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16巻
16-2
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「言われてみれば、さっきよりも成長が鈍くなっている気がします」
俺はガルボたちを振り返って、ヒスイたちの言葉を伝える。
「ヒスイとミムが、タタルの成長にあたたかさが足りないって言っているんだけど」
ガルボは慌てて懐にあったメモを取り出し、内容を確認する。
「うぅ~ん。育成には太陽が必要とはあるが、他には何も書いてねぇ。だが、もしアウステル王国が季節によって気温が変わる国だとすれば、温度も成長の度合いに大きくかかわってくるかもしれないな」
厳しい顔で推測を口にするガルボに、マルコは焦りながら言う。
「なら、早いところもっと温度をあげよう!」
言うが早いか、二人は温室の端にある作業小屋に向かい、板や角材を抱えて戻って来た。
角材をタタル畑の四隅に立て、そこに木の板をかませて倒れないよう補強する。
さらに、出入りする扉を設置し、屋根の骨組みとともにロープで縛って固定した。
テキパキと作業している間、二人はお互いに声をかけることさえしない。
これが阿吽の呼吸ってやつなのかな。手伝おうかと思ったけど、むしろ邪魔になっちゃいそう。
そう思っているうちに、あっという間に扉付きの小屋の骨組みができ上がった。
ガルボとマルコはその骨組みがしっかりしているかを確認して、満足げに一息つく。
そのタイミングで、カイルが声をかける。
「これはなんですか?」
そう尋ねると、マルコが笑顔で説明する。
「中の温度や湿度を調節するための小屋です。他国の植物を育てる時に、たまに使うんですよ。気候が違う地域の植物もありますからね。その国の気候に合わせるんです」
そうか。グレスハートは年中温暖だもんね。
植物の中には、気温や湿度を合わせないと、上手く成長しないものもあるんだな。
「つまり、この温室の中に、さらにタタル専用の小さな温室を作ったってこと?」
俺が小首を傾げて聞くと、ガルボは大きく頷いた。
「そうです。ここに火鉢を置いたり、氷を置いたりして温度を調整しやす」
「へぇ、召喚獣にお願いしないんだ?」
温度調節なら、動物たちにお願いしたほうが正確だし、楽なはずだけど……。
「短期間なら、頼むこともあるんですがね。場合によっては一年中ってこともあるんで、それはさすがに可哀想でやめやした」
そう言って、ガルボは「ガハハ」と笑う。
そっかぁ。植物栽培は長い期間かけて行うもんね。
召喚獣に交代で温度調整をお願いしたとしても、慣れない仕事を強いれば、当然負担をかけることになる。それよりは、氷や火鉢を使ったほうがいいと考えたのだろう。
優しいガルボたちらしいな。
彼らを見上げて、俺は微笑む。
「今日はそんなに長い時間あたためなくてもいいだろうし、僕が鉱石を使うよ」
ガルボたちは嬉しそうにお礼を言う。
「そりゃあ、助かりやす!」
「ありがとうございます」
「じゃあ、さっそく鉱石を……って、この状態で温度を上げてもいいの?」
俺は目の前の小屋を、指さしてそう聞いた。
というのも、風通しの良さも大事だろうが、こんなスカスカじゃ熱が逃げちゃうんじゃないかなって思ったのだ。
「屋根も骨組みだけですし、壁も一部しかありませんよね」
カイルも少し不安げに、小屋を見上げている。
すると、ガルボは再びガハハと笑った。
「ちょっと待っていてくだせぇ。これを張ったら小屋の完成でさぁ」
ガルボはそう言って、大きな筒を手に持つ。
それを少し回すと、筒に巻き付いていた何かがふわっと広がる。
それは、透明で、薄く、少し光沢があった。
「え!? ビニール?」
俺が思わず叫ぶと、ガルボたちは動きを止めてキョトンとする。
マルコが俺に聞き返す。
「ビニ……? なんですか?」
「あ、いや、なんでもない」
ビニールっぽいけど、違うよね。この世界には、まだ作り出す技術がないはずだ。
見た目は薄いビニールにしか見えないけど、これは一体なんなんだろう。
ガルボたちが丁寧に扱っているのを見るに、破れやすいのかな?
