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中に入ると、落ちるというよりは、滑り台の感覚に近い。砂のウォータースライダーだ。意外にこれは面白いと思っていたら、あっけなく、すぐに終わってしまった。

 太一は頭から勢いよく、出口で突っ込んだ。今度は本当の砂だった。目、鼻、口にさらさらの砂が入り込む。口の中がザラザラするが、不快感はない。それもそのはずだ。なぜか甘い。もしやと舌で再度確認する。砂糖?確かに砂糖は砂の糖とは書くけれど、本当の砂糖だとは驚きだ。見た目は砂であり、ここは砂漠にしか見えない。砂糖の砂漠は初体験であるが、そもそも砂漠に足を踏み入れたこと自体が初めてだ。砂糖と砂は似ていると思った。中学生のときに、鳥取砂丘に行った。その際の足の感触が同じだ。砂の上、いや砂糖の上をモソモソと歩いていく。足を取られながら、前に進むのも一苦労する。

 ベンジャミンが声をかける。

「その昔は俺だってよ、恐れられたものだけどな、逆に最近じゃあ愛くるしいキャラクターにされちまってよ。人間のおかげで大分イメージが変わるからな。おいらたちはまだいい方かもな。鬼種や天狗種は怖いイメージが強いもんな」

 太一は周囲を見渡す。周辺は一面、砂糖の砂漠。どこまでも続いている。

砂漠にはサボテンのイメージがあるが、サボテンらしきものはない。変わりに見たことのないような、花を咲かしていた植物が伸びている。花は人の顔くらいはありそうだ。

「あまり近づかないほうがいいよ」

「え?」

「食べられちゃうから」

ギョッとする。人食い植物か。

「うまそうだな」花が話しかけてきた。

 太一は驚いて飛び上がった。慌てて花から遠ざかる。思わず、顔が強張った。たとえこれが夢だったとしても、花に食われて死にたくはないと思った。小学生のときに読んだ『地球の長い午後』を思い出す。ブライアン・W・オールディスの名作小説だ。はるか未来の地球の話だった。太陽の寿命が近い中、地球は既に自転を止めていた。自転がないので、永遠に昼か夜の世界なのだ。確か、昼の世界には、熱帯化して植物たちが世界を支配していた。

 太一は、今の状況も『地球の長い午後』の主人公グレンと同じじゃないかと笑ってしまう。中には、月まで蔓が伸びる植物が登場したり、知能のあるキノコが登場する。もはや、スーパーマリオの世界観に近い。伸びる植物に襲ってくる花。あの小説を読んだときは、リアリティーに引き込まれたものだ。

太一は、気を取り直して、前に進む。三十分程歩くと、薄っすらと街並みが見えてきた。砂漠にポツンと佇む街がある。

「ねえベンジャミン、街が見えてきたよ」

 喉の渇きを潤したい。気持ちが逸り、太一は走った。

「ベンジャミンも早く来なよ」

 泥濘ながらも、近づこうとするが、一向に距離は縮まらない。後ろを振り返ると、べンジャンからは遠ざかっている。それなのに、街との距離は全く変わらない。太一はいいかげん疲れてしまって、その場にへたり込んだ。やがて、ベンジャミンが追い付いて言った。

「アンタ馬鹿だな。あれは蜃気楼だよ」

 砂まみれの太一は、失望感でまたへたり込み、顎についた砂を手で拭った。

「もう歩けないよ。少し休まないかい?」

 太一の提案にベンジャミンも賛同して、休憩を取ることになった。休憩といっても、日陰になりそうな場所もなければ、食べるものも飲む物もない。いや砂糖ならいくらでもあった。

「もう疲れたよ。ベンジャミン……」

「俺はパトラッシュじゃないぞ」とツッコミを入れてくる。

 しばらく進むと今度は小さな湖のようなものが見えてきた。どうせ蜃気楼だと思って、そのまま進もうとしたら、ベンジャミンが「あれはオアシスさ。知ってるでしょ?」と言ってきた。一瞬、ロックバンドグループの姿が頭を過った。太一がいつも持ち歩いている携帯音楽プレーヤーには、オアシスの曲が全部入っている。無性にオアシスが聞きたくなってきた。目の前にあるのは、本物のオアシスだけれど。

 近くまで行ってみると、私が通っているスポーツクラブのプールより随分小さかった。それでも、やっとの思いであり付けた、貴重な泉だ。しかし、随分と濁っている。黒い水といっていいくらいだ。

 だが、一刻も早く喉の渇きを潤し、火照った身体を冷やしたい衝動に駆られる。最悪飲めなくても、水に身体を浸すだけもいい。

 太一が湖に飛び込もうとするところをベンジャミンに静止された。

「プールじゃないんだからさ」

 先程の花のように、何かまたあるのか。口を開けて、オアシスを見つめるが、ただの黒い水にしか見えない。中に何か潜んでいるのだろうか?ベンジャミンはおもむろにリュックサックからコップを取り出した。オアシスの水をコップで汲み始める。そこに足元の砂というか砂糖というか、とにかく手のひらにすくい取り、コップに混ぜた。

「うまい。太一も飲むか?」

「砂糖入り?ブラック?ミルクはないよ」まさかとは思いながら、訊いてみた。

「コ、コーヒー?」

「そう。モカマタリだよ」

 今度はそう来たか。コーヒーは詳しくないけれど、モカマタリくらいは知っている。 太一はモカマタリをブラックでありがたくいただいた。一口啜ると、芳醇な味わいが口の中に広がり、後からくる酸味が味わい深い。「じゃあ砂糖入りで」 

ものは試しに、砂を入れて飲んでみた。今度は甘さが身体中に沁み込んでくる。

「ところで、まだ歩くの?」

「人生はまだまだ長いよ。旅は続くのさ」

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