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5巻
5-2
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レイの召喚獣契約を終えた俺たちは、フラムを連れて新しい動物探しを続けた。
フラムはこれから始まる人間世界の生活が気になるのか、ワクワクした様子で俺に質問する。
【ほぅ、人間は鏡というもので姿を見るわけだね。僕もぜひ使ってみたいものだ】
「レイの部屋に、大きな鏡があるよ」
俺が微笑んで言うと、大きな耳をピクピクと動かして目を煌めかせる。
【そうか! さすがリーダーだな。それは楽しみだ……んん?】
話している途中で、フラムが急に立ち止まった。
【この臭いは、いふぇない】
自分の尻尾を前に持ってきて、それで鼻を押さえる。そしてすかさず、レイのローブを引っ張った。
「うぉっ! ……何だぁ?」
レイが驚いてフラムを振り返ると、フラムは鼻を押さえたままレイを見上げた。
【フィーダー、ぼきゅはこれいひょう、さきへふふめないのだが】
んんー? 何て言ったぁ?
鼻と一緒に口元を押さえているから、解読に自信はないけど。
……リーダー、僕はこれ以上、先へ進めないのだが……って言ったのかな?
【たいひゃんひたい】
そう言ったフラムは、鼻を押さえたまま俯く。
退散? 俺にはわからないが、何かの匂いを感じているのか?
「フラムが退散したいって言ってるんだけど。レイ、控えさせてあげたら?」
俺が言うと、レイもフラムの様子を見て、何かおかしいと感じたらしい。
「わ、わかった。フラム、我が身に控えよ」
レイの言葉で、フラムは空間の歪みに消えた。
「ホタルは何か匂いを感じる?」
俺が聞くと、ホタルはフンフンと小さな鼻を動かす。
それから「ナウ~」と鳴いて、尻尾をゆらゆらと動かした。
【平気です。ボクには甘い匂いするです】
フラムには嫌な臭いだけど、ホタルには甘く感じるのか。
「あぁ、確かに言われてみれば、甘い匂いがしますね」
カイルもそう言うので、俺たちは空気を大きく吸い込んだ。
「本当だ。微かに甘い花の香りがする。でも、変だな。花らしきものは見当たらないのに……」
俺が辺りを見回していると、トーマは手をポンと打った。
「あ! もしかして香鳥かな?」
香鳥? ……あぁ、アリスのお目当ての、香りを振りまくという鳥か。
「花のない季節に花の蜜のような甘い香りがしたら、香鳥が近くにいる可能性があるんだ。広範囲に香りを振りまくことができるって話だし、きっとそうだよ」
嬉しそうに頬を紅潮させるトーマの隣で、レイは顎に手をあてて唸った。
「じゃあ、フラムが嫌がったのは……香鳥が出した匂いってことか?」
レイの問いに、トーマがにこっと笑って頷く。
「うん、多分そう。香鳥の発する香りは複雑なんだ。特定の動物には不快だけど、他のものにはいい匂いに感じたりする。多分、フラムが嫌な臭いって感じたのは、ファイクがここら辺に棲む肉食獣だからじゃないかなぁ?」
ホタルがいい匂いだって言ったのは、毛玉猫が香鳥にとって害のないものだからか。
「じゃあ、この匂いをたどれば香鳥がいるってわけね」
ライラは一つ息をつき、張り切って歩きだす。
アリスは、そんなライラを呼び止めた。
「ライラ待って。香鳥は臆病で、人間が不用意に近づいたら逃げてしまうんですって」
「そっかぁ。じゃあどうするの?」
ライラが困った顔をして尋ねると、アリスは懐から小袋を取り出し、ぽふぽふと叩いた。叩くたびに、鼻にスッと抜けるような清涼感のある香りがする。
レイはその小袋に顔を近づけ、鼻をクンクンと動かした。
「アリスちゃん、何それ? いい香りがするけど」
「これは香鳥の好む花で作った、香り袋なの。こうやって叩いて匂いを出して、香鳥を誘い出すのよ。トーマに貰ったの」
アリスが微笑むと、レイは片眉を上げてトーマを見やる。
「トーマ……。知識で、さりげなくアリスちゃんの評価上げてくるなぁ」
若干嫉妬のこもった瞳で見られて、トーマはキョトンと首を傾げた。
「ん? どういう意味?」
レイはトーマの問いには答えず、腕を組んで低く唸る。
「フィルも人畜無害そうで、モテるし。最近の流行はそういうタイプなのかな?」
ブツブツ呟いているレイに、ライラはため息をついた。
「モテるのは、あんたと真逆のタイプよ。あんたにはなれないから諦めなさい」
「そんなのわからないだろ」
レイが面白くなさそうに言い、俺たちが笑う。
その時、不意に花の甘い香りが強くなった。
羽ばたきとともに、サッと小さな影が空を横切る。
影の流れた方向を見ると、鮮やかな色をした鳥が木の上にとまっていた。
頭は白く、翼は黄色。体は緑で、尾は青かった。体長は十五センチくらいで、頭の冠羽がピョコンとはねている。寝癖みたいで、ちょっと可愛い。
「わぁ、綺麗」
アリスは驚かさないように、小さな声で言う。
辺りを見回していた香鳥は、「ピョールル」と楽しげに鳴くと、アリスに向かって滑空した。
驚いたアリスが身を縮こまらせたが、香鳥は当たる直前でバサバサと翼を羽ばたかせ、スピードを落としてアリスの肩にとまる。
