルファスはフードを脱ぐと、顔をグッと近付けてきた。
水面いっぱいに、イルファスの不気味な顔が映し出されている。
私は必死に動こうともがく。
いや、もがいたつもりだったがピクリとも動かない。

「サビィ様…もっと近くに来て…」

イルファスの毒々しい程に赤い唇が歪む。
それは微笑というより、薄笑いと表現した方が良いだろう。
彼女の顔を見てはいけないとは思うのだが、目を逸らす事すらできない。

「サビィ様…なぜ近くに来てくれないの。ねぇ…来てよ!」

イルファスが叫んだ瞬間、水面がユラユラと揺れる。
そして、ぐるぐと渦を巻き始めると、その中心から手が飛び出し、強張った私の腕をガッシリと掴み引っ張った。
必死に抵抗するが、その力は尋常ではない。
一歩、また一歩と体が水盤へと引き寄せられていく。

「サビィ様、遠慮しないで私の所に来て下さい。おもてなしをして差し上げます」

水盤の中のイルファスがニタニタと笑っている。
窮地に陥った私ははたと気が付いた。
体が動いている…
声が出るかもしれない。

「水盤!助けてくれ!」

私は声の限り叫んだ。
その瞬間、水盤がガタガタと揺れ水が急速に引いていった。
一気に引いた水が勢いをつけ、大波となり私を掴む腕にぶつかり、絡み付くようにその腕を水盤の中に引き込もうとする。

「なんだこの波は…邪魔をするな!!」

力が緩んでいる…
私は慢心の力を込めて腕を振りほどいた。

「くそっ!忌々しい!こんな水盤…こうしてくれる!」

叫び声と共にもう一方の腕が現れ、両手で水盤の縁を掴みガタガタと揺らし始めた。

「私の邪魔をするなど小賢しい!こんな水盤壊してやる!」
「何?水盤を壊すだと…」

私は、水盤に駆け寄りイルファスの腕を掴んだ。

「イルファス!今すぐ水盤から手を離すのだ!」
「サビィ様…この水盤は、私とあなたを邪魔をするものです。なぜ、止めるのですか?私は、こんなにもサビィ様をお慕いしているのに…」

私は、イルファスの言葉に背筋が冷たくなったが、彼女の腕を掴み、水盤から引き離そうとした。
しかし、その力は強く歯が立たない。

「サビィ様が来て下さらないなら、私がそちらに行きます!」
「なんだと…」

私は、彼女の言葉に凍りつきながらも水面を見つめた。
水面に小さな泡が幾つも現れ、イルファスの黒く長い髪が漂い始めた。

(これは…マズい!)

私は彼女の腕から手を離し、慌てて後退する。

『サビィ、心配には及ばない』

その時、水盤の声が響き、水面が再び渦を巻き始めた。
そのスピードは徐々に速くなり、イルファスの髪を飲み込み、続いて腕を巻き込もうとしている。

「こんな攻撃に負けるものか!」

決して離さまいと、水盤を掴むイルファスの手に力が入る。
しかし、渦のスピードは速くなるばかりか、引き込もうとする力も強くなっていった。
必死に縁を掴む手から徐々に力が奪われ、指が1本、また1本と離れていく。
更に渦が加速すると、イルファスの手は完全に離れ渦の中に飲み込まれる。

「くそっ!水盤め…覚えていろ!」

悔しそうな声が部屋中に響き、彼女の手が水面から消えていった。
渦も徐々に消え水面が静けさを取り戻すと、私は安堵からしゃがみ込んでしまった。
そして、あまりにも様子が変わってしまったイルファスの姿を思い出し、私は身を震わせ呆然とするのであった。


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