「これって何?」
俺がビニールっぽいそれに手を伸ばしつつ尋ねると、マルコは説明してくれる。
「ガイナ蜘蛛の糸を加工したものです」
俺は、伸ばしかけた手を引っ込める。
つまり蜘蛛の糸? 蜘蛛……蜘蛛かぁ。
ガイナ蜘蛛は、体長十五センチもある大きめの蜘蛛。
温厚なんだけど……俺はもともと蜘蛛がそんなに好きじゃないんだよな。
そのうえ、大蜘蛛の魔獣と戦って苦戦を強いられたことがあるため、大きな蜘蛛はかなり苦手なのだ。
「この糸で作られた膜は、紐で縛らなくても、押し付けるだけでくっつくんですよ。さらに、透明で光を通すので、これで小屋を包んだとしても中に光を取り込むことができるんです」
マルコが微笑む一方、ガルボは困り顔で言う。
「ただ、加工で糸を強くしているんですが、それでも強度が強いとは言えないのが難点でさぁ。破れやすいからすぐ補修しなきゃいけねぇし、剥がすと破れるんで、一度しか使えねぇんですよ」
「繊細なんだねぇ」
俺の言葉に二人は頷き、その蜘蛛の糸で作った膜を適度な大きさに切っては、小屋の周りにペタペタと貼り付けていく。
使い方を見ていると、ビニールというより大きなキッチンラップみたいだ。
全面に貼り終え、ガルボが俺を振り返る。
「フィル様、準備が終わりやした」
俺は頷いて、火の鉱石がついたブレスレットを掲げる。
「ミム、ちょうどいい温度になったら、教えてくれる?」
そう言うと、ミムは手を挙げる。
【は~い! 了解!】
鉱石を発動させる際には、思い浮かべる文字数が少ないほど、そしてイメージを強く持つほど効力をより発揮させられる。ちなみに漢字にはそれ自体に意味がある上に文字数も少なくなるから、ひらがなを思い浮かべて発動するより威力が増す。
範囲は小屋の中だけ、夏の暑さを思い浮かべつつ……。
「きおん上昇」
とりあえず様子を見て、ひらがなを含めた五文字で発動させてみる。
小屋の中を覗き込みながら、ミムが言う。
【あったかくなってきたけど、ちょっと弱いみたい】
漢字を使っても、五文字だとまだ弱いか。
「気温上昇」
俺が重ね掛けすると、ミムはその場でくるりと一回転する。
【いい感じ! 喜んでいるわ!】
「ただ、温度が上がった分、土が乾くのも早くなったみたいですね。俺、小屋の中に入って、水やりしてきます」
カイルの申し出に、マルコたちは大喜びだ。
「助かります。この大きさの小屋は、俺たちにはちょっと窮屈で」
「ガイナ蜘蛛の膜を、何度も突き破っちまうんですよ」
マルコとガルボはそう言って、しょんぼり顔になる。
身長が高いのも、それなりに苦労するんだな。
「お任せください」
カイルはそう口にするとじょうろを持って、小屋の中に入っていく。
俺たちは、それぞれ役割分担をして、作業をすすめることにした。
俺はミムのサポートを受けながら小屋の温度の調整、カイルは乾いた畑の水やり、ガルボとマルコは水がなくなったじょうろの交換、ヒスイは育成の手助けといった感じだ。
しばらくすると、ミムが俺のところに来て言う。
【もうあったかくしなくて大丈夫だって】
ヒスイもタタル畑を見下ろし、満足そうに微笑む。
【小さかった苗が、ずいぶん大きく育ちましたわね】
俺は鉱石発動を止めて、小屋の中を覗き込む。
「わぁ、本当だ。さっきよりも、成長してる」
鉱石発動に集中していたから気づかなかったが、小屋を作る前よりタタル豆の背丈が伸び、葉が茂っている。
「おぉ、立派な青タタルがっ!!」
マルコが興奮した様子で叫んだ。
そしてガルボも、成長具合を確認して頷く。
「青タタルができりゃ、小屋を撤去してもよさそうだな」
別の角度から覗くと、葉の陰に実が鈴なりに生っているのが見えた。
あれが、青タタルかぁ。
…………って、ちょっと待って!
俺は苦手な蜘蛛が作り出した膜だということも忘れ、小屋を覆う膜にへばりつく。
「ガルボ、青タタルを少し収穫するって言ってたよね。一莢だけ採って、中の豆を確認してみてもいい?」
俺が真剣な顔で聞くと、ガルボは少し不思議そうな顔をして頷く。
「へぇ、かまいませんが」
俺は早速小屋の扉を開けて中に入り、一莢だけ収穫する。
莢を割って取り出した豆は、俺の記憶にあるものと同じだった。
「……枝豆だ」
莢の形、ふさふさとしたうぶ毛、中身の豆の形状。
「枝豆だーー!! やったーーー!!」
俺は喜びのあまり、両手を挙げる。
青タタルが枝豆ってことは、完熟タタルは大豆だよね!?
俺は挙げていた両手を下ろし、顔を覆った。
「大豆ぅぅぅ!!」
もう、泣きそう。いや、もう泣いてる。
そんな俺を見て、カイルがじょうろを放りだして駆け寄ってくる。
「フィル様!? どうして泣いてらっしゃるんですか!?」
【どうしたんですか? フィル】
心配した顔でヒスイがそう尋ね、次いで小屋の中を覗き込んだガルボとマルコも俺の様子に慌てる。
「どうかなすったんで?」
「タタル豆に何か問題が?」
俺は浮かぶ涙を手で拭い、カイルたちに向かって微笑んだ。
「驚かせてごめん。これは嬉し涙だから」
「嬉し涙……ですか?」
カイルはそう不思議そうな顔で言った。
カイル以外の皆も困惑した様子で、首を傾げている。
「ずっと前から、この豆を探していたんだよ。だから、嬉しくって」
手の中の枝豆を見つめて、俺は微笑む。
「なるほど! ライラに探してもらっていたやつですよね?」
カイルの言葉に、俺は頷く。
「そう。特徴はライラに伝えていたんだけど、国によって呼び方が違うからなのか、なかなか見つからなかったんだよねぇ」
俺は感慨深い気持ちで、手の中の豆を撫でる。
「まさか、おじい様が貰った種が、欲しかった豆だったとは……」
枝豆に大豆かぁ。
枝豆ももちろん好きだが、何より大豆をゲットできたことが嬉しい。
グレスハート産の豆や他の豆で豆腐を作ったことがあるけど、やっぱり大豆で作った豆腐とは違うんだよなぁ。
豆腐ができるなら、厚揚げとか油揚げ、おからもできる。
「ふふふふ」
思わず漏れた笑いに、カイルが不安げな顔をする。
「……フィル様?」
おっと、嬉しさが溢れ出てしまった。
頬をさすって、ガルボを見上げる。
「種を貰って研究してもいいって言われているんだから、収穫量を増やす許可ももらっているんだよね?」
俺の質問に、ガルボは頷く。
「へぇ。こちらでの栽培の研究結果を共有することを前提に、許可をもらっていやす。ただ、向こうさんの交易に影響が出ねぇ範囲での収穫量にはなると思いやすが」
そうだよね。交易に影響が出たらまずいよね。
でも、影響が出ない範囲なら、収穫量を増やしてもいいってことだ。
「もっと協力するからね!」
ガルボたちにそう言って、俺は枝豆畑を見渡す。
「ふふふふふふふふ」
笑う俺を見て、カイルは一層不安そうな顔をしていたけど、俺は込み上げる笑いを抑えることができなかった。
2
タタル豆育成の手伝いをした日から、二日後。
俺は、カイルとアリス、レイとライラとトーマを連れて、王族用の宿泊施設を訪れていた。
王族用の宿泊施設はコンドミニアムタイプで、客室となる建物とは別に食事処や浴場の入った建物があり、中庭もついていてとても豪華だ。
その幾つかあるコンドミニアムの一つに、コルトフィア王国の王子様たち――つまり、ルーゼリア義姉さんの三人のお兄さんたちが滞在している。
婚姻式の時、彼らに『友達が子ヴィノを見たがっているので、帰国前に会えませんか』って、お願いしてみたんだよね。
お兄さんたちはその願いを聞き入れ、俺たちを招待してくれたのだ。
トーマは胸を押さえて、幸せそうに息を吐く。
「あぁ、王族の方とお会いするのは緊張するけど、子ヴィノに会うのはとっても楽しみだなぁ」
「子ヴィノに会う機会なんて、なかなかないもんな」
レイの言葉に対して、ライラはにこにこしながら言う。
「本当よね。ヴィノが小さいのは、今だけだものね。頼んでくれたフィル君と、招待してくださったコルトフィアの殿下方に感謝しないと」
俺もハミルトン殿下たちに会ったら、改めてお礼を言わないといけないな。
そんなことを考えながらホテルの受付に向かう。
するとすぐにスタッフが出てきて、彼らの泊まるコンドミニアムへと案内してくれた。
俺たちが中庭にやって来ると、コルトフィア王国の近衛兵が俺たちに礼をする。
「フィル殿下、ご友人の皆様、ようこそいらっしゃいました」
その声に、庭の奥にいたお兄さんたちが振り返る。
逆光で顔が暗くてよく見えないが、背の高さで誰だかわかる。
三兄弟の中で一番背が高いのが、しっかり者の長兄ハミルトン皇太子殿下。次に、ムードメーカーの次兄デニス殿下。一番背が低いのは、気は優しいがちょっと抜けている三兄モーリス殿下だ。
まぁ、一番低いとは言っても、一般からしたら大男の部類だけども。
ゆっくりとこちらに歩いてくる三人に向かって、俺たちはペコリと頭を下げる。
「ハミルトン殿下、デニス殿下、モーリス殿下。ご招待ありが……」
笑顔で挨拶しようと思っていた俺は、見上げた先にある彼らの顔にギョッとして、言葉が継げなくなる。
だって三人とも目元がパンパンに腫れ、目が細くなっているのだ。
元々勇ましい顔立ちだったのに……今は土偶のよう。
俺の後ろで、レイが動揺したように呟く。
「ひ、披露パーティーで見かけた時と全然違う……」
確かに、まったく面影がない。