【失礼いたしました。驚かせてしまいましたか? こちらから、いい香りがしたもので……】
「ピョルル」と鳴いた香鳥は、申し訳なさそうにアリスの顔を窺う。とても礼儀正しい口調の鳥だ。
その様子から、香鳥が自分のことを心配していると、アリスにもわかったのだろう。
「可愛い」
小さく笑って、喉元の羽を指で触ってあやす。
「アリスにビックリさせたことを、丁寧に謝ってるよ。いい匂いがしたから来たんだって」
俺が通訳すると、香鳥は目をパチクリさせて背筋を伸ばした。
自分の言葉を理解する人間がいたので、驚いたらしい。
そんな香鳥に、アリスは優しく微笑む。
「私はアリスというの。実は、あなたとお話がしたくて、この香り袋を使ったのよ」
取り出した香り袋に、香鳥はコクリと頷く。それから、アリスを見上げた。
【僕にお話ですか? 何でしょうか?】
首を傾げる香鳥に向かい、俺は優しい口調で話しかけた。
「彼女は今、香鳥で召喚獣になってくれる子を探しているんだ」
俺の話に頷いて相槌をうっていた香鳥は、嬉しそうに片翼を挙げて「ピョルル」と鳴く。
【召喚獣! なら、ちょうどいいです。僕ではいかがでしょう?】
「え……」
それは、ありがたい。性格も真面目そうだし、雰囲気的にアリスとも相性が良さそうだ。
しかし、意外とあっさり契約希望が通って、拍子抜けしてしまった。
「何か言ってるのか?」
レイの問いかけに、俺はまだ少し驚きつつ口を開く。
「召喚獣になりたいって言ってる」
それを聞いて、ライラが「えぇっ!」と声を上げた。
「何で皆、そんなあっさり契約が決まるのっ! いや、嬉しいわよ。アリスの召喚獣が増えて、喜ばしいことなんだけどっ!」
ライラの中に焦りと喜びが生まれ、複雑な感情が渦巻いているらしい。
頭を抱えて、表情をクルクル変えながら唸り声を上げる。
「あの……私としては嬉しいけど。本当に私が主でいいの?」
アリスも少し不安に思ったのか、肩にとまっている香鳥を見つめる。
すると、香鳥はコックリと頷いた。
【僕の兄弟はすでに人間の方に仕えておりまして。僕もいずれ召喚獣になりたいと思っていたのです】
へぇ。野生で暮らすほうが、動物にとって幸せなのかと思ってたけど。そういう考えの動物もいるんだ?
香鳥は俺たちの顔を見回して、「ピョルル」と鳴く。
【僕たち香鳥は、雰囲気を香りとして捉えることができるのですが、皆さんはとても良い香りです。でなければ、いくら香り袋があっても、こんなにすぐ近づいては来られません】
香鳥はもともと臆病な鳥だと聞いていた。香鳥のいう、雰囲気から感じる香りがどういったものなのかはわからないが、慎重な鳥が俺たちを信用してくれたことはとても嬉しい。
俺が香鳥の言葉をそのまま伝えると、アリスは顔を綻ばせる。
「そうであれば、私もとても嬉しいわ」
香鳥がアリスの肩から地面に下り、恭しく頭を垂れる。
召喚獣の契約を行おうという、香鳥の意思表示だった。
「ノトス」
アリスが名前を呼ぶと、香鳥の周りに風が巻き起こった。
風がやむと同時に、ノトスは飛び上がり空を軽やかに旋回する。何か言っているようだが、俺の耳には聞こえない。
「喜んでいるみたいですよ」
ノトスを見上げながら、カイルが小さく微笑んで教えてくれた。
2
一日がかりの課外授業には、お弁当がつきものだ。歩き回っていたら、当然お腹が減る。
食べる時間は各班に委ねられていたので、きりのいいところでお昼にすることにした。
フラムの契約に多少時間はかかったけど、反対にノトスとの契約はあっさり終わったのでわりと順調ではないだろうか。
俺がお弁当をリュックから取り出すと、アリスは申し訳なさそうな顔をした。
「お弁当を準備するの大変じゃなかった? 私たちの分まで作ってもらって……」
「いや、僕が作りたかっただけだし。今回のお弁当は、簡単なおかずばかりだから」
課外授業に持って行くお弁当は、希望すれば寮のコックさんが作ってくれる。
鉱石の課外授業の時は、俺たちもそのお弁当を持って行った。
ただ、今回はあったかいスープを持って行きたいと思い、どうせならと皆の分のお弁当を作ることにしたのだ。
授業不参加のカイルにも、ついでだからと用意してあげたのだが、結局こちらに来たのでお弁当があって良かったのかもしれない。
寮の厨房の片隅を借りて作った本日のお弁当は、ロースト肉のサンドイッチと野菜の肉巻き、卵焼き、ポテトフライ。あとは水筒に入れた野菜スープを、食べる時に火の鉱石で温め直す。
野菜スープを一口飲んで、俺はホッと息を吐いた。熱めの液体が、お腹をほかほかにしていく。
……今日もお弁当が死守できて良かった。スープを飲みながら、しみじみと思う。
寮のコックさんと仲良くなり、厨房にちょこちょこ出入りしている俺だが、「厨房にいるよ!」なんて知らせてもいないのに、なぜかお腹を減らした寮生たちが集まってくる。
今朝もカイルが規制してくれなかったら、厨房になだれ込んで来ただろう。
朝練が終わってお腹が空いてるのか、もうとにかく先輩方の目のギラツキが凄かった。
量が少ないから全員に味見させるわけにはいかないし、かといって、一人にあげたら喧嘩になりそうだしなぁ。
