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2巻
2-2
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◇ ◇ ◇
城のダンスフロアには、手拍子と、カチカチというメトロノームみたいな規則正しい音、それに必死に合わせようとする靴音が響いていた。
「何ですかその格好はっ! 腕は下げないっ! 止めてっ! そのままっ! 体は流れるように……違いますっ! そんなヘロヘロで流れていると言えますかっ? フィル殿下っ!」
「は、はひ……」
弱々しく返事をすると、ピシリと叱咤が飛ぶ。
「フィル殿下っ! 返事が聞こえませんよっ!!」
「はいぃぃっっ!!」
俺は半泣き状態で、大きな返事をした。
ゼイゼイいう息を整えたいところを我慢して、笑顔でステップを踏む。
ダンスって優雅なものかと思っていたが、これは完全に格闘技だ。テンポ速いし、笑顔作りながらっていうのが、めっちゃキツイ。
この世界の一般的な舞踏会の踊りは、フォークダンスとワルツが合わさったようなものだった。
まず三拍子のステップを二人で踊る。それからお互い離れて個別のステップを入れ、そしてまたワルツに戻る。それがフォークダンスみたいに輪になった状態で行われ、次々と踊る人が交代していくのだ。
ワンフレーズ三分。一曲で十人と踊るらしい。つまり、三十分は踊りっぱなし。
耐久レースか、これ……。
唯一の救いは、今回の舞踏会で子供は俺と相手方の姫君の二人しかいないので、交代はせずに、ダンスの最初のワンフレーズを踊るだけで済むということだ。
とはいえ、皆が見ている前で踊ることになるから、みっともない真似はできない。
その上、来賓をもてなす立場の俺が、ダンスでナハル国の姫君に恥をかかせるわけにはいかなかった。
だから今こんな死にそうな状態になって、スパルタ特訓を受けているわけです……。
「よろしい。本日のレッスンはここまで」
その声と同時に、抑えていた呼吸を一気に解放する。ゼイゼイしながらよろめいてしまったが、グッと踏ん張って何とか堪えた。
「あ、ありがとうございました」
俺は先生に一礼して、ゆっくりと顔を上げる。
目の前には、柔和な顔つきの大人しそうな女性が立っていた。
「フィル殿下、お疲れ様でございました」
スカートの裾をつまんで優雅にお辞儀し、にっこり微笑む。
先ほどの鬼教官はどこに行ったのか……。とても同一人物とは思えない。
彼女の名前はミリアム・ポルタ。ダンスやマナー、会話術の先生である。
女性に歳を聞くのは失礼なので推測だが、二十代だろうか。俺たち兄弟全員が教わっている先生だ。
出会った時は優しそうだと思って、安心したのになぁ。授業が始まったら、とんでもないスパルタだった。ヒューバート兄さんが時々逃げ出してしまう気持ちもわかる。
「タイム、もういいわ」
ミリアム先生が壁際にいたトキトカゲに声をかけると、室内にカチカチと響いていた規則正しい音がやんだ。
このトキトカゲは、メトロノームのように規則正しく時を刻むミリアム先生の召喚獣だ。尻尾が二つに分かれていて、その尻尾の先にある玉のような膨らみをぶつけて音を出す。
【お疲れ様でございます。お嬢様】
トキトカゲは恭しく、ミリアム先生にお辞儀をした。それから、俺を見てほくそ笑む。
【坊っちゃまも、始めた頃よりはだいぶタイミングが合ってきましたな。個別の踊りの時に遅れがちになるのはいただけませんが……まぁ、及第点でしょう】
頷いてフンと鼻を鳴らしたトキトカゲに、俺は脱力しながら頭を下げる。
「……ありがとうございます」
その様子を見ていたミリアム先生は、くすくすと笑った。
「フィル殿下、タイムにまでお礼は必要ないですよ。でも、お心遣いありがとうございます」
「い、いえ……」
ミリアム先生は俺が動物と会話できるのを知らないし、トキトカゲが俺に何を言ったのかもわからない。だから、単に俺がお礼を言ったように見えたのだろう。
事実を言えるわけがないので、俺はへらっと笑って誤魔化すしかなかった。
「お疲れ様です。フィル様」
声をかけられて振り返ると、アリスがタオルを持って立っていた。
「ありがとう」
タオルを受け取り、噴き出す汗を拭う。
アリスは、俺がお忍びで街に出たときに知り合った子で、少し前に城で暮らすことになった。
実は俺の部屋付きメイドのアリアの娘なのだが、城に住み込みで働くアリアと違い、アリスは街の知り合いの家にあずけられていた。
アリスはすごくしっかりしていても、まだ六歳。近くにいるのに親子が離れ離れというのはやはり良くないからな。
父さんに毛玉猫事件解決の褒美は何がいいかと聞かれたので、アリスもお城で暮らせるようにして欲しいとお願いしたのだ。
アリスはそれに感謝してか、アリアのサポート役として俺に仕えてくれている。
「こちらにお茶をご用意いたしました」
見ると、部屋の隅の小さなテーブルにお茶がセットされていた。
アリアはドジっ子メイドなので、アリスが来てくれて大変助かっている。彼女が来てから、茶器が空を飛ぶこともなくなったもんなぁ。
「ありがとう。ミリアム先生もよろしければどうぞ」
俺はミリアム先生の手を引いてテーブルまで連れていき、よいしょと椅子を引いた。
腰を下ろすタイミングで椅子を戻し、それから自分も席につく。
「完璧なエスコートですわ。マナーに関しては問題ありません。覚えがよろしくて私も嬉しいですわ。ダンスも大分上達しましたし」
「そう言っていただけて光栄です。舞踏会まであと何日もなく、気掛かりだったので」
ホッと息をついて、アリスの入れてくれたマクリナ茶を飲んだ。
喉がカラカラに渇いていたから、沁みるように潤う。
「そう言えば、フィル殿下はナハル国の方々にお会いになられましたか?」
ナハル国一行は一昨日到着し、港に自国の船を停泊させている。とても豪華な船で、内装も充実しているらしく、その船に宿泊していた。
もちろん、こちらとしては城に客室を用意するつもりだったんだけど、航路だと天候に左右されて到着日が読めないから、客室は舞踏会当日だけで十分と事前に連絡があったのだ。
俺はカップを置いて、頷いた。
「はい。ナハル国の船が到着した時に、一度ご挨拶させていただきました。お話はほとんどできませんでしたが……」
挨拶の後、父さんや母さんたちは彼らに街を案内するらしかったが、俺はまだ特訓があったのですぐ失礼させてもらっていた。
「シュリ姫をご覧になって、いかがでした?」
いかがとな?
