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第1章 聖女である少女は
第2話 鳥は大空へと羽ばたく(前編)
しおりを挟む犬の遠吠えが消え、鳥たちがさえずり始めた頃、ラスティは浅い眠りから目覚めた。
床で寝るのはもう慣れっこだ。
寝袋の中、寒さしのぎに掛けた薄手の毛布に挟まれたまま身体を起こし、開け放たれた窓を見やる。
窓際、何も無い虚空に手を伸ばす少女の姿は、今登ろうとしている優しい光に照らされて一層綺麗に見えた。
朝露に煌めく水滴のように、美しく髪や服をたなびかせて、、
入ってきた風は冷たくて、まだ早朝なことを知らせてくれる。その風が妙に肌寒く感じるのはきっと気のせいではないし、秋だからという訳ではないだろう。
「おはようございます。ラスティ」
「おはよう。……身体は大丈夫か?」
「はい」
「そうか、ならいい。」
昨日のペースで会話が進みすぐに沈黙が訪れれば、やはり開け放たれた窓と入ってくる冷たい風が気になってしまう。だが彼女は説明する素振りもなく、外へと視線を戻した。
「……何かいるのか?」
「鳥です。鳥使いに飼われていた鳥が遊んでいるうちに迷子になって力尽きてしまったようで。その方の元へ行きたいと」
「だが今日はーー」
言いかけてラスティは言葉を止めた。
昨日の約束の件は、結局保留になってしまっている。命令だと強気でほとんど押し付けるように言ったはいいが、本人の了承を得ず、決まったこととして言うのはどうにも気が引けるものだ。
今改めて再び事の提案をすることも出来るが、仮にも相手は体調が万全ではない少女である。
昨日の感情のあまりに言ってしまったことに関しても反省すべきだろう。
それに依頼主?が来ているのに断ることも出来ない。彼女のモットーや意思を尊重したい、というのもあるが、相手が鳥だからといって断ることもできるだけしたくない。
だから何にせよ、今日を休日にすることは不可能なのだ。
「はぁ……」
そこまで思案してラスティは小さくため息をついた。
心の中でもう一度ため息をつくように、ラスティは仕方が無いと口を開く。
「分かった。行こう。その前に、食事と風呂を済ませてからな。」
そう言うとラスティはいち早く支度を始めた。昨夜磨いていた剣を腰に下げ、荷物をまとめる。
「朝ごはんなら。まだ朝早いのでお店はやっていませんが、前にいただいたフルーツなどがあるのでそれで良ければ簡単に調理します」
肩に掛けていた上着を羽織り直し、少女はかばんごと材料を手に取ると、扉を開け部屋を後にした。
マリアナは階段を静かに降り、キョロキョロと辺りを見回す。宿屋の調理場を借りるためだ。
この国は有名な食物や料理が多く、隣国からの商人も多く訪れる。そのため様々な材料が手に入り、常に自炊をしている人も少なくない。そのような人々の為に宿屋の多くは台所を無償で貸しているのだ。
マリアナは借りたトレイの上に料理を載せると、再び階段を上がっていく。
部屋に入ると、出かける支度を済ませたラスティが、質素なテーブルの横で椅子に腰をかけていた。地図を広げ、それを眺めている。
王族であるラスティが、関所などで聞いた霊の被害情報や依頼を元に、次に行く場所を決めているのである。行き先については、マリアナが気づいて、ということもしばしばあるのだが。
彼は扉の開く音に気付くとそれをカバンにしまい、テーブルに乗せられたものを見た。
「……材料ないって言ってた割には豪華だな。」
トレイに乗せられた料理は、一口サイズのフレンチトースト数枚とサンドウィッチ、フルーツとあえたヨーグルトにミックスジュースである。
「朝食は大事なので」
ラスティの向かいに座り、あいさつをして朝食を口に運ぶ。
甘さ控えめな料理は健康を気遣ってのものだ。独自で学んだレシピで朝昼夕の食事を作るのはマリアナが自ら始めたもので、旅に出る前から気にかけていたことでもある。
ふたりは食事を済ませると、食器と部屋を片付け宿を後にした。
☆☆☆☆☆
いつの間にか昇った日は、街に一日の始まりを知らせ、生命はそれに応えるように次々と動き出す。
