ネジバナ

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13.制御不能

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 いよいよ私の首は制御がきかなくなってきた。誰かが私の首を右に引っ張っているように、勝手に右へ右へ向こうとする。
 その夜、私は文恵さんに打ち明けることにした。
「最近、ちょっとおかしいんだ」
「おかしい?何がおかしいの?」
「首の調子」
「首?肩凝り酷くなってきた?」
「そうじゃなくて、精神的なものから来てるかもしれない。実は今、薬飲んでる」
「何の薬?」文恵さんは落ち着いて話を聞いている。
「抗不安薬。自律神経が乱れて、首に変調をきたしてる気がするんだ」
「いつから?」
「二月からかな。どんどん酷くなってる気がする」
「どんな症状なの?」
「首が勝手に右に向くんだ」
 文恵さんはすぐにスマートフォンを取り出して。何やらインターネットで色々調べくれた。
「歩、この痙性斜頸って病気じゃないの?」

 文恵さんの行動は早かった。次の日には、一緒にメンタルヘルス科を受診した。
「その後、いかがですか?」
「薬の効果はあまりないようです」
文恵さんが横から口を挟む。
「彼の症状なんですが、これじゃないかと思うんです」
 文恵さんがスマートフォンの画面を院長に見せる。
「松坂さんは痙性斜頸ではありませんよ」
 院長は自信満々に言う。
「首の違和感から、首に意識が向いているんでしょう。癖みたいなものですから、しばらくすれば治ると思いますよ」
 私と文恵さんは、院長がそう言うのだから仕方ないと思うしかなかった。腑に落ちないまま、悄然と肩を落として病院を後にした。
「セカンドオピニオンしてみない?」
「そういえば、先日行った整形外科で大きな病院に行ってみた方がいいって言われた」
 妻が総合病院のホームページを調べながら「精神科かな?神経科かな?」とつぶやく。
「どっちだろうね。わかんないよ」
「精神科は要予約か……。神経科は予約とは書いていないから、とりあえず、病院に行ってみましょう」
 水曜日の朝、午前中に、文恵さんの慣れない運転で総合病院を目指した。総合病院だというのに、駐車場までの道のりはやけに細い路地を抜けなければならない。私はひやひやしながら、ただ隣でじっとしていることしかできない。
 ようやく、駐車場が見えてきた。手前が入り口なのに、文恵さんは奥の出口を見ている。車が出てきたからだ。
「文恵さん、あっちは出口だよ」
 文恵さんは慌てて、ハンドルを右に切り、何とか駐車することができた。
 受付に行くと、人で溢れかえっていた。まだ、午前中の九時だというのに、多くの患者が待っている。職員の数も多い。受付で神経科に診察してもらいたい旨を伝えると「紹介状をお持ちですか?」と言われた。
 地元の整形外科の医者に紹介はされたが、紹介状は書いてもらっていない。そんなことは言っても何の意味もないことはわかっているが、頭にぼんやり浮かぶ。
「いやないです」
「そうですか。紹介状がない場合、診察料と別に五千円いただきますが、よろしいですか?」
 病院のシステムはよくわからないが、了承して私たちは神経科がある棟へ向かう。左が向けないので、文恵さんが左に立って先導してくれる。首が右に四十五度くらい傾きながら歩いているので、周囲の人が特異な目で私を見ていく。ここも病院だが、それでもこの私の奇怪な姿は気になるようだ。でも、もはや首が辛すぎて、人の目さえもどうでもよくなっていた。
 神経科の受付で診察票を渡す。
 受付の女性が言う。「本日はどうされました?」
「首が…首が…右を向きまして…勝手に首が右を向いてしまうんです」
 痛みと焦りなどが交錯して、症状を上手く説明できなかったが、受付の女性が「首ですね。本日、首の専門の先生いらっしゃいますので、座ってお待ちください」
 神経科の待合室には、高齢者しかいなかった。少し不安になる。
五分程待ったところで「松坂さん」と呼ばれた。
 診察室に入る。中年男性医師が担当してくれるようだ。首の専門家だ。期待できる。
 私が簡単に症状を説明すると、即座に「痙性斜頸ですね」とその担当医は言った。
 やはりという思いが強く、安堵感が心を満たしていく。「別の病院では、あなたは痙性斜頸ではないって言われました」
「どこの病院?」
「地元のメンタルヘルスの病院です」
「ああ、医者の認知度も低い病気ですからね。痙性斜頸、いわゆる首のジストニアで間違いありません」
「治療どうしますか?痙性斜頸の専門家は何人かいますが、ここの病院だと三ヶ月待ちです。埼玉なら、ひょっとしたら今月でもいけるかもしれません。どうします?早い方がいいでしょう?」
「お願いします」
「わかりました」と担当医が立て板に水で返しながら、すぐに埼玉の医者に電話を架けて、紹介状も書いてくれた。
 最後に担当医は「利くかはわからないけど、念のため麻酔も打っときましょうか?」と言い、手早く首の五か所に注射を打たれた。一日に五本も注射を打たれたのはもちろん初めての経験だった。
 診察が終わって、会計を済ませると意外にも安くて驚いた。
「紹介状も入れて六千円ちょっとだったよ。注射も随分と打ったのにね」
 治療が必要だとはわかったが、一方で何の病気か判明して、診断名がついたことが何より私に安心をもたらした。何なのかよくわからないことが、一番不安である。それが解消されただけでも喜ばずにはいられなかった。
まさに僥倖だった。あのとき整形外科の先生に紹介され、あのとき神経科を選択したことが、この結果に結びついたのだ。そこから私はようやく治療へと踏み出すことになったのだ。
 翌日も文恵さんに連れられ、大学の人事部を訪れ、休職願を提出した。この日は、卒業式ということもあり、混雑を避けて夕方にした。一期のゼミ生の晴れの姿を見てあげられなかったが、何人かのゼミ生は研究室に手紙を置いていってくれたようだ。学部長やお会いした先生方に挨拶を済ませて帰宅した。
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