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大学の正門を出て、駅の方へ向かう。大学から駅までは五分程度だが、大通り沿いのため、飲食店が軒を連ねる。居酒屋やファミリーレストランのチェーン店が多い。

白井さんは立ち止まり「ここにしよう」と言った。今年の夏、サークルの暑気払いで利用した焼き鳥屋だった。

 店内は新年会で賑わう客で混んでいた。仕事終りのサラリーマンばかりだ。白井さんが焼き鳥の盛り合わせとビールを頼んだ。

 すぐにビールが運ばれてきて、白井さんと乾杯をする。

「太一くん、もうすぐ、就活だもんね。それで焦ってるんだ?」

 白井さんは僕の一つ上の先輩、つまり四年生だ。僕らが所属する哲学心理学研究会は女性も多い。ただ、四年生で女性は白井さんだけだった。成績は優秀で、学業奨励賞を受賞している。大学新聞にも名前が掲載されていた。

「大学の四年間って早いよね?もうすぐ卒業だなんて、本当に信じられない。太一くんが焦る気持ちもよくわかるよ」

 才色兼備で何事もそつなくこなす白井さんでも悩みはあるのだろうか。白井さんは春から製薬会社で働くことになっている。

「白井さんは製薬会社に内定しましたよね。何で製薬会社に決めたんですか?文系で製薬会社って珍しくないですか?」

「製薬会社に行く気はなかったの。最初はね。私の父が製薬会社の営業なの。MRって訊いたことないかな。医療情報の担当者のこと。お医者さんに対して、自社の薬を中心に情報を提供する役目なのよ。お医者さん相手だからけっこう大変みたい。詳しくは訊けなかったけど、土下座したこともあるなんて言ってたわ。だから、製薬会社だけは嫌だなと思っていたの。でも、実際に就職活動をして、色んなことを考えた結果、辿り着いたの」

「白井さんはお父さんのこと尊敬しているんですね」

 白井さんが残りのビールを飲み干す。

「そうかもね。お父さんのこと大嫌いな時期もあったけど、家族のために一生懸命働いてくれていたんだよね」

「太一くんのお父さんは何してるの?」

「母しかいません。両親が離婚しているんです」

「ごめん」

「いやいいんです。父と母は俺が小学生の頃に別れました。父は大学の先生でした。理系らしいけど、詳しいことはよく知りません」

 父の記憶はほとんどない。母によれば、研究熱心で仕事に没頭していたという。家庭を顧みず、結婚には向いていなかったようだ。やがて母は幼い僕を連れて、家を出た。

 父の顔をはっきり思い出せないのに、しばしば父が夢に登場する。夢の中の父は、若くてハンサムだった。

「理系なんだ。意外だね。でも、よく考えてみたら、心理学って統計を扱うし、理系に近いかもね。お父さんの血も引いてるわけだから、案外研究者も向いてるかもね」

 太一は頭痛がした。自分は大学時代に心理学など専攻していただろうか。記憶があいまいになる。

 白井さんはビールを追加注文した。太一はハイボールに変える。

 父に会いたいと思ったこともあるが、母のことを考えると気が引けた。内的な衝動が抑えきれずに、夢として現れているのだろうか。

「私も一年後には、MR認定試験があるから、悠長なこといってられないのよ。周りは理系の出身者も多いし、うちの会社で認定試験落ちた人って過去にいないのよ」

 白井さんの内定先は、太一でも知っているような大手製薬会社だった。

 白井さんとは、路線が違うため、お店で別れた。少し頭が痛い。コンビニに立ち寄り、ウコンの成分が入ったドリンクを購入した。気休めだと思いながら、キャップを開けた。一気に飲み干し、コンビニを出た。誰かがついてきている、そんな気がした。後ろを振り返るが、人影はない。

 北千住駅での出来事が脳裏をかすめる。
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