ミリアム先生の質問に疑問を持ちつつ、姫と会った時のことを思い出す。
「えっと……綺麗な子でした」
六歳にしてはスラリと背が高く、手足が長い。子供ながらに顔の輪郭もスッキリしていて、可愛いと言うより綺麗という印象だった。
挨拶をする口調もハキハキしており、凛々しさを感じる眼差しが意志の強さを窺わせた。
隣にいたマリサ王妃はとても控えめなタイプだったから、余計にインパクトあったな。マリサ王妃が白百合なら、シュリ姫は薔薇って感じだ。
「大人びた印象ですが、マリサ王妃に甘える姿は可愛らしかったですね」
マリサ王妃は、前王妃が亡くなられてから正妃に迎えられた方だ。シュリ姫は前王妃の娘なのだが、挨拶の際に見た二人はとても仲が良さそうだった。まるで本当の母娘のようで、微笑ましかったのを覚えている。
「そうですか」
にっこり微笑むミリアム先生は、どことなく嬉しそうだ。俺は少し首を傾げる。
まぁ、いいか。
それより、シュリ姫といえば気になっていることがあるんだ。舞踏会前に先生に尋ねたいと思っていたことを、この機会に聞いておこう。
「舞踏会では、シュリ姫と何を話せばいいんでしょうか?」
「何でもよろしゅうございますわ。……あぁ、いえ、フィル殿下の場合、何でもはダメですわね。殿下の召喚獣に関しては国家機密です。それは国王陛下からもお言葉があって、重々ご承知かと思いますが」
はい。父さんから、こんこんと説教のように忠告されましたよ。
コクヨウやヒスイのことは話したらダメ。鉱石の力や、それを使って虹を出せることも極秘。
大蜘蛛退治に関しても、コクヨウや鉱石が絡んでいるから内緒。薬草として貴重なマクリナの栽培に成功したこともまだ秘密。
父さんの長い長い話を思い出して、だんだん目が据わってくる。
それ以外で俺の話せることって何? お姫様を楽しませる話題なんて、何もないんだが。
俺がため息をついていると、ミリアム先生は「そうですわ!」と思いついたように手を合わせた。
「あちらの国のお話を伺うのはいかがでしょう?」
俺は目をパチクリさせ、しばらくしてから手をポンと打つ。
なるほど。向こうの話を聞けばいいのか。
書物でナハル国の気候や名産などは調べたが、ダンスとか作法とかの勉強が優先になっていて、大まかなことしか把握できていない。確かに、その国のことは本人たちに聞くのが一番だ。
「なるほど、そうですね。そうします」
少し気が楽になって、「うんうん」と頷きながらお茶を一口飲む。
「ええ。もしかしたら、ナハル国にお婿に行くかもしれませんしね」
「っぐ!?」
ミリアム先生の衝撃的な言葉に、飲んでいたお茶が変なところに入った。
「ゲホッ! えっ! ちょっ!」
俺はタオルで口元を押さえながら、ゲホゲホと咳き込む。
アリスも驚いたのか、ポットの蓋をカラーンと取り落とした。
今、何て言った? お婿だって?
「み、ミリアム先生、お婿って……」
ミリアム先生は目を白黒させている俺の様子を見て、楽しげにくすくすと笑う。
「フィル様はまだ婚約者がいらっしゃいませんでしょう? 年齢的にちょうどいいと思いますわ」
「ちょうどいいって……僕にはまだ早いかと……」
口元を引きつらせて言うと、ミリアム先生は笑みを深くする。
「あら、王族は生まれる前に婚約者が決まることもありますのよ」
お、王族怖い。五歳児にして婚約者とか……。
政略結婚もあるのかなぁなんて思ってはいたが、まだ先だと呑気に考えていた。
そうか、さっき先生がシュリ姫の印象を質問してきたのは、こういうことだったのか。
「確定ではないと思いますが、今回ダンスのお相手に選ばれたのには、両家に多少なりともそういった意向があるからだと思いますよ?」
首を傾げてにっこり微笑むミリアム先生を見て、俺は呆然とする。
舞踏会……参加したくなくなってきたんですけど。
◇ ◇ ◇
大広間の大きな扉を開けると、正面奥に王族の席が設けられていた。
中央に父さんと母さんが座り、母さんの隣にステラ姉さん、父さんの隣にアルフォンス兄さんと俺の席がある。
俺は気持ちを落ち着かせようと、そっと深呼吸する。
参加したくないとは思っても、結局仮病さえ使えない小心者の俺……。
アルフォンス兄さんは俺の様子に気づき、微笑んで顔を覗き込んできた。
「緊張しているのかい?」
「えぇ……はい」
「大丈夫。フィルは可愛いから、シュリ姫にもきっと素敵なダンスパートナーだと思っていただけるよ」
そう言うと、握り拳にグッと力を込めて、俺に頷いてみせる。
「ありがとう……ございます」
その根拠のない自信は何ですか? この兄のブラコンフィルターは、どこまで分厚く補正がかかるのか。
すると、その隣にいた父さんもこちらを見てからかうように微笑む。
「何だ、不安なのか?」
「心配することはないわ。あのミリアムが合格だと言ったのでしょう?」
母さんの言葉に、ステラ姉さんが珍しく「えっ!」と驚いた声を上げた。そして、そんな声を出した自分に少し頬を赤らめる。
「失礼しました。でも、本当でしたら、すごいですわ。……ミリアム先生は厳しい方ですもの」
実感のこもった後半の言葉に、アルフォンス兄さんはうんうんと頷く。
母さんは口元を押さえて、くすくす笑った。
「本当よ。フィルは優秀だと、毎日毎日私に報告しに来ていたくらいだもの」
え、あの鬼教官にそんな素振りはまったくなかったけど……?
