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霧の中で
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深呼吸をした。
濃密な水の匂いが鼻孔を擽る。
あんなに天気が良かったのに、今はもう、ほとんど何も見えない。
白だ。右も左も、前も後ろも、上も下も。さっきまで、どちらに向かって歩いていたのかさえ、分からなくなってしまいそうだ。まるで、ショウのいた世界を彷彿とさせる。
焦るな。そうだ。こうなることは予想していたはずだ。
化物の素材を集めて、無事に帰って、はい、終わりで済むはずがない。それは分かっていたことだ。
「…皆、いるか?」
前の方から声が聞こえた。ゲンの声だ。すぐ目の前はミコトがいるのだが、それ以上前になると何も見えなくなってしまうので、声だけが頼りだ。
「うん」「いるぜ」「ええ」ミコト、コウタ、ハルカの順で返事が返ってきた。「…おれも」おれは一番後ろから、最後に返事をした。
「なんだって急に霧なんか出てくるんだよ。…ったく」
コウタが愚痴っぽく呟いた。姿が見えないおかげで、どんな顔をしているか分からない。だいたい想像はできるけど。
「動かない方が良いんじゃ…」
ミコトの不安げな声が響いた。
確かに、そうかもしれない、と思った。急に霧が出てきて、皆、動揺してしまっている。霧に覆われる前に抜け出せればよかったが、さすがにそこまでは予期できなかった。
「今さら焦ってもしょうがないわ」ハルカの落ち着いている声音が霧の奥から聞こえた。こういう時、冷静でいられるハルカは頼もしいと思う。
「皆、出来るだけ、離れないように移動しましょ。どうせこのまま突っ立ってても埒があかないから。ゲン、木に付けてある目印は分かる?」
「…いや、どこにあるかまだ分からないけど、あっちの方向だったと思う」
「じゃあ、まずはそれを見つけないとね。近くにあるはずだから、それを探しましょう」
そうだ。おれたちには、ここまで付けてきた目印がある。それさえ見つけてしまえば、もうこちらのものだ。
うっすらとハルカの姿が視界に映った。ナイフを持っている。それを近くにある岩に突き立て、引っ掻かれたような目印を描いた。
「動くたびにこの目印を付けていくから。後ろの人はそれを確認して来て」
「分かった」
おれは聞こえるように少し声を張り上げて応えた。
おれたちは、視界に必ず誰か見えるようにゆっくりと、歩幅は小さく移動していった。
森が霧で覆われることは、そう珍しいことではないという。
ただ、霧に包まれてしまうと、普段でも迷路みたいな森の中が、より一層複雑化する。そこで迷ってしまえば、一巻の終わりだ。
いやそうでもない。迷ったら迷ったで、幾つか霧から抜け出す方法がある。
その一つが、現在実行している来た道の目印を辿って帰還する方法だ。そうすれば、いくら霧が晴れなくても、目印を辿るだけで、いつかは森から抜けられる。
それ自体も、そう簡単な作業ではないけれど、とりあえず見つけることができれば、帰る道が示される。
そのはずだ。でも。
何故だか、胸騒ぎが収まらない。
それから数十分。おれたちはゲンが付けた目印を探して回った。
「…くそ。だめだな、ここでもない」
ゲンは軽く舌打ちをした。ずいぶん、入念に調べているつもりだが、目印が見つからないみたいだ。
「ほんとにここらへんで合ってるのかよ?」
コウタは少し苛立っているようだ。ずっと似たような景色で、同じような動作を繰り返していたら、飽きてくるのもわかる。
いっそ、闇雲に走り抜けてみたい衝動に駆られる。
そうしたら、もしかしたら霧を抜け出せるかもしれないんじゃないか。こんな地道な動作をする必要ないんじゃ?
しかし、それこそ命取りだ。運ほど、理不尽なものはない。もしかしたら、という不確定要素に掛けていたら、命が幾つあっても足りないことは、この数日で身に染みて分かっている。
それに。
やはりこれはたぶん、ただの霧ではない。ショウからここに行けと言われたことと、何らかの関係があるはずだ。そういう確信があった。
ということは、これは、仕組まれていたことなのか?
何のためにかまでは分からない。この霧同様、手で掴もうとしても、掌には何も残らない。
それにしても、この霧からは早く抜ける必要があった。例えば、もし本当にこの森に住む魔物に遭遇してしまったら、わりとまずいことになる。
霧の中の戦闘は慣れていない上に、仲間たちとの連携も取りづらい。だから、できればそうなる前に、何かしらの手を打っておくべきなのだが。
「…ん?」妙な声が響いた。これはたぶんゲンだ。
「んんん?」
「どうしたのよ?」ハルカが尋ねた。
「いや、あれ…」
おれたちはできるだけゲンに近づいて、ゲンが指さす方向を見た。
といっても、白過ぎて、よく見えない。いや、霧の密度が薄い部分から、うっすらと何か映っている。
あれは、なんだ?
