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城之内はいない。思いっきり叫んでみるが反応はない。頭の中に鳴り響く、記憶の断片を手繰り寄せようとするが、思い出せない。

途方に暮れたところで、何も進展しそうにない。太一はあきらめて農道を歩くことにした。田圃には所々に案山子が立っている。まさか案山子が喋り出すのではないだろうか。いやこの世界ではありえると思った。けれど、一切喋ることはなかった。なんだか逆に期待している自分がいて、裏切られた気さえする。ただ、案山子は普通喋らない。どうやら自分の感覚が少しずつずれているようだ。延々と続く田圃道を歩いていると、お腹が空いてきた。ここでは時の経過を感知することはできない。どうやらこの世界でも腹はへるらしい。

左右に広がる田圃には、薄いピンクの花が見える。よくよく見てみるときゅうりの花だった。田圃に降りて、きゅうりをもぎ取り、躊躇なく齧ってみた。味がない。青臭さもない。無味無臭だ。何個か試してみたが、結果は同じであった。

田圃に腰をおろして、しばし呆然としていた。さてこれからどうしようかと考えていると、突然、地中の土が舞い上がった。舞い上がった土を浴びながら、驚いて立ち上がると、何か黒い影が視界に入った。現れたのは、なんとびっくり河童だった。そうあの河童だ。河童の実物を見たことがなくても、どこからどう見たってあれは河童だ。顔は浅黒く、ドングリのような目をしている。背中には亀の甲羅ではなくて、紺色のリュックを背負っている。頭には、皿の代わりにレコードが載せられている。

「おい、あんた勝手に食べるなよ」嘴のように尖った口が喋る。

「ご、ごめんなさい。お腹が空いてしまって、つい目の前にあったものだから」

驚きつつも、冷静に頭を下げる。

皮膚には銭苔のような斑紋がある。指は四本、根元には水掻きがある。

「まだ、このきゅうりは熟してないんだからさ」

そもそも河童は河の童というくらいだから、水辺に生息する妖怪ではないのか。

「河童ですよね?」

「河童?まぁそう言われたこともあったかな。おいらはベンジャミン。あんた人間か」

私は黙ってうなづいた。

「人間が何しにこんな場所にいる?」

「何って……こちらが訊きたいよ」

今までの経緯を河童に話す姿は滑稽だった。

「なるほど、そういうことね」とベンジャミンは納得したようだ。

「ここから東に向かうといい。西の魔女なら何とかしてくれるんじゃないかな」

今度は魔女か。さしづめここは魔界とでもいうのか。そもそも東に向かうのになぜ西の魔女なのだろうか。もはやそんなことを尋ねるのも野暮な気さえしてきた。

「昔は人間の子供たちとよく遊んだんやけどな。かけっこしたり、泳いだり、後相撲」

 太一は、のどかな山里で子供たちと遊ぶ河童を想像してみた。

「でもよ、ある時を境に人間界とは関わらないようにお達しが出たんや。確かに馬は好きさ。だけどよ、人間だって馬食べるだろ?川の水も汚染されて、次第にうちらも水を捨てたんや。それで土や砂に居場所を求めたちゅうわけやな」

 ベンジャミンは遠い眼差しになった。

「それは申し訳ない」

 ベンジャミンは驚いた顔をする。

「人間も謝ることがあるんやな。あんたこれからどうする?もしよかったら、一緒に来なよ」

ベンジャミンが登場した部分には、人が一人入れるくらいの穴がある。ベンジャミンが先に穴に飛び込み、私も続いた。

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