「満点ではなく……及第点って感じだと思います」
「それでも、この短期間でだろう? さすがは、フィルだ」
アルフォンス兄さんは誇らしげに言って、セットが崩れない程度に俺の髪を撫でる。
「成果を見るのが楽しみだな」
にこやかな父さんの言葉に、皆が微笑みながら頷いた。
き、期待が重い。こうやってプレッシャーをかけられ、退路が断たれていくんだな。
口元を引きつらせながら、俺はぎこちなく笑う。
「……頑張ります」
見た目は外国人でも、中身はNOと言えない日本人。前世より染みついた、期待に応えるため無理をしがちな自分の気質が恨めしい。
俺が再び深呼吸していると、大広間の扉が開かれた。
「ナハル国アバル国王陛下、マリサ王妃殿下、シュリ殿下、ナハル国大使トマル様ご入室でございますっ!」
扉を開けた衛兵の声とともに、来賓の四人が入ってきた。
俺たちは席を立ち、他の貴族たちと一緒に拍手で迎える。
それとともに、大広間に王国楽団による優雅な演奏が流れ始めた。
先頭を歩く男性が、アバル王だ。金糸で細かく刺繍された腰まである長い上着に、白いストレートのズボン。頭には、臙脂色の生地に金糸の刺繍が入ったトルコ帽に似た帽子を被っている。金のネックレスや指輪をいくつもつけていて、とてもゴージャスだ。
アバル王にエスコートされているのが、マリサ王妃。若草色のエキゾチックなロングドレスを着て、金のイヤリングに金の腕輪をつけている。首には緑色の薄い布を、ロングマフラーのように巻いていた。金糸の刺繍がされているのか、布が揺らめくたびにキラキラと輝く。
後ろには大使のラキーブ・トマル。服装はアバル王と似ているが、こちらは落ち着いた色づかいの服で刺繍もシンプルだ。王も大使も、恰幅が良く口髭を蓄えていた。
シュリ姫は、そのトマル大使にエスコートされている。
ポニーテールにした髪には、金の髪飾りと金糸の刺繍の入った水色のヴェール。足首まで丈がある長い水色のドレスは、腰までスリットが入っており、そのスリットからは白いズボンが見えていた。可愛いらしさというより、動きやすさ重視といった感じだ。
「ようこそ、アバル国王陛下。マリサ王妃殿下、シュリ殿下、トマル大使。我が国一同、皆様を歓迎致します」
父さんは歩み寄ると、アバル王とがっちり握手した。
「このような舞踏会を開いてくださり、誠にありがとうございます。マティアス国王陛下」
アバル王は嬉しそうに、ニコニコと微笑む。
二人の様子を見ると、グレスハート国とナハル国の関係は良好のようだ。
俺たちも父さんの脇に並び、順に頭を下げて挨拶をする。
アバル王は一人一人の挨拶に会釈を返していたが、それが終わると、なぜか俺のことをジッと見てきた。
え、何? 観察するようなその目。
居心地の悪さを誤魔化そうと微笑んだら、アバル王もにっこりと微笑み返してきた。
「フィル殿下は、先日ご挨拶したのみで、あまりお話できませんでしたな」
「先日は早々に退席してしまい、失礼いたしました。今宵はナハル国のお話を、いろいろお聞かせください」
そう言うと、アバル王やマリサ王妃は少し目を見開いた。
「これは驚いた。シュリより年下だというのに、受け答えがこれほどしっかりしているとは」
アバル王は笑いながらマリサ王妃の顔を見ると、王妃は控えめに微笑んで頷く。
「えぇ、本当に。驚きましたわ」
アバル王は満足そうに笑みを湛え、俺に向かって言う。
「それでは、さっそく我が姫のお相手をお願いできますかな?」
そう言ってシュリ姫を促して進み出させたアバル王に、俺は微笑みで返す。
俺たちがダンスしなきゃ、舞踏会は始まらないもんな。もう、やるしかない。
俺はシュリ姫の前に立つと、手を差し伸べてお辞儀をした。
シュリ姫は、そっと俺の手を握る。
それを合図に、大広間には軽やかな三拍子の曲が流れ始めた。
皆が壁際に移動する。ホールに残ったのは俺たちだけだ。
両手を合わせ、ダンスが始まる。
そうして、しみじみと思う。
……背が足りない。
子供で歳が近いって言っても、女の子はとても成長が早い。特にシュリ姫の場合、子供モデルのようにスラリと手足が長かった。
それは初めて会った時に気づいていたけどさ。かと言って、急に俺の背が伸びるはずもなく……。
歩幅とステップを合わせるため、目一杯大きく体をさばく。
すると、シュリ姫が踊りながら小声で話しかけてきた。
「貴方、その歳でもう武道をやってるの? 身のこなしがいいわ」
