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19.ネジバナ
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四十九日の法要を済ませた後、私は一度通院のため、上京した。
薫風さわやかな頃、私たち夫婦は、再び別府へ来ていた。駅に到着すると、徒歩で墓地に向かった。硫黄の臭いと別府湾から吹く磯風が混じり合う。空を見上げると、一点の雲もない。澄み切った青空だった。
墓地に到着すると、管理事務所で線香を買った。
「桶と柄杓は水道のところに置いちょりますけん、自由につかっちょくれ」
奥へ進むと、水場があり、桶と柄杓を借りて、階段を下る。父さんと祖父母が眠る墓前に線香と花を手向けた。父さんは、厳しくも強い男だった。父さんは緩和治療を拒み、最後の最後まで、生きようと必死だった。自分が病の床に伏しながらも、なお息子のことを気にかけながら逝った。痛みに耐える苦悶の表情が忘れられない。
父さんと祖父母は、あの世で再会しただろうか。私も死んだときは、故郷のこの墓に入りたいと思った。
周囲を見渡すと、誰もいなかった。
実家に到着すると、三和土に姉さんと義兄が立って迎えてくれた。旅装を解く前に、すぐに仏壇へ向かう。仏間は綺麗に片付けられていた。姉さんが定期的に掃除しに来てくれているのだろう。仏壇には、父さんと祖父母の遺影が並んでいる。
遺影を見つめていると、家族で楽しく過ごしていた日々が頭に蘇ってきた。記憶の残響が脳のどこかの部分を刺激する。
あれは小学校の低学年だっただろうか。学校の合唱大会で歌う「グリーングリーン」を家で練習していたときのことである。リズミカルな曲であるが、最後には父親が帰ってこない悲しい結末の歌だった。私は歌いながら、泣き始めた。家族全員が笑いながらも、「歩は優しいんだね」と言った。
グリーングリーンは「この世に生きる喜びそして悲しみ」を歌っている。
生きるということは喜びもあれば、また悲しみもある。
カーテンの隙間から、庭に咲く花が見えた。外に出て、咲いている花を調べてみた。「ネジバナ」かと思ったが、全く違う花ばかりだった。しかし、新緑の葉をつけた植物に生命の息吹を感じた。
医者は微笑みながら「おめでとうございます」と言った。
心は不死だと思った。心はいくつもの身体を遍歴しながら生きながらえるのだと思った。
文恵さんはお腹をさすりながら、私は首をさすりながら、土手沿いを歩く。
「去るものは日々に疎しっていうじゃない?まだ、学生たち忘れていないかな」
「たったの半年でしょ。まだ大丈夫だよ」
「首まだ完全には治っていないけど、後期から頑張って仕事に行くよ」
もう大学で働く気力が失せて、病気になった当初は、自分の心に、何かしら死に対する親しみが起こっていたのも疑いようがなかった。父さんや家族、仲間たちが私を鼓舞し、立ち上がらせてくれた。
荒川の土手では、柔らかな日差しの中で、多くの子供たちが野球やサッカーに思い切り励んでいた。子供たちの目は将来の希望に満ちているように輝いている。荒川へ続く斜面沿いの芝生に目がとまる。茎の周りに螺旋状に花を咲かしている。
「ネジバナだ」
思わず、私は声を出す。
「こんな近くに咲いていたんだね」
「文恵さん、ネジバナの花言葉知ってる?」
「わからないなあ」
「思慕だって」
「歩にとってぴったりじゃない。思慕か……。お父さんのこと……」
「文恵さん、思慕は異性のことを思ったり、恋い慕うときに使うんだよ」
「知らなかった!国語博士には勝てないや」
太陽の光を浴びながら、目を閉じて耳をすます。隣接する首都高速には、絶えず車が行き交う。初夏の風が吹き抜けていく。心地良い。
目には決して見えないが、確かにネジバナの美しい生命力を感じることができた。それは暗闇の中に射す一条の光のような希望であり、生命力の発露に感じられた。今の私が希求している生だったかもしれない。たとえ、この先も病気と共に生きていかなければならないとしても、生きて生きて生き抜く。もう覚悟は決まった。