店は品物を並べ、主婦やメイドは朝食の支度をし、男たちは仕事の準備を始める。
寒々としていた街は一気に活気づいた。
心做しか楽しそうに聴こえる鳥のさえずりも、高くに上り遠くなっていった。
ふたりが次に向かったのは銭湯である。マリアナたちは宿屋近くの銭湯へと顔を覗かせ、それぞれの浴槽に足を運んだ。
普通の民家にはあるのだが、小さな宿や平民以下の者、ましてや旅人や旅商人なんかは自らのそれを持たないため、公共の場の近くに点々と配置してあるのだ。もちろん管理者はいるし身分問わずに利用できるため、貴族も出入りしている。
この国はそういった色んな面で豊かだが、やはりそうではない部分もある。
それが彼女らが旅をする理由に繋がる「戦争」や「争い」だ。
今は豊かで平和そうな国と化しているが、数十年前までは戦が絶えず、領地を巡っての争いや身分差別、民族・宗教のズレによる諍いや衝突が絶えなかった。
今でも奴隷などの問題は当たり前の範疇で、それらの場で命を落とした者や、貧困により餓死する者も少なくない。
今となっては隣国との和平を結び、平和を保ててはいるが、昔から増え続けていった骸たちは死霊としてさまよい続け、各々に被害をもたらすことをやめない。
それはすなわち内からの崩壊も充分ありえるということ。
それが聖女による旅が始まった由縁だった。
☆☆☆☆☆
用を済ませたふたりは早速本日の本題に移った。
迷子の鳥の件だ。飼い主である鳥使いを見つけ出し、この鳥の未練を果たさなくてはならない。
「……で、鳥はなんて言ってるんだ?」
ラスティには鳥の声はもちろん、姿さえ見えない。そうなると鳥からの情報はマリアナを介さないと知ることは出来ないのだ。
「わからない、だそうです」
「は?」
ラスティは頭に疑問符を浮かべる。わからない、とは一体どういうことだろう。
ラスティのその様子を見て、マリアナは言葉を付け足した。
「名前もどんな人かも、声すらも分からないそうです。ですが本鳥は会えば分かるかもと言っています」
それは分からないのではなく忘れたのでは?喉から出かかった言葉を思い直しては飲み込んだ。彼女に言っても意味がない。鳥頭だから仕方の無いことなのだろう。鳥の依頼主は初めてだがなんとなく想像できる。
……それにしても''本鳥''ってなんだ?
マリアナは足を止めずにスタスタと街を歩き続けている。その足取りは目的地に真っ直ぐ向かっているように見えるが、そうではないのだろうか。
「じゃあどこに向かってるんだよ。」
「捜しながら回っているだけで目的地なんてありません。言うならば鳥使いさんのもとでしょうか」
「宛もないのにどうやってこの広い街の中から見つけ出すんだ?もしかしたら街の外かもしれないぞ。」
「宛がない訳ではありません。この鳥が好みそうな場所を探せば良いのです」
わけがわからず問おうとしたが、マリアナは早足で人混みを掻き分けてどんどん進んでいく。聞くのは後でいいだろう。
ラスティもマリアナの後ろ姿を見失わないようにしつつ、それらしき人を捜し始めた。
☆☆☆☆☆
どのくらい経っただろうか。
出た時には昇りかけていた太陽は南の空を過ぎ、すっかりオレンジに染まってしまっている。もうじき沈みきってしまうだろう。
朝の一時以来、昼食を食べる時以外はずっと捜し続けたが、それらしい人はとうとう見つからなかった。
なにせ異国からの人も群がる広い街だ。宛があっても、待ち合わせをしている訳でもない相手を見つけるのは、到底一日では叶わないほど至難のわざだろう。
「リア、今日はもう終わりにして明日にしよう。暗くなってきたし、何より疲れただろう?」
そう言ってラスティは近くの宿屋へと足を向ける。途中しゃがみ込んでいた時には話を聞こうとしなかったマリアナも、暗闇での捜索は難しいと思ったのか大人しくついてくる。
宿に着く頃には沈みきった太陽とは逆に月が昇って、藍の空から見下ろしていた。
幸いにも浴槽付きの宿で、昼食時に買った材料で食事を摂ることもできたので、今日の移動はこれ以上しなくても済みそうである。