木ではない。もっとごつごつしている。それが積み重なっているような。もしかして、柱、だろうか?それだけじゃない。その奥には、それよりも大きな。あれは。
「…家?」
霧の向こう側に映る、大きな影。それはどことなく、家っぽいシルエットで。
「…遺跡」
誰かがそう言った。ハルカだったろうか。
その時、思い浮かべたショウの口元が笑った気がした。
濃密な水の匂いが鼻孔を擽る。
あんなに天気が良かったのに、今はもう、ほとんど何も見えない。
白だ。右も左も、前も後ろも、上も下も。さっきまで、どちらに向かって歩いていたのかさえ、分からなくなってしまいそうだ。まるで、ショウのいた世界を彷彿とさせる。
焦るな。そうだ。こうなることは予想していたはずだ。
化物の素材を集めて、無事に帰って、はい、終わりで済むはずがない。それは分かっていたことだ。
「…皆、いるか?」
前の方から声が聞こえた。ゲンの声だ。すぐ目の前はミコトがいるのだが、それ以上前になると何も見えなくなってしまうので、声だけが頼りだ。
「うん」「いるぜ」「ええ」ミコト、コウタ、ハルカの順で返事が返ってきた。「…おれも」おれは一番後ろから、最後に返事をした。
「なんだって急に霧なんか出てくるんだよ。…ったく」
コウタが愚痴っぽく呟いた。姿が見えないおかげで、どんな顔をしているか分からない。だいたい想像はできるけど。
「動かない方が良いんじゃ…」
ミコトの不安げな声が響いた。
確かに、そうかもしれない、と思った。急に霧が出てきて、皆、動揺してしまっている。霧に覆われる前に抜け出せればよかったが、さすがにそこまでは予期できなかった。
「今さら焦ってもしょうがないわ」ハルカの落ち着いている声音が霧の奥から聞こえた。こういう時、冷静でいられるハルカは頼もしいと思う。
「皆、出来るだけ、離れないように移動しましょ。どうせこのまま突っ立ってても埒があかないから。ゲン、木に付けてある目印は分かる?」
「…いや、どこにあるかまだ分からないけど、あっちの方向だったと思う」
「じゃあ、まずはそれを見つけないとね。近くにあるはずだから、それを探しましょう」
そうだ。おれたちには、ここまで付けてきた目印がある。それさえ見つけてしまえば、もうこちらのものだ。
うっすらとハルカの姿が視界に映った。ナイフを持っている。それを近くにある岩に突き立て、引っ掻かれたような目印を描いた。
「動くたびにこの目印を付けていくから。後ろの人はそれを確認して来て」
「分かった」
おれは聞こえるように少し声を張り上げて応えた。
おれたちは、視界に必ず誰か見えるようにゆっくりと、歩幅は小さく移動していった。
森が霧で覆われることは、そう珍しいことではないという。
ただ、霧に包まれてしまうと、普段でも迷路みたいな森の中が、より一層複雑化する。そこで迷ってしまえば、一巻の終わりだ。
いやそうでもない。迷ったら迷ったで、幾つか霧から抜け出す方法がある。
その一つが、現在実行している来た道の目印を辿って帰還する方法だ。そうすれば、いくら霧が晴れなくても、目印を辿るだけで、いつかは森から抜けられる。
それ自体も、そう簡単な作業ではないけれど、とりあえず見つけることができれば、帰る道が示される。
そのはずだ。でも。
何故だか、胸騒ぎが収まらない。
それから数十分。おれたちはゲンが付けた目印を探して回った。
「…くそ。だめだな、ここでもない」
ゲンは軽く舌打ちをした。ずいぶん、入念に調べているつもりだが、目印が見つからないみたいだ。
「ほんとにここらへんで合ってるのかよ?」
コウタは少し苛立っているようだ。ずっと似たような景色で、同じような動作を繰り返していたら、飽きてくるのもわかる。
いっそ、闇雲に走り抜けてみたい衝動に駆られる。
そうしたら、もしかしたら霧を抜け出せるかもしれないんじゃないか。こんな地道な動作をする必要ないんじゃ?
しかし、それこそ命取りだ。運ほど、理不尽なものはない。もしかしたら、という不確定要素に掛けていたら、命が幾つあっても足りないことは、この数日で身に染みて分かっている。
それに。
やはりこれはたぶん、ただの霧ではない。ショウからここに行けと言われたことと、何らかの関係があるはずだ。そういう確信があった。
ということは、これは、仕組まれていたことなのか?
何のためにかまでは分からない。この霧同様、手で掴もうとしても、掌には何も残らない。
それにしても、この霧からは早く抜ける必要があった。例えば、もし本当にこの森に住む魔物に遭遇してしまったら、わりとまずいことになる。
霧の中の戦闘は慣れていない上に、仲間たちとの連携も取りづらい。だから、できればそうなる前に、何かしらの手を打っておくべきなのだが。
「…ん?」妙な声が響いた。これはたぶんゲンだ。
「んんん?」
「どうしたのよ?」ハルカが尋ねた。
「いや、あれ…」
おれたちはできるだけゲンに近づいて、ゲンが指さす方向を見た。
といっても、白過ぎて、よく見えない。いや、霧の密度が薄い部分から、うっすらと何か映っている。
あれは、なんだ?
木ではない。もっとごつごつしている。それが積み重なっているような。もしかして、柱、だろうか?それだけじゃない。その奥には、それよりも大きな。あれは。
「…家?」
霧の向こう側に映る、大きな影。それはどことなく、家っぽいシルエットで。
「…遺跡」
誰かがそう言った。ハルカだったろうか。
その時、思い浮かべたショウの口元が笑った気がした。
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