俺は朝の様子を思い出してサンドイッチを食べながら、困ったもんだと小さくため息をつく。
そういえば今日、ジェイ・ハリス先輩率いる三年生十数人からエプロンを貰った。
以前、先輩方にエッグタルトをあげたことがあり、そのお礼らしい。
淡い水色の生地で、ポケットに毛玉猫のアップリケが付いている可愛いエプロンだ。
先輩方の俺の認識って、どうなってるんだろう。
いや、料理は好きだし、エプロンはありがたいんだけどさ。お礼が可愛いエプロンって……。
男の先輩方に囲まれてプレゼントを渡された時のことを思い出し、微妙な気持ちになる。
すると俺の傍らから、プー……プー……と変な音が聞こえてきた。
見れば昼用のプリンを平らげて満足したコクヨウが、仰向けになって変な寝息を立てている。
伝承の獣……寝息に威厳がまったく感じられない。
他の召喚獣はと見回すと、ヒスイは近くの木に寄りかかって森林浴をし、ホタルと袋鼠のテンガ、氷亀のザクロと光鶏のコハクは湖の方でキャッキャと声を上げながら遊んでいた。
新しい召喚獣を紹介するためテンガたちを出したのに、挨拶もそこそこに湖に走り出したんだよね。
トーマやレイやアリスの召喚獣は、大人しく主人の傍らに寄り添っているのに。
俺の召喚獣、自由すぎる。
俺はそんな召喚獣たちを眺めながら、肉巻きを頬張る。
すると、ふと元気のないライラが視界に入った。いつもは美味しそうにご飯を食べてくれるのに、何だか思いつめた表情をしている。
「どうしよぉぉ。もう契約できる自信がなくなってきたわ」
ライラは泣きそうな顔で、サンドイッチを見つめる。
ノトスとの契約後、俺たちは何匹か動物に遭遇していた。
ライラは召喚獣がいなかったので、彼女の契約を優先的に行おうとしたのだが、やる気が空回りして契約に至らなかったのだ。
「平気だよ。まだ午後があるんだから」
俺がそう慰めても、ライラは小さく頷くだけだった。
んー。今日契約できなくても、補習もあるから焦ることはないんだけどな。
「僕はライラの落ち込む気持ち、少しわかるよ。僕もこんなに苦戦するとは思わなかった……」
トーマは力なく言って、悲しそうな笑みを浮かべる。
ライラとは別の意味で、トーマも召喚獣契約ができないでいた。
トーマと契約を望む動物がいても、エリザベスがいろいろチェックして動物をビビらせてしまうのだ。
ライラは落ち着けばチャンスがあるが、トーマは難航しそうだよな。
【トーマをどれだけ好きか聞いてるだけなのに、逃げるなんて根性ないわ】
ぷりぷりと怒るエリザベスを膝に抱え、トーマがしょんぼりとしている。
レイは落ち込む二人を見て、手に持っていたサンドイッチを頬張りながら言った。
「ま、焦ったってしょうがねーだろ? 暗い顔をしてると、飯がまずくなるぜ」
すると、傍らで話を聞いていたフラムが大きく口を開ける。
【さっき少し貰った肉は美味しかったのに、リーダーは味覚音痴なのか? 召喚獣は食べなくても大丈夫だと聞くが、主人がまずいと言うのであれば僕が食べてあげよう】
そう言ってレイのお弁当に顔を近づけ、鼻をふんふんと動かす。
レイはそれに気づいて、慌ててフラムの頭を押さえた。
「ちょっ、フラム! どうしたんだよ! 味の薄いとこなら、あとで少し分けてあげるからっ!」
困惑するレイに、カイルは冷めた視線を向けて言う。
「フィル様手作りのお弁当をレイがまずいと言うから、自分が食べてやるって言ってる」
「えっ! ち、違うって! 『飯がまずくなる』ってのは言葉の綾だから! すっげー美味いからっ!」
【遠慮するなリーダー!】
レイはお弁当を抱えて走りだし、フラムがそれを追いかける。
まるでコントみたいなやり取りで、俺やアリスやカイルどころか、落ち込んでいたライラとトーマまで噴き出した。
「言葉の綾だとしても、フィル君のお弁当をまずいなんて言うからよ」
「だよねぇ。こんなに美味しいのに」
ようやく見られた二人の笑顔に、俺とカイルとアリスは顔を見合わせてホッと息をついた。
そんなランチタイムを終え、課外授業を再開するため、皆はそれぞれの召喚獣を一旦控えさせる。
俺もそろそろホタルたちを呼び寄せようと思った時、凄い勢いでテンガが飛び込んできた。
【フィル様っ! フィル様、大変っす!!】
「わ!」
びっくりしたぁ。呼び寄せる前に飛び込んでくるとは……。
「大変って、いったいどうしたの? ホタルたちは?」
ハッハッと荒い息を吐くテンガを落ち着かせるために、その背中を優しく撫でる。
【あっちに怪しい奴いたっす!! 俺は急いで知らせに来たっす!】
「怪しい奴?」
俺が眉を顰めると、テンガの声で目が覚めたらしいコクヨウが大きく欠伸をして背筋を伸ばす。
【まったく、いつも慌ただしい奴だ】
テンガは俺とコクヨウを交互に見ながら、俺のローブを引っ張った。
【フィル様、アニキ、とにかく来てくださいっす! 怪しい奴がいるんす!】
俺は詳細を知りたいのだが、テンガはとりあえずそこに連れて行きたいようだ。
しかしコクヨウは訝しげな顔で、テンガの指し示す方向を見る。
【怪しい奴? 不穏な気配は感じられないが……】
コクヨウがそう断言するなら、怪しいと言っても危険はないのかな?