「そうですか? それを言ったら、シュリ殿下の動きにもキレがありますね」
……と、言ってしまった後に気づく。リードする男性はともかく、女性でキレがあったらダンスの優雅さには欠けるよな。俺はそういうの気にしないけど……しまった、失言だったかも。
「え、そう思う?」
しかし、シュリ姫は嬉しそうに笑った。
よかった。喜ぶってことは、もしかすると活発な姫君なのかもしれない。
「シュリ殿下も武道を?」
「ああ、敬称はいいわ。実はね、剣の師匠にかなり筋がいいって、褒められているのよ」
大人びた印象だったけど、話し方や自慢気な様子を見ると、やはり年相応なんだな。
「へぇ」
感心して微笑むと、シュリ姫は少し驚いた表情で俺を見てくる。
「女のくせにって言わないのね」
「男女関係なく、それがやりたいことなら、やるべきでしょう?」
クルリとターンしながら俺が言うと、シュリ姫は俺の手をグッと掴み体を引き寄せた。
「そうなの! やるべきことなのよ」
顔を近づけ、小声だがハッキリと言う。
あ、あの、引き寄せるの俺の役目なんだけども……。
気迫も相まって、まるでカツアゲにでも遭っているような気分だ。
「自分で身を守れるくらい強くならなきゃ、お義母様に心配かけちゃうもの」
真剣な彼女の様子に俺が驚いたその時、突然、大広間の灯りが消えた。
この国の照明はランプや蝋燭だ。もともと、前世にあったライトの光ほどの明るさはなかったが、消えてしまうと室内は真っ暗。ぼんやりと人影が見えるかどうか、という程度だ。
演奏が止まり、俺たちはダンスをやめて辺りを見渡した。
人々の不安そうにざわめく声が聞こえる。
次第に目は慣れてきたが、一メートル以上先になると顔の判別は難しい。
何で一気に灯りが消えたんだ?
風によって蝋燭が消えることはあるが、窓は開けていないし、今は無風状態だ。
それに、こんなに一斉に消えるのもおかしい。
パーティーのサプライズじゃないよな? 俺たちのダンスもまだ終わっていないのに。
困惑していると、父さんの毅然とした声が聞こえてきた。
「列席者の皆、落ち着かれよ! 早急に対処致す。そのまま動かぬように! ……衛兵、直ちに灯りをつけよっ!」
命令によって、ひとつひとつ灯りがともされていった。だが、なぜかつけるそばから火が消えてしまう。
明らかに何かが起こっているようだ。
「ヒスイ」
小声でヒスイを呼び出す。
「姿を消して、何が起こってるのか調べてくれない?」
【かしこまりましたわ】
耳元でそう聞こえた直後、ヒスイの気配が消えた。
とりあえず、ここは下手に動かず状況を探らなくては。
シュリ姫に最も近いのは俺だから、当然、彼女を守らなければならない。シュリ姫に怪我でもされたら一大事である。
中身は大人な俺と違い、シュリ姫は六歳だもんな。怖がっていないだろうか?
シュリ姫の様子を窺うと、彼女は目を瞑り両手の平を下に向けていた。
怖がってないのは良かったが、何をやってるんだろう?
「シュカ!」
そのシュリ姫の言葉で、空間が歪み始めた。
召喚獣……? ただ名を呼ぶだけで出てくるはずだが、ポーズをつけるなんて、ナハル国ではやり方が違うのだろうか?
俺がその様子を見ていると、ポンと黄色い小さなものが飛び出した。
「え……」
思わず目をパチクリさせる。
黄色い……ヒヨコ?
薄暗いから見間違いかと思ったが、目を擦っても同じだった。
タンポポの綿毛みたいにまんまるで、フワフワの黄色い羽に覆われた……可愛いヒヨコ。
思わず噴き出しそうになって、口をパンっと押さえる。
笑っちゃダメだ。笑っちゃダメだ。
だが、あんなに仰々しい感じで召喚して、出てきたのが可愛いヒヨコとは……ギャップが凄すぎる。
笑いを堪えるあまり、肩がプルプル震えた。
そんな俺の様子を見たシュリ姫は、驚きすぎて震えていると勘違いしたらしく、自慢気に胸を張る。
「驚いた? 私の歳で召喚獣を出せる子なんていないのよ」
あーそっか。そう言えば十一歳のレイラ姉さんも、召喚獣を持ったのは最近だもんな。
俺はたまたまラッキーでゲットできたが、普通はまだ難しいのかもしれない。
そう考えたら凄いことだ。笑いそうになってごめんなさい。
「触ってもいい?」
「触れるならね」
シュリ姫は、鼻でフンと笑う。
俺は黄色いヒヨコを、そっと手の平に乗せた。
俺の小さな手にスッポリと収まるくらい小さなヒヨコだ。
可愛いなぁ。これ、大きくなったら鶏になるのかな? それとも、これが最終形態なのかな?