薫風さわやかな頃、私たち夫婦は、再び別府へ来ていた。駅に到着すると、徒歩で墓地に向かった。硫黄の臭いと別府湾から吹く磯風が混じり合う。空を見上げると、一点の雲もない。澄み切った青空だった。
墓地に到着すると、管理事務所で線香を買った。
「桶と柄杓は水道のところに置いちょりますけん、自由につかっちょくれ」
奥へ進むと、水場があり、桶と柄杓を借りて、階段を下る。父さんと祖父母が眠る墓前に線香と花を手向けた。父さんは、厳しくも強い男だった。父さんは緩和治療を拒み、最後の最後まで、生きようと必死だった。自分が病の床に伏しながらも、なお息子のことを気にかけながら逝った。痛みに耐える苦悶の表情が忘れられない。
父さんと祖父母は、あの世で再会しただろうか。私も死んだときは、故郷のこの墓に入りたいと思った。
周囲を見渡すと、誰もいなかった。
実家に到着すると、三和土に姉さんと義兄が立って迎えてくれた。旅装を解く前に、すぐに仏壇へ向かう。仏間は綺麗に片付けられていた。姉さんが定期的に掃除しに来てくれているのだろう。仏壇には、父さんと祖父母の遺影が並んでいる。
遺影を見つめていると、家族で楽しく過ごしていた日々が頭に蘇ってきた。記憶の残響が脳のどこかの部分を刺激する。
あれは小学校の低学年だっただろうか。学校の合唱大会で歌う「グリーングリーン」を家で練習していたときのことである。リズミカルな曲であるが、最後には父親が帰ってこない悲しい結末の歌だった。私は歌いながら、泣き始めた。家族全員が笑いながらも、「歩は優しいんだね」と言った。
グリーングリーンは「この世に生きる喜びそして悲しみ」を歌っている。
生きるということは喜びもあれば、また悲しみもある。
カーテンの隙間から、庭に咲く花が見えた。外に出て、咲いている花を調べてみた。「ネジバナ」かと思ったが、全く違う花ばかりだった。しかし、新緑の葉をつけた植物に生命の息吹を感じた。
医者は微笑みながら「おめでとうございます」と言った。
心は不死だと思った。心はいくつもの身体を遍歴しながら生きながらえるのだと思った。
文恵さんはお腹をさすりながら、私は首をさすりながら、土手沿いを歩く。
「去るものは日々に疎しっていうじゃない?まだ、学生たち忘れていないかな」
「たったの半年でしょ。まだ大丈夫だよ」
「首まだ完全には治っていないけど、後期から頑張って仕事に行くよ」
もう大学で働く気力が失せて、病気になった当初は、自分の心に、何かしら死に対する親しみが起こっていたのも疑いようがなかった。父さんや家族、仲間たちが私を鼓舞し、立ち上がらせてくれた。
荒川の土手では、柔らかな日差しの中で、多くの子供たちが野球やサッカーに思い切り励んでいた。子供たちの目は将来の希望に満ちているように輝いている。荒川へ続く斜面沿いの芝生に目がとまる。茎の周りに螺旋状に花を咲かしている。
「ネジバナだ」
思わず、私は声を出す。
「こんな近くに咲いていたんだね」
「文恵さん、ネジバナの花言葉知ってる?」
「わからないなあ」
「思慕だって」
「歩にとってぴったりじゃない。思慕か……。お父さんのこと……」
「文恵さん、思慕は異性のことを思ったり、恋い慕うときに使うんだよ」
「知らなかった!国語博士には勝てないや」
太陽の光を浴びながら、目を閉じて耳をすます。隣接する首都高速には、絶えず車が行き交う。初夏の風が吹き抜けていく。心地良い。
目には決して見えないが、確かにネジバナの美しい生命力を感じることができた。それは暗闇の中に射す一条の光のような希望であり、生命力の発露に感じられた。今の私が希求している生だったかもしれない。たとえ、この先も病気と共に生きていかなければならないとしても、生きて生きて生き抜く。もう覚悟は決まった。
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