「フィル、どうしたの? 怪しい奴って何?」
アリスが俺から発せられた単語を耳にして、不安げに眉を寄せる。
俺は立ち上がって、小首を傾げた。
「危険なものではないと思うんだけど、ちょっと確認してくる。皆は待ってて」
「俺も行きます」
カイルが俺の隣に並ぶと、コクヨウとヒスイもそれに倣った。
【テンガの言うことだから大した奴ではなかろうが、暇だからな】
【面白そうですわよね】
コクヨウは小馬鹿にした言い方をし、ヒスイは空中をヒラリと飛びながら軽やかに笑う。
真面目に取り合わないコクヨウとヒスイに、テンガは大きく飛び跳ねて地面を鳴らした。
【本当っす! 怪しい奴っす!】
俺がテンガを宥めていると、なぜかレイが俺の後ろについた。
「あれ? レイも来るの? 様子を見て来るだけだから、ここで待ってていいのに」
「いや、もし危なくなったら、俺がフラムを再度召喚して火の玉を使おうかと思って」
ポーズを決めてニヤリと笑うレイを見て、ライラはため息交じりに立ち上がる。
「じゃあ、私はレイが馬鹿なことしないように見張ってるわ」
「私も心配だし、香鳥の香りが役に立つかもしれないから」
アリスがそう言ってライラの後ろにつくと、トーマも慌てて立ち上がった。
「えぇぇ、僕一人で待ってるのは嫌だよ!」
結局、全員で『怪しい奴』の目撃場所に向かうことになった。
だが、テンガの案内で到着した場所には、怪しげな奴どころかホタルたちの姿も見当たらない。
「ホタルたちもいないね?」
【ここにいたっす! それで、怪しい奴が歩いていって……皆どこに行ったっす?】
テンガが頭にハテナマークをつけて、首を傾げる。
こっちが聞きたい。
「あちらから、何か水音がします」
カイルがそう言って、湖の畔でも特に木の密集している辺りを指さす。
近づいて覗き込むと、そこにはザクロとコハクとホタルとともに、もう一匹、別の動物がいた。
その動物は湖に向かって身を屈め、パシャパシャと水音を立てている。
全体的に黄色っぽい毛色で、太い尻尾はふさふさで丸く、黒の縞模様が入っている。
あれは、召喚獣の本の挿絵で見たことがある。アライグマみたいな外見で……確か名前は……。
思い出していると、俺の後ろから一緒に覗いていたトーマが「わぁぁ」と微かに声を漏らした。
「ラグールだ。何でこんなところにいるのかな? 棲息地、ここじゃないはずなんだけどなぁ」
あ、そうだ。ラグールだ。確かルワインド大陸の動物で、数の少ない雷属性なんだよな。
小動物が相手なら、電気をバチッと放って気絶させたりできるって話だ。
俺たちは思いがけず出会ったラグールにさらに近づいて、こっそり様子を窺う。
ラグールはパシャパシャと音を立てて、何かを洗っていた。そしてそれを、ホタルとザクロとコハクが囲うようにして覗き込んでいる。
何をやってるんだ、あの二匹と一羽は……。
【あぁぁ、フィル様を呼びに行ってる間に、怪しい奴と仲良くなってるっす!】
テンガは頭を抱えて、ショックを受けている。
【興味があるから見ているだけよ、きっと】
ヒスイが微笑んで、テンガの頭を優しく撫でた。
別にテンガが言うほど、怪しいところはないよな。気になることと言えば、洗っているものか……。
【やっと洗えたわぁ。いやぁ、大変やった。俺が拾った時、泥だらけやったし】
ふぅと息をついて、嬉しそうな声を上げる。
それからラグールはスクッと立ち上がって、洗ったものを掲げた。
それはカラフルな模様の入った子供用の木靴だった。しかも、片方だけ。
「……木靴?」
俺たちはラグールの掲げる木靴を見て、首を傾げる。
もしかして、湖に来た観光客が落としたのかな?
ステア王国をはじめとして殆どの国では革靴が主流だが、民族によっては木靴も履いている。
手作りが基本のこちらの世界では靴は貴重なものだから、捨てた靴とは考えにくいもんな。
俺は「ふむ」と顎に手をあてて、そんな推測をする。
それにしても、何で人間の靴を洗ってるんだろう?
ラグールの周りを囲むザクロたちも、同じ疑問を抱いたらしい。
【そりゃあ人間の履物じゃぁねぇかい? それを洗って何をするんでい】
ザクロは首を長くして靴を覗き、ホタルは不思議そうに頭を傾ける。
【それ、履くです?】
ホタルの横にいたコハクも、体ごと傾けた。
【はく~?】
ラグールは二匹と一羽に頷いて、靴を履く素振りを見せる。
【そうそう、片方だけをこうしてな。わー、人間のはでかいなぁ……って、んなわけあるかいっ!】
ノリツッコミした……。
しかしホタルたちは、ノリツッコミを理解できずに目を丸くしている。
ラグールは咳払いを一つして、スベった感を誤魔化した。そして靴を振り、ニヤリと笑う。
【人間はいつもこれを履いてるやん? つまりは相当、大事なもんや。持ち主に返したら、きっとお礼をたんまり貰えるわ】
ラグールは「くっくっくっ」と、肩を揺らしながら笑った。
その様子を見て、テンガは「あわわ」と俺に縋りつく。
【また、怪しい笑いしてるっす! 何か企んでるっす!】
この笑いを見て、怪しい奴って言ってたのか……。
あ~うん。企んではいるね。浅い企みな気はするけども。
確かに靴は貴重なものだが、失くした本人はもう諦めて帰っているのではないだろうか?