「そのお顔、どうしたんですか……」
思わずそう尋ねたが、答えを待たずとも理由はわかっていた。
多分、泣き腫らしてこうなったんだろうなぁ。
この三兄弟は妹のルーゼリア王女を溺愛しており、婚姻式やその後の披露パーティーでも目を真っ赤にするほど泣いていたんだよねぇ。
カイルにお願いして、三人のために目元を冷やすタオルを手配したんだけど、全然効かなかったみたい。
……いや、この腫れぼったさは、数日前のものではないかも。
「もしかして、あのあともずっと泣いていらしたんですか?」
俺がおそるおそる尋ねると、しゃがれた声でハミルトン殿下が言う。
「恥ずかしながら、そうなんだよ」
「冷やしている最中も涙が止まらず、結局こんな顔に……」
同じくしゃがれ声でデニス殿下が言い、モーリス殿下はスンッと鼻をすする。
「妹が結婚したのは嬉しいけど、やっぱり寂しくて……」
三人とも、泣きすぎで声も嗄らしちゃっている。
なんならモーリス殿下は、今にも思い出し泣きしそうな勢いだ。
まぁ、気持ちはわかる。ステラ姉さんがお嫁に行った時、俺も寂しかったから。
嫁ぎ先は馬車で何日もかかる距離だし、王子という立場上、気軽に遊びに行くこともできない。
シスコンのお兄さんたちは、相当応えるだろうな。
「招待したのにこんな状態で、申し訳ない」
ハミルトン殿下がそう言い、デニス殿下はレイたちに向かって力なく微笑む。
「普段はこんな顔ではないんだよ」
その笑顔がなんだか哀れで、俺たちは首を横に振った。
「い、いえ、大変な時に大勢でお邪魔してしまって、すみません」
子ヴィノに挨拶したら、すぐに帰ろうかな。
そう思っていると、アリスがおずおずと発言をした。
「あの……私、白ハリネズミと召喚獣契約をしているんです」
「白ハリネズミって……癒しの能力を持っているんだっけ?」
ハミルトン殿下の質問にアリスは頷き、白ハリネズミのイリスを召喚する。
「はい。イリスの癒しの能力を使えば、皆様の目元の腫れも少しは良くなるかと思います」
アリスの言葉に、ハミルトン殿下たちは身を乗り出した。
「本当か!? ありがたい!」
アリスは微笑みながら頷き、手のひらの上にいるイリスに言う。
「イリス、皆様の目元の腫れを治してあげて欲しいの」
【皆様……すごいお顔ですわね】
イリスは三兄弟の顔を見て、ポカンと口を開けていた。
治療するのに慣れているイリスも驚くほどの顔なのか……。
だが、イリスはもう一度じっくり三兄弟の顔を観察して、声を上げる。
【少しお時間をいただきますが、なんとかなると思いますわ】
主人の性質と召喚獣の相性が良ければ、相乗効果で能力が強まる。白ハリネズミは下位種だが、アリスが癒しの性質を持っているから、期待できるだろう。
イリスが「キュイ」と鳴いてしばらくすると、ハミルトン殿下たちは「おおぉ」と感嘆の声を漏らす。
「さっきより前が見やすい!」
「腫れがひいて、目が開きやすくなったのか!」
「瞬きもしやすいぞ!」
三人は上機嫌で、瞬きを繰り返す。
俺から見ると未だ土偶のままだが、どうやら少し腫れが引いたみたいだ。
「良かった。もしこのままなら、子ヴィノを連れて帰れないんじゃないかって思っていたんだ」
モーリス殿下はそう言って、安堵の息を吐く。
目が腫れたままなら、子ヴィノを連れて帰れない?
「それって、どういうことですか?」
俺が小首を傾げて尋ねると、モーリス殿下は庭の植え込みを指して言う。
「この顔が怖いのか、避けられてしまっているんだ」
見れば植え込みの上に、プルプルと動く白いものが四つある。
「あれって、もしかして……」
俺の言葉を引き継いで、カイルが言う。
「子ヴィノの耳ですね」
「あれ、子ヴィノの耳なの?」
トーマはそう言うと、メガネをクイッと直しながら植え込みを観察し始める。
するとそんなタイミングで、植え込みから子ヴィノがぴょこんと顔を出した。
騒がしくしていたのが気になって、出てきたのか。
「顔出した! ちっちゃくて可愛いぃ!」
ライラはそう小さな声で言って、体を震わせる。
一方、子ヴィノたちも俺を発見したようで、声を上げる。
【ちるたん!】
【ちるたんだ!】
「こんにちは。僕の友達を連れて来たよ! 一緒に遊ぼう」
俺が笑って、おいでと手招きする。
しかし子ヴィノたちは植木から一歩足を出したところで、ハッとして足を引っ込めた。
【ちるたん、こっちきて】
【こっち! こっち!】
こっちに来るのが嫌なのか、逆に呼ばれてしまった。
俺がひとまず一人で歩いて行くと、子ヴィノたちはようやく植木から出てくる。
「どうして植木に隠れてたの? 向こうに行くのは嫌?」
俺が尋ねると、子ヴィノたちはタッタカ蹄を鳴らして言う。
【モーたん、ちあうの!】
【にちぇものなの!】
もーたん……もしかして、モーリス殿下のことか。にちぇものは、偽物かな?
「偽物じゃないよ。あの人は本物のモーリス殿下だよ」
【ちあうの! おかおも、おこえもちあう!】
【においはいっちょ! でも、ちあうの!】
匂いは同じだが、顔と声が違うから怪しんでいるのか。
子ヴィノたちはまだ小さいので、人を見分けるのがあまり得意ではないんだよね。こうやって大きな特徴である顔と声が変わってしまったら、別人だと認識してしまっても仕方ないかも。
「普段のモーリス殿下と顔と声が違うので、混乱しているのかもしれませんね」
俺が振り返ってそう言うと、モーリス殿下は顔を覆う。
「やっぱりぃぃ! 寝る時と食べる時以外は、二匹とも物陰に隠れているんだよぉぉ!!」
嘆くモーリス殿下を、ライラとアリスが慰める。
「で、でも、顔が元に戻ったら大丈夫ですよ」
「腫れもだんだんひいてきましたよ」
「だけどさ、顔が元に戻ったらひとまず問題は解決するけど、また腫れたら避けられるんじゃない?」
デニス殿下の指摘に、俺たちは言葉を詰まらせた。
そうか、その可能性はあるよね。
たとえイリスに治してもらっても、王国から帰る道中で泣いたらまた同じことが起こるかもしれない。
泣かなきゃいい話ではあるけど、涙を止められるなら、端からこんな土偶のようになっていないのだ。
俺はガルボたちを振り返って、ヒスイたちの言葉を伝える。
「ヒスイとミムが、タタルの成長にあたたかさが足りないって言っているんだけど」
ガルボは慌てて懐にあったメモを取り出し、内容を確認する。
「うぅ~ん。育成には太陽が必要とはあるが、他には何も書いてねぇ。だが、もしアウステル王国が季節によって気温が変わる国だとすれば、温度も成長の度合いに大きくかかわってくるかもしれないな」
厳しい顔で推測を口にするガルボに、マルコは焦りながら言う。
「なら、早いところもっと温度をあげよう!」
言うが早いか、二人は温室の端にある作業小屋に向かい、板や角材を抱えて戻って来た。
角材をタタル畑の四隅に立て、そこに木の板をかませて倒れないよう補強する。
さらに、出入りする扉を設置し、屋根の骨組みとともにロープで縛って固定した。
テキパキと作業している間、二人はお互いに声をかけることさえしない。
これが阿吽の呼吸ってやつなのかな。手伝おうかと思ったけど、むしろ邪魔になっちゃいそう。
そう思っているうちに、あっという間に扉付きの小屋の骨組みができ上がった。
ガルボとマルコはその骨組みがしっかりしているかを確認して、満足げに一息つく。
そのタイミングで、カイルが声をかける。
「これはなんですか?」
そう尋ねると、マルコが笑顔で説明する。
「中の温度や湿度を調節するための小屋です。他国の植物を育てる時に、たまに使うんですよ。気候が違う地域の植物もありますからね。その国の気候に合わせるんです」
そうか。グレスハートは年中温暖だもんね。
植物の中には、気温や湿度を合わせないと、上手く成長しないものもあるんだな。
「つまり、この温室の中に、さらにタタル専用の小さな温室を作ったってこと?」
俺が小首を傾げて聞くと、ガルボは大きく頷いた。
「そうです。ここに火鉢を置いたり、氷を置いたりして温度を調整しやす」
「へぇ、召喚獣にお願いしないんだ?」
温度調節なら、動物たちにお願いしたほうが正確だし、楽なはずだけど……。
「短期間なら、頼むこともあるんですがね。場合によっては一年中ってこともあるんで、それはさすがに可哀想でやめやした」
そう言って、ガルボは「ガハハ」と笑う。
そっかぁ。植物栽培は長い期間かけて行うもんね。
召喚獣に交代で温度調整をお願いしたとしても、慣れない仕事を強いれば、当然負担をかけることになる。それよりは、氷や火鉢を使ったほうがいいと考えたのだろう。
優しいガルボたちらしいな。
彼らを見上げて、俺は微笑む。
「今日はそんなに長い時間あたためなくてもいいだろうし、僕が鉱石を使うよ」
ガルボたちは嬉しそうにお礼を言う。
「そりゃあ、助かりやす!」
「ありがとうございます」
「じゃあ、さっそく鉱石を……って、この状態で温度を上げてもいいの?」
俺は目の前の小屋を、指さしてそう聞いた。
というのも、風通しの良さも大事だろうが、こんなスカスカじゃ熱が逃げちゃうんじゃないかなって思ったのだ。
「屋根も骨組みだけですし、壁も一部しかありませんよね」
カイルも少し不安げに、小屋を見上げている。
すると、ガルボは再びガハハと笑った。
「ちょっと待っていてくだせぇ。これを張ったら小屋の完成でさぁ」
ガルボはそう言って、大きな筒を手に持つ。
それを少し回すと、筒に巻き付いていた何かがふわっと広がる。
それは、透明で、薄く、少し光沢があった。
「え!? ビニール?」
俺が思わず叫ぶと、ガルボたちは動きを止めてキョトンとする。
マルコが俺に聞き返す。
「ビニ……? なんですか?」
「あ、いや、なんでもない」
ビニールっぽいけど、違うよね。この世界には、まだ作り出す技術がないはずだ。
見た目は薄いビニールにしか見えないけど、これは一体なんなんだろう。
ガルボたちが丁寧に扱っているのを見るに、破れやすいのかな?
「これって何?」
俺がビニールっぽいそれに手を伸ばしつつ尋ねると、マルコは説明してくれる。
「ガイナ蜘蛛の糸を加工したものです」
俺は、伸ばしかけた手を引っ込める。
つまり蜘蛛の糸? 蜘蛛……蜘蛛かぁ。
ガイナ蜘蛛は、体長十五センチもある大きめの蜘蛛。
温厚なんだけど……俺はもともと蜘蛛がそんなに好きじゃないんだよな。
そのうえ、大蜘蛛の魔獣と戦って苦戦を強いられたことがあるため、大きな蜘蛛はかなり苦手なのだ。
「この糸で作られた膜は、紐で縛らなくても、押し付けるだけでくっつくんですよ。さらに、透明で光を通すので、これで小屋を包んだとしても中に光を取り込むことができるんです」
マルコが微笑む一方、ガルボは困り顔で言う。
「ただ、加工で糸を強くしているんですが、それでも強度が強いとは言えないのが難点でさぁ。破れやすいからすぐ補修しなきゃいけねぇし、剥がすと破れるんで、一度しか使えねぇんですよ」
「繊細なんだねぇ」
俺の言葉に二人は頷き、その蜘蛛の糸で作った膜を適度な大きさに切っては、小屋の周りにペタペタと貼り付けていく。
使い方を見ていると、ビニールというより大きなキッチンラップみたいだ。
全面に貼り終え、ガルボが俺を振り返る。
「フィル様、準備が終わりやした」
俺は頷いて、火の鉱石がついたブレスレットを掲げる。
「ミム、ちょうどいい温度になったら、教えてくれる?」
そう言うと、ミムは手を挙げる。
【は~い! 了解!】
鉱石を発動させる際には、思い浮かべる文字数が少ないほど、そしてイメージを強く持つほど効力をより発揮させられる。ちなみに漢字にはそれ自体に意味がある上に文字数も少なくなるから、ひらがなを思い浮かべて発動するより威力が増す。
範囲は小屋の中だけ、夏の暑さを思い浮かべつつ……。
「きおん上昇」
とりあえず様子を見て、ひらがなを含めた五文字で発動させてみる。
小屋の中を覗き込みながら、ミムが言う。
【あったかくなってきたけど、ちょっと弱いみたい】
漢字を使っても、五文字だとまだ弱いか。
「気温上昇」
俺が重ね掛けすると、ミムはその場でくるりと一回転する。
【いい感じ! 喜んでいるわ!】
「ただ、温度が上がった分、土が乾くのも早くなったみたいですね。俺、小屋の中に入って、水やりしてきます」
カイルの申し出に、マルコたちは大喜びだ。
「助かります。この大きさの小屋は、俺たちにはちょっと窮屈で」
「ガイナ蜘蛛の膜を、何度も突き破っちまうんですよ」
マルコとガルボはそう言って、しょんぼり顔になる。
身長が高いのも、それなりに苦労するんだな。
「お任せください」
カイルはそう口にするとじょうろを持って、小屋の中に入っていく。
俺たちは、それぞれ役割分担をして、作業をすすめることにした。
俺はミムのサポートを受けながら小屋の温度の調整、カイルは乾いた畑の水やり、ガルボとマルコは水がなくなったじょうろの交換、ヒスイは育成の手助けといった感じだ。
しばらくすると、ミムが俺のところに来て言う。
【もうあったかくしなくて大丈夫だって】
ヒスイもタタル畑を見下ろし、満足そうに微笑む。
【小さかった苗が、ずいぶん大きく育ちましたわね】
俺は鉱石発動を止めて、小屋の中を覗き込む。
「わぁ、本当だ。さっきよりも、成長してる」
鉱石発動に集中していたから気づかなかったが、小屋を作る前よりタタル豆の背丈が伸び、葉が茂っている。
「おぉ、立派な青タタルがっ!!」
マルコが興奮した様子で叫んだ。
そしてガルボも、成長具合を確認して頷く。
「青タタルができりゃ、小屋を撤去してもよさそうだな」
別の角度から覗くと、葉の陰に実が鈴なりに生っているのが見えた。
あれが、青タタルかぁ。
…………って、ちょっと待って!
俺は苦手な蜘蛛が作り出した膜だということも忘れ、小屋を覆う膜にへばりつく。
「ガルボ、青タタルを少し収穫するって言ってたよね。一莢だけ採って、中の豆を確認してみてもいい?」
俺が真剣な顔で聞くと、ガルボは少し不思議そうな顔をして頷く。
「へぇ、かまいませんが」
俺は早速小屋の扉を開けて中に入り、一莢だけ収穫する。
莢を割って取り出した豆は、俺の記憶にあるものと同じだった。
「……枝豆だ」
莢の形、ふさふさとしたうぶ毛、中身の豆の形状。
「枝豆だーー!! やったーーー!!」
俺は喜びのあまり、両手を挙げる。
青タタルが枝豆ってことは、完熟タタルは大豆だよね!?
俺は挙げていた両手を下ろし、顔を覆った。
「大豆ぅぅぅ!!」
もう、泣きそう。いや、もう泣いてる。
そんな俺を見て、カイルがじょうろを放りだして駆け寄ってくる。
「フィル様!? どうして泣いてらっしゃるんですか!?」
【どうしたんですか? フィル】
心配した顔でヒスイがそう尋ね、次いで小屋の中を覗き込んだガルボとマルコも俺の様子に慌てる。
「どうかなすったんで?」
「タタル豆に何か問題が?」
俺は浮かぶ涙を手で拭い、カイルたちに向かって微笑んだ。
「驚かせてごめん。これは嬉し涙だから」
「嬉し涙……ですか?」
カイルはそう不思議そうな顔で言った。
カイル以外の皆も困惑した様子で、首を傾げている。
「ずっと前から、この豆を探していたんだよ。だから、嬉しくって」
手の中の枝豆を見つめて、俺は微笑む。
「なるほど! ライラに探してもらっていたやつですよね?」
カイルの言葉に、俺は頷く。
「そう。特徴はライラに伝えていたんだけど、国によって呼び方が違うからなのか、なかなか見つからなかったんだよねぇ」
俺は感慨深い気持ちで、手の中の豆を撫でる。
「まさか、おじい様が貰った種が、欲しかった豆だったとは……」
枝豆に大豆かぁ。
枝豆ももちろん好きだが、何より大豆をゲットできたことが嬉しい。
グレスハート産の豆や他の豆で豆腐を作ったことがあるけど、やっぱり大豆で作った豆腐とは違うんだよなぁ。
豆腐ができるなら、厚揚げとか油揚げ、おからもできる。
「ふふふふ」
思わず漏れた笑いに、カイルが不安げな顔をする。
「……フィル様?」
おっと、嬉しさが溢れ出てしまった。
頬をさすって、ガルボを見上げる。
「種を貰って研究してもいいって言われているんだから、収穫量を増やす許可ももらっているんだよね?」
俺の質問に、ガルボは頷く。
「へぇ。こちらでの栽培の研究結果を共有することを前提に、許可をもらっていやす。ただ、向こうさんの交易に影響が出ねぇ範囲での収穫量にはなると思いやすが」
そうだよね。交易に影響が出たらまずいよね。
でも、影響が出ない範囲なら、収穫量を増やしてもいいってことだ。
「もっと協力するからね!」
ガルボたちにそう言って、俺は枝豆畑を見渡す。
「ふふふふふふふふ」
笑う俺を見て、カイルは一層不安そうな顔をしていたけど、俺は込み上げる笑いを抑えることができなかった。
2
タタル豆育成の手伝いをした日から、二日後。
俺は、カイルとアリス、レイとライラとトーマを連れて、王族用の宿泊施設を訪れていた。
王族用の宿泊施設はコンドミニアムタイプで、客室となる建物とは別に食事処や浴場の入った建物があり、中庭もついていてとても豪華だ。
その幾つかあるコンドミニアムの一つに、コルトフィア王国の王子様たち――つまり、ルーゼリア義姉さんの三人のお兄さんたちが滞在している。
婚姻式の時、彼らに『友達が子ヴィノを見たがっているので、帰国前に会えませんか』って、お願いしてみたんだよね。
お兄さんたちはその願いを聞き入れ、俺たちを招待してくれたのだ。
トーマは胸を押さえて、幸せそうに息を吐く。
「あぁ、王族の方とお会いするのは緊張するけど、子ヴィノに会うのはとっても楽しみだなぁ」
「子ヴィノに会う機会なんて、なかなかないもんな」
レイの言葉に対して、ライラはにこにこしながら言う。
「本当よね。ヴィノが小さいのは、今だけだものね。頼んでくれたフィル君と、招待してくださったコルトフィアの殿下方に感謝しないと」
俺もハミルトン殿下たちに会ったら、改めてお礼を言わないといけないな。
そんなことを考えながらホテルの受付に向かう。
するとすぐにスタッフが出てきて、彼らの泊まるコンドミニアムへと案内してくれた。
俺たちが中庭にやって来ると、コルトフィア王国の近衛兵が俺たちに礼をする。
「フィル殿下、ご友人の皆様、ようこそいらっしゃいました」
その声に、庭の奥にいたお兄さんたちが振り返る。
逆光で顔が暗くてよく見えないが、背の高さで誰だかわかる。
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まぁ、一番低いとは言っても、一般からしたら大男の部類だけども。
ゆっくりとこちらに歩いてくる三人に向かって、俺たちはペコリと頭を下げる。
「ハミルトン殿下、デニス殿下、モーリス殿下。ご招待ありが……」
笑顔で挨拶しようと思っていた俺は、見上げた先にある彼らの顔にギョッとして、言葉が継げなくなる。
だって三人とも目元がパンパンに腫れ、目が細くなっているのだ。
元々勇ましい顔立ちだったのに……今は土偶のよう。
俺の後ろで、レイが動揺したように呟く。
「ひ、披露パーティーで見かけた時と全然違う……」
確かに、まったく面影がない。
「そのお顔、どうしたんですか……」
思わずそう尋ねたが、答えを待たずとも理由はわかっていた。
多分、泣き腫らしてこうなったんだろうなぁ。
この三兄弟は妹のルーゼリア王女を溺愛しており、婚姻式やその後の披露パーティーでも目を真っ赤にするほど泣いていたんだよねぇ。
カイルにお願いして、三人のために目元を冷やすタオルを手配したんだけど、全然効かなかったみたい。
……いや、この腫れぼったさは、数日前のものではないかも。
「もしかして、あのあともずっと泣いていらしたんですか?」
俺がおそるおそる尋ねると、しゃがれた声でハミルトン殿下が言う。
「恥ずかしながら、そうなんだよ」
「冷やしている最中も涙が止まらず、結局こんな顔に……」
同じくしゃがれ声でデニス殿下が言い、モーリス殿下はスンッと鼻をすする。
「妹が結婚したのは嬉しいけど、やっぱり寂しくて……」
三人とも、泣きすぎで声も嗄らしちゃっている。
なんならモーリス殿下は、今にも思い出し泣きしそうな勢いだ。
まぁ、気持ちはわかる。ステラ姉さんがお嫁に行った時、俺も寂しかったから。
嫁ぎ先は馬車で何日もかかる距離だし、王子という立場上、気軽に遊びに行くこともできない。
シスコンのお兄さんたちは、相当応えるだろうな。
「招待したのにこんな状態で、申し訳ない」
ハミルトン殿下がそう言い、デニス殿下はレイたちに向かって力なく微笑む。
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その笑顔がなんだか哀れで、俺たちは首を横に振った。
「い、いえ、大変な時に大勢でお邪魔してしまって、すみません」
子ヴィノに挨拶したら、すぐに帰ろうかな。
そう思っていると、アリスがおずおずと発言をした。
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「白ハリネズミって……癒しの能力を持っているんだっけ?」
ハミルトン殿下の質問にアリスは頷き、白ハリネズミのイリスを召喚する。
「はい。イリスの癒しの能力を使えば、皆様の目元の腫れも少しは良くなるかと思います」
アリスの言葉に、ハミルトン殿下たちは身を乗り出した。
「本当か!? ありがたい!」
アリスは微笑みながら頷き、手のひらの上にいるイリスに言う。
「イリス、皆様の目元の腫れを治してあげて欲しいの」
【皆様……すごいお顔ですわね】
イリスは三兄弟の顔を見て、ポカンと口を開けていた。
治療するのに慣れているイリスも驚くほどの顔なのか……。
だが、イリスはもう一度じっくり三兄弟の顔を観察して、声を上げる。
【少しお時間をいただきますが、なんとかなると思いますわ】
主人の性質と召喚獣の相性が良ければ、相乗効果で能力が強まる。白ハリネズミは下位種だが、アリスが癒しの性質を持っているから、期待できるだろう。
イリスが「キュイ」と鳴いてしばらくすると、ハミルトン殿下たちは「おおぉ」と感嘆の声を漏らす。
「さっきより前が見やすい!」
「腫れがひいて、目が開きやすくなったのか!」
「瞬きもしやすいぞ!」
三人は上機嫌で、瞬きを繰り返す。
俺から見ると未だ土偶のままだが、どうやら少し腫れが引いたみたいだ。
「良かった。もしこのままなら、子ヴィノを連れて帰れないんじゃないかって思っていたんだ」
モーリス殿下はそう言って、安堵の息を吐く。
目が腫れたままなら、子ヴィノを連れて帰れない?
「それって、どういうことですか?」
俺が小首を傾げて尋ねると、モーリス殿下は庭の植え込みを指して言う。
「この顔が怖いのか、避けられてしまっているんだ」
見れば植え込みの上に、プルプルと動く白いものが四つある。
「あれって、もしかして……」
俺の言葉を引き継いで、カイルが言う。
「子ヴィノの耳ですね」
「あれ、子ヴィノの耳なの?」
トーマはそう言うと、メガネをクイッと直しながら植え込みを観察し始める。
するとそんなタイミングで、植え込みから子ヴィノがぴょこんと顔を出した。
騒がしくしていたのが気になって、出てきたのか。
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ライラはそう小さな声で言って、体を震わせる。
一方、子ヴィノたちも俺を発見したようで、声を上げる。
【ちるたん!】
【ちるたんだ!】
「こんにちは。僕の友達を連れて来たよ! 一緒に遊ぼう」
俺が笑って、おいでと手招きする。
しかし子ヴィノたちは植木から一歩足を出したところで、ハッとして足を引っ込めた。
【ちるたん、こっちきて】
【こっち! こっち!】
こっちに来るのが嫌なのか、逆に呼ばれてしまった。
俺がひとまず一人で歩いて行くと、子ヴィノたちはようやく植木から出てくる。
「どうして植木に隠れてたの? 向こうに行くのは嫌?」
俺が尋ねると、子ヴィノたちはタッタカ蹄を鳴らして言う。
【モーたん、ちあうの!】
【にちぇものなの!】
もーたん……もしかして、モーリス殿下のことか。にちぇものは、偽物かな?
「偽物じゃないよ。あの人は本物のモーリス殿下だよ」
【ちあうの! おかおも、おこえもちあう!】
【においはいっちょ! でも、ちあうの!】
匂いは同じだが、顔と声が違うから怪しんでいるのか。
子ヴィノたちはまだ小さいので、人を見分けるのがあまり得意ではないんだよね。こうやって大きな特徴である顔と声が変わってしまったら、別人だと認識してしまっても仕方ないかも。
「普段のモーリス殿下と顔と声が違うので、混乱しているのかもしれませんね」
俺が振り返ってそう言うと、モーリス殿下は顔を覆う。
「やっぱりぃぃ! 寝る時と食べる時以外は、二匹とも物陰に隠れているんだよぉぉ!!」
嘆くモーリス殿下を、ライラとアリスが慰める。
「で、でも、顔が元に戻ったら大丈夫ですよ」
「腫れもだんだんひいてきましたよ」
「だけどさ、顔が元に戻ったらひとまず問題は解決するけど、また腫れたら避けられるんじゃない?」
デニス殿下の指摘に、俺たちは言葉を詰まらせた。
そうか、その可能性はあるよね。
たとえイリスに治してもらっても、王国から帰る道中で泣いたらまた同じことが起こるかもしれない。
泣かなきゃいい話ではあるけど、涙を止められるなら、端からこんな土偶のようになっていないのだ。
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