観察しつつ、指で頭を撫でる。
それが気持ちいいのか、指に擦り寄ってくる姿が何とも可愛いらしい。
【ありがと! お礼!】
満足そうに「ピヨ」と鳴くと、ヒヨコの体が発光し始めた。まるで、黄色く光るボールのようだ。
お祭りの夜店に、光るボール売ってたなぁ。何か懐かしい。
小さいから俺の手元を照らす程度なのだけれど。周りが薄暗いので、とても明るく感じる。
なるほど。シュリ姫は、明るくするためにこの子を出したのか。
城のダンスフロアには、手拍子と、カチカチというメトロノームみたいな規則正しい音、それに必死に合わせようとする靴音が響いていた。
「何ですかその格好はっ! 腕は下げないっ! 止めてっ! そのままっ! 体は流れるように……違いますっ! そんなヘロヘロで流れていると言えますかっ? フィル殿下っ!」
「は、はひ……」
弱々しく返事をすると、ピシリと叱咤が飛ぶ。
「フィル殿下っ! 返事が聞こえませんよっ!!」
「はいぃぃっっ!!」
俺は半泣き状態で、大きな返事をした。
ゼイゼイいう息を整えたいところを我慢して、笑顔でステップを踏む。
ダンスって優雅なものかと思っていたが、これは完全に格闘技だ。テンポ速いし、笑顔作りながらっていうのが、めっちゃキツイ。
この世界の一般的な舞踏会の踊りは、フォークダンスとワルツが合わさったようなものだった。
まず三拍子のステップを二人で踊る。それからお互い離れて個別のステップを入れ、そしてまたワルツに戻る。それがフォークダンスみたいに輪になった状態で行われ、次々と踊る人が交代していくのだ。
ワンフレーズ三分。一曲で十人と踊るらしい。つまり、三十分は踊りっぱなし。
耐久レースか、これ……。
唯一の救いは、今回の舞踏会で子供は俺と相手方の姫君の二人しかいないので、交代はせずに、ダンスの最初のワンフレーズを踊るだけで済むということだ。
とはいえ、皆が見ている前で踊ることになるから、みっともない真似はできない。
その上、来賓をもてなす立場の俺が、ダンスでナハル国の姫君に恥をかかせるわけにはいかなかった。
だから今こんな死にそうな状態になって、スパルタ特訓を受けているわけです……。
「よろしい。本日のレッスンはここまで」
その声と同時に、抑えていた呼吸を一気に解放する。ゼイゼイしながらよろめいてしまったが、グッと踏ん張って何とか堪えた。
「あ、ありがとうございました」
俺は先生に一礼して、ゆっくりと顔を上げる。
目の前には、柔和な顔つきの大人しそうな女性が立っていた。
「フィル殿下、お疲れ様でございました」
スカートの裾をつまんで優雅にお辞儀し、にっこり微笑む。
先ほどの鬼教官はどこに行ったのか……。とても同一人物とは思えない。
彼女の名前はミリアム・ポルタ。ダンスやマナー、会話術の先生である。
女性に歳を聞くのは失礼なので推測だが、二十代だろうか。俺たち兄弟全員が教わっている先生だ。
出会った時は優しそうだと思って、安心したのになぁ。授業が始まったら、とんでもないスパルタだった。ヒューバート兄さんが時々逃げ出してしまう気持ちもわかる。
「タイム、もういいわ」
ミリアム先生が壁際にいたトキトカゲに声をかけると、室内にカチカチと響いていた規則正しい音がやんだ。
このトキトカゲは、メトロノームのように規則正しく時を刻むミリアム先生の召喚獣だ。尻尾が二つに分かれていて、その尻尾の先にある玉のような膨らみをぶつけて音を出す。
【お疲れ様でございます。お嬢様】
トキトカゲは恭しく、ミリアム先生にお辞儀をした。それから、俺を見てほくそ笑む。
【坊っちゃまも、始めた頃よりはだいぶタイミングが合ってきましたな。個別の踊りの時に遅れがちになるのはいただけませんが……まぁ、及第点でしょう】
頷いてフンと鼻を鳴らしたトキトカゲに、俺は脱力しながら頭を下げる。
「……ありがとうございます」
その様子を見ていたミリアム先生は、くすくすと笑った。
「フィル殿下、タイムにまでお礼は必要ないですよ。でも、お心遣いありがとうございます」
「い、いえ……」
ミリアム先生は俺が動物と会話できるのを知らないし、トキトカゲが俺に何を言ったのかもわからない。だから、単に俺がお礼を言ったように見えたのだろう。
事実を言えるわけがないので、俺はへらっと笑って誤魔化すしかなかった。
「お疲れ様です。フィル様」
声をかけられて振り返ると、アリスがタオルを持って立っていた。
「ありがとう」
タオルを受け取り、噴き出す汗を拭う。
アリスは、俺がお忍びで街に出たときに知り合った子で、少し前に城で暮らすことになった。
実は俺の部屋付きメイドのアリアの娘なのだが、城に住み込みで働くアリアと違い、アリスは街の知り合いの家にあずけられていた。
アリスはすごくしっかりしていても、まだ六歳。近くにいるのに親子が離れ離れというのはやはり良くないからな。
父さんに毛玉猫事件解決の褒美は何がいいかと聞かれたので、アリスもお城で暮らせるようにして欲しいとお願いしたのだ。
アリスはそれに感謝してか、アリアのサポート役として俺に仕えてくれている。
「こちらにお茶をご用意いたしました」
見ると、部屋の隅の小さなテーブルにお茶がセットされていた。
アリアはドジっ子メイドなので、アリスが来てくれて大変助かっている。彼女が来てから、茶器が空を飛ぶこともなくなったもんなぁ。
「ありがとう。ミリアム先生もよろしければどうぞ」
俺はミリアム先生の手を引いてテーブルまで連れていき、よいしょと椅子を引いた。
腰を下ろすタイミングで椅子を戻し、それから自分も席につく。
「完璧なエスコートですわ。マナーに関しては問題ありません。覚えがよろしくて私も嬉しいですわ。ダンスも大分上達しましたし」
「そう言っていただけて光栄です。舞踏会まであと何日もなく、気掛かりだったので」
ホッと息をついて、アリスの入れてくれたマクリナ茶を飲んだ。
喉がカラカラに渇いていたから、沁みるように潤う。
「そう言えば、フィル殿下はナハル国の方々にお会いになられましたか?」
ナハル国一行は一昨日到着し、港に自国の船を停泊させている。とても豪華な船で、内装も充実しているらしく、その船に宿泊していた。
もちろん、こちらとしては城に客室を用意するつもりだったんだけど、航路だと天候に左右されて到着日が読めないから、客室は舞踏会当日だけで十分と事前に連絡があったのだ。
俺はカップを置いて、頷いた。
「はい。ナハル国の船が到着した時に、一度ご挨拶させていただきました。お話はほとんどできませんでしたが……」
挨拶の後、父さんや母さんたちは彼らに街を案内するらしかったが、俺はまだ特訓があったのですぐ失礼させてもらっていた。
「シュリ姫をご覧になって、いかがでした?」
いかがとな?