……それはそれでいいのだが、マリアナの様子が先程から変なのが気にかかる。
宿に着く前から、もっと詳しくすると道端で一度座り込んでから、一言も言葉を発さないのだ。今でさえもこちらに背を向け、沈黙を作っている。
やはり昨日の今日だったから体調が優れないのだろうか。
気になって寄ってみる。マリアナは気配に気付いていないのか顔を伏せたままだ。髪に隠れて表情も見えない。見えたとしてもいつもの無表情が崩れているとは思えないのだが。
「……リア、どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
声を掛けてみても返答はない。言葉を返せないくらい体調が優れないのだろうか。
そう思い、顔色を見ようとランプを近付けて、ラスティはあることに気が付いた。
彼女の膝、両手も乗っているそこに白い布がある。明かりひとつの暗い視界だからよくはわからないが、その布は真ん中にこぶしほどの膨らみを持っているように見えた。
彼女はそれを目を閉じたまま、撫でているようだ。
「それは……」
ラスティがそう口にすると、彼女は繰り返していた手を止めた。そしてゆっくりと彼を見上げる。
「知らない方がいいです」
その台詞にラスティにはある一つの考えが浮かんだ。
途中しゃがみ込んだマリアナ。
撫で続ける白い布ーーしろ、い……?
もう一度布を見てみる。
影だと思っていた不自然な黒はまさか……
「リア。それは……」
マリアナは視線を逸らし、再び自分の膝上を見下ろした。その動作は彼の考えに肯定しているように見えた。
僅かな明かりに照らされた彼女の白い手によって、布は慎重に持ち上げられる。
その下には黒い塊。白い布に挟まれるようにそれはあった。
大空を飛び回っていたはずのその塊は、身動きをせずにその場に佇んでいる。
「黒紫鳥という鳥です」
そう言って、マリアナは彼に事の説明をしだした。
黒紫鳥はそのまま見ると黒色をしているが、陽の光に当たると紫色に見えるのでそう呼ばれているらしい。野生は普段群れで暮らし、渡り鳥の一種として知られている。暖かい地を好むが、なにせ黒は熱を受けやすいため水浴びを良くするそうだ。
マリアナはその情報からひとつの推測を建てた。
飼われている鳥が、飼い主から離れて行くとしたらどこに行くのか。食べ物は鳥使いから与えられているとしたら、水遊びに行ったのかもしれない。もしそうではなかったとしても、水分補給に水場へ向かった可能性だってある。そう考えた時に、一番ありえるのは水のあるところ。しかも比較的浅い、噴水や子供の遊ぶ水たまりプールが怪しいだろう。
それらを知っている鳥使いも、その近場を捜しているかもしれない。
「ーー結局、見つけたのはこの子だったモノだけでしたが」
また亡骸をそっと撫でた。布なんか必要ないとでも言うかのように、今度は直接その身体に触れて。
乾ききった血は固まったモノを残酷にも包み込んでいる。
表情のない彼女の横顔が、どこか酷く痛ましく見えた。
「こうしているのは、この子が還るのを遅らせるためです。鳥使いさんに会うまでに未練を失くさないように」
亡骸にもうこの鳥の魂はない。身体は魂にとってただの器に過ぎないからだ。そこから抜けてしまえば、どんな痛みも感覚も二度と感じることはない。それでも撫で続けるのは、触れることのできない魂に、少しでも想いを伝えるためだろう。
ーー私があなたの未練を叶えるから。だからもう少しだけ……もう少しだけーー
あくまでお願いするように。
マリアナは雪解け草で編んだカゴへと布と共にその亡骸を横たえた。
いつの間に編んだのだろうか。魂は天へ、器は土へと返すために使われるその草のカゴに、小さな身体はピタリと収まった。
マリアナは蓋をかぶせ、そのまま立ち上がる。
「もう寝ましょう。……手を洗ってきます」
後ろで聞こえた去っていく扉の音には振り向かず、ラスティは一点を穴が開きそうなほど見つめていた。
椅子の上に置かれた、その小さなかごを。
後編へ続く
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