観光客のものと考えたら、なおさらだ。持ち主に会えなきゃ、当然お礼も見込めない。
フラムはこれから始まる人間世界の生活が気になるのか、ワクワクした様子で俺に質問する。
【ほぅ、人間は鏡というもので姿を見るわけだね。僕もぜひ使ってみたいものだ】
「レイの部屋に、大きな鏡があるよ」
俺が微笑んで言うと、大きな耳をピクピクと動かして目を煌めかせる。
【そうか! さすがリーダーだな。それは楽しみだ……んん?】
話している途中で、フラムが急に立ち止まった。
【この臭いは、いふぇない】
自分の尻尾を前に持ってきて、それで鼻を押さえる。そしてすかさず、レイのローブを引っ張った。
「うぉっ! ……何だぁ?」
レイが驚いてフラムを振り返ると、フラムは鼻を押さえたままレイを見上げた。
【フィーダー、ぼきゅはこれいひょう、さきへふふめないのだが】
んんー? 何て言ったぁ?
鼻と一緒に口元を押さえているから、解読に自信はないけど。
……リーダー、僕はこれ以上、先へ進めないのだが……って言ったのかな?
【たいひゃんひたい】
そう言ったフラムは、鼻を押さえたまま俯く。
退散? 俺にはわからないが、何かの匂いを感じているのか?
「フラムが退散したいって言ってるんだけど。レイ、控えさせてあげたら?」
俺が言うと、レイもフラムの様子を見て、何かおかしいと感じたらしい。
「わ、わかった。フラム、我が身に控えよ」
レイの言葉で、フラムは空間の歪みに消えた。
「ホタルは何か匂いを感じる?」
俺が聞くと、ホタルはフンフンと小さな鼻を動かす。
それから「ナウ~」と鳴いて、尻尾をゆらゆらと動かした。
【平気です。ボクには甘い匂いするです】
フラムには嫌な臭いだけど、ホタルには甘く感じるのか。
「あぁ、確かに言われてみれば、甘い匂いがしますね」
カイルもそう言うので、俺たちは空気を大きく吸い込んだ。
「本当だ。微かに甘い花の香りがする。でも、変だな。花らしきものは見当たらないのに……」
俺が辺りを見回していると、トーマは手をポンと打った。
「あ! もしかして香鳥かな?」
香鳥? ……あぁ、アリスのお目当ての、香りを振りまくという鳥か。
「花のない季節に花の蜜のような甘い香りがしたら、香鳥が近くにいる可能性があるんだ。広範囲に香りを振りまくことができるって話だし、きっとそうだよ」
嬉しそうに頬を紅潮させるトーマの隣で、レイは顎に手をあてて唸った。
「じゃあ、フラムが嫌がったのは……香鳥が出した匂いってことか?」
レイの問いに、トーマがにこっと笑って頷く。
「うん、多分そう。香鳥の発する香りは複雑なんだ。特定の動物には不快だけど、他のものにはいい匂いに感じたりする。多分、フラムが嫌な臭いって感じたのは、ファイクがここら辺に棲む肉食獣だからじゃないかなぁ?」
ホタルがいい匂いだって言ったのは、毛玉猫が香鳥にとって害のないものだからか。
「じゃあ、この匂いをたどれば香鳥がいるってわけね」
ライラは一つ息をつき、張り切って歩きだす。
アリスは、そんなライラを呼び止めた。
「ライラ待って。香鳥は臆病で、人間が不用意に近づいたら逃げてしまうんですって」
「そっかぁ。じゃあどうするの?」
ライラが困った顔をして尋ねると、アリスは懐から小袋を取り出し、ぽふぽふと叩いた。叩くたびに、鼻にスッと抜けるような清涼感のある香りがする。
レイはその小袋に顔を近づけ、鼻をクンクンと動かした。
「アリスちゃん、何それ? いい香りがするけど」
「これは香鳥の好む花で作った、香り袋なの。こうやって叩いて匂いを出して、香鳥を誘い出すのよ。トーマに貰ったの」
アリスが微笑むと、レイは片眉を上げてトーマを見やる。
「トーマ……。知識で、さりげなくアリスちゃんの評価上げてくるなぁ」
若干嫉妬のこもった瞳で見られて、トーマはキョトンと首を傾げた。
「ん? どういう意味?」
レイはトーマの問いには答えず、腕を組んで低く唸る。
「フィルも人畜無害そうで、モテるし。最近の流行はそういうタイプなのかな?」
ブツブツ呟いているレイに、ライラはため息をついた。
「モテるのは、あんたと真逆のタイプよ。あんたにはなれないから諦めなさい」
「そんなのわからないだろ」
レイが面白くなさそうに言い、俺たちが笑う。
その時、不意に花の甘い香りが強くなった。
羽ばたきとともに、サッと小さな影が空を横切る。
影の流れた方向を見ると、鮮やかな色をした鳥が木の上にとまっていた。
頭は白く、翼は黄色。体は緑で、尾は青かった。体長は十五センチくらいで、頭の冠羽がピョコンとはねている。寝癖みたいで、ちょっと可愛い。
「わぁ、綺麗」
アリスは驚かさないように、小さな声で言う。
辺りを見回していた香鳥は、「ピョールル」と楽しげに鳴くと、アリスに向かって滑空した。
驚いたアリスが身を縮こまらせたが、香鳥は当たる直前でバサバサと翼を羽ばたかせ、スピードを落としてアリスの肩にとまる。
【失礼いたしました。驚かせてしまいましたか? こちらから、いい香りがしたもので……】
「ピョルル」と鳴いた香鳥は、申し訳なさそうにアリスの顔を窺う。とても礼儀正しい口調の鳥だ。