ミリアム先生の質問に疑問を持ちつつ、姫と会った時のことを思い出す。
「えっと……綺麗な子でした」
六歳にしてはスラリと背が高く、手足が長い。子供ながらに顔の輪郭もスッキリしていて、可愛いと言うより綺麗という印象だった。
挨拶をする口調もハキハキしており、凛々しさを感じる眼差しが意志の強さを窺わせた。
隣にいたマリサ王妃はとても控えめなタイプだったから、余計にインパクトあったな。マリサ王妃が白百合なら、シュリ姫は薔薇って感じだ。
「大人びた印象ですが、マリサ王妃に甘える姿は可愛らしかったですね」
マリサ王妃は、前王妃が亡くなられてから正妃に迎えられた方だ。シュリ姫は前王妃の娘なのだが、挨拶の際に見た二人はとても仲が良さそうだった。まるで本当の母娘のようで、微笑ましかったのを覚えている。
「そうですか」
にっこり微笑むミリアム先生は、どことなく嬉しそうだ。俺は少し首を傾げる。
まぁ、いいか。
それより、シュリ姫といえば気になっていることがあるんだ。舞踏会前に先生に尋ねたいと思っていたことを、この機会に聞いておこう。
「舞踏会では、シュリ姫と何を話せばいいんでしょうか?」
「何でもよろしゅうございますわ。……あぁ、いえ、フィル殿下の場合、何でもはダメですわね。殿下の召喚獣に関しては国家機密です。それは国王陛下からもお言葉があって、重々ご承知かと思いますが」
はい。父さんから、こんこんと説教のように忠告されましたよ。
コクヨウやヒスイのことは話したらダメ。鉱石の力や、それを使って虹を出せることも極秘。
大蜘蛛退治に関しても、コクヨウや鉱石が絡んでいるから内緒。薬草として貴重なマクリナの栽培に成功したこともまだ秘密。
父さんの長い長い話を思い出して、だんだん目が据わってくる。
それ以外で俺の話せることって何? お姫様を楽しませる話題なんて、何もないんだが。
俺がため息をついていると、ミリアム先生は「そうですわ!」と思いついたように手を合わせた。
「あちらの国のお話を伺うのはいかがでしょう?」
俺は目をパチクリさせ、しばらくしてから手をポンと打つ。
なるほど。向こうの話を聞けばいいのか。
書物でナハル国の気候や名産などは調べたが、ダンスとか作法とかの勉強が優先になっていて、大まかなことしか把握できていない。確かに、その国のことは本人たちに聞くのが一番だ。
「なるほど、そうですね。そうします」
少し気が楽になって、「うんうん」と頷きながらお茶を一口飲む。
「ええ。もしかしたら、ナハル国にお婿に行くかもしれませんしね」
「っぐ!?」
ミリアム先生の衝撃的な言葉に、飲んでいたお茶が変なところに入った。
「ゲホッ! えっ! ちょっ!」
俺はタオルで口元を押さえながら、ゲホゲホと咳き込む。
アリスも驚いたのか、ポットの蓋をカラーンと取り落とした。
今、何て言った? お婿だって?
「み、ミリアム先生、お婿って……」
ミリアム先生は目を白黒させている俺の様子を見て、楽しげにくすくすと笑う。
「フィル様はまだ婚約者がいらっしゃいませんでしょう? 年齢的にちょうどいいと思いますわ」
「ちょうどいいって……僕にはまだ早いかと……」
口元を引きつらせて言うと、ミリアム先生は笑みを深くする。
「あら、王族は生まれる前に婚約者が決まることもありますのよ」
お、王族怖い。五歳児にして婚約者とか……。
政略結婚もあるのかなぁなんて思ってはいたが、まだ先だと呑気に考えていた。
そうか、さっき先生がシュリ姫の印象を質問してきたのは、こういうことだったのか。
「確定ではないと思いますが、今回ダンスのお相手に選ばれたのには、両家に多少なりともそういった意向があるからだと思いますよ?」
首を傾げてにっこり微笑むミリアム先生を見て、俺は呆然とする。
舞踏会……参加したくなくなってきたんですけど。
◇ ◇ ◇
大広間の大きな扉を開けると、正面奥に王族の席が設けられていた。
中央に父さんと母さんが座り、母さんの隣にステラ姉さん、父さんの隣にアルフォンス兄さんと俺の席がある。
俺は気持ちを落ち着かせようと、そっと深呼吸する。
参加したくないとは思っても、結局仮病さえ使えない小心者の俺……。
アルフォンス兄さんは俺の様子に気づき、微笑んで顔を覗き込んできた。
「緊張しているのかい?」
「えぇ……はい」
「大丈夫。フィルは可愛いから、シュリ姫にもきっと素敵なダンスパートナーだと思っていただけるよ」
そう言うと、握り拳にグッと力を込めて、俺に頷いてみせる。
「ありがとう……ございます」
その根拠のない自信は何ですか? この兄のブラコンフィルターは、どこまで分厚く補正がかかるのか。
すると、その隣にいた父さんもこちらを見てからかうように微笑む。
「何だ、不安なのか?」
「心配することはないわ。あのミリアムが合格だと言ったのでしょう?」
母さんの言葉に、ステラ姉さんが珍しく「えっ!」と驚いた声を上げた。そして、そんな声を出した自分に少し頬を赤らめる。
「失礼しました。でも、本当でしたら、すごいですわ。……ミリアム先生は厳しい方ですもの」
実感のこもった後半の言葉に、アルフォンス兄さんはうんうんと頷く。
母さんは口元を押さえて、くすくす笑った。
「本当よ。フィルは優秀だと、毎日毎日私に報告しに来ていたくらいだもの」
え、あの鬼教官にそんな素振りはまったくなかったけど……?
「満点ではなく……及第点って感じだと思います」
「それでも、この短期間でだろう? さすがは、フィルだ」
アルフォンス兄さんは誇らしげに言って、セットが崩れない程度に俺の髪を撫でる。
「成果を見るのが楽しみだな」
にこやかな父さんの言葉に、皆が微笑みながら頷いた。
き、期待が重い。こうやってプレッシャーをかけられ、退路が断たれていくんだな。
口元を引きつらせながら、俺はぎこちなく笑う。
「……頑張ります」
見た目は外国人でも、中身はNOと言えない日本人。前世より染みついた、期待に応えるため無理をしがちな自分の気質が恨めしい。
俺が再び深呼吸していると、大広間の扉が開かれた。
「ナハル国アバル国王陛下、マリサ王妃殿下、シュリ殿下、ナハル国大使トマル様ご入室でございますっ!」
扉を開けた衛兵の声とともに、来賓の四人が入ってきた。
俺たちは席を立ち、他の貴族たちと一緒に拍手で迎える。
それとともに、大広間に王国楽団による優雅な演奏が流れ始めた。
先頭を歩く男性が、アバル王だ。金糸で細かく刺繍された腰まである長い上着に、白いストレートのズボン。頭には、臙脂色の生地に金糸の刺繍が入ったトルコ帽に似た帽子を被っている。金のネックレスや指輪をいくつもつけていて、とてもゴージャスだ。
アバル王にエスコートされているのが、マリサ王妃。若草色のエキゾチックなロングドレスを着て、金のイヤリングに金の腕輪をつけている。首には緑色の薄い布を、ロングマフラーのように巻いていた。金糸の刺繍がされているのか、布が揺らめくたびにキラキラと輝く。
後ろには大使のラキーブ・トマル。服装はアバル王と似ているが、こちらは落ち着いた色づかいの服で刺繍もシンプルだ。王も大使も、恰幅が良く口髭を蓄えていた。
シュリ姫は、そのトマル大使にエスコートされている。
ポニーテールにした髪には、金の髪飾りと金糸の刺繍の入った水色のヴェール。足首まで丈がある長い水色のドレスは、腰までスリットが入っており、そのスリットからは白いズボンが見えていた。可愛いらしさというより、動きやすさ重視といった感じだ。
「ようこそ、アバル国王陛下。マリサ王妃殿下、シュリ殿下、トマル大使。我が国一同、皆様を歓迎致します」
父さんは歩み寄ると、アバル王とがっちり握手した。
「このような舞踏会を開いてくださり、誠にありがとうございます。マティアス国王陛下」
アバル王は嬉しそうに、ニコニコと微笑む。
二人の様子を見ると、グレスハート国とナハル国の関係は良好のようだ。
俺たちも父さんの脇に並び、順に頭を下げて挨拶をする。
アバル王は一人一人の挨拶に会釈を返していたが、それが終わると、なぜか俺のことをジッと見てきた。
え、何? 観察するようなその目。
居心地の悪さを誤魔化そうと微笑んだら、アバル王もにっこりと微笑み返してきた。
「フィル殿下は、先日ご挨拶したのみで、あまりお話できませんでしたな」
「先日は早々に退席してしまい、失礼いたしました。今宵はナハル国のお話を、いろいろお聞かせください」
そう言うと、アバル王やマリサ王妃は少し目を見開いた。
「これは驚いた。シュリより年下だというのに、受け答えがこれほどしっかりしているとは」
アバル王は笑いながらマリサ王妃の顔を見ると、王妃は控えめに微笑んで頷く。
「えぇ、本当に。驚きましたわ」
アバル王は満足そうに笑みを湛え、俺に向かって言う。
「それでは、さっそく我が姫のお相手をお願いできますかな?」
そう言ってシュリ姫を促して進み出させたアバル王に、俺は微笑みで返す。
俺たちがダンスしなきゃ、舞踏会は始まらないもんな。もう、やるしかない。
俺はシュリ姫の前に立つと、手を差し伸べてお辞儀をした。
シュリ姫は、そっと俺の手を握る。
それを合図に、大広間には軽やかな三拍子の曲が流れ始めた。
皆が壁際に移動する。ホールに残ったのは俺たちだけだ。
両手を合わせ、ダンスが始まる。
そうして、しみじみと思う。
……背が足りない。
子供で歳が近いって言っても、女の子はとても成長が早い。特にシュリ姫の場合、子供モデルのようにスラリと手足が長かった。
それは初めて会った時に気づいていたけどさ。かと言って、急に俺の背が伸びるはずもなく……。
歩幅とステップを合わせるため、目一杯大きく体をさばく。
すると、シュリ姫が踊りながら小声で話しかけてきた。
「貴方、その歳でもう武道をやってるの? 身のこなしがいいわ」
「そうですか? それを言ったら、シュリ殿下の動きにもキレがありますね」
……と、言ってしまった後に気づく。リードする男性はともかく、女性でキレがあったらダンスの優雅さには欠けるよな。俺はそういうの気にしないけど……しまった、失言だったかも。
「え、そう思う?」