その様子から、香鳥が自分のことを心配していると、アリスにもわかったのだろう。
「可愛い」
小さく笑って、喉元の羽を指で触ってあやす。
「アリスにビックリさせたことを、丁寧に謝ってるよ。いい匂いがしたから来たんだって」
俺が通訳すると、香鳥は目をパチクリさせて背筋を伸ばした。
自分の言葉を理解する人間がいたので、驚いたらしい。
そんな香鳥に、アリスは優しく微笑む。
「私はアリスというの。実は、あなたとお話がしたくて、この香り袋を使ったのよ」
取り出した香り袋に、香鳥はコクリと頷く。それから、アリスを見上げた。
【僕にお話ですか? 何でしょうか?】
首を傾げる香鳥に向かい、俺は優しい口調で話しかけた。
「彼女は今、香鳥で召喚獣になってくれる子を探しているんだ」
俺の話に頷いて相槌をうっていた香鳥は、嬉しそうに片翼を挙げて「ピョルル」と鳴く。
【召喚獣! なら、ちょうどいいです。僕ではいかがでしょう?】
「え……」
それは、ありがたい。性格も真面目そうだし、雰囲気的にアリスとも相性が良さそうだ。
しかし、意外とあっさり契約希望が通って、拍子抜けしてしまった。
「何か言ってるのか?」
レイの問いかけに、俺はまだ少し驚きつつ口を開く。
「召喚獣になりたいって言ってる」
それを聞いて、ライラが「えぇっ!」と声を上げた。
「何で皆、そんなあっさり契約が決まるのっ! いや、嬉しいわよ。アリスの召喚獣が増えて、喜ばしいことなんだけどっ!」
ライラの中に焦りと喜びが生まれ、複雑な感情が渦巻いているらしい。
頭を抱えて、表情をクルクル変えながら唸り声を上げる。
「あの……私としては嬉しいけど。本当に私が主でいいの?」
アリスも少し不安に思ったのか、肩にとまっている香鳥を見つめる。
すると、香鳥はコックリと頷いた。
【僕の兄弟はすでに人間の方に仕えておりまして。僕もいずれ召喚獣になりたいと思っていたのです】
へぇ。野生で暮らすほうが、動物にとって幸せなのかと思ってたけど。そういう考えの動物もいるんだ?
香鳥は俺たちの顔を見回して、「ピョルル」と鳴く。
【僕たち香鳥は、雰囲気を香りとして捉えることができるのですが、皆さんはとても良い香りです。でなければ、いくら香り袋があっても、こんなにすぐ近づいては来られません】
香鳥はもともと臆病な鳥だと聞いていた。香鳥のいう、雰囲気から感じる香りがどういったものなのかはわからないが、慎重な鳥が俺たちを信用してくれたことはとても嬉しい。
俺が香鳥の言葉をそのまま伝えると、アリスは顔を綻ばせる。
「そうであれば、私もとても嬉しいわ」
香鳥がアリスの肩から地面に下り、恭しく頭を垂れる。
召喚獣の契約を行おうという、香鳥の意思表示だった。
「ノトス」
アリスが名前を呼ぶと、香鳥の周りに風が巻き起こった。
風がやむと同時に、ノトスは飛び上がり空を軽やかに旋回する。何か言っているようだが、俺の耳には聞こえない。
「喜んでいるみたいですよ」
ノトスを見上げながら、カイルが小さく微笑んで教えてくれた。
2
一日がかりの課外授業には、お弁当がつきものだ。歩き回っていたら、当然お腹が減る。
食べる時間は各班に委ねられていたので、きりのいいところでお昼にすることにした。
フラムの契約に多少時間はかかったけど、反対にノトスとの契約はあっさり終わったのでわりと順調ではないだろうか。
俺がお弁当をリュックから取り出すと、アリスは申し訳なさそうな顔をした。
「お弁当を準備するの大変じゃなかった? 私たちの分まで作ってもらって……」
「いや、僕が作りたかっただけだし。今回のお弁当は、簡単なおかずばかりだから」
課外授業に持って行くお弁当は、希望すれば寮のコックさんが作ってくれる。
鉱石の課外授業の時は、俺たちもそのお弁当を持って行った。
ただ、今回はあったかいスープを持って行きたいと思い、どうせならと皆の分のお弁当を作ることにしたのだ。
授業不参加のカイルにも、ついでだからと用意してあげたのだが、結局こちらに来たのでお弁当があって良かったのかもしれない。
寮の厨房の片隅を借りて作った本日のお弁当は、ロースト肉のサンドイッチと野菜の肉巻き、卵焼き、ポテトフライ。あとは水筒に入れた野菜スープを、食べる時に火の鉱石で温め直す。
野菜スープを一口飲んで、俺はホッと息を吐いた。熱めの液体が、お腹をほかほかにしていく。
……今日もお弁当が死守できて良かった。スープを飲みながら、しみじみと思う。
寮のコックさんと仲良くなり、厨房にちょこちょこ出入りしている俺だが、「厨房にいるよ!」なんて知らせてもいないのに、なぜかお腹を減らした寮生たちが集まってくる。
今朝もカイルが規制してくれなかったら、厨房になだれ込んで来ただろう。
朝練が終わってお腹が空いてるのか、もうとにかく先輩方の目のギラツキが凄かった。
量が少ないから全員に味見させるわけにはいかないし、かといって、一人にあげたら喧嘩になりそうだしなぁ。
俺は朝の様子を思い出してサンドイッチを食べながら、困ったもんだと小さくため息をつく。
そういえば今日、ジェイ・ハリス先輩率いる三年生十数人からエプロンを貰った。
以前、先輩方にエッグタルトをあげたことがあり、そのお礼らしい。
淡い水色の生地で、ポケットに毛玉猫のアップリケが付いている可愛いエプロンだ。
先輩方の俺の認識って、どうなってるんだろう。
いや、料理は好きだし、エプロンはありがたいんだけどさ。お礼が可愛いエプロンって……。
男の先輩方に囲まれてプレゼントを渡された時のことを思い出し、微妙な気持ちになる。
すると俺の傍らから、プー……プー……と変な音が聞こえてきた。
見れば昼用のプリンを平らげて満足したコクヨウが、仰向けになって変な寝息を立てている。
伝承の獣……寝息に威厳がまったく感じられない。
他の召喚獣はと見回すと、ヒスイは近くの木に寄りかかって森林浴をし、ホタルと袋鼠のテンガ、氷亀のザクロと光鶏のコハクは湖の方でキャッキャと声を上げながら遊んでいた。
新しい召喚獣を紹介するためテンガたちを出したのに、挨拶もそこそこに湖に走り出したんだよね。
トーマやレイやアリスの召喚獣は、大人しく主人の傍らに寄り添っているのに。
俺の召喚獣、自由すぎる。
俺はそんな召喚獣たちを眺めながら、肉巻きを頬張る。
すると、ふと元気のないライラが視界に入った。いつもは美味しそうにご飯を食べてくれるのに、何だか思いつめた表情をしている。
「どうしよぉぉ。もう契約できる自信がなくなってきたわ」
ライラは泣きそうな顔で、サンドイッチを見つめる。
ノトスとの契約後、俺たちは何匹か動物に遭遇していた。
ライラは召喚獣がいなかったので、彼女の契約を優先的に行おうとしたのだが、やる気が空回りして契約に至らなかったのだ。
「平気だよ。まだ午後があるんだから」
俺がそう慰めても、ライラは小さく頷くだけだった。
んー。今日契約できなくても、補習もあるから焦ることはないんだけどな。
「僕はライラの落ち込む気持ち、少しわかるよ。僕もこんなに苦戦するとは思わなかった……」
トーマは力なく言って、悲しそうな笑みを浮かべる。
ライラとは別の意味で、トーマも召喚獣契約ができないでいた。
トーマと契約を望む動物がいても、エリザベスがいろいろチェックして動物をビビらせてしまうのだ。
ライラは落ち着けばチャンスがあるが、トーマは難航しそうだよな。
【トーマをどれだけ好きか聞いてるだけなのに、逃げるなんて根性ないわ】
ぷりぷりと怒るエリザベスを膝に抱え、トーマがしょんぼりとしている。
レイは落ち込む二人を見て、手に持っていたサンドイッチを頬張りながら言った。
「ま、焦ったってしょうがねーだろ? 暗い顔をしてると、飯がまずくなるぜ」
すると、傍らで話を聞いていたフラムが大きく口を開ける。
【さっき少し貰った肉は美味しかったのに、リーダーは味覚音痴なのか? 召喚獣は食べなくても大丈夫だと聞くが、主人がまずいと言うのであれば僕が食べてあげよう】
そう言ってレイのお弁当に顔を近づけ、鼻をふんふんと動かす。
レイはそれに気づいて、慌ててフラムの頭を押さえた。
「ちょっ、フラム! どうしたんだよ! 味の薄いとこなら、あとで少し分けてあげるからっ!」
困惑するレイに、カイルは冷めた視線を向けて言う。
「フィル様手作りのお弁当をレイがまずいと言うから、自分が食べてやるって言ってる」
「えっ! ち、違うって! 『飯がまずくなる』ってのは言葉の綾だから! すっげー美味いからっ!」
【遠慮するなリーダー!】
レイはお弁当を抱えて走りだし、フラムがそれを追いかける。
まるでコントみたいなやり取りで、俺やアリスやカイルどころか、落ち込んでいたライラとトーマまで噴き出した。
「言葉の綾だとしても、フィル君のお弁当をまずいなんて言うからよ」
「だよねぇ。こんなに美味しいのに」
ようやく見られた二人の笑顔に、俺とカイルとアリスは顔を見合わせてホッと息をついた。
そんなランチタイムを終え、課外授業を再開するため、皆はそれぞれの召喚獣を一旦控えさせる。
俺もそろそろホタルたちを呼び寄せようと思った時、凄い勢いでテンガが飛び込んできた。
【フィル様っ! フィル様、大変っす!!】
「わ!」
びっくりしたぁ。呼び寄せる前に飛び込んでくるとは……。
「大変って、いったいどうしたの? ホタルたちは?」
ハッハッと荒い息を吐くテンガを落ち着かせるために、その背中を優しく撫でる。
【あっちに怪しい奴いたっす!! 俺は急いで知らせに来たっす!】
「怪しい奴?」
俺が眉を顰めると、テンガの声で目が覚めたらしいコクヨウが大きく欠伸をして背筋を伸ばす。
【まったく、いつも慌ただしい奴だ】
テンガは俺とコクヨウを交互に見ながら、俺のローブを引っ張った。
【フィル様、アニキ、とにかく来てくださいっす! 怪しい奴がいるんす!】
俺は詳細を知りたいのだが、テンガはとりあえずそこに連れて行きたいようだ。
しかしコクヨウは訝しげな顔で、テンガの指し示す方向を見る。
【怪しい奴? 不穏な気配は感じられないが……】
コクヨウがそう断言するなら、怪しいと言っても危険はないのかな?
「フィル、どうしたの? 怪しい奴って何?」
アリスが俺から発せられた単語を耳にして、不安げに眉を寄せる。
俺は立ち上がって、小首を傾げた。
「危険なものではないと思うんだけど、ちょっと確認してくる。皆は待ってて」
「俺も行きます」
カイルが俺の隣に並ぶと、コクヨウとヒスイもそれに倣った。
【テンガの言うことだから大した奴ではなかろうが、暇だからな】
【面白そうですわよね】
コクヨウは小馬鹿にした言い方をし、ヒスイは空中をヒラリと飛びながら軽やかに笑う。
真面目に取り合わないコクヨウとヒスイに、テンガは大きく飛び跳ねて地面を鳴らした。
【本当っす! 怪しい奴っす!】
俺がテンガを宥めていると、なぜかレイが俺の後ろについた。
「あれ? レイも来るの? 様子を見て来るだけだから、ここで待ってていいのに」
「いや、もし危なくなったら、俺がフラムを再度召喚して火の玉を使おうかと思って」
ポーズを決めてニヤリと笑うレイを見て、ライラはため息交じりに立ち上がる。
「じゃあ、私はレイが馬鹿なことしないように見張ってるわ」
「私も心配だし、香鳥の香りが役に立つかもしれないから」
アリスがそう言ってライラの後ろにつくと、トーマも慌てて立ち上がった。
「えぇぇ、僕一人で待ってるのは嫌だよ!」
結局、全員で『怪しい奴』の目撃場所に向かうことになった。
だが、テンガの案内で到着した場所には、怪しげな奴どころかホタルたちの姿も見当たらない。
「ホタルたちもいないね?」
【ここにいたっす! それで、怪しい奴が歩いていって……皆どこに行ったっす?】
テンガが頭にハテナマークをつけて、首を傾げる。
こっちが聞きたい。
「あちらから、何か水音がします」
カイルがそう言って、湖の畔でも特に木の密集している辺りを指さす。
近づいて覗き込むと、そこにはザクロとコハクとホタルとともに、もう一匹、別の動物がいた。
その動物は湖に向かって身を屈め、パシャパシャと水音を立てている。
全体的に黄色っぽい毛色で、太い尻尾はふさふさで丸く、黒の縞模様が入っている。
あれは、召喚獣の本の挿絵で見たことがある。アライグマみたいな外見で……確か名前は……。
思い出していると、俺の後ろから一緒に覗いていたトーマが「わぁぁ」と微かに声を漏らした。
「ラグールだ。何でこんなところにいるのかな? 棲息地、ここじゃないはずなんだけどなぁ」
あ、そうだ。ラグールだ。確かルワインド大陸の動物で、数の少ない雷属性なんだよな。
小動物が相手なら、電気をバチッと放って気絶させたりできるって話だ。
俺たちは思いがけず出会ったラグールにさらに近づいて、こっそり様子を窺う。
ラグールはパシャパシャと音を立てて、何かを洗っていた。そしてそれを、ホタルとザクロとコハクが囲うようにして覗き込んでいる。
何をやってるんだ、あの二匹と一羽は……。
【あぁぁ、フィル様を呼びに行ってる間に、怪しい奴と仲良くなってるっす!】
テンガは頭を抱えて、ショックを受けている。
【興味があるから見ているだけよ、きっと】
ヒスイが微笑んで、テンガの頭を優しく撫でた。
別にテンガが言うほど、怪しいところはないよな。気になることと言えば、洗っているものか……。
【やっと洗えたわぁ。いやぁ、大変やった。俺が拾った時、泥だらけやったし】
ふぅと息をついて、嬉しそうな声を上げる。
それからラグールはスクッと立ち上がって、洗ったものを掲げた。
それはカラフルな模様の入った子供用の木靴だった。しかも、片方だけ。
「……木靴?」
俺たちはラグールの掲げる木靴を見て、首を傾げる。
もしかして、湖に来た観光客が落としたのかな?
ステア王国をはじめとして殆どの国では革靴が主流だが、民族によっては木靴も履いている。
手作りが基本のこちらの世界では靴は貴重なものだから、捨てた靴とは考えにくいもんな。
俺は「ふむ」と顎に手をあてて、そんな推測をする。
それにしても、何で人間の靴を洗ってるんだろう?
ラグールの周りを囲むザクロたちも、同じ疑問を抱いたらしい。
【そりゃあ人間の履物じゃぁねぇかい? それを洗って何をするんでい】
ザクロは首を長くして靴を覗き、ホタルは不思議そうに頭を傾ける。
【それ、履くです?】
ホタルの横にいたコハクも、体ごと傾けた。
【はく~?】
ラグールは二匹と一羽に頷いて、靴を履く素振りを見せる。
【そうそう、片方だけをこうしてな。わー、人間のはでかいなぁ……って、んなわけあるかいっ!】
ノリツッコミした……。
しかしホタルたちは、ノリツッコミを理解できずに目を丸くしている。
ラグールは咳払いを一つして、スベった感を誤魔化した。そして靴を振り、ニヤリと笑う。
【人間はいつもこれを履いてるやん? つまりは相当、大事なもんや。持ち主に返したら、きっとお礼をたんまり貰えるわ】
ラグールは「くっくっくっ」と、肩を揺らしながら笑った。
その様子を見て、テンガは「あわわ」と俺に縋りつく。
【また、怪しい笑いしてるっす! 何か企んでるっす!】
この笑いを見て、怪しい奴って言ってたのか……。
あ~うん。企んではいるね。浅い企みな気はするけども。
確かに靴は貴重なものだが、失くした本人はもう諦めて帰っているのではないだろうか?
観光客のものと考えたら、なおさらだ。持ち主に会えなきゃ、当然お礼も見込めない。
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