しかし、シュリ姫は嬉しそうに笑った。
よかった。喜ぶってことは、もしかすると活発な姫君なのかもしれない。
「シュリ殿下も武道を?」
「ああ、敬称はいいわ。実はね、剣の師匠にかなり筋がいいって、褒められているのよ」
大人びた印象だったけど、話し方や自慢気な様子を見ると、やはり年相応なんだな。
「へぇ」
感心して微笑むと、シュリ姫は少し驚いた表情で俺を見てくる。
「女のくせにって言わないのね」
「男女関係なく、それがやりたいことなら、やるべきでしょう?」
クルリとターンしながら俺が言うと、シュリ姫は俺の手をグッと掴み体を引き寄せた。
「そうなの! やるべきことなのよ」
顔を近づけ、小声だがハッキリと言う。
あ、あの、引き寄せるの俺の役目なんだけども……。
気迫も相まって、まるでカツアゲにでも遭っているような気分だ。
「自分で身を守れるくらい強くならなきゃ、お義母様に心配かけちゃうもの」
真剣な彼女の様子に俺が驚いたその時、突然、大広間の灯りが消えた。
この国の照明はランプや蝋燭だ。もともと、前世にあったライトの光ほどの明るさはなかったが、消えてしまうと室内は真っ暗。ぼんやりと人影が見えるかどうか、という程度だ。
演奏が止まり、俺たちはダンスをやめて辺りを見渡した。
人々の不安そうにざわめく声が聞こえる。
次第に目は慣れてきたが、一メートル以上先になると顔の判別は難しい。
何で一気に灯りが消えたんだ?
風によって蝋燭が消えることはあるが、窓は開けていないし、今は無風状態だ。
それに、こんなに一斉に消えるのもおかしい。
パーティーのサプライズじゃないよな? 俺たちのダンスもまだ終わっていないのに。
困惑していると、父さんの毅然とした声が聞こえてきた。
「列席者の皆、落ち着かれよ! 早急に対処致す。そのまま動かぬように! ……衛兵、直ちに灯りをつけよっ!」
命令によって、ひとつひとつ灯りがともされていった。だが、なぜかつけるそばから火が消えてしまう。
明らかに何かが起こっているようだ。
「ヒスイ」
小声でヒスイを呼び出す。
「姿を消して、何が起こってるのか調べてくれない?」
【かしこまりましたわ】
耳元でそう聞こえた直後、ヒスイの気配が消えた。
とりあえず、ここは下手に動かず状況を探らなくては。
シュリ姫に最も近いのは俺だから、当然、彼女を守らなければならない。シュリ姫に怪我でもされたら一大事である。
中身は大人な俺と違い、シュリ姫は六歳だもんな。怖がっていないだろうか?
シュリ姫の様子を窺うと、彼女は目を瞑り両手の平を下に向けていた。
怖がってないのは良かったが、何をやってるんだろう?
「シュカ!」
そのシュリ姫の言葉で、空間が歪み始めた。
召喚獣……? ただ名を呼ぶだけで出てくるはずだが、ポーズをつけるなんて、ナハル国ではやり方が違うのだろうか?
俺がその様子を見ていると、ポンと黄色い小さなものが飛び出した。
「え……」
思わず目をパチクリさせる。
黄色い……ヒヨコ?
薄暗いから見間違いかと思ったが、目を擦っても同じだった。
タンポポの綿毛みたいにまんまるで、フワフワの黄色い羽に覆われた……可愛いヒヨコ。
思わず噴き出しそうになって、口をパンっと押さえる。
笑っちゃダメだ。笑っちゃダメだ。
だが、あんなに仰々しい感じで召喚して、出てきたのが可愛いヒヨコとは……ギャップが凄すぎる。
笑いを堪えるあまり、肩がプルプル震えた。
そんな俺の様子を見たシュリ姫は、驚きすぎて震えていると勘違いしたらしく、自慢気に胸を張る。
「驚いた? 私の歳で召喚獣を出せる子なんていないのよ」
あーそっか。そう言えば十一歳のレイラ姉さんも、召喚獣を持ったのは最近だもんな。
俺はたまたまラッキーでゲットできたが、普通はまだ難しいのかもしれない。
そう考えたら凄いことだ。笑いそうになってごめんなさい。
「触ってもいい?」
「触れるならね」
シュリ姫は、鼻でフンと笑う。
俺は黄色いヒヨコを、そっと手の平に乗せた。
俺の小さな手にスッポリと収まるくらい小さなヒヨコだ。
可愛いなぁ。これ、大きくなったら鶏になるのかな? それとも、これが最終形態なのかな?
観察しつつ、指で頭を撫でる。
それが気持ちいいのか、指に擦り寄ってくる姿が何とも可愛いらしい。
【ありがと! お礼!】
満足そうに「ピヨ」と鳴くと、ヒヨコの体が発光し始めた。まるで、黄色く光るボールのようだ。
お祭りの夜店に、光るボール売ってたなぁ。何か懐かしい。
小さいから俺の手元を照らす程度なのだけれど。周りが薄暗いので、とても明るく感じる。
なるほど。シュリ姫は、明るくするためにこの子